靖国神社は戦没者の御霊を「独占」できるのか 週刊プレイボーイ連載(362)

靖国神社の宮司が天皇を批判して退任するという前代未聞の出来事は、靖国神社がネトウヨの同類に乗っ取られたかのような衝撃を与えました。その後、当の宮司の手記が月刊『文藝春秋』に掲載され、実態がすこしわかってきました。

前宮司によると、靖国神社は不動産や駐車場の賃貸収入、資産運用の利益などもあって財政的に恵まれており、職員のほとんどは学校を出てから定年まで勤める公務員のような身分です。そのうえ単立宗教法人であるため神社本庁には人事権や指導権がなく、自分たちの好きなように処遇を決めることができます。

日々を大過なく過ごすことしか考えていない靖国神社の職員たちにとって、天皇の親拝問題は、自分たちでどうにかできるわけではないので考えても仕方ありません。「改革」を叫ぶ新任の宮司はうるさいだけの存在で、内部の研究会での暴言を録音してマスコミに流すことでやっかいばらいした、ということのようです。

前宮司も、神職たちに「ぼしんせんそう(戊辰戦争)」を漢字で書かせるような知識問題をやらせたといいますから、恨みをかっていたのはたしかでしょう(驚いたことに、幹部クラスでも低い点数の者がいたそうです)。靖国神社は日本の伝統を「保守」しているのではなく、たんなる「生活保守」だったのです。

前宮司は研究会で、「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこに御霊はないだろう? 遺骨はあっても」と述べて、今上天皇の慰霊の旅を全否定したわけですが、なぜこのような発言をしたかの真意も手記で述べられています。

私たちは漠然と、魂は超自然的な存在で、自分の墓だけでなく、生命を失った場所にも、遺族のところにも、思い出の場所にもいるはずだと思っています。しかし元宮司は、こうした時空を超えた魂の遍在を否定し、正しい神道では戦死者の御霊は靖国神社にしかいないといいます。戦場に残されたのはたんなる「遺骨」でしかなく、だからこそ、そんな場所で「鎮魂」してもなんの意味もないのです。

これはきわめて偏狭な考え方ですが、靖国神社には戦死者の御霊を「独占」しなければならない事情があります。御霊がどこでも望む場所に行けるなら、千鳥ヶ淵戦没者墓苑にもいるはずだからです。そうなれば皇族も政治家も、参拝のたびに「歴史問題」が騒がしい靖国ではなく、どこからも批判の出ない千鳥ヶ淵でこころおきなく戦没者の霊を鎮めればよいことになってしまうのです。この危機感が、「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」との暴言につながったのでしょう。

靖国神社を守るためには、靖国が御霊を独占しなければなりません。ところがそうすると、今上天皇が生涯をかけた慰霊の旅が、御霊のない場所を訪れるだけの「観光旅行」になってしまいます。これは保守派にとって深刻な矛盾であり、このことを率直に述べただけでも前宮司の手記には大きな意味があります。

保守論壇はあれだけリベラルのダブルスタンダードを叩いたのですから、「御霊は靖国神社にしかいないが、天皇は鎮魂の旅をしている」という自らのダブルスタンダードにも真摯に向き合うべきでしょう。

参考:「今上陛下は靖国を潰そうとしている」発言の真意 小堀邦夫前宮司独占手記「靖国神社は危機にある」(月刊『文藝春秋』2018年12月号)

『週刊プレイボーイ』2018年11月26日発売号 禁・無断転載

徴用工判決で、なぜ韓国の民意を無視するのか? 週刊プレイボーイ連載(361)

韓国の大法院(最高裁)が元徴用工の賠償請求を認める判決を出したことで、またもや日韓関係が揺らいでいます。1965年の請求権協定で「(強制動員の被害補償は)完全かつ最終的に解決済み」というのが日本政府の立場で、河野外相が「両国関係の法的基盤が根本から損なわれた」と批判するのも当然でしょう。

国際政治では長らく、リアルポリティクス(現実主義)とリベラル原理主義が対立してきました。典型は核兵器問題で、リアルポリティクスの論者(大半の国際政治学者)はゲーム理論に基づき、米ソいずれも相手を確実に破滅させられる核兵器を保有する「相互確証破壊」こそが平和を維持しているとして、中途半端な軍縮交渉を批判してきました。それに対してリベラル原理主義は、こうした賢しらな論理を嫌悪し、核兵器は「絶対悪」なのだからどんなことをしてでも全廃しなければならない、と主張します。

こうした対立は、日本では沖縄問題で顕著です。

リアルポリティクス派は、「沖縄に負担が集中しているのは事実だが、中国・北朝鮮の軍事的脅威や日米安保を考えれば、住宅街にあって危険な普天間基地を辺野古に移設する以外の選択肢はない」という立場でしょう。それに対してリベラル原理主義は、「沖縄のひとたちが“基地はいらない”といっている以上、普天間も辺野古も認めない」と主張します。リアルポリティクス派にとって、民意はものごとを決めるひとつの要素にすぎないのに対し、リベラル原理主義では、「民主主義では民意こそがすべて」なのです。

