若手女優はなぜ親の宗教に「出家」したのか? 週刊プレイボーイ連載(279)

若手女優が突然、新興宗教団体に「出家」するとして芸能界を引退しました。不安定な人気商売で精神的に追い込まれていたようですが、この団体を選んだのは両親が信者で、自身も子どもの頃から宗教行事に参加していたからでしょう。

このコラムで何度か、「子育てに意味はない」と書きました。子どもに説教しても無視されるのには進化論的な理由があるという話ですが、「矛盾してるじゃないか」と思うひともいるでしょう。若手女優は、ちゃんと親のいいつけどおり熱心な信者に育ったからです。

しかしこの出来事も、現代の進化論の枠組みでちゃんと説明可能です。

アメリカの在野の研究者ジュディス・リッチ・ハリスが子育ての常識に疑問を持ったきっかけは、就学前の移民の子どもたちが母語を忘れ、すぐに英語を話しはじめることでした。子どもの成長が家庭環境で決まるなら、英語を話せない両親との会話に必要な母語をなぜさっさと捨ててしまうのでしょうか?

こうしてハリスは、膨大な証拠にもとづいて次のように主張します。

「家庭のルールが友だち集団の掟と対立した場合、子どもが親のいうことをきくことはぜったいにない」

脳のプログラムがつくられた旧石器時代には、離乳期が過ぎれば母親は次の子どもを産むのですから、幼児の世話をすることはできません。だとすれば子どもは、年上のきょうだいやいとこなど、「友だち」のなかで生きていくほかありません。そう考えれば、親の言葉を捨てて友だちの言葉(英語)を選ぶのは当然です。

しかしこれは、視点を変えれば次のようにいうこともできます。

「友だち集団の掟と対立しない家庭のルールには、子どもを従わせることができる」

私たちは、幼いときに親がつくった料理の味をいつまでも美味しいと感じます。移民の子どもの味覚が変容しないのは、友だち集団に入れてもらえるかどうかの基準に、食べ物の好き嫌いが関係ないからです。――ニンジンが食べられないからといって仲間はずれにされることは(ふつうは)ありません。

同様にハリスは、宗教も「友だちの掟」とは関係がないといいます。スピリチュアルな感覚は人類に共通していますが、宗教は文化的なもので、脳のOSができあがったあとに農耕社会のなかで影響力を持つようになったのです。

子どもたちは、親の宗教によって友だち集団を選ぶことはありません。アメリカなどで、宗教によって子ども集団が分断されているように見えるのは、人種が異なるからです。

進化論的には、子どもは自分に似た子どもに魅かれるようにつくられています。自分のことを親身に世話してくれるのが、きょうだいやいとこなど血縁関係にある仲間であることを考えれば、これも当たり前でしょう。

すべての親が苦い経験として知っていることでしょうが、親は子どもの友だち関係に介入できず、どれほど説教しても音楽やファッションの趣味を変えることはできません――これが友だち集団の内側と外側を分ける指標になっているからです。しかし皮肉なことに、宗教は親から子へと受け継がれ、しばしば世俗化した社会と衝突するのです。

参考:ジュディス・リッチ ハリス『子育ての大誤解』

『週刊プレイボーイ』2017年2月27日発売号 禁・無断転載

アメリカで起きているのは「ふたつのリベラル」の対立 週刊プレイボーイ連載(277)

トランプ旋風があいかわらず止まりません。イスラーム圏の特定の国からの「入国禁止令」は全米ではげしい抗議デモを引き起こし、トランプはメディアでも「暴君」「差別主義者」「サイコパス」などさんざんないわれようです。

しかしその一方で、世論調査では米国人の約半数が「入国禁止令」に賛成しています。さらに興味深いのは、リベラルな若者を中心にトランプを支持する層が増えていることです。

「トランプ・デモクラット(トランプの民主党員)」と呼ばれる彼らはSNSでつながった30歳以下のグループで、その多くが民主党の大統領予備選挙で、格差是正の急進的な政策を掲げてヒラリー・クリントンと争った「民主社会主義者」バーニー・サンダースを応援していました。アメリカの若いリベラルは、民主党主流派と手を携えて新政権に反対するのではなく、民主党員のままトランプに「転向」したのです。

右(共和党)か左(民主党)かの従来の政治思想では、若くてリベラルな民主党員がトランプを支持する現象を説明できません。これを理解するには、メディアや知識人のレッテル張りから距離を置いて、トランプが「リベラル」であることを認めなくてはなりません。

アメリカ独立宣言は、人権と自由・平等を高らかに掲げて近代の画期を開きました。自然権である人権は普遍的なものですから、すべてのひとに平等に適用されなければなりません。こうして奴隷制は正当化できなくなり、南北戦争へと突き進んでいきます。

独立宣言の理念に照らせば、特定の国のひとだけに一方的に入国を制限するのは普遍的な人権に反します。自由の国アメリカは、不幸な難民を平等に受け入れなければならないのです。これを「コスモポリタンなリベラル」の立場としましょう。

