「表現の自由」を定めた憲法21条は削除したらどうだろう 週刊プレイボーイ連載(185)

フランスの週刊誌『シャルリー・エブド』などに掲載された風刺画をまとめた本が出版されたというので近所の書店を回ってみたら、どこも「うちには入荷していません」とのことでした。報道によれば、大手書店でも販売を自粛するところが大半のようです。

こうした対応について、「ひとが嫌がるようなことをする表現の自由はない」と支持する意見が多いようですが、もしそうなら、同じ書店に、特定の民族や国家を揶揄・中傷する本が並んでいるのはなぜでしょう?

その理由は、わざわざ説明するまでもありません。相手がどれほど嫌がっていようと、気に食わない奴らをバッシングする自由はあるわけです。書店もムスリムの気持ちに配慮しているわけではなく、抗議されたら困ると思っているのでしょう。

もっとも、こうした風潮をいちがいに批判することはできません。欧米諸国とイスラームの複雑な歴史に日本は無関係で、「アタマのおかしい奴らを刺激して火の粉が飛んでくるのは真っ平だ」と一般のひとが思うのは無理もありません。書店は無防備ですから、抗議行動で混乱が起きれば対処できないと考えるのも当然です。

この件でどうにも理解できないのは、マスメディアや“識者”の反応です。

700万部が売れたという事件後の『シャルリー・エブド』特売号の表紙を日本のメディアはほとんど掲載しませんでしたが、これを「ムスリムに対するヘイトなのだから当然だ」と擁護する“リベラル”なひとたちがいます。しかしそうなると、この“ヘイト本”を買った700万人や、「私はシャルリー」の言葉を掲げて街頭に立った350万人のフランス人はイスラームを差別する「極右」ということになってしまいます。

これはどう考えても荒唐無稽な話ですが、そう思ったひとが自分で判断しようとしても、肝心の風刺画を見ることができません。「私はヘイト表現だと感じた。だから掲載するな」というのは、個人的な判断を一方的に読者に押しつける知識人の横暴以外のなにものでもありません。

もちろんここで、「風刺画を見たければネットにいくらでもある」との反論もあるでしょう。しかしそれを認めるのはメディアの自己否定で、「真実はすべてネットにあり、新聞やテレビはウソばかりだ」ということになってしまいます。そしてこれは、ネットを使ってISIS(イスラム国)が信じ込ませようとしていることなのです。

書籍は、自らの意思で手に取ったひとしか内容がわかりません。表紙に風刺画を使っておらず、ムハンモドの顔をモザイクで隠した本ですら販売させないというのは、明らかに行きすぎです。日本の市民社会を律しているのは日本国憲法であり、シャリーア(イスラーム法)ではありません。誰の気持ちも傷つけない「表現の自由」しか認めないのなら、(言論・出版の自由を定めた)憲法21条など不要ですから、さっさと削除してしまえばいいでしょう。

もちろん日本に住むムスリムには、風刺画を掲載した新聞社や出版社に抗議する自由があります。しかしそれと同時に、自由な市民社会のルールを尊重しなければなりません――こんな当たり前のことをいちいちいわなければならないのは、ほんとうに残念です。

『週刊プレイボーイ』2015年3月2日発売号
禁・無断転載

【後記】

『新文化』2015年2月10日号に『イスラム・ヘイトか、風刺か』を出版した第三書館の北川明社長のインタビューが掲載されていたので、その一部を引用します。なお北川氏は、本書の企画意図について、「(シャルリー・エブドは)風刺漫画なのだから、漫画を出さずに議論することはありえない」と述べています。

――イスラム教関係者が本を置かないように要請した書店もあったと聞くが。

北川 いつも常備を入れている書店にはイスラム教徒が押しかけ、注文がキャンセルになってしまった。本の内容を見てからならまだわかるが、この度の一連の書店の反応には愕然とした。中国・韓国を貶める『ヘイト本』はかなり悪質だが、書店は売れるから売る。それはいいが、本書を読んでもいないイスラム教徒が来ただけで、この本を売らないという。

 では、韓国人、中国人が(ヘイト本を)置かないでほしいと言ったらどうするのか。在日の人が『売らないで』といっても書店は売るだろう。それは書店人の“差別”だと思う。

――本に対する反応は。

北川 本を読まずして非難している。抗議しているイスラム教徒にも「読んでみてほしい」といったが、「いらない、読みたくない」との答えだった。彼らはこの本が『シャルリー・エブド』を礼賛していると勘違いしている。イスラム教徒としては預言者ムハンマドが否定されている本は一切知りたくないという心情はわかるが、取り上げること自体がけしからんという立場だ。

『橘玲の中国私論』「反日と戦争責任」附記

新刊の『橘玲の中国私論』で「反日と戦争責任」について書いた。ここでは、そこで収録できなかったエピソードをひとつ紹介したい。

日本の首相が靖国神社に参拝するたびに中国や韓国からはげしい抗議を受けて東アジア情勢が緊張する。これは一般に歴史認識をめぐる軋轢とされているが、私はずっと、問題の本質は別のところにあるのではないかと思ってきた。

戦前までの日本の軍隊は天皇(国体)を護持するのが務めで、戦死者は天皇を祭司とする靖国神社に祀られた。だがGHQの政教分離政策によって、唯一の慰霊施設であった靖国神社は“民営化”されてしまう。

