「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」組織で国際貢献できる? 週刊プレイボーイ連載(282)

古代エジプトの遺跡をめぐるナイル川クルーズの起点はアブ・シンベル神殿で、アスワン・ハイダムでできたナセル湖のほとりにあります。神殿の入口ではカラフルな民族衣装の男たちが民芸品を売っていて、ガイドは彼らに目をやると、「ちょっと先のスーダンから来てるんだよ」といいました。「あんな国に行くことはないだろうから、関係ないだろうけどね」

そのスーダンに駐屯している自衛隊の派遣部隊をめぐり、国会が紛糾しました。しかし私を含め、スーダンを訪れたことのある日本人はほとんどいないでしょうし、どこにあるのか知らないひとも多いでしょう。

自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加しているのは南スーダンで、2011年にスーダン共和国から独立しました。歴史的には、エジプトが占領していたスーダン北部はアラブ系住民の多いイスラーム圏、イギリスが統治した南部は黒人の多いキリスト教圏で、1956年の独立後も北部と南部の対立はつづきます。1970年代に南部に油田が発見されると20年におよぶ泥沼の内戦が始まり、アメリカの支援を受けた住民投票で南部独立が達成されてからも、大統領派と副大統領派の部族衝突から内戦が勃発しました。この混乱で国連のPKOが秩序維持にあたることになり、11年9月に当時の民主党・野田政権が自衛隊の派遣を決定しました。

ところがその後も紛争状態は改善せず、16年7月には自衛隊の駐屯する首都ジュバで武力衝突が発生します。国会で問題とされたのは、現地の自衛隊が日報でこれを「戦闘」と記録していたのに対し、防衛相が「衝突」と言い換えて答弁した、というものです。自衛隊が「戦闘」に巻き込まれる恐れが明白になれば、「PKO参加5原則」が崩壊することを危惧したのでしょう。

この論争(というか、言葉遊び)で不思議なのは、「自衛隊員の生命を守れ」というひとはいても、南スーダンのひとたちのことは誰も話題にしないことです。今年2月、国連事務総長顧問は「大虐殺が起きる恐れが常に存在する」との声明を発表しました。ルワンダのような悲劇を防ぐために各国がPKO部隊を派遣しているのですが、「平和憲法の精神」を説くひとたちは、自衛隊を撤収してジェノサイド(民族大虐殺)の危険のなかに住民を置き去りにすることをどう考えていたのでしょうか。

「アフリカの国のことなんてどうでもいい」とか、「国民同士が殺しあうのは自己責任だ」という“ジャパニーズ・ファースト”の政治的主張もあり得るでしょう。ところが自衛隊撤収を求めるひとたちは、「非軍事の人道支援、民生支援に切り替えるべきだ」などといっています。軍隊ですら危険な地域に出かけていく民間人などいるでしょうか。

とはいえ、国民の多くが、なぜ自衛隊が南スーダンで危険な任務に就かなくてはならないか疑問の思っている以上、5月末で活動を終了すると決めたことは正しい判断でしょう。そもそも自衛隊は、「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」という世にも奇妙な組織です。それを国際貢献の名のもとに、PKOという「軍隊」として派遣したことが間違っているのですから。

『週刊プレイボーイ』2017年3月21日発売号 禁・無断転載

自分の妻も管理できない人物に国家を管理できる? 週刊プレイボーイ連載(281) 

大阪府の学校法人が首相夫人を「名誉校長」に迎えて新設する小学校の建設用地として、国有地を格安で随意契約した事件が波紋を広げています。「国民の財産」が不当な安値で払い下げられるのはたしかに大問題ですが、それ以上にひとびとの興味を掻きたてたのはこの学校法人の教育方針で、幼稚園では園児に軍歌や教育勅語を唱和させ、保護者に対して「パンツが生乾きで犬臭い」とか、日本国籍を取得した韓国人の親に「韓国人と中国人は嫌いです」との手紙を送りつけるなど、常識では考えられない“奇行”の数々が暴かれました。国際社会からも「日本の首相夫妻はヘイトなのか」と疑惑の目を向けられかねず、あわてて「名誉校長」を辞任し火消しに躍起です。

とはいえ、首相が国会で「私や妻が関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める」と大見得を切ったのですから、政治的には単純な話です。国有地の格安売却に自らの意向が働いていたとの証拠があれば首相が退陣し、なければ一部の関係者が処分されるくらいで立ち消えになるでしょう。

それより興味深いのは、磐石の権力基盤を築いたはずの安倍首相が、なぜこんなくだらないことで足を引っぱられる羽目になったかです。

学校法人は「日本で初めてで唯一の神道の小学校」をうたい、首相夫人は講演で「こちらの教育方針は大変、主人も素晴らしいと思っている」と激賞しましたが、国会の答弁で首相は「何回も断っているにもかかわらず、寄付金集めに(安倍晋三記念小学校の)名前が使われたのは本当に遺憾」「(学校法人の理事長は)非常にしつこい」などと突き放しています。

