新型コロナで、大学はほんとうはどうなっているのか? 週刊プレイボーイ連載(456) 

新型コロナの感染拡大を受けて教育のデジタル化が叫ばれていますが、大学ではすっかり「新しい生活様式」が定着したようです。

都内にある有名私立大学(文系学部)では、ゼミを含むほぼすべての授業がオンラインに切り替えられたため、学生は大学に行くことがほとんどなくなりました。時間になるとズームにログインして「出席」しますが、最近ではほとんどの学生が顔を出さなくなったため、画面に名前がずらりと並ぶだけです。女子学生から「化粧していない顔を見られたくない」との声が増えたからだそうです。

そうなると教師は真っ暗な画面に向かってしゃべることになるので、こんどは自分も顔を出さなくなりました。学生は一方的に教師が話すのを聞くだけで、これでは「ラジオと同じ」です。もっともオンライン授業はかろうじて双方向ですが、オンデマンドでは教師が録画した講義が流れるだけなので、こちらは「ビデオと同じ」です。

顔が見えないのでは、教師は学生が授業中になにをやっているかわかりませんが、質問を投げかけて返事がなくても「電波状況が悪くて」で済まされてしまいます。とはいえこれは学生も同じで、ゼミの授業では学生同士で討論させておいて、講評もせずに「ではまた来週」という教師もいるそうです。「ほかのことをやってて、なにも話を聞いてない」と囁かれているようですが。

ペーパーテストはできなくなり、授業のあとにレポートの提出するのですが、最初は「長い文章にしないように」だったのが、すぐに「400字以内」のようにきびしい文字数制限に変わりました。大人数の授業だとすべてのレポートを読んで評価するのが大きな負担になるからで、逆に文字数制限をしない教師は「読んでないから字が書いてあればいい」とされています。

大学の施設も使えず、授業がこんな低レベルでは、「学費を減額してほしい」という不満が出るのは当然ですが、大学はいっさい聞く耳を持たず、いろいろな理由をつけて一銭も返そうとはしません。そのため地方出身の学生は、「通信教育」だとあきらめて実家に帰るか、休学に追い込まれています。

その代わり大学は、「最低限のことさえしてくれれば単位を出す」ことで学生を懐柔しようとしています。「ウィキペディアをコピペしたようなレポートでもいい」というのは、経済的に恵まれている学生にとっては悪くない取引でしょう。学業のゼミはオンラインでも、大学生活のいちばんの楽しみであるサークル活動は許可制で行なえるそうですし。

「君たちをきびしく鍛えることが自分の教育的信念だ」として、毎年かなりの学生を落第させる教師がいました。それが今年は、おざなりの講義をしてどんどん単位を出すように豹変したそうです。下手に学生ともめて、学費のこととか、授業の質を問題にされたら面倒だと思ったのでしょう。

「教育的信念というのはぜんぶウソで、落第させることで自分の権威を見せびらかしたかっただけなんだとわかって、がっかりしました」と、その話をしてくれた学生はいいました。きれいごとをいう者ほど利己的で、高い知性は自己正当化に使われるだけです。これから世の中に出ていく若者にとって、よい「教育」になったようです。

『週刊プレイボーイ』2020年12月7日発売号 禁・無断転載