首相の妻をめぐって議論が空回りする理由 週刊プレイボーイ連載(284) 

当初はささいなことと思われていた森友学園問題は、理事長の国会での証人喚問で一気にヒートアップしました。密室での献金や講演料の授受は水掛け論としても、疑惑が公になったあとも首相夫人が副園長(理事長夫人)と頻繁にメールのやりとりをしていたことや、小学校を建てる国有地の借地期間の件で理事長が直接、首相夫人に電話をかけ、経産省から出向していた秘書官が財務省に照会し、回答をFAXしていたことは大きな衝撃でした。政府はこれまで首相夫人を「私人」と説明してきましたが、民間人からの依頼を官僚に処理させていたことでこの理屈は破綻しました。

この件で不思議なのは、首相官邸がメールやFAXの存在をまったく把握できていなかったらしいことです。これはようするに、国家の危機管理を担う日本国首相は、妻がなにをやっているかまったく知らないし、その行動をなんら「管理」できていないということでしょう。この驚くべき事実は、最近では永田町界隈で「アベノリスク」と呼ばれるようになったようです。

ところがこのことが、首相の責任をめぐる保守派とリベラルの議論を混乱させています。

強大な国家権力の頂点に立つ首相の職責とは、多様な利害の調整だけでなく、自らの決定に国民を従わせることです。その首相が自分の妻すら「管理」できないとすれば、国民がそのマネジメント能力に疑念を抱いたとしても当然でしょう。

これと同様のことが旧民主党政権時代に起きたとしたら、「日本社会の根幹はイエ制度」と信じる保守派のひとたちは、「家庭を管理できない奴に国家の管理が任せられるか」と大騒ぎしたでしょう。しかし今回は当事者が保守派の“期待の星”なので、「夫婦関係は私的なこと」として無視をきめこんでいます。民進党代表の家族がテレビで紹介されたときは、「夫をヒト扱いしない人が国民をヒト扱いするのか?」とバッシングしたことを思えば、目を覆わんばかりのダブルスタンダードです。

その一方で、首相を批判するリベラルの側にも頭の痛い問題があります。彼らの理屈では夫と妻は独立した人格ですから、妻の不始末の責任を夫がとる(あるいはその逆も)ことなどあってはならないのです。首相に妻を「管理」する責任などなく、首相夫人がどれほど“公権力”を濫用したとしても、夫である首相がそれを知らなかったのなら、「困った妻に翻弄されるかわいそうな夫」というだけのことなのです。

「真に日本国を支える人材を育てる」小学校の開校について、政府は一貫して政治的圧力はなかったと主張していますが、首相夫人が名誉校長に就任し、理事長が有力な国会議員や大阪府議会議員に働きかけているのですから、これが「政治案件」であることは誰でもわかります。副園長とのメールのやりとりを見ても、首相夫人はたんなるつき合いで名誉校長を引き受けたわけではなく、その教育理念に共感し同志的つながりを持っていたことは明らかです。

しかしこのように首相夫人の責任が前面に出てくるほど、「夫婦の連帯責任」を問わずに首相を追及するのが難しくなってきます。これが、首相の責任をめぐる議論が空回りしていうように見える理由なのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2017年4月3日発売号 禁・無断転載

親がいくら説教してもいじめはなくならない 週刊プレイボーイ連載(283) 

「いじめはなにをしてもなくならない」として、「強く生きろ」といじめられた子どもを叱咤するひとがいます。こうした発言が公になることはほとんどありませんが、教育関係者を含め多くのひとが、「いじめられる側にも問題がある」と思っていることは間違いありません。

この主張は前半が正しく、後半は間違っています。

子どもは必ず友だち集団をつくりますが、そのためには仲間(内)と仲間でない者(外)を区別する指標が必要で、その境界を超えて仲間に加わるのが通過儀礼です。集団の結束を高めるために特定のメンバーを排除するのも、仲間にしてもらうのに「小遣い」のような代償を支払うのも、古今東西、子どもの世界ではどこでも起きていることです。子どもは本能的に仲間はずれを恐れるので、理不尽な要求を拒絶することができないのです。

人間関係を「内」と「外」に分けて差別するのは普遍的な行動原理(ヒューマンユニヴァーサルズ)なので、秘密結社や宗教団体から会社まで大人社会のいたるところで見られます。「いじめに負けるな」と励ますのは、これからの長い人生を考えての“善意”なのでしょう。

いじめ問題が「子どもの本性」だとすれば、学校や行政をどれほど叩いても根絶できません。そこで最近は、親の責任を問う声が強くなってきました。「ちゃんと子育てすれば、いじめのような卑劣なことをするはずはない」というわけです。

しかし残念ながら、この方法もうまくいきません。発達心理学の研究者が、子どもを正しくしつけるよう親に「介入」してその効果を調べたところ、親子関係では改善が見られたものの、子どもの学校での行動はまったく変わらなかったのです。

