第96回 都税カード払いの過度な手間(橘玲の世界は損得勘定)

法人都民税・事業税の予定申告の書類が送られてきた。新型コロナの感染拡大で緊急事態が発出され、わざわざ銀行に行くのも気が進まないと思ったら、クレジットカードでも支払えるという。

東京都の場合、カード払いには0.73%の決済手数料が別途かかる。これはムダなようだが、クレジットカードのポイント還元率が1%ならじゅうぶん元がとれる(マイレージなど、それ以上の還元率のカードもある)。

そこで納税サイトにアクセスすると、「納付番号」「確認番号」「納付区分」の入力が必須とされていた。だが通知書類のどこを見ても、確認番号しか記載されていない。

不思議に思って都税事務所に電話してみると、応対してくれた女性から、「納付番号を発行するには、申告書を先に送ってください」といわれた。

決算後の税務申告ならたしかにそのとおりで、納税者がいくら税を納めるのかを申告しなければ、税務当局は納付書を発行できない。だが予定申告では、前年度の決算に応じて仮の納税額を決めているのだから、納税者がいちいち申告する必要はないはずだ。

だが彼女によると、通知書といっしょに申告書がついているので、それに住所や法人名、代表者氏名などを記入し、押印したものを提出しなければならない。予定申告額を勝手に決められて、納税者に不服があるかもしれないからで、申告書を受け取ってはじめて正式の手続きができるのだという。

不可解なのは、申告書を郵送しただけではダメで、それが到着した数日後に納税者が都税事務所に電話して、申告が処理されていることを確認したうえで、納付書の発行を依頼しなければならないことだ。

それに輪をかけて不可解なのは、予定申告書を銀行の窓口にもっていけば、面倒な申告手続きを省略して税の納付が完了することだ。銀行員が予定申告書を受領することで、納税額に同意したと見なすことにしているのだろう(私の憶測だが)。

だとしたら、手続きルールをちょっと変えて、納税者がクレジットカード払いをした時点で、同様に納税額に同意したことにすればいいのではないだろうか。実際、国税では予定申告でもカード払いができるようになっている。

政府は感染防止のため、不要不急の外出を極力控えるように国民に求め、菅政権はDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進を掲げている。それにもかかわらず、なぜこんな簡単なことができないのか。

などと文句のひとつもいおうと思ったが、電話で説明してくれた女性から、「毎日大量に送られてくる申告書をすべて目視で処理しているので」といわれてその気も失せた。都税事務所の職員は、こんなことのために感染の危険を冒して、毎日出勤させられているのだ。

「そんなに大変なら銀行で納付するからいいです」といったあと、思わず、「ご苦労様です。頑張ってください」とつけ加えて電話を切った。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.96『日経ヴェリタス』2021年5月15日号掲載
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官僚はなぜ見捨てられつつあるのか? 週刊プレイボーイ連載(476)

公務員試験の受験者数が年々減少しています。2021年は、中央省庁の幹部候補となる総合職の申込者数が前年比14.5%減の1万4310人になりました。採用者数を平年並みの2000人とすると倍率は7倍。2012年の倍率が17倍ですから、わずか10年足らずで半分以下になったことになります。

受験者が減っているだけでなく、国家公務員は優秀な大学生から見放されてもいるようです。かつては東大法学部の卒業生は学者か官僚を目指し、民間企業に就職するのは格下とされましたが、20年度の公務員試験では東大の合格者が過去最少になり(合格者数は1位)、外資系金融機関やコンサルティング会社など、高収入で見栄えのいい仕事の人気が高まっています。官僚や法曹を養成してきた法学部自体が魅力を失っているということもあるでしょう。

公務員が避けられる理由は、「ブラック霞が関」という言葉に象徴されるように、労働環境が過酷だからです。人事院が公式に発表している残業時間は平均で月29時間程度ですが、これにはサービス残業が含まれておらず、アンケート調査では回答者の65.6%が労働基準法の年間超過勤務上限である720時間を超えていました。「過労死ライン」は年間960時間ですが、1000時間超が42.3%、そのうち1500時間超が14.8%もいて、官僚の半分ちかくが過労死してもおかしくない異常な状況です。

霞が関の「ブラック度」はコロナ禍でさらに悪化し、内閣官房でコロナ対策を担当する職員の1人が、1カ月だけで約378時間もの残業をしていたと話題になりました。残業だけで24時間×16日分ですから、1日の休みもなく、ほとんど睡眠もとらずにひたすら仕事をしていたことになります。

これほどまで悲惨な状況では学生が二の足を踏むのは当然ですが、敬遠されるのはそれだけが理由でもなさそうです。内閣人事局が行なったアンケート調査では、30歳未満の男性職員の7人に1人が「数年以内に辞職意向」と回答して衝撃を与えましたが、その理由は「長時間労働等で仕事と家庭の両立が難しい」と並んで、「もっと自己成長できる魅力的な仕事につきたい」だったのです。

