第95回 金持ち賃貸 貧乏持ち家(橘玲の世界は損得勘定)

いまだに多くのひとが、「老後に備えて早めにマイホームを買わなければならない」と思っている。だがこの常識は正しいのだろうか。

ここで、「持ち家が得か、賃貸が得か」という神学論争を始めるつもりはない。マイホームの購入というのは、住宅ローンによってレバレッジをかけて不動産市場に投資することで、ファイナンス理論的には、株式投資の信用取引と同じだ。投資戦略でリスク・リターン比にちがいはあるだろうが、どちらが得かは結果論でしかない。

そこで視点を変えて、「持ち家なのに貧困」という現象を考えてみたい。

金融広報中央委員会が「家計の金融行動に関する世論調査」を毎年公表しているが、2019年の「2人以上世帯」では、「持ち家」と回答したなかに「金融資産非保有」が21%もいる。持ち家が5軒並んでいたら、そのうちの1軒は銀行口座に残高がほとんどない。

さらに驚くのは、金融資産ごとの持ち家率を計算してみると、「金融資産非保有」と回答した世帯のうちじつに69%が「持ち家」であることだ。

「貯金ゼロ」の7割が持ち家というこの奇妙な数字はなにを意味しているのだろうか。ここからは私の推測だが、貯金をはたいてマイホームを購入したケースもあるかもしれないが、その多くは貧困によって実家から出られないまま高齢になり、結果として「持ち家」の世帯主になったのではないだろうか。

80歳を過ぎて、持ち家(とりわけ一戸建て)を管理するのは大変だ。庭の手入れができなければ雑草に蔽われ、ゴミ出しが面倒になればたちまち「ゴミ屋敷」になってしまう。

この状態で貯蓄がなく、マイホームが「負動産」と化していたら、生活は立ち行かなくなってしまうだろう。今後、「持ち家の貧困層」が大きな社会問題になることは間違いない。

同じ調査では、金融資産1000万円以上でも持ち家率は82~87%で、富裕層の1~2割は賃貸生活をしている。「ヒルズ族」のように、大きな収入があっても身軽な賃貸を好む成功者はいるだろう。だがこれも、年齢別のデータがないので推測しかできないものの、高齢の富裕層が賃貸に移行しているのではないだろうか。

経済的に余裕のある世帯が、歳をとってからも持ち家にこだわり、ヘルパーに頼りながら買い物やゴミ出しをする理由はない。そう考えた富裕層が、自宅を売却して高級サ高住(サービス付高齢者住宅)や高級有料老人ホームに移れば、統計上は賃貸になる。

「人生100年時代」では、富裕層が「賃貸」になる一方で、乏しい年金をやりくりしなければならない貧困層は自宅から出られず「持ち家」のままかもしれない。

ここからわかるのは、重要なのは「持ち家か賃貸か」ではなく、時価評価した純資産の額だということだ。またもや身もふたもない結論になってしまうが、最後は「現金(キャッシュ)」がものをいうのだ。

PS  金融広報中央委員会の「家計の金融行動に関する世論調査」は2020年版も公開されていますが、(おそらくは)コロナの影響で貯蓄割合が大幅に上がるなど、これまでの傾向とはかなり異なる数字になっているので、ここでは2019年版を使っています。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.95『日経ヴェリタス』2021年3月20日号掲載
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「悪夢」のあとは「敗戦」だったという笑えないオチ 週刊プレイボーイ連載(469)

2001年、日本政府は「e-Japan重点計画」を策定し、「世界最高水準」の電子政府を目指すと高らかに宣言しました。2013年には「世界最先端IT国家創造宣言」で、力強いIT戦略を打ち出してもいます。

政府・自治体を合わせると、国民がITシステムに支払っている経費は年間1兆円をゆうに超えています。では、20年間で20兆円を投じた見返りに、わたしたちはなにを得たのでしょうか。

一律10万円を配布する特別定額給付金は、マイナンバーカードを使うオンライン申請で混乱が相次ぎ、1カ月で40を超える自治体が受付を取りやめ手作業に戻りました。申請者の入力ミスや二重申請をチェックする基本的な機能がなく、オンラインでの申請が正しいかを人力で確認するほかなかったからだといいます。

雇用調整助成金のオンライン申請システムは、申請者の名前や電話番号など個人情報を他の申請者が閲覧できてしまう信じられない不具合が見つかり、2カ月ちかく稼働が止まりました。

売上が減った個人事業主や中小企業を対象にした持続化給付金は経済産業省と中小企業庁が全手続きを申請用サイトに一本化しましたが、『日経コンピュータ』編集部によれば、標準的な開発費の見積もりで3865万円、緊急時を想定した最大規模のモデルでも4億8489万円でできるシステムにもかかわらず、ベンダーに14億円も支払っていました。これではまるで火事場泥棒です。