なぜこのようなことになるかというと、子どもが「家のなかでの自分」と「学校(友だち集団)のなかでの自分」を無意識のうちに使い分けているからです。その理由は、家庭でわがままいっぱいに育てられた子どもが、学校で同じようにしたらどうなるかを考えればわかるでしょう。子ども集団のなかでは、掟(ルール)に従えない自分勝手な子どもが真っ先に排除されます。仲間はずれにされないためには、「キャラ」を変えるしかないのです。

家と学校で子どもがちがう「自分」になるのなら、親がいくら説教しても効果がないのは当然です。この主張には直感的に反発するかもしれませんが、自分の子ども時代を振り返れば誰でも思い当たることがあるでしょう。

だとしたら、「いじめはなくらない」という不愉快な事実を受け入れたうえで、それが限度を超えないよう抑止する制度をつくるしかありません。

具体的には、公立学校でも悪質ないじめと認定した場合は、校長の権限で退学などの措置をとれるようにすべきです。子どもは損得に敏感ですから、明確に罰則が示されれば恐喝まがいの行為は躊躇するでしょう。

それと同時に転校を容易にして、いじめられた子どもが大きな負担なく友だち関係をリセットできるようにすることです。いったんいじめの標的になるとそこから逃れるのは困難で、本人の責任を問うても仕方ありません。

これでもいじめを根絶することはできないでしょうが、それで納得できないなら、あとはひとつしか方法がありません。いじめは、子どもたちを強制的に閉鎖空間に押し込めることから起こります。それをなくすには、学校制度をやめてしまえばいいのです。

参考:Judith Rich Harris『No Two Alike: Human Nature and Human Individuality』

『週刊プレイボーイ』2017年3月27日発売号 禁・無断転載

第66回 自虐的プレミアムフライデー(橘玲の世界は損得勘定)

安倍政権と経団連の肝煎りでプレミアムフライデーが始まった。給料日後の月末の金曜日には午後3時で仕事を終え、夕方を家族や恋人、友人たちとの消費(食事や買い物)に充てるのだという。評判の悪い長時間労働を是正し「働き方改革」を推進する効果も期待されている。

ところで、日本は国際的に見て祝祭日の数が抜きん出て多い。8月11日が「山の日」になったことで年間16日になり、正月は三が日を休むのがふつうで、新天皇が即位すればまた1日祝日が増えるから、いずれ年間20日を超えるだろう。それに比べて先進国では、米英独仏などせいぜい年間10日だ。

株式や為替の取引では、海外市場が開いていても国内の金融市場が閉じていて、不便に感じる投資家は多いだろう。祝祭日が増えるのは、日本人が働きすぎで有給の取得率も低いからだという。だが、この理屈はほんとうに正しいのか。

従業員が祝祭日に加え有給まですべて消化すると、会社は労働コストの上昇を危惧するかもしれない。その対策として昇給を遅らせたり、ボーナスを減額されるなら、社員が収入を維持するには、有給を取得せずに労働時間を延ばすしかない。このようにして労働現場では、「祝祭日が増えるほど有給がとりにくくなる」という逆の現象が起きているのではないか。

プレミアムフライデーも同じで、他の日によぶんに働かないと仕事が回らなくなり、土日に家で「サービス残業」するだけ、ということにもなりかねない。日本の労働生産性は先進国でいちばん低いという現実がようやく認知されてきたが、過労死するほど働いてもぜんぜん儲からないのは、こんな非効率なことをやっているからではないのか。

よくいわれるように日本的雇用は、仕事と待遇が一致する「同一労働同一賃金」のジョブ型ではなく、従業員を「身内」とするメンバーシップ型だ。日本の会社では正社員と非正規社員は「身分」で、正規のメンバーでない従業員は待遇で差別され、身内である正社員は、終身雇用・年功序列と引き換えに滅私奉公が求められる。

これまで「日本的雇用が日本人を幸福にしている」とされてきたが、最近になって、社員の会社への忠誠心を示す「従業員エンゲイジメント」指数が日本は先進国中もっとも低く、サラリーマンの3人に1人が「会社に反感を持っている」などの調査結果が続々と出てきた。だがこれは驚くようなことではなく、中高年は事実上転職が不可能で、会社という「監獄」に閉じ込められているのだから当たり前だ。

過労自殺が注目され、日本的雇用に国際社会から疑惑の目が向けられるようになって、「お上」の指導で「働き方改革」が始まった。プレミアムフライデーはその一貫だろうが、これは日本のサラリーマンが、自分の仕事を自分で管理できないと世界に示すようなものだ。

「何時に帰るか決めてもらってるの?」とバカにされているのに、かなしいことに、この「自虐政策」に怒るひとはほとんどいない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.66『日経ヴェリタス』2017年3月19日号掲載
禁・無断転載