事件の全容が明らかになっていない段階ではあるものの、これは首相の答弁にリアリティがあります。日本国の首相であっても、政治家は支持者を批判できません。学校法人の理事長はその弱みにつけこんで、首相の名前を利用して行政に圧力をかけ、有利な条件を引き出そうとしたのでしょう。これは「圧力団体」とか「フィクサー」と呼ばれるひとたちの常套手段で、国有地の売却はこうしたうさんくさい話のオンパレードです。――ちなみの大手新聞社も払い下げられた国有地に立派な社屋を建てています。

だとすれば安倍首相は、妻があやしげな「教育者」に心酔したことでいわれなき非難を浴びた“被害者”ということになります。そしてじつは、自民党だけでなく野党でもおおかたの政治家はそう考えているといいます。

首相夫人は、東日本大震災の復興事業の目玉である防潮堤建設に反対したり、「反安倍、反原発」のミュージシャンと意気投合して沖縄を訪れるなど「家庭内野党」を名乗っていますが、「大麻合法化」を唱えるのは神社の注連縄に日本製の麻を使えるようにするためで、その言動から見えてくるのは“スピリチュアル”への過剰な傾倒です。これが「神道の小学校」に肩入れすることになった理由でしょう。

安倍氏が二度目の首相の座を目指すと決意したとき、夫人は神田の路地裏で居酒屋を経営していました。その天衣無縫さが彼女の魅力でしょうが、しかしこれは、一歩間違えれば夫の政治生命を奪いかねません。しかし首相の有能な側近たちも、夫婦の関係にはいっさい口出しできないようです。

この特異な事件は、「自分の妻も管理できない人物が国家を管理できるのか」という話なのかもしれません。

参考:石井妙子「安倍昭恵「家庭内野党」の真実」(月刊『文藝春秋』2017年3月号)

『週刊プレイボーイ』2017年3月13日発売号 禁・無断転載

「ヘンなひと」を黙らせるエポックメイキングな事件 週刊プレイボーイ連載(280)

歴史にはエポックメイキングな事件というものがあります。

日本経済の変調が明らかになった1990年代はもちろん、2000年代になっても、年功序列・終身雇用の日本的雇用制度が日本人(男性サラリーマンだけですが)を幸福にしているとして、成果報酬などグローバルスタンダードの働き方を導入しようとするたびに「雇用破壊」と大騒ぎするひとたちがたくさんいました。じつはさまざまな国際調査で、日本人は会社に対する信頼度がもっとも低く、サラリーマンは会社を憎んでいるということが明らかになっていますが、こうした不都合な事実もすべて無視されてきました。

ところが2007年の世界金融危機後、「正社員になれなければ人生は終わり」というメディアのプロパガンダを利用してブラック企業が台頭し、サービス残業によって若者を最低賃金以下の給与で酷使するようになると、ようやく風向きが変わりはじめました。そして決定的なのは、大手広告代理店の新人女性が長時間労働とパワハラによって過労自殺した事件でしょう。これによって日本的な会社がいかにグロテスクな労働環境かが白日の下にさらされ、「正社員は幸福」という会社原理主義が土台から崩壊したのです。「グローバリズムが雇用を破壊する」と罵声を浴びせていたひとたちは、いまや「日本の会社はけしからん」と叫んでいます。

同じような価値観の転換は、経営側でも起きています。

かつては、株主を会社の所有者とするアメリカ型の会社統治(コーポレートガバナンス)は「強欲資本主義」と呼ばれ、株主だけでなく従業員や地域経済にも配慮し、長期的な成長を目指す「日本的経営」を破壊するものとして蛇蝎のごとく嫌われていました。

ところが2000年代になって、短期的利益しか追求していないはずのアメリカ経済が長期的に成長し、日本経済が長期的に衰退しているという不都合な事実を覆い隠すことができなくなってきました。アップルやグーグルといった新興企業が天を駆けるように成長するのを指をくわえて眺めているだけならまだしも、サムスンや鴻海といった、かつては歯牙にもかけなかったアジアの企業にも追い抜かれるようになって、日本的経営の神話に暗い影が差してきます。

そしていま、日本を代表するエスタブリッシュメントで、歴代の経団連会長を輩出した東芝が巨額損失によって解体の危機に瀕しています。

2015年に発覚した粉飾決算では、大胆なリストラをしようとすると各部門が抵抗し、過去の不祥事を表に出すと名誉職に就いているOBが騒ぐので、経営陣はなにもかも穏便に抑えようとして身動きがとれなくなる「病巣」が指摘されました。今回は、7000億円もの損失を、原子力事業担当の会長が報告するまで誰も気づかないという信じがたい「ガバナンスの不在」が明らかになりました。

日本の会社は「正社員の共同体」で、サラリーマンの勝ち組である経営陣の既得権に触れることは最大のタブーでした。その経営者が実は会社を「統治」などしていないことを暴いたエポックメイキングな事件によって、「素晴らしき日本的経営を守れ」と叫ぶヘンなひとたちもようやくいなくなることでしょう。

『週刊プレイボーイ』2017年3月6日発売号 禁・無断転載