日本学術会議問題は「脅して従わせる」マネジメント 週刊プレイボーイ連載(450)

日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人が任命されなかった問題で、菅政権が発足早々、逆風にさらされています。経緯に関しては不明な点もありますが、報道を見るかぎりでは、以前から官邸は多めの人数の名簿で事前説明するよう求めていて、2016年には補充人事で上位に推した候補に官邸が難色を示したことから、全ポストについて推薦そのものを見送る事態が起きています。

官邸が問題にしたのは、学術会議が「政府機関」でありながら「独立した人事権」をもつという慣行で、民主的な手続きで選ばれた政府の上位に「超越的」な権力が生まれることを危惧したとされます。とはいえ、学術会議が「軍事的安全保障研究禁止」の方針を決定したり、所属する学者が政府を批判する発言をすることへの心情的な反発が大きかったのでしょう。

今回の紛争の直接の原因は、学術会議の前会長(前京大総長)が、官邸との事前折衝を無視して105人の会員候補の推薦名簿を問答無用で送りつけたことにあるようです。それに対して官邸側は、安保法制に反対した「学者の会」の呼びかけ人や賛同人6人を任命拒否して「報復」した――。子どものケンカのような話ですが、「学問の自由」とか「民主的な統治」とか、双方にどうしても譲れない意地があるのでしょう。

この紛争はたちまち「親菅/反菅」のリトマス試験紙になり、SNSでは例によって罵詈雑言が乱れ飛んでいますが、ここでは一歩距離を置いてマネジメントの観点から考えてみましょう。

官邸の対応で不思議なのは、6名を任命拒否すればその理由を問われることはわかりきっているのに、それについて事前になにも考えていなかったらしいことです。あわてて与党内にプロジェクトチームをつくって、学術会議への10億円の予算(100兆円の国家予算の10万分1)を検証するそうですが、こんな泥縄式のやり方では「その前にちゃんと説明責任を果たすべきだ」との正論にとうてい対抗できません。

さらに不思議なのは、この問題には担当大臣がおらず、任命責任者である新首相が批判の矢面に立たされることがわかっていたはずなのに、なんの対処もしていないことです。モリカケや検察疑惑でも、前首相の盾となって火だるまにされる大臣や官僚がいたのに、今回は「キーマン」とされる官僚の国会招致を阻むために首相が間に入るという摩訶不思議なことになっています。

政権発足直後の高支持率をだいなしにしかねないのに、なぜこんな混乱を招いたのか。「部下(官僚)を脅して従わせる」というマネジメントを日常的にやっていたからだと考えれば、この謎はすっきり解決します。今回も「ちょっと脅せばいうことをきくだろう」くらいの甘い判断をしていたら、予想外の反発にあって右往左往しているというのが現実でしょう。

「脅して従わせる」マネジメントが効果をもつのは、組織にしがみつく以外に生きる方途がない人間を相手にするときだけです。外部の相手に同じことをすれば、怒りだすに決まっています。

こんな当たり前のことすらわからないのは、官邸を仕切る「優秀」なひとたちが、「脅されて従ってきた」経験しかないからなのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2020年10月26日発売号 禁・無断転載

持続化給付金の不正受給で日本の未来がわかる? 週刊プレイボーイ連載(449)

新型コロナウイルスの影響で売上が減った事業者などを支援する持続化給付金で、大量の不正受給が発生しました。給付金の上限は中小企業が200万円、フリーランスなど個人事業者が100万円ですが、トラブルが多発しているのは申請要件の甘い個人事業者向けです。

報道によると不正受給の手口は、

  1.  税理士などが前年度の架空の確定申告書を作成する
  2.  申請者はそれを使って税務署で期限後申告し、控えを受け取る
  3.  今年度の架空の売上台帳で売上が減少したように見せかけて、確定申告書類とともに給付金を申請する

という単純なものでした。この手口が広範に行なわれていたことは、不正受給を報じた地方新聞社で複数の社員の不正受給が発覚したという、笑えない話でもわかります。

不正受給の指南で、紹介者や偽の申請書類を作成した税理士は半分程度のキックバックを受け取っていたようです。1人につき50万円ですから、10人で500万円、不正受給者を100人集めれば5000万円のボロ儲けです。反社会的組織の関与も疑われていますが、大金に目がくらんで手を染めた素人もたくさんいたでしょう。

不正が許されないのは当然として、不思議なのは、なぜ「どうぞズルしてください」のような制度にしたかです。申請者が継続的に事業を行なっているかどうかは、確定申告を3年ほどさかのぼれば確認できます。そうしたケースはすぐに支払い、「去年事業を開始し、しかも期限後申告」という疑わしいケースの事業実態だけを調べればじゅうぶん防げたはずです。

