親がいくら説教してもいじめはなくならない 週刊プレイボーイ連載(283) 

「いじめはなにをしてもなくならない」として、「強く生きろ」といじめられた子どもを叱咤するひとがいます。こうした発言が公になることはほとんどありませんが、教育関係者を含め多くのひとが、「いじめられる側にも問題がある」と思っていることは間違いありません。

この主張は前半が正しく、後半は間違っています。

子どもは必ず友だち集団をつくりますが、そのためには仲間(内)と仲間でない者(外)を区別する指標が必要で、その境界を超えて仲間に加わるのが通過儀礼です。集団の結束を高めるために特定のメンバーを排除するのも、仲間にしてもらうのに「小遣い」のような代償を支払うのも、古今東西、子どもの世界ではどこでも起きていることです。子どもは本能的に仲間はずれを恐れるので、理不尽な要求を拒絶することができないのです。

人間関係を「内」と「外」に分けて差別するのは普遍的な行動原理(ヒューマンユニヴァーサルズ)なので、秘密結社や宗教団体から会社まで大人社会のいたるところで見られます。「いじめに負けるな」と励ますのは、これからの長い人生を考えての“善意”なのでしょう。

いじめ問題が「子どもの本性」だとすれば、学校や行政をどれほど叩いても根絶できません。そこで最近は、親の責任を問う声が強くなってきました。「ちゃんと子育てすれば、いじめのような卑劣なことをするはずはない」というわけです。

しかし残念ながら、この方法もうまくいきません。発達心理学の研究者が、子どもを正しくしつけるよう親に「介入」してその効果を調べたところ、親子関係では改善が見られたものの、子どもの学校での行動はまったく変わらなかったのです。

なぜこのようなことになるかというと、子どもが「家のなかでの自分」と「学校(友だち集団)のなかでの自分」を無意識のうちに使い分けているからです。その理由は、家庭でわがままいっぱいに育てられた子どもが、学校で同じようにしたらどうなるかを考えればわかるでしょう。子ども集団のなかでは、掟(ルール)に従えない自分勝手な子どもが真っ先に排除されます。仲間はずれにされないためには、「キャラ」を変えるしかないのです。

家と学校で子どもがちがう「自分」になるのなら、親がいくら説教しても効果がないのは当然です。この主張には直感的に反発するかもしれませんが、自分の子ども時代を振り返れば誰でも思い当たることがあるでしょう。

だとしたら、「いじめはなくらない」という不愉快な事実を受け入れたうえで、それが限度を超えないよう抑止する制度をつくるしかありません。

具体的には、公立学校でも悪質ないじめと認定した場合は、校長の権限で退学などの措置をとれるようにすべきです。子どもは損得に敏感ですから、明確に罰則が示されれば恐喝まがいの行為は躊躇するでしょう。

それと同時に転校を容易にして、いじめられた子どもが大きな負担なく友だち関係をリセットできるようにすることです。いったんいじめの標的になるとそこから逃れるのは困難で、本人の責任を問うても仕方ありません。

これでもいじめを根絶することはできないでしょうが、それで納得できないなら、あとはひとつしか方法がありません。いじめは、子どもたちを強制的に閉鎖空間に押し込めることから起こります。それをなくすには、学校制度をやめてしまえばいいのです。

参考:Judith Rich Harris『No Two Alike: Human Nature and Human Individuality』

『週刊プレイボーイ』2017年3月27日発売号 禁・無断転載

第66回 自虐的プレミアムフライデー(橘玲の世界は損得勘定)

安倍政権と経団連の肝煎りでプレミアムフライデーが始まった。給料日後の月末の金曜日には午後3時で仕事を終え、夕方を家族や恋人、友人たちとの消費(食事や買い物)に充てるのだという。評判の悪い長時間労働を是正し「働き方改革」を推進する効果も期待されている。

ところで、日本は国際的に見て祝祭日の数が抜きん出て多い。8月11日が「山の日」になったことで年間16日になり、正月は三が日を休むのがふつうで、新天皇が即位すればまた1日祝日が増えるから、いずれ年間20日を超えるだろう。それに比べて先進国では、米英独仏などせいぜい年間10日だ。

株式や為替の取引では、海外市場が開いていても国内の金融市場が閉じていて、不便に感じる投資家は多いだろう。祝祭日が増えるのは、日本人が働きすぎで有給の取得率も低いからだという。だが、この理屈はほんとうに正しいのか。

従業員が祝祭日に加え有給まですべて消化すると、会社は労働コストの上昇を危惧するかもしれない。その対策として昇給を遅らせたり、ボーナスを減額されるなら、社員が収入を維持するには、有給を取得せずに労働時間を延ばすしかない。このようにして労働現場では、「祝祭日が増えるほど有給がとりにくくなる」という逆の現象が起きているのではないか。

