麻薬合法化で移民キャラバンは解決できる? 週刊プレイボーイ連載(364)

近代のリベラリズムは「普遍的な人権」を掲げ、奴隷制や人種差別などの「悪」とたたかい大きな成果をあげてきました。これはたしかに素晴らしいことですが、社会の利害が対立する状況ではリベラリズムは試練に立たされます。

その典型がヨーロッパの難民問題で、内戦を逃れ、着の身着のままで長い旅を強いられたシリアのひとたちの人権を擁護しようとすると、国内で「極右」勢力が台頭して政権の基盤が揺らぐため、世界でもっともリベラルな北欧諸国ですらなりふりかまわず「排外主義」に突き進んでいます。中米からアメリカを目指す移民キャラバンも同じで、トランプの反移民政策を批判するリベラルも、4500キロを徒歩やヒッチハイクで踏破して国境にたどり着いた数千人の願いを無視しています。

これをリベラルのダブルスタンダードと批判するのは容易ですが、問題の解決にはなんの役にも立ちません。人生と同じく、社会的な理想もどこかで妥協を余儀なくされるというだけの話です。

「民主化」の名の下に国家を破壊してしまった以上、ヨーロッパのリベラルはシリア難民を前に立ち往生するしかありませんが、アメリカのリベラルには中南米からの移民を救済する方法があります。

移民キャラバンの参加者たちは、故郷を捨てた理由は貧困ではなく、犯罪組織から逃れるためだと口々に訴えます。エルサルバドルやホンジュラスなど中米の国々は、マラスと呼ばれる麻薬カルテルの抗争で、近年、急速に治安が悪化しているのです。

メキシコが経済発展にともなって麻薬の取り締まりを強化したことで、犯罪組織は摘発を避けて、コカインなどの大規模な処理施設を中米のジャングルにつくるようになりました。1人あたりGDPが3000ドルに満たない貧しい国々で、麻薬カルテルの抗争に勝ち残れば夢のような富を手にすることができるようになったのです。その結果、どの組織も十代の若者を強引に勧誘し、裏切ることができないよう全身に(顔にまで)刺青をいれさせ、殺し合いの最前線に送り込んでいます。

権力が不安定な中米の小国がこうした苦境に陥っていることはずいぶん前から知られていましたが、アメリカはずっとそれを放置してきました。こうして、ひとびとは自分や子どもたちの生命を守るために移民キャラバンに参加するほかなくなったのです。

だったらどうすればいいのでしょうか? これは、理論的にはすでにこたえが出ています。アメリカがいますぐ「麻薬戦争」を止めて、すべてのドラッグを合法化するのです。

酒やタバコと同じくコカインやヘロイン、エクスタシーなどの生産・流通も法の規制の下におけば、もはや犯罪組織が介在する余地はなくなり、中南米の麻薬カルテルは壊滅するでしょう(実際、北米でのマリファナ合法化によって違法取引はほぼ駆逐されました)。生まれ故郷で、貧しいながらも安心して暮らせるのなら、なにもかも捨ててアメリカを目指す困難な旅に出る必要もなくなります。

移民を受け入れることができないアメリカのリベラルは、中南米の貧しいひとたちの「人権」を守るために、麻薬の完全合法化をトランプに求めるべきなのです。

参考:トム・ウェインライト『ハッパノミクス』(みすず書房)

『週刊プレイボーイ』2018年12月10日発売号 禁・無断転載

第80回 効率化を妨げる規制の弊害(橘玲の世界は損得勘定) 

話の種にと思って口座をつくり、残高のないまま放置していたカンボジアの銀行から、「入金がないと口座を閉鎖する」との通告を受けた。どうせ使っていないからそれでもいいのだけど、せっかくプノンペンまで行ったのにと思いなおして、いくらか送金することにした。

近所の銀行を訪れると、外為窓口は隣の駅の支店に統合されており、いつのまにかなくなっていた。その代わり電話ボックスのようなものが置かれていて、それで手続きするのだという。

正面にモニタがあって、椅子に座って「外国送金」を選ぶ。「ただいま3人待ち」の案内が出て、本を読みながら時間をつぶしていると、15分ほどして、マイク付きのヘッドフォンをつけるよう音声が流れて、モニタに女性の顔が映し出された。

その銀行のATMカードで本人確認し、あらかじめ用意していた送金指示書をスキャンして担当者に送る。ここまでは順調だったのだが、そのあとは驚かされることばかりだった。じつはその銀行の普通預金口座にもほとんど残高がなく、別の銀行から現金を下してATMで入金しておいたのだが、その取引を証明できる書類を見せろというのだ。

