学校の友だちはなぜブロックできないの? 週刊プレイボーイ連載(412)

大阪市の小学校6年の女児が誘拐され、栃木県小山市で保護された事件が波紋を広げています。逮捕されたのは35歳の男性で、母親が祖母の介護のため母屋に移ってからは、一軒家の自宅で一人暮らしをしていたようです。高校卒業後はアルバイト生活だったといいますが、近所のひとも実家に住んでいることは知らなかったらしく、ひきこもりのような生活をしていたのでしょう。

この事件が全国の(女の子のいる)親に衝撃を与えたのは、小学生の女児を監禁していた家で15歳の女子中学生も保護されたことです。

Twitterには「#神待ち」「#家出少女」などのハッシュタグがあり、たくさんの10代の少女が泊めてくれる男性を探しています(困っているときに助けてくれるのが「神」ということのようです)。今回、保護された2人もSNSで男性と知り合ったようで、報道によると、男性は「自分はたんに人助けをしただけだ」と主張しているとのことです。

中学生や高校生の女の子が親と衝突して家出するのはむかしもよくありましたが、友だちに頼るのも限界があり、早晩、実家に戻ってくるケースが大半でした。ところがいまでは、SNSで「神」を募集すれば、面倒を見てくれる大人をかんたんに見つけることができます。これほど家出のハードルが下がれば、親は自分の娘がスマホでなにをしているのか疑心暗鬼にならざるを得ません。

それに加えてここでは、ネットが子どもたちの価値観を変容させている可能性を考えてみましょう。

SNSでは好きな友だちだけをグループに入れたり、不愉快なメッセージをブロックすることがかんたんにできます。このようなコミュニケーションに小さいときから親しんでいると、ブティックで好きな洋服を選んだり、レストランで好きなメニューを注文するのと同様に、人間関係も自由に選択できるはずだと思うようになるかもしれません。

ところが学校は、同じ地域に住む同い年の子どもを集めて、ランダムに割り振ったクラスに「収容」します。学校の原型は軍隊で、産業資本主義の要請によって、勤勉な工場労働者を訓育することを目的につくられました。軍隊も工場も組織を効率的に動かすことが最優先で、好き嫌いにかかわらず、たまたま出会った他人といかに協力・協働するかを教え込んだのです。

クラスには、気の合う子もいれば、イヤな子もいます。「そんなのは当たり前だ」と大人は思うでしょうが、SNS世代にとっては、これはものすごく「異常」なことなのかもしれません。そんな環境に馴染めず学校にいづらくなると、とりわけ早熟な女の子は、SNSにはいくらでも「別の場所」があることに気づくのです。

不登校問題では、「学校に適応できない子どもをどうするか」が議論されます。しかし子どもの立場からすると、「問題」なのは古色蒼然たる(前期)近代の学校システムなのです。

デジタルネイティブの子どもたちは、自由に好きな友だちを選んだり、イヤな友だちをブロックできない「リアル」な世界を理解できなくなっている……。だとすれば私たちは、「子どもに適応できない学校をどうするか」を真剣に考える時期に来ているのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年12月16日発売号 禁・無断転載

「反社のみなさま」発言から身分制社会日本を考える 週刊プレイボーイ連載(411)

安倍首相が主催する「桜を見る会」をめぐってバトルが繰り広げられていますが、ここでは「紛争」からちょっと距離を置いて、「反社のみなさま」発言について考えてみましょう。記者から見解を求められた官房副長官(衆議院議員)が、「反社会的勢力のみなさまが出席されたかどうかは、個人に関する情報であるため、回答を差し控えたい」と述べた“事故”です。

以前書いたように、サッカーJリーグの審判は「日本語」の使い方に苦慮しています。フリーキックの壁を下げさせる時、”Step back.”といえばメッシやクリスティアーノ・ロナウドでも素直に従います。ところが日本語で「下がれ」「下がりなさい」というと、興奮状態にある選手は侮辱されたと感じて食ってかかってきそうです。だからといって「下がってください」では、審判が選手にお願いしているようで権威がなくなってしまいます。

ここからわかるのは、英語の表現は自分と相手が「対等」であることが前提になっているのに対し、日本語はどちらが目上(目下)かを決めるようにできているということです。誰もが(うすうす)気づいているように、初対面のひとと会ったとき、尊敬語や謙譲語を組み合わせてお互いの上下関係を確定しないと円滑なコミュニケーションが成立しないのです。

ラジオのディレクターから聞いた話ですが、出演した政治家がすこしでも横柄な言葉づかいをすると、「上から目線でけしからん」という抗議の電話が殺到するそうです。日本人は「身分」に敏感なので、自分が「下」であるかのように感じさせる言葉がラジオから流れてくると、ものすごく不快に感じるのです。