この「歴史のねじれ」 によって、靖国神社の宮司(一民間人)は、いっさいの民主的手続きを踏むことなく、本来の祭司である昭和天皇の意志に反して、独断でA級戦犯の合祀を行なった。だがなぜか、保守派もリベラルも、この身勝手な振る舞いを問題にすることはない(「靖国問題と歴史のねじれ」)

1985年8月15日、当時の中曽根康弘首相が靖国神社に公式参拝し、それに対して中国が強く反発し外交問題になった。対日政策の弱腰を批判されて窮地に陥った胡耀邦党総書記を慮って、中曽根元首相は翌年の靖国公式参拝を断念する。その際に、中曽根元首相は“朋友”の胡耀邦に書簡を送っている。

以下、それを引用する。

「日中関係には2000年を超える平和友好の歴史と50年の不幸な戦争の歴史がありますが、とりわけ戦前の50年の不幸な歴史が両国の国民感情に与えた深い傷痕と不信感を除去していいくためには、歴史の教訓に深く学びつつ、寛容と互譲の精神に基づいて、日中双方の政治家たちが、相互信頼の絆により、粘り強い共同の努力を行なう必要があります」

「私は戦後40年の節目にあたる昨年の終戦記念日に、わが国戦没者の遺族会その関係各方面の永年の悲願に基づき、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しましたが、その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のために犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためのものでありました」

「しかしながら、戦後40年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行なわないという高度の政治的決断を致しました」

「戦前及び戦中の国の方針により、すべての戦没者は、一律に原則として靖国神社に祀られることになっており、日本国において他に一律に祀られているところはありません。故に246万に及ぶ一般の戦死者の遺族たちはごく少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、死者に罪なしという日本の死生観により神社の独自の判断により祀られたが故に、日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定されることには、深い悲しみと不満を持っているものであります」(世界平和研究所『中曽根内閣史 資料編』-王敏『日本と中国 相互誤解の構造』〈中公新書〉より重引。数字表記のみ洋数字に変更。太字強調は引用者)

中曽根元首相がこの書簡を送ったのは30年前。そのときから、「真の問題」がどこにあるかは自民党保守派の政治家たちにもわかっていた。

だがその後、彼らは、本来の祭司である昭和天皇が(今上天皇も)靖国神社の参拝を拒否するという異例の事態の解決を放棄してしまった。この国家的損失をもたらした宮司はいっさいの責任を問われることなく、不毛な論争(というか罵り合い)だけがえんえんとつづくことになったのだ。

中国を驚くということ(『橘玲の中国私論』はじめに)

新刊『橘玲の中国私論』より「はじめに」を掲載します。

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中国はいつも驚きを与えてくれる。日本から飛行機でわずか数時間のところにこんな面白い世界があるのに、日本人旅行者が減っているのはほんとうにもったいない。

中国の「驚き」のなかで、ここ数年のマイブームは不動産バブルだ。地方都市を訪れるたびに、唖然、愕然、呆然とするような都市開発の残骸を目にするようになった。

「なぜこんな途方もないことが起きるのか」「これはいったいどうなってしまうのだろう」という素朴な疑問から本書の企画は始まった。「鬼城」と呼ばれる中国のゴーストタウンを取材して、読者にも驚いてもらおうと思ったのだ。

だが取材を進めるにつれて、たんに各地の鬼城を紹介するだけでは面白くならないことに気がついた。

ロシア人形にマトリョーシカがある。胴体が上下に分かれ、なかに少し小さな人形が入っている。人形を開けるとまた同じ人形が出てくる入れ子構造で、ロシア旅行のお土産にもらったひともいるだろう。中国の鬼城は、このマトリョーシカを思い出させる。大都市、地方の中心都市、辺境の都市、町や村、どこを訪れてもまったく同じことが起きているのだ。そこには地域ごとの特色、といったものがまるでない。

そこで、「中国の鬼城はなぜこんなにそっくりなのか」ということが気になりだした。そこから出発して、中国についてあれこれ考えてみたのがこの本だ。

最初に断っておくと、満州からチベット、ウイグルまで中国のほぼ全土を旅行したものの、私は中国の専門家ではない。だからこれは一介の旅行者の記録、すなわち旅行記だ。

旅の意味はひとそれぞれだろうが、私の場合は「驚き」に出会うことだ。

アームチェアに座って事件を解決する探偵もいるが、たいていのひとは、思いもよらない出来事に遭遇しないとそれについて知りたいとは思わないだろう。私も同じで、自分で体験してからでないと本を手に取る気になれない。異国を旅することと書物の世界を旅することは一体なのだ。

結果として本書は、私家版の中国論のようなものになった。本書のアイデアはきわめてシンプルで、“人類史上最大”といわれる不動産バブルを含め、中国で起きているさまざまな驚くべきことの背後には、「中国人という体験」を生み出すひとつの外的要因があるのではないか、というものだ。その要因とは、「ひとが多い」ということだ――それも、とんでもなく。

国としての「日本」が誕生したのは7世紀だが、それ以来、中華帝国は日本人にとって脅威であると同時に、常に驚きでもあった。中国はあまりにも巨大なので、隣国である日本はいやおうなくその運命に巻き込まれざるを得ない。

だからこそ、一人ひとりが中国について考えてみることが大切なのではないだろうか。

『橘玲の中国私論』「はじめに」