ところがトランプは、「アメリカファースト」によって、このリベラリズムを反転させました。彼が重視するのは、「アメリカ人の自由、平等、人権」なのです。こうして、「国民国家が外国人の“入国する権利”より、国民をテロから守ることを優先するのは当然だ」との主張が生まれます。こちらは「ドメスティックなリベラル」です。

トランプはさまざまな「暴言」をTweetしますが、黒人を批判することはありません。彼らも「アメリカ国民」だからです。評判の悪い「国境の壁」もメキシコからの不法移民の流入を止めるためのもので、合法的に市民権を取得したヒスパニックを追い返そうとはしていません。「入国禁止令」についても、あくまでも治安対策で「宗教を信じる権利」は守られると政権は強調しています。

トランプのやっていることは、かなり危ういとはいうものの、どれもリベラリズムの範囲内に収まっています。これが、国内の経済格差に憤慨する「リベラルな若者」がトランプに「転向」できる理由でしょう。

アメリカでいま起きていることは、「コスモポリタン」と「ドメスティック」の2つのリベラリズムの対立です。そして民主政が多数決(人気投票)である以上、アメリカでもヨーロッパでも、もちろん日本でも、「自国民ファースト」のリベラルが常に優位に立つのです。

参考:日本経済新聞2017年2月8日「解剖トランプ流 支持の民主党員台頭」
水島治郎『ポピュリズムとは何か』

『週刊プレイボーイ』2017年2月20日発売号 禁・無断転載

文科省の天下りスキャンダルはすぐに消えていく 週刊プレイボーイ連載(277)

トランプ新大統領が引き起こす混乱はいまだ収まる気配がありませんが、今回のテーマは文部科学省による天下りの斡旋です。なぜかというと、いまはたくさんにひとが怒っていますが、この話題はすぐに消えていく運命にあるからです。

すでに報じられているように、文科省の人事課は、OB団体が天下りを組織的に斡旋する手の込んだシステムを構築し、それを隠蔽するウソの説明の想定問答までつくっていました。「学の独立」を高らかに掲げる私立大学の雄が、文科省の指示に従って再就職等監視委員会の調査で口裏を合わせていたことも暴露され、教育行政に対する信用は大きく失墜しました。――この私立大学はなぜか「被害者」の立場に収まっていますが、ふつうは違法行為の幇助というのでしょう。

不思議なのは、文科省をきびしく批判するマスメディアが、どうすれば天下りを根絶できるかを説明しないことです。

ピラミッド型の組織は、その構造上、昇進にともなって余剰人員を減らしていかなくては成り立ちません。ところが日本の企業や官庁は入社時に終身雇用を約束して、その対価として組織への忠誠を求めます。ちょっと考えればわかるように、もともとこれは両立不可能です。

高度経済成長の時代は、大企業は子会社や取引先に中高年の社員を押しつけてこの矛盾を糊塗してきましたが、市場の縮小と業績悪化でそんな余裕はなくなり、日本を代表する一流企業にまで「追い出し部屋」が蔓延しました。それにともなって、官僚の天下りに冷たい視線が集まるようになったのです。

日本の官庁は、入社年次を「同期」として、「昇進は年次が上の同期を越えない」というきわめて特殊なルールで運営されています。この人事制度では、ピラミッドの頂点に立つ事務次官が決まれば、同期はすべて省を去らなければなりません。ということは、課長くらいまでは平等に昇進しても、40代半ばからは徐々に人員を間引いていく必要があります。しかし彼らも「終身雇用」なのですから、省庁の人事課のもっとも重要な仕事は退職者の職探しになるのです。

天下りの根絶に最初に取り組んだのは小泉政権で、官僚が民間企業に転職し、民間企業からも官庁幹部に登用するアメリカ型の「リボルビング(回転)ドア」を目指しました。この抜本改革が頓挫したのは、民間企業も終身雇用の中高年社員の処遇に困り果てており、50代の「元高級官僚」の席など、よほどのお土産をつけなければ用意できるはずがなかったからです。

2013年に前事務次官がOBの再就職の口利きをした問題が発覚した国土交通省では、その年の退職者がこぞってハローワークに登録したものの、「そんな職はない」と断れるというマンガのような事態も起きたとのことです。自分で再就職できないのなら、組織が面倒をみるほかありません。

こうして、官僚制度を維持するには天下りは仕方がないという暗黙の了解が生まれました。文科省が批判されたのは、そのやり方があまりに露骨だったからです。

原理的に解決不可能な問題を議論しても意味がありません。だから今回も、ちょっと騒いで、あとは見て見ぬ振りをすることになるでしょう。

参考:朝日新聞2012年2月2日朝刊「翌日には再就職1割」

『週刊プレイボーイ』2017年2月13日発売号 禁・無断転載