「#教師のバトン」炎上でわかった「学校」の構造的問題 週刊プレイボーイ連載(472)

文部科学省がSNSで始めた「#教師のバトン」プロジェクトが「炎上」しています。これから教師を目指す若者にバトンをつなぐという趣旨で、「所属長からの許諾等は不要」で意見を募集したところ、職場への不平不満が大量に投稿される事態になったのです。

テレビで紹介されたこともあって投稿は膨大な数にのぼり、とてもすべてを読むことはできませんが、「話題のツイート」をざっと見るだけでも、「妊娠しましたが流産しました。(パワハラで)メンタルが崩壊し、病気休暇となりました」「同僚が亡くなったこと。昨日まで元気に話をしていたのに、翌日にはもう冷たくなっていた」など悲痛な投稿が並んでいます。

この「野心的」なプロジェクトの背景にあるのは、教員志望者が減っているという危機感です。2021年から5年かけて、小学校のクラスの上限を40人から35人に減らすことが決まり、教員の定員が1万4000人増えます。ところが現場では高齢の教員が定年にさしかかり、毎年1万人以上が離職しているのです。

教師不足を解消するには大量の採用が必要ですが、2020年度の小学校教員採用試験では、倍率が2.7倍と過去最低を更新し、人材の質を保つ下限とされる3倍を大幅に下回りました。

とりわけ深刻なのは採用倍率1倍台の自治体で、採用担当者からは「臨時教員としてきた層まで採って数を確保している。求職などで代替要員が必要になったら応募者全員を採用するしかない」「正直、教員免許さえ持っていればいい。意欲や能力を問う余裕はない」などの本音が報じられています。

そこで文科省は、「学校はブラック職場」とのイメージを変えるべく、SNSを使って学校改革のさまざまな試みを広く知ってもらおうと考えたようです。ところが実際には、「土日もすべて部活に捧げる」「1日の平均労働時間は11時間超」「教師なんかにならないほうがいい」のオンパレードで、これではかんぜんに逆効果です。

この問題がやっかいなのは、まともな学生が教職を避けるようになると、それによって教師の質が下がり、親の不満や不安が大きくなることです。親が子どもの担任に抗議するとモンペ(モンスターペアレント)扱いされますが、“わいせつ教員”が過去最高になったなどの報道を見れば親が疑心暗鬼になるのも無理はありません。

この負のスパイラルによって公教育の質がますます低下すれば、経済的に余裕のある家庭は子どもを私立に入れて自衛しようとするでしょう。これでは社会の「格差」と「分断」が進むだけです。

だったらどうすればいいのか? もちろんかんたんな解決策はありませんが、教師の仕事を過酷なものにしているのが部活であることは間違いありません。日本では教師を「聖職」とし、子どものために滅私奉公するのが当たり前とされていますが、ヨーロッパのように部活を地域のスポーツサークルにアウトソースして、学校は授業のみを行なうようにすれば「働き方」はずいぶん楽になるでしょう。

とはいえ、そうなるとこんどは「塾や予備校で勉強させた方がマシ」という親が出てくるかもしれませんが。

参考「小学校教員の採用倍率「危険水域」 35人学級で必要数増」日本経済新聞2021年3月26日

『週刊プレイボーイ』2021年4月12日発売号 禁・無断転載

偏見をもたないように努力すると、より偏見が強くなる? 週刊プレイボーイ連載(471)

女性やLGBT(性的少数者)、人種・宗教的なマイノリティへの不適切な発言などを理由に、政治家、学者から芸能人まで、著名人を糾弾し辞任などを求める「キャンセルカルチャー」が日本でも世界でも猛威をふるっています。差別のない社会を求めるのは当然として、批判や炎上によって問題は解決するのでしょうか。

これについては、「ステレオタイプ(偏見)を抑圧しようとすると、より偏見が強くなる」という興味深い心理実験があります。

被験者はイギリスの大学生(男女)24人で、スキンヘッドの男性の写真を見せられて、5分間でこの人物の典型的な1日を書くよう求められます。このとき(ランダムに選んだ)半数は、「他人への印象はステレオタイプによるバイアスに強く影響されている」との心理学の知見を教えられ、偏見を抑制するよう暗に求められます。残りの対照群には、こうした指示はありません。

第三者が文章を評価すると、「教育」を受けたグループは偏見を感じさせる表現が少なくなっていました。ここまではよい話です。

被験者は次に、別のスキンヘッドの男性の写真を見せられ、同じく典型的な1日を想像するよういわれます。このときは、どちらのグループにも特別な指示がありません。

「教育」なしの対照群では、(当然のことながら)1回目と2回目の偏見のレベルは同じでした。ところが「教育」されたグループでは、2回目の偏見のレベルが大きく上がり、(「教育」なしの)対照群を超えてしまったのです。