それにもかかわらず、なぜこんなかんたんな不正防止策を講じなかったのか。その理由のひとつに、1人10万円支給で「給付が遅い」「申請したのに給付されない」とメディア(とりわけワイドショー)がさんざん行政を叩いていたときと、不正受給の手口が広まって疑わしい申請が届きはじめた時期が重なったことがあるのではないでしょうか。その結果、「性善説」に立って迅速な給付をするしかなくなったとしたら、これはまさに「人災」です。

しかしさらに考えてみると、そもそもこんなアナログな方法で給付していることが異常です。マイナンバーは国民全員に付与されているのですから、それを税務申告データと銀行口座に紐づけ、申請内容と照合すれば不正をはたらく余地はなくなるでしょう。

このようなシステムが整備されていれば、本人がいちいち売り上げの減少を申し立てる必要すらなくなります。マイナンバーで銀行口座の入出金額を把握し、新型コロナ以降に収入が減ったひとだけを効率的に抽出して適切な給付をすればいいのですから。これなら、富裕層や収入の安定した公務員、年金受給者にまで1人10万円を配るようなバカげたことをする必要もなくなります。

日本政府は2000年に、「5年で世界最先端のIT国家を目指す」と宣言しました。それにもかかわらず20年かけてこの体たらくでは、電子政府化を進める世界各国との距離は逆にどんどん開いていくばかりです。菅新政権は「デジタル化」を掲げて発足しましたが、このままではきっと、2040年になっても同じ愚痴をいうことになるのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2020年10月19日発売号 禁・無断転載

第92回 日弁連「脱法」が暴露したこと(橘玲の世界は損得勘定)

神奈川県弁護士会の元会長が、在任中の報酬全額を返納するとともに、その額に相当する月額顧問料15万円を2年間受け取る顧問契約を結んでいた。なぜこんな奇妙なことをするのかというと、年金事務所から厚生年金の加入義務を指摘され、それを逃れようとしたのだという。同会所属の弁護士4名がこれを悪質な「脱法行為」として提訴したことで、この興味深い事例が明らかになった。

さらに驚いたのは、弁護士会の総本山である日本弁護士連合会(日弁連)の会長と、15名いる副会長も厚生年金に未加入だとわかったことだ。そうだとすればこれは氷山の一角で、他の都道府県の弁護士会でも同様の「脱法行為」が常習化している可能性がある。

弁護士は法律の専門家だが、なぜ「法に定められた」厚生年金加入を忌避するのだろうか。

その理由のひとつは、厚生年金に加入すると、国民年金を脱退すると同時に、弁護士国民年金基金や個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入資格を失うからだろう。これによって保険料が上がったり、将来の年金額が減るなどのデメリットがあるかもしれない。

しかしそれより大きな問題は、厚生年金の保険料が「労使折半」になっていることだろう。

日弁連会長の報酬は月額105万円とのことなので、厚生年金の保険料は上限の月額11万8950円。これを弁護士会と折半するから、本人負担は5万9475円だ。それに対して国民年金の保険料は月額1万6540円で、弁護士会の負担はない。

「年金保険料が上がったとしても、そのぶん将来の受給額が増えればいいではないか」と思うかもしれない。本人負担についてはたしかにそのとおりで、厚生年金の受給額は保険料に応じて国民年金より多くなる。

しかし、弁護士会が負担する保険料については話がちがう。厚生年金の会社負担分は社員の年金に反映されるのではなく、国家に「没収」されるのだ。

「そんなわけない!」と驚いた方は、毎年1回送られてくる「ねんきん特別便」の加入記録を見てみるといい。そこには、(会社負担分を含む)厚生年金保険料の総額ではなく、半額の自己負担分しか記載されていない。そして厚労省は、この自己負担分をもとに、「厚生年金は支払った額より多く戻ってくる」と主張しているのだ。

しかし、法律家はさすがにこんな「詐術」にだまされない。弁護士会が負担する保険料がドブに捨てるようなものだとわかっているからこそ、「脱法的」に逃れようと画策したのだろう。

ちなみに、日弁連会長の厚生年金保険料(総額)は年142万7400円、15人の副会長分を加えると年1000万円は超えるだろう。これを10年放置していたら、未払い保険料は1億円。傘下の弁護士会も同じようなことをしていたなら、債務総額はさらに膨らむことになる。

法律の専門家がこの“難問”をどのように解決するのか、楽しみに待つことにしたい。同じようなことで悩んでいるひとにもきっと役に立つだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.92『日経ヴェリタス』2020年10月4日号掲載
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