こうした「不適切」な言葉づかいがSNSなどで炎上するようになったことで、政治家や芸能人などは「下から目線」に神経質にならざるを得なくなりました。それを日頃から徹底していると、「反社会的勢力」という(尊敬してはならない)グループに言及するときに、とっさに「みなさま」を付けてしまうという珍事が起こるのです。

ではこのとき、どのようにいえばよかったのでしょうか。

「反社会的勢力が出席したかどうかは……」とすればどこからも文句はこないでしょうが、日常の言葉づかいとしてはかなり冷たい感じがするので、政治家が(記者会見を通じて)有権者に語りかける場面では使いにくいでしょう。

「反社会的勢力のひとたち」は「みなさま」よりマシでしょうがやはりへりくだったようなニュアンスがあり、「反社会的勢力の者ども」は明らかに上から目線です。そうなると、「一般に反社会的勢力と指摘されるような人物」くらいが無難でしょうが、とっさにこのような言い換えができるにはかなり高度な言語的能力が要求されるでしょう。

「よろしかったでしょうか」のように、若者たちが尊敬語や謙譲語を誤用することが批判されますが、これは「四民平等」の近代社会と日本語がミスマッチを起こしているからです。政治家が日本語の使い方に戸惑っているのだから、若者がもっと戸惑うのは当たり前です。

そうなると、日本人が相手と対等に話をするには、公用語を英語にするしかないのかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年12月9日発売号 禁・無断転載

たかがMDMA(ドラッグ)で目くじら立てて… 週刊プレイボーイ連載(410)

「合成麻薬MDMAで挙げられた沢尻エリカは警察にとって金星か、マスコミにとって堕ちた天使か、ファンにとって殉教者か。彼女がそれらのいずれにもならぬことを願いたい。いまどき有名スターが合成麻薬で捕まって全国的なスキャンダルになるのは世界広しといえども日本くらいのものだ。たかが合成麻薬ぐらいで目くじら立てて、その犯人を刑務所にやるような法律は早く改めた方がいい」

いまの日本でこんなことをいったらたちまち袋叩きにあうでしょうが、じつはこれは、大物フォーク歌手がマリファナ所持で逮捕されたことを受けて、1977年の毎日新聞に掲載された編集委員(関元氏)の「たかが大麻で目くじら立てて…」という文章の一部を変えたものです。

関氏はここで、マリファナおよび薬物乱用に関する全米委員会の報告書を引きながら、日本のマリファナ取締りは科学的というよりタブーめいた先入観に立脚していると批判しています(佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』文藝春秋)。驚くべきことに、40年前はこうした論説が全国紙に堂々と掲載されていたのです。

その後、欧米社会のドラッグ使用者への扱いは、「犯罪者」から(アルコールやギャンブルの依存症者と同様に)精神疾患に苦しむひとたちへと変わっていきます。もちろんだからといって、ドラッグ依存症者への差別がなくなったわけではありません。しかし、メディアが芸能人のドラッグ使用を暴いたり、それを理由に映画やテレビに出演させないなどということは考えられません。――そんなことをしたら出演者が誰もいなくなってしまうからかもしれませんが。

ギタリストのエリック・クラプトンは映画『12小節の人生』で、アルコールとドラッグに溺れた日々を赤裸々に語っています。ドキュメンタリー映画『オールウェイズ・ラヴ・ユー』では、不世出の歌姫ホイットニー・ヒューストンが、成功の絶頂からドラッグで無残に変わり果てていくさまが描かれました。

さまざまな困難を乗り越え、依存症を克服して人生の後半になってようやく愛を手に入れた男の物語でも、とてつもない才能に恵まれながらも依存症との戦いに敗れ、なにもかも失って死んでいった女性の悲劇でも、ドラッグ使用を批判するような描写はいっさいありませんでした。

欧米では、ドラッグの密売で利益を得ることは犯罪ですが、自分の稼いだお金でドラッグを使うことは「本人の勝手」、ドラッグで人生が破綻したりホームレスになることは「自己責任」、過ちに気づいて依存症を克服しようと決意すれば「支援」の対象です。なぜなら、ドラッグの使用そのものは誰の迷惑にもなっていないからです。

このようにいうと、「大河の撮り直しで関係者がものすごく苦労しているじゃないか」というひとが出てきますが、そもそも逮捕などしなければいいだけの話です。

かつての日本は、このような議論がごくふつうにできました。マリファナ合法化に見られるように欧米がどんどんドラッグに寛容になっていくのに対し、日本だけがなぜ逆行し、ますます不寛容になっていくのか。

これは日本社会と日本人を考える興味深いテーマかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2019年12月2日発売号 禁・無断転載