「ネット銀行なので通帳はない」と説明すると、上司に相談しているのかいきなり画面が真っ暗になった。しばらくして現われた女性は、「今回は特別にお受けしますが、次回以降、正式な書類がないと送金をお断りします」という。マネーロンダリング対策で送金の原資を確認しなければならない事情はわかるが、わずか10万円でこんなふうに怒られるとは思わなかった。

次に問題になったのは、カンボジアに送金する際のコルレス(中継)銀行で、指示書には複数の銀行が挙げられていたので「お任せします」というと、顧客の指示がないと手続きできないという。それで、たまたま目についた日本の銀行を指定したところ、ふたたび画面が真っ暗になって、こんどは「日本の銀行をコルレスにするなら理由の説明が必要です」という。

これもマネーロンダリング対策で、「なぜその銀行から直接送金しないのか」ということなのだろうが、とりたてて理由があるわけでもなく、「そんなこと先に教えてくれよ」と思いながら、リストのいちばん上にあった外国銀行に変えた。女性は能面のような表情で「わかりました」というと、また画面が真っ暗になった。送金情報を入力しているらしいが、こちらからはなにがどうなっているのかまったくわからない。

そうやって10分ほど待たされて、ようやく現われた女性から手続きの終了を告げられた。テレビ電話のボックスに入ってから1時間がたっていた。

日本ではサービス業の生産性の低さが問題になっており、銀行も支店の統廃合と省力化に努めているという。だがテレビ電話の導入で窓口よりかえって手間が増えるなら、生産性は悪化し顧客も怒り出すのではないだろうか。規制でがんじがらめにしながら効率を上げようとすると、みんなが迷惑するということだけはよくわかった。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.80『日経ヴェリタス』2018年12月2日号掲載
禁・無断転載

20年後に「ゴーン事件」はどう回顧されているのか 週刊プレイボーイ連載(363)

日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏が東京地検特捜部に逮捕され、世界じゅうが驚愕しました。事件の詳細はこれから解明されていくでしょうが、直接の容疑は、退任時に受け取るはずだった報酬約50億円を有価証券報告書に記載していなかったというもので、会社の資金で世界各地に豪邸を購入するなど、それ以外にも目に余る私物化が行なわれていたとされています。

事件の背景にあるのはルノーと日産の経営統合構想で、フランス政府が筆頭株主として15%の株式を保有する「半国営企業」に吸収されるのを嫌った日産側のクーデターという見立ては間違っていないでしょう。首相官邸も了承のうえで行なわれた、日本企業と日本人の雇用を守るための「国策捜査」というわけです。

ゴーン氏が日本にやってきた1990年代末から、わずか20年で世界経済の様相は大きく変わりました。その当時、日本の大手電機メーカーが中国や台湾の企業に買収されるとか、韓国の電機メーカーがソニーを超えるとか、中国にシリコンバレーに匹敵するIT起業が誕生するといったら、頭がおかしくなったと思われたでしょう。

そんななかでも日本の自動車メーカーだけはグローバル競争に踏みとどまり、雇用を保障し利益を生み出してきました。しかしそれも、20年後にどうなっているかはまったくわかりません。

最大の脅威は、稀代のベンチャー経営者で映画『アイアンマン』のモデルともなったイーロン・マスク率いるテスラでしょう。その理想が実現すれば、ガソリン車はすべて自動運転の電気自動車に置き換えられることになります。自動車メーカーを頂点とする巨大なサプライチェーンが不要になるのはもちろん、徹底的にロボット化されたテスラの工場は自動車を組み立てるための労働者をほとんど必要としません。

これが絵空事ではないことは、イーロン・マスクのもうひとつのヴィジョンである「人類の火星移住」を実現するためのスペース・エックスを見ればわかります。国の威信をかけた日本のロケット打ち上げが失敗を繰り返しているときに、スペース・エックスははるかに大規模なロケットをかるがると宇宙空間に送り込んでいるのです。

もちろんテスラはたびたび投資家を失望させており、その事業が成功できるかどうかは現時点ではわかりません。しかし、世界じゅうから野心にあふれた天才たちを集めるシリコンバレーには、イーロン・マスクの跡を継ごうと待ち構える長い列ができています。早晩、そのなかの誰かが驚異的なテクノロジーとイノベーションで旧態依然とした自動車産業を一掃することは間違いないでしょう。

そう考えると、いまの大事件も20年後には「そういえば、そんなひとフランスから来てたよね」となるかもしれません。あるいは、「そんな自動車会社、あったよね」とか。

20年前、保身しか考えない経営陣と、あらゆる改革に抵抗する頑迷な労働組合のために、日産の経営破綻は時間の問題といわれていました。一時的かもしれませんがそこから復活させてもらったのですから、自分と家族を養うことのできた関係者は、この剛腕で傲慢な外国人経営者に相応の感謝を示すべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2018年12月3日発売号 禁・無断転載