これをひと言でまとめれば、官僚の仕事は「過労死するほど働いても、自己成長もできず魅力もない」になります。だとすれば、そもそもこんな仕事を目指す学生がいること自体が不思議です。

知識社会が高度化するにつれ、ますます高い専門性が要求されるようになりました。日本の官僚のほとんどが学士(学部卒)ですが、国際会議などに出ると、相手は欧米の一流大学で修士や博士を取得したエリートばかりです。それだけでも差を感じるのに、役所の人事制度は3年程度で異動を繰り返し、さまざまな部署をこなせる「ゼネラリスト」を養成しようとするので、自分が担当する分野すら素人とたいして変わらない知識しかもてません。

これでは、役所を離れたとたん、なんの使い道もない人材になってしまいます。賢い学生たちは、生涯現役社会でスキルを獲得できない職場を選ぶのは「敗者への道」だと正しく理解しているのでしょう。

参考:千正康裕『ブラック霞が関』新潮新書
千正康裕「「超ブラック職場」」で「霞が関」崩壊危機」週刊新潮2021年4月29日号

『週刊プレイボーイ』2021年5月17日発売号 禁・無断転載

都合の悪いことはすべて飲食店に押しつける日本の「正義」 週刊プレイボーイ連載(475)

北京でレストランを経営している知人に久しぶりに連絡したら、家族に会いに日本に一次帰国したあと、いまは深圳のホテルで2週間の強制隔離中との返事がありました。なぜ北京に戻るのに深圳にいるのか不思議に思って訊ねると、首都は規制が厳しく、海外帰国から21日経たないと入れないのだそうです。

そのため現在では日本から北京への直行便は飛んでおらず、北京以外の都市で21日間経過しないと、国内便も鉄道のチケットも買えません。北京に近い大連や青島、天津も21日間隔離で、大連では悪名高い肛門PCR検査があるため、首都から遠い深圳で隔離をすませ、上海の展示会などを見ながら北京に向かうことにしたとのことでした。

それに対して日本の空港では、簡易PCR検査の陰性証明や接触アプリのインストールなどが必要になるものの、14日間の隔離は各自の自主性に任されています。これでは、ホテルに向かうふりをしてそのまま自宅に戻ってしまったり、ホテルから抜け出して飲食街に出かけてもわかりません(その後、自宅での待機要請などに従わないひとが1日300人以上いることか明らかになりました)。

中国は「性悪説」で、人間はウソをついたりだましたりすることを前提に、国家権力が感染症対策を強制します。日本は「性善説」で、一人ひとりが公益のために自覚をもってルールを守るはずだと考え、権力の介入は最低限にしようとしています。

性善説は「民主的」で「自由」を尊重しているとして評判がいいのですが、その結果はというと感染拡大による3度目の緊急事態宣言で、飲食店は酒類の提供を禁止されるなど、さらなる苦境に追い込まれています。

北京は昨年末に数名の感染者が出て以来、70日以上にわたって新規の感染者が出ていません。北京の人口は2000万人超ですから、これは驚くべきことです。

その結果、知人が経営する北京や天津の飲食店はいずれも絶好調で、コロナ前の売上を大きく上回っているそうです。海外旅行はもちろん、国内旅行にもさまざまな制約が課されたことで、ひとびとが身近な場所で消費するようになり、他の飲食店もどこも盛況で「コロナバブル」の様相を呈しているのです。

もちろん中国でもすべてがうまくいっているわけではなく、旅行、航空、ホテルなどきびしい業界もあります。しかしそれでも、協力金をもらいながらひたすら耐えつづける日本の飲食業界とは愕然とするほどの差があります。

欧米の経験からわかったのは、感染が拡大しながら経済を活性化させるのは不可能ということです。規制がなくても、ひとびとは感染を恐れて外出しなくなり、どのみち消費は低迷するのです。それに対して、きびしい社会統制によって感染を抑制すれば、「Go Toキャンペーン」などやらなくても消費者はお金を使うようになります。

日本ではメディアも知識人も、「中国のような独裁ができるわけがない」といいつづけています。とはいえ、同じように感染抑制に成功している台湾やオーストラリアは立派な民主国家です。

「独裁」より「自由」のほうが気分がいいかもしれませんが、そのためのコストはすべて、飲食店など一部の弱者に押しつけられています。はたしてこれが「正義」にかなうでしょうか。

参考:【緊急レポート2021】コロナ封じ込めに成功している中国では飲食業界が好調。コロナ後には日本での爆買いも復活か!?

『週刊プレイボーイ』2021年5月10日発売号 禁・無断転載