文科省の天下りスキャンダルはすぐに消えていく 週刊プレイボーイ連載(277)

トランプ新大統領が引き起こす混乱はいまだ収まる気配がありませんが、今回のテーマは文部科学省による天下りの斡旋です。なぜかというと、いまはたくさんにひとが怒っていますが、この話題はすぐに消えていく運命にあるからです。

すでに報じられているように、文科省の人事課は、OB団体が天下りを組織的に斡旋する手の込んだシステムを構築し、それを隠蔽するウソの説明の想定問答までつくっていました。「学の独立」を高らかに掲げる私立大学の雄が、文科省の指示に従って再就職等監視委員会の調査で口裏を合わせていたことも暴露され、教育行政に対する信用は大きく失墜しました。――この私立大学はなぜか「被害者」の立場に収まっていますが、ふつうは違法行為の幇助というのでしょう。

不思議なのは、文科省をきびしく批判するマスメディアが、どうすれば天下りを根絶できるかを説明しないことです。

ピラミッド型の組織は、その構造上、昇進にともなって余剰人員を減らしていかなくては成り立ちません。ところが日本の企業や官庁は入社時に終身雇用を約束して、その対価として組織への忠誠を求めます。ちょっと考えればわかるように、もともとこれは両立不可能です。

高度経済成長の時代は、大企業は子会社や取引先に中高年の社員を押しつけてこの矛盾を糊塗してきましたが、市場の縮小と業績悪化でそんな余裕はなくなり、日本を代表する一流企業にまで「追い出し部屋」が蔓延しました。それにともなって、官僚の天下りに冷たい視線が集まるようになったのです。

日本の官庁は、入社年次を「同期」として、「昇進は年次が上の同期を越えない」というきわめて特殊なルールで運営されています。この人事制度では、ピラミッドの頂点に立つ事務次官が決まれば、同期はすべて省を去らなければなりません。ということは、課長くらいまでは平等に昇進しても、40代半ばからは徐々に人員を間引いていく必要があります。しかし彼らも「終身雇用」なのですから、省庁の人事課のもっとも重要な仕事は退職者の職探しになるのです。

天下りの根絶に最初に取り組んだのは小泉政権で、官僚が民間企業に転職し、民間企業からも官庁幹部に登用するアメリカ型の「リボルビング(回転)ドア」を目指しました。この抜本改革が頓挫したのは、民間企業も終身雇用の中高年社員の処遇に困り果てており、50代の「元高級官僚」の席など、よほどのお土産をつけなければ用意できるはずがなかったからです。

2013年に前事務次官がOBの再就職の口利きをした問題が発覚した国土交通省では、その年の退職者がこぞってハローワークに登録したものの、「そんな職はない」と断れるというマンガのような事態も起きたとのことです。自分で再就職できないのなら、組織が面倒をみるほかありません。

こうして、官僚制度を維持するには天下りは仕方がないという暗黙の了解が生まれました。文科省が批判されたのは、そのやり方があまりに露骨だったからです。

原理的に解決不可能な問題を議論しても意味がありません。だから今回も、ちょっと騒いで、あとは見て見ぬ振りをすることになるでしょう。

参考:朝日新聞2012年2月2日朝刊「翌日には再就職1割」

『週刊プレイボーイ』2017年2月13日発売号 禁・無断転載

第65回 医療費増の先に安楽死法制化?(橘玲の世界は損得勘定)

月刊『文藝春秋』2016年12月号に掲載された「私は安楽死で逝きたい」で、脚本家の橋田寿賀子さんは、認知症の兆しがあればスイスで最期を迎えたいと語る。欧米ではオランダ、ベルギー、ルクセンブルクなどで安楽死が合法化されているが、いずれも自国民にしか認めていない。それに対してスイスでは、外国人でも不治の病の末期であれば自殺幇助団体に登録できる。費用は7000ドル(約80万円)で、現在は60カ国5500人が登録しているという。――ただし、認知症の初期症状では安楽死は認められないだろう。

2014年1月8日のAFPは、「ベルギー最高齢アスリートが安楽死、シャンパンで乾杯して旅立つ」との記事を掲載した。高齢者欧州選手権などで優勝したエミール・パウウェルスさん(95)は、末期の胃がんのため安楽死を希望し、「友人全員に囲まれて、シャンパンと共に逝くのが嫌だなんて人がいるかい?」と述べた。

ひるがえって、日本はどうだろう。橋田さんが嘆くように日本では安楽死の法制化は遅々として進まず、縊死や墜落死、一酸化炭素中毒死などのむごたらしい死を強いられている。

しかしこれは、日本人が安楽死を拒んでいるからではない。朝日新聞が行なった死生観についての世論調査(2010年11月4日朝刊)では、安楽死を「選びたい」が70%、「選びたくない」が22%、安楽死の法制化に「賛成」が74%、「反対」が18%という結果が出ている。キリスト教では自殺は神に対する冒瀆だが、切腹や心中が文化的に容認されてきた日本では安楽死のハードルは高くはないのだ。