2つめの実験では、被験者はスキンヘッドの男性について書いたあと、「本人が来ているので会ってください」と1人ずつ別室に案内されます。部屋には椅子が8つ並んでいて、いちばん端にデニムジャケットとバッグが置いてあり、「たぶんトイレで、すぐに戻って来るので、好きなところに腰かけて待っていてください」といわれます。

じつはスキンヘッドの男性などおらず、被験者がどこに座るのかを見るのが実験の目的です。偏見が強いなら、無意識に心理的な距離を取ろうとするでしょう。結果はというと、「教育」を受けたグループは、そうでないグループよりも遠くの椅子に座りました。

3つめの実験では、被験者はパソコンに表示される文字列を見て、単語か単語でないかを判断する課題をします。単語のなかには、「パンク」「暴力」など、スキンヘッドに関連する言葉が紛れ込んでいます。偏見が強いほどステレオタイプを想起しやすいのですが、「教育」を受けたグループの方が、偏見と結びつく言葉に素早く反応しました。

なぜこんなことになるのでしょうか。どうやらわたしたちは、「偏見をもつな」といわれると、(無意識に)偏見について考えてしまうようです。それを意識によって抑制するのですが、これは意志力(心理的エネルギー)を消耗するので、作業が終わったとたん、抑え込んでいた偏見が表に出てきてしまうのです。これは「思考抑制のリバウンド効果」と呼ばれます。

もちろんだからといって、差別を是正する努力が無意味なわけではありません。この実験からわかるのは、それがものすごくむずかしいということです。

参考:C. Neil Macrae, Galen V. Bodenhausen, Alan B. Milne, and Jolanda Jetten(1994)Out of Mind but Back in Sight: Stereotypes on the Rebound, Journal of Personality and Social Psychology

『週刊プレイボーイ』2021年4月5日発売号 禁・無断転載

会食バッシングではなく、接待が不要になる仕組みをつくろう 週刊プレイボーイ連載(470)

総務省の「会食疑惑」は、事務次官候補とされていた総務審議官が辞職するなど、底なしの様相を呈しています。内閣人事局の集計では、利害関係者との会食の届け出は、経産省や農水省では過去3年間で300件前後もあるのに、総務省は1件だけでした。

国家公務員倫理規定では、割り勘でも1人1万円を超える利害関係者との会食は届け出が必要とされています。とはいえ、業者から会食に誘われたときに1人1万円を超えるかどうかは知りようがなく、会食後に相手から「割り勘で1万円です」といわれたら、その計算が正しいかどうかも確認のしようがありません。総務省ではこの理屈で、「1万円さえ払えば接待OK」が常態化していたようです。

こんないい加減では批判されて当然ですが、会食ばかりをバッシングすると、「会食しなければいい」ということになりかねません。これが本末転倒なのは、「飲食をともなわない密室で談合するのは許されるのか」を考えれば明らかでしょう。

報道ではほとんど触れられませんが、問題なのは会食や接待ではなく、行政が民間の事業に対して強大な許認可権をもっていることです。旧大蔵省が金融機関の箸の上げ下ろしまで指導していたときは、MOF担という「お世話係」が大銀行のエリートコースで、高級官僚をノーパンしゃぶしゃぶなどで接待していました。認可が得られれば儲かり、拒否されれば会社がつぶれてしまうのなら、どんなことでもやろうとするのは当然です。

電波帯域は有限なので、テレビ局や通信会社は自由に事業に参入できるわけではなく、総務省から電波帯を割り当ててもらわなければなりません。これはまさに事業の根幹ですから、民間企業は電波資源を独占する総務省の一挙手一投足に右往左往せざるを得ません。この利権があるからこそ、高級ワインも飲めるし、定年後も天下りで優雅に暮らすことができるのです。

「7万円の接待などけしからん」と本気で思うなら、この利権構造をなくすのがいちばんです。なんの役得もないならそもそも接待などしないでしょうし、それでもおごるとしたらただの友だち関係です。

電波帯域の割り当ては、先進国ではオークション方式で行なわれ大きな財源になっていますが、日本だけは頑強に導入を拒んでいます。その理由は、オークションでは許認可が不要になるからでしょう。その実態がようやく国民の目に触れたのですから、この機会に、接待の必要のない公正でオープンな行政の仕組みに変えていけばいいのです。

だったらなぜ、そうした議論にならないのか。それはテレビ局が、オークションをやらないことで、稀少で高額な電波枠を格安で利用できる「既得権」を享受しているからです。日本の新聞社はテレビ局の大株主で、それに加えて自分たちも、値引きを禁止する再販制や、消費税の軽減税率などの恩恵を受けています。

そう考えれば、アワビやステーキだけを面白おかしく報じ、本質的な議論を避ける理由がわかります。日本のマスメディアは、新聞もテレビも、本音では行政の利権構造を維持することを望んでいるのです。

『週刊プレイボーイ』2021年3月29日発売号 禁・無断転載