私個人は、この世界が完璧なものでない以上、利害の対立するやっかいな問題はリアルポリティクスで対処するほかないと考えますが、そうはいっても「理想」になんの価値もないと切り捨てることもできません。そんな軟弱な人間から見ても、韓国批判一色に染まる日本国内の反応は異様です。

韓国のメディアのなかには日韓関係の悪化を危惧するものもあるようですが、各紙とも一面トップで大法院の判決を歓迎しています。韓国国民の大多数が、今回の判決を支持していることも間違いないでしょう。すなわち、韓国の民意は「元徴用工に賠償すべきだ」ということで一致しています。

それに対してリアルポリティクス派は、「沖縄の民意と同様に、韓国の民意も考慮する必要はない」と一貫した主張ができます。しかし日本では、「国家と個人が対立したら個人の側に立つべきだ」とするリベラル派まで、元徴用工に寄り添った判決を否定し、韓国の民意を「国民情緒法」などと揶揄しているのです。大法院の判決で日韓関係が揺らぐのが問題なら、辺野古への移転に反対して日米関係を危機にさらすことも同じように問題でしょう。

私の疑問は、「沖縄(日本人)の民意は大切で、韓国(外国人)の民意はどうでもいい」というのは、外国人差別ではないか、というものです。それとも、沖縄の民意は正しく、韓国の民意は間違っているという決定的な理由があるのでしょうか。

どなたか、私の誤解を解いていただければ幸いです。

『週刊プレイボーイ』2018年11月19日発売号 禁・無断転載

日本の「自己責任」はどこがおかしいのか? 週刊プレイボーイ連載(360)

シリアの武装組織に拘束されていたジャーナリストが解放されたことで、日本ではまた喧々囂々の「自己責任論」が噴出しています。そのほとんどは「世間に迷惑をかけたからけしからん」というものですが、この主張は世界標準(グローバルスタンダード)のリベラリズムからかけ離れています。

ジャーナリストは無鉄砲な行動で家族に迷惑をかけたかもしれませんが、「世間」がどのような負担を強いられたかは証明されていません。事件の解決にあたった外務省などの担当者が迷惑したというのかもしれませんが、市民・国民のために働くのが彼ら/彼女たちの職責で、それ以前に公務員が「世間」を代表しているわけではありません。

自己責任論者は、「権利と責任はセットだ」と主張します。これはもちろん間違いではなく、近代的な市民社会は、「自らの行為に責任を負うことができる者だけが完全な人権を持つ」という原則によって成り立っています。だからこそ、責任能力が限定された子どもや精神病者は処罰を軽減され、その代わりに親や病院の管理下に入るなど自由を制限されるのです。

こうした権利と責任の関係を「欺瞞だ」とする意見は当然あるでしょう。しかしその場合は、この虚構(共同幻想)を否定して、どのようなルールで社会を運営していくのかを提示する説明責任を負っています。

リベラルな社会では、自己責任を前提として、「すべてのひとが生まれ持った可能性を最大限発揮できるべきだ」と考えます。「誰もが自由に生きられる」ことに反対するひとはいないでしょうが、これを徹底すると「売春で生活するのも、ドラッグを楽しむのも、安楽死で人生を終わらせるのも本人の自由な選択」ということになります。北欧やオランダのような自由主義的な社会はどんどんこういう方向に進んでおり、ジャーナリストが自らの意思で危険な地域に取材に行くことを批判するなど考えられません。

もちろん、その選択で失敗することもあるでしょう。その場合、自己責任はどうなるかというと、「本人が助けを求めているのであれば、社会は(一定の範囲で)支援する義務がある」となります。これを逆にいうと、「ドラッグの快楽を本人が求めているなら、破滅しようがどうしようが放っておけばいい」ということです。これが、ヨーロッパのリベラルな社会に私たちが感じる「冷たさ」の理由でしょう。

リベラルな国家がテロリストに拘束されたジャーナリストの救援に尽力するのは当然ですが、しかしここには別のルールもあって、身代金目当ての誘拐を助長しないために、金銭を支払うことは認められていません。

犯人の要求に応えることができないとなると、自国民を救出するには、特殊部隊を送り込んで奪還するしかありません。しかし日本は国外での武力行使を憲法で禁じられていますから、首相が「日本人には指一本触れさせない」と豪語しても、実際にはできることはなにもないのです。

それにもかかわらず今回は、外国政府が身代金を肩代わりしてくれたことで、自国民を救出できました。だとしたら、この僥倖を素直に喜べばいいのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2018年11月12日発売号 禁・無断転載