「新型コロナ対策に焦点を絞った、感染者情報を管理する新システム」として副大臣の肝いりで始まった「HER-SYS」は、保健所などの業務負担を減らしつつ感染者情報を迅速に把握できると期待が高まりましたが、個人情報保護の機能が足りないなどの理由で一部の自治体が導入を見合わせ、対応が終わるまで4カ月かかりました。その後も、患者1人あたりの入力欄が200もあり、必須項目の判別もできないなど、かえって負担増になっているとの苦情が医療機関や保健所から殺到し、誤入力が相次ぎました。

感染抑制の切り札とされた「接触確認アプリCOCOA」は、陽性者と接触しても通知されない致命的な欠陥が4カ月も放置され、影響は利用者の3割に及びました。その後もAndroidのスマホでは1日1回起動しないと正常に動作しないなど、通常のアプリでは考えられないようなことになっています。

以上をまとめると、「コロナ対策で政府が行なったDX(デジタルトランスフォーメーション)はすべて失敗」ということになります。企業ならとっくにつぶれているでしょうから、ここまでのていたらくはなかなかできることではありません。

平井卓也デジタル改革相は、「日本ほどの通信インフラを持たない国がITで(コロナ対策の)成果を上げたのに、日本は過去のインフラ投資やIT戦略が全く役に立たなかった。「敗戦」以外の何者でもありません」と述べています。

3.11のとき、野党だった自民党は民主党政権の危機管理能力のなさをきびしく批判し「悪夢」と呼びましたが、自分たちが有事に直面したら「敗戦」になったという、国民にとっては笑えないオチになったようです。

参考:日経コンピュータ『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか 消えた年金からコロナ対策まで』(日経BP)

『週刊プレイボーイ』2021年3月22日発売号 禁・無断転載

有名人「二世」の自己実現は難しい 週刊プレイボーイ連載(468)

総務省の幹部らが菅首相の長男が勤める会社から繰り返し接待を受けていた問題で、「それ以外に違法な接待は受けていない」と国会で答弁した幹部らがNTT社長とも高額の会食をしていたことが明らかになり、混乱が広がっています。疑惑はさらに拡大しそうですが、ここではちょっと視点を変えてこの問題を考えてみましょう。

芸能人など有名人の子どもの「自己実現」が難しいことはよく知られています。歌舞伎役者の家に生まれた子どもが名跡を継ぐのは、「親はあのひとなんだって」と好奇の視線を浴びたり、「なんでこんな仕事してるの?」と揶揄されることを考えれば、役者になるのがいちばんだと小さいときから周囲が説得し、本人もそう思うようになるからでしょう。歌手や俳優の子どもも、けっきょくは芸能関係の仕事をすることが多いようです。

「日本は二世政治家が多すぎる」と批判されますが、ここにも同じ事情がありそうです。政治家が尊敬されたのは昔の話で、いまもそれなりに権力はあるでしょうが、メディアやネットで批判・罵倒されるストレスを考えれば「なりたい職業」ランキングから消えて久しい理由がわかります。それでも「地盤・看板・カバン」があれば他の候補より有利ですから、「ほかの仕事よりマシ」になるのではないでしょうか。

スポーツはもちろん、芸能の世界も実力勝負なので、親の七光りがあるからといって成功の保証はありません。これは二世政治家も同じで、みんなが若くして大臣になって有名ニュースキャスターと結婚できるわけではないでしょう。

それでも「二世」を目指すなら、まずは親の秘書として選挙区の冠婚葬祭に出たり、後援者の挨拶回りをする下積みから始めます。首相の長男は学生時代から「ミュージシャン」として活動し、卒業後も定職に就かなかったことから、心配した首相が総務省時代に政策秘書に起用したとされますが、どうやら肌に合わなかったようで、その後、映像プロダクションに就職します。この会社が総務省に許認可権のある事業を行なっていたことで、利権目的との疑惑を招くことになりました。

この会社の創業者(故人)は首相と同郷で、政界にも深く食い込んで衛星放送事業を拡大してきたとされます。総務省に大きな影響力をもつ首相の長男を預かることで既得権を守り、新たな利権を獲得しようと考えたとしても不思議はありません。外資出資規制に違反していたことが明らかになりましたが(その後、衛星放送事業の一部認定取り消し)、いまのところ贈収賄につながるような働きかけは特定できていません。いずれにせよ、長男を利用して高級官僚の知遇を得ておけば、なにかのときに役に立つという思惑があったことは間違いないでしょう。

そうだとすると、会社側はそもそも明確な利権がないのだから違法な接待だとは思わず、首相は息子を預かってもらった負い目があって強く注意できず、総務省幹部は「首相(官房長官)のお子さんのお守り」としてつき合った、ということになります。

このように考えると、「自助」を尊ぶ首相がこの問題では感情的になったり、いつもは舌鋒するどく疑惑を追求する野党議員ですら、処分された女性幹部に同情的な理由がわかります。国会は狭い世界なので、政治家はみんな「家族という病」を知っているのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2021年3月15日発売号 禁・無断転載