AIがもたらすやっかいな未来 週刊プレイボーイ連載(272)

2016年に国際社会を揺るがした最大の事件は、イギリスのEU離脱を決めた6月の国民投票だと思っていたら、11月のアメリカ大統領選でそれを上回る衝撃が起きました。もうひとつの驚きはAI(人工知能)で、ディープラーニングによってコンピュータがチェスだけでなく、より複雑な将棋や囲碁でプロを圧倒する時代がやってきました。

じつはこのふたつの出来事は、「知識社会化」という同じコインの裏表です。

『ワイアード』創刊編集長のケヴィン・ケリーは、人間がテクロジーを開発しているのではなく、テクノロジーが人間を利用して自ら進化しているのだという「テクニウム(テクノロジー生態系)」を唱えました。テクノロジーはまるで生物のように、さまざまな知を吸収して未知の領域へと自己組織化していくのです。

社会が高度に知識化すれば、それに適応するにはより高い知能・技能が求められます。――パソコンを使いこなせないと事務の仕事すらできない、というように。仕事に必要とされる知能のハードルが上がれば、必然的に多くの労働者が仕事を失うことになるでしょう。これが「格差社会」とか「中流の崩壊」と呼ばれる現象です。

しかし失業したブルーワーカーは、なぜ自分が虐げられるのかがわかりません。その怒りを動員するのがポピュリストの政治家で、今年はフランスやイタリア、ドイツなどでも同じ光景を見ることになるでしょう。なぜなら、知能の格差が経済格差を生み、社会を混乱させるのは、(新興国との競争にさらされる所得の高い)先進国に共通の問題だからです。

AIがその驚くべき能力を示しはじめたとき、多くのひとが、人間がロボットに支配されるSF的なディストピアを予感しました。しかしその後、すこし冷静になると、AIは人間に取って代わるものではなく、人間の知能を拡張するツールだといわれるようになりました。脳(身体)とコンピュータは仕組みが本質的に異なっているので、AIがどれほど学習しても、人間のような認知能力や共感能力を持つことはできないからです。

しかしこの事実も、あまり明るい未来は見せてはくれません。

AIが知的能力を大きく引き上げるとしても、それはすべてのひとに平等に恩恵を与えるわけではありません。そこからもっとも大きな利益を得るのが、高度で複雑なテクノロジーを効果的に使いこなす、知的能力の高いひとであることは間違いないからです。同様のことはビッグデータ(統計解析)などの分析手法や、ビットコイン(ブロックチェーン)、3Dプリンタ、VR(ヴァーチャル・リアリティ)のような新しい技術にもいえるでしょう。

このようにしてテクノロジーの「進化」がますます知能の格差を広げ、それによって富は局在化し、経済格差が深刻になり、社会は分断されていきます。これは知識社会化がもたらす必然ですから、人類がこの運命を避けることは(おそらく)できないでしょう。

だとすれば、私たちはどうすればいいのでしょうか。

そのこたえを私は持ち合わせませんが、ひとつだけ確かなことがあります。それは、「経済格差は知能の格差」という現実から目を背けるなら、私たちはグロテスクな「陰謀論」の世界に落ちていく以外の未来はない、ということです。

参考:ケヴィン・ケリー『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』

『週刊プレイボーイ』2017年1月5日発売号 禁・無断転載

第64回 不気味なニュースを避けるワケ(橘玲の世界は損得勘定)

来年度予算案の編成が混沌としている。子育てや教育、雇用などで求められている政策は多いが、消費税増税の再延期で財源がなくなり、さらには税収が予想より落ち込んで、逆に予算の減額が必要になったからだ。

年金制度改革では、物価が上がっても賃金が下がった場合、現在は据え置かれている年金額が賃金に合わせて減額されることになった。野党はこれによって、将来の年金が最大3割減になると批判している。

さらに医療費の膨張を抑えるために、一定以上の収入のある高齢者の自己負担を現役世代並みにすると同時に、厚生年金保険料を毎年のように引き上げて、保険料をとりやすいサラリーマンの家計が圧迫されている。

いずれも最近の出来事だが、こうやって並べても「だからなに?」と思うだけかもしれない。なぜなら、これが日本社会の構造的な問題から生じていることをみんな知っているからだ。それはもちろん、少子高齢化だ。

年金も健康保険も、日本の社会保障制度は現役世代が引退世代を支える仕組みでつくられている。若者が多く人口がピラミッド型ならこれでうまくいくが、支えなければならない高齢者が増えてくればいずれは破綻する。

小学生でもわかる理屈で、何十年も前から指摘されてきたが、政治家も官僚も「100年安心」という空虚な寝言を唱えるばかりで、まともな改革はなにひとつできなかった。

さらに影響が大きいのは、国民の寿命が大幅に伸びていることだ。もともと日本の年金制度は、60歳で引退してから5年間の余生を賄えるように設計されていた。

ところが人生100年が珍しくなくなって、制度が土台から崩壊してしまった。20歳から60歳まで40年働いて、その間に積立てたお金で100歳までの40年を生活できるか考えれば、その答えは小学生だってわかるだろう。

イギリスの経済学者2人が書いた『ライフシフト』(東洋経済新報社)で、高齢化時代の資金計画が試算されている。それによると、毎年所得の10%を貯蓄して(けっこう大変だ)、老後の生活資金を最終所得の50%確保しようとするなら(かなりギリギリの生活だ)、平均寿命85歳でも70代前半まで働きつづけなくてはならない。平均寿命が100歳になれば条件はさらに厳しく、80代まで働きつづけるか、それが無理なら引退時の所得の30%という貧困生活に耐えるしかない。

人生の最後をホームレスで終わりたくなければ、生涯現役(できれば生涯共働き)以外の人生設計はなく、定年のある働き方はすでに破綻している。ここまでは理屈として受け入れたとしても、日本のサラリーマンには大きな困難がある。

ひとつは、会社勤めを「苦役」と考えていること。これで定年制が廃止されれば、人生が「無期懲役」になってしまう。そしてもうひとつは、80歳までいったいなんの仕事をすればいいかわからないことだ。

年金や医療の不気味なニュースに見て見ぬふりをつづけるのは、この問いと向き合いたくないからなのだろう、たぶん。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.64:『日経ヴェリタス』2016年12月18日号掲載
禁・無断転載

PS これが本年最後の記事になります。よいお年をお迎えください。