それにもかかわらず、なぜ法制化が一向に進まないのか。それは、情緒的な日本人が「自分の人生は自分で決める」という自己決定権に馴染まず、自分の死を家族や医者に決めてもらいたいと思っているからだろう。だが、いつまでも不愉快な現実から目を背けているわけにはいかない。

日本はこれから人類史上未曾有の超高齢化時代を迎え、2020年には人口の3分の1、50年には約4割を65歳以上が占める。どこの家にも寝たきりや認知症の老人がいるのが当たり前の社会が間違いなくやってくる。

それにともなって、高齢者の医療費が社会保障費を膨張させ、日本の財政を破綻させるシナリオが現実のものになってきた。2030年には、社会保障給付はいまより30兆円増えて170兆円に達し、後期高齢者医療費は約1.5倍の21兆円に達する公算が大きいという。

この巨額の支出を賄うことができなければ、いずれ高齢者の安楽死が国家主導で進められるかもしれない。そんな事態になる前に、国民が自らの意思で「自分の人生を終わらせる」ルールをつくるべきだろうが、話題になるのはエンディングノートや遺言の書き方、戒名を自分でつける方法などの「終活」ばかりだ。そしてひとびとは、お上が「まわりの迷惑にならないよう」いかに死ぬかを決めてくれるのをひたすら待ちつづけているのだろう。

参考:みんなの介護ニュース「【橘玲氏 特別寄稿】日本人の7割以上が安楽死に賛成しているのに、法律で認められない理由とは?」

橘玲の世界は損得勘定 Vol.65『日経ヴェリタス』2017年2月5日号掲載
禁・無断転載

 

トランプ大統領を子どもの疑問で考えてみる 週刊プレイボーイ連載(276)

科学の世界では、「子どもの疑問」を使って正しい知識を持っているかが判別できます。ちょっとやってみましょう。

宇宙はなぜ暗いの? 真空で、光を反射するチリなどがないから

宇宙はなぜ真空なの? 空気を引き止めておく引力がないから

だったら、地球にはなぜ引力があるの? それは……

たいていのひとはこのあたりで言葉に詰まるでしょうが、専門家なら引力と質量の関係をわかりやすく説明できるはずです。

ところで、子どもが疑問を持つのは宇宙の神秘だけではありません。トランプ大統領就任などは、山のような疑問で押しつぶされそうになっているでしょう。そこでここでは、「なんであんなヘンなオジサンが大統領になったの?」という定番のものは脇に置いて、こたえてほしい「子どもの疑問」をいくつかあげてみましょう。

疑問1 「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)はアメリカに一方的に有利で、日本にはなにひとついいことがない」といってたひとがいっぱいいたけど、なぜトランプは「アメリカになにひとついいことがない」といってTPPから離脱したの?

疑問2 「自由貿易はグローバリストの陰謀で、日本の雇用を破壊する」といっていたのに、自由貿易を否定し、国境に壁をつくり、移民を追い出し、企業を恫喝して工場を誘致するトランプをなぜ大歓迎しないの? まったく同じことをいってるのに、「自分はトランプとは関係ない」というふりをするのはなぜ?

疑問3 「景気は政治でよくすることができる」といって株価を上げる政策をさんざん要求していたのに、就任直後にニューヨーク株価が史上最高値の2万ドルを超えたトランプ政権を大絶賛しないのはなぜ?

疑問4 「米軍基地は沖縄にいらない」といっていたのに、「もっと駐留経費を払え」と脅すトランプにビクビクするのははぜ? 「自衛隊を軍隊にして核武装するから、在日米軍はどうぞ撤退してください」といえばいいのに。

疑問5 「マスコミはマスゴミ」といって新聞やテレビを批判していたのに、トランプが同じことをいうとイヤな顔をするのはなぜ? あるいは、アラブの春のときは「SNSが世界を変える」といっていたのに、待望の「Twitter大統領」が誕生したのに青くなっているのはなぜ?

これ以外にもいくらでも思いつきますが、このくらいでやめておきましょう。不思議なのは、こうした子どもの疑問に誰もこたえようとしないことです。

たとえば、TPPから離脱したトランプが正しいのなら、これまで「TPPはアメリカのためのもの」と叫んでいたひとたちはウソつきばかりということになりますが、それでいいのでしょうか。「TPPはグローバリストの陰謀だ」というかもしれませんが、だとしたらトランプがいまやっていることはすべて正しい、と認めなければなりません。

もっとも、このひとたちに「子どもの疑問」を突きつけるのはちょっとかわいそうかもしれません。ある朝目が覚めて鏡を見たら、そこには自分ではなくトランプの顔が写っていた――だったら慌てふためいて狂乱するのも無理はないですね。

『週刊プレイボーイ』2017年2月6日発売号 禁・無断転載