プレミアムフライデーも同じで、他の日によぶんに働かないと仕事が回らなくなり、土日に家で「サービス残業」するだけ、ということにもなりかねない。日本の労働生産性は先進国でいちばん低いという現実がようやく認知されてきたが、過労死するほど働いてもぜんぜん儲からないのは、こんな非効率なことをやっているからではないのか。

よくいわれるように日本的雇用は、仕事と待遇が一致する「同一労働同一賃金」のジョブ型ではなく、従業員を「身内」とするメンバーシップ型だ。日本の会社では正社員と非正規社員は「身分」で、正規のメンバーでない従業員は待遇で差別され、身内である正社員は、終身雇用・年功序列と引き換えに滅私奉公が求められる。

これまで「日本的雇用が日本人を幸福にしている」とされてきたが、最近になって、社員の会社への忠誠心を示す「従業員エンゲイジメント」指数が日本は先進国中もっとも低く、サラリーマンの3人に1人が「会社に反感を持っている」などの調査結果が続々と出てきた。だがこれは驚くようなことではなく、中高年は事実上転職が不可能で、会社という「監獄」に閉じ込められているのだから当たり前だ。

過労自殺が注目され、日本的雇用に国際社会から疑惑の目が向けられるようになって、「お上」の指導で「働き方改革」が始まった。プレミアムフライデーはその一貫だろうが、これは日本のサラリーマンが、自分の仕事を自分で管理できないと世界に示すようなものだ。

「何時に帰るか決めてもらってるの?」とバカにされているのに、かなしいことに、この「自虐政策」に怒るひとはほとんどいない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.66『日経ヴェリタス』2017年3月19日号掲載
禁・無断転載

「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」組織で国際貢献できる? 週刊プレイボーイ連載(282)

古代エジプトの遺跡をめぐるナイル川クルーズの起点はアブ・シンベル神殿で、アスワン・ハイダムでできたナセル湖のほとりにあります。神殿の入口ではカラフルな民族衣装の男たちが民芸品を売っていて、ガイドは彼らに目をやると、「ちょっと先のスーダンから来てるんだよ」といいました。「あんな国に行くことはないだろうから、関係ないだろうけどね」

そのスーダンに駐屯している自衛隊の派遣部隊をめぐり、国会が紛糾しました。しかし私を含め、スーダンを訪れたことのある日本人はほとんどいないでしょうし、どこにあるのか知らないひとも多いでしょう。

自衛隊が国連平和維持活動(PKO)に参加しているのは南スーダンで、2011年にスーダン共和国から独立しました。歴史的には、エジプトが占領していたスーダン北部はアラブ系住民の多いイスラーム圏、イギリスが統治した南部は黒人の多いキリスト教圏で、1956年の独立後も北部と南部の対立はつづきます。1970年代に南部に油田が発見されると20年におよぶ泥沼の内戦が始まり、アメリカの支援を受けた住民投票で南部独立が達成されてからも、大統領派と副大統領派の部族衝突から内戦が勃発しました。この混乱で国連のPKOが秩序維持にあたることになり、11年9月に当時の民主党・野田政権が自衛隊の派遣を決定しました。

ところがその後も紛争状態は改善せず、16年7月には自衛隊の駐屯する首都ジュバで武力衝突が発生します。国会で問題とされたのは、現地の自衛隊が日報でこれを「戦闘」と記録していたのに対し、防衛相が「衝突」と言い換えて答弁した、というものです。自衛隊が「戦闘」に巻き込まれる恐れが明白になれば、「PKO参加5原則」が崩壊することを危惧したのでしょう。

この論争(というか、言葉遊び)で不思議なのは、「自衛隊員の生命を守れ」というひとはいても、南スーダンのひとたちのことは誰も話題にしないことです。今年2月、国連事務総長顧問は「大虐殺が起きる恐れが常に存在する」との声明を発表しました。ルワンダのような悲劇を防ぐために各国がPKO部隊を派遣しているのですが、「平和憲法の精神」を説くひとたちは、自衛隊を撤収してジェノサイド(民族大虐殺)の危険のなかに住民を置き去りにすることをどう考えていたのでしょうか。

「アフリカの国のことなんてどうでもいい」とか、「国民同士が殺しあうのは自己責任だ」という“ジャパニーズ・ファースト”の政治的主張もあり得るでしょう。ところが自衛隊撤収を求めるひとたちは、「非軍事の人道支援、民生支援に切り替えるべきだ」などといっています。軍隊ですら危険な地域に出かけていく民間人などいるでしょうか。

とはいえ、国民の多くが、なぜ自衛隊が南スーダンで危険な任務に就かなくてはならないか疑問の思っている以上、5月末で活動を終了すると決めたことは正しい判断でしょう。そもそも自衛隊は、「戦闘で1人の犠牲者も出してはならない」という世にも奇妙な組織です。それを国際貢献の名のもとに、PKOという「軍隊」として派遣したことが間違っているのですから。

『週刊プレイボーイ』2017年3月21日発売号 禁・無断転載