禁断のアクア説(水生類人猿説)を再評価する

人類学者の篠田謙一さんと対談させていただいたので、そのなかで登場した「アクア説(水生類人猿説)」についての記事をアップします。一緒にお読みいただければ(「海外投資の歩き方」のサイトでの公開は2019年9月26日。一部改変)。

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2019年8月、380万年前の初期人類の「驚くほど完全な」頭蓋骨がエチオピア北東部で見つかったとの論文が英科学誌ネイチャーに発表された。この古代骨はアナメンシス猿人(アウストラロピテクス・アナメンシス/Australopithecus anamensis)のもので、「頭蓋骨は小さいが、成人のものだとみられる。復元された顔は、頬骨と顎が突き出て、鼻が平らで、額は狭い」とされる(AFP)。発見されたのはルーシー(Lucy)の発掘場所から55キロしか離れていない。

ルーシーはアファレンシス猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス/Australopithecus afarensis)の若い女性(推定年齢25~30歳)で、今回見つかったアナメンシス猿人より新しい322万~318万年前に生きていたと考えられる。全身の約40%の骨がまとまって見つかったことで有名になり、ビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」から命名された。

セラム(ディキカ・ベビー)は同じアファレンシス猿人の幼児(3歳前後)の古代骨で、同じエチオピアで発見されたことから「ルーシーズ・ベイビー (Lucy’s baby)」とも呼ばれる。こちらはルーシーより若干古く、335万~331万年前のものとされている。

ルーシーとセラムの化石は、アディスアベバ国立博物館に展示されている(ただしレプリカ)。近年の古代骨の発見は、人類の起源が東アフリカのなかでもエチオピアを中心とした地域にあるらしいことを示している。

ルーシーの骨格(アディスアベバ国立博物館)(@Alt Invest Com)
アディスアベバ国立博物館(@Alt Invest Com)

なぜサバンナばかりが注目されるのか?

日常語では「人類」と「ヒト」を区別して使うことはないが、遺伝人類学では両者は明確に異なる意味で使われる。

「ヒト」というのはホモ・サピエンス、すなわち現生人類のことで、「人類(ホモ族)」はそれよりも広義で化石人類(アウストラロピクテス属など)も含まれる。

類人猿は「尻尾がない猿」のことで、パン属、ゴリラ属、オランウータン属が大型類人猿(great apes)だ。パン属はパン・トログロダイテス(チンパンジー)とパン・パニスカス(ボノボ)に分かれる。「人類の起源」は、パン属との共通祖先と分かれた700万~600万年前とされる。

初期人類の古代骨としては、アフリカ・チャドで2001年に発見された、「トィーマイ(Toumai)」と名づけられたサヘラントロプス・チャンデンシス(Sahelanthropus tchadensis)がもっとも古い。トゥーマイの推定年代は700万~600万年前で、直立歩行していたならば人類の最初期の祖先の可能性があるが、いまだに諸説あるようだ。発見されたのが頭蓋骨のみで、脊髄が通る穴が下方にあることで直立していたと推定されるだけで、脚や足跡など直立を裏づける証拠は見つかっていない。

はっきりしているのは、約440万年前のアルディ (Ardi)と呼ばれるラミダス猿人(アルディピテクス/Ardipithecus)を含め、それ以降の初期人類の古代骨の多くがエチオピアで見つかっていることだ。人類はケニアやタンザニアなどのサバンナで誕生したとされる(ナミビアなど南部アフリカとの説もあった)が、エチオピアはサバンナより高地で、その環境はかなり異なる。エチオピアから南西に下れば、チンパンジーやボノボ、ゴリラなどが生息する森林地帯が広がっている。

地図を見れば明らかだが、初期人類の古代骨が発見された場所は大地溝帯(グレート・リフト・バレー)に沿っている。大陸プレートの分裂によって生まれたアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、アフリカ最高峰のキリマンジャロをはじめとする山々が隆起したが、それより顕著なのはこれらの山から流れ込む水によってヴィクトリア湖、タンガニー湖などの多数の大きな湖ができたことだ。エチオピアにもタナ湖など多くの湖があり、ナイル川の水源としてエジプトから地中海に注いでいる。

人類の特徴は発汗によって体温を調節することで、大量の淡水がないと生きていくことができない。そう考えれば、初期人類が淡水湖や川の近くで暮らしていたと考えるのは合理的だ。

だとすれば、なぜサバンナばかりが過剰に注目されるのだろうか。大地溝帯で次々と見つかる初期人類の古代骨からは、「人類は水辺で誕生した」と推測することもじゅうぶんできるはずだ。

鼻の穴はなぜ下向きなのか?

じつはこれは、私の勝手な思い込みではない。人類がチンパンジーなどとの共通祖先から分かれたあと、樹上から棲息地域を水辺に移して独自の進化を遂げたという主張は「アクア説(水生類人猿説)」と呼ばれている。

ここで「バカバカしい」と一笑にふすひともいるだろう。実際、「私たちの祖先が人魚だったとでもいうのか」とこの説は嘲笑されてきた。

そこですこしは真剣になってもらうために、2つの例を挙げておこう。

人類が二足歩行を始めた理由として、「樹上生活からサバンナに降りた時、直立した方が遠くまで見渡せて有利だったからだ」と説明される。だがもしこれが正しいとしたら、サバンナに棲息する多くの動物たちのうち、二足歩行をするのが人類だけなのはなぜだろうか? そんなに有利なら、サバンナという環境は同じなのだから、ほかにも二足歩行に移行する動物が出てくるはずではないか?

ミーアキャットなど直立する動物たちが話題になるが、移動するときは四足歩行だ。人類以外の二足歩行の大型動物はカンガルーくらいしかいない。

それに対してアクア説なら、二足歩行をずっとシンプルに説明できる。初期人類が水辺で生活することを選んだのなら、水中で直立したほうが遠くまで移動できてずっと便利なのだ。そのうえ、水の浮力が直立する上半身を支えてくれただろう。

ここで、「同じように水辺で生活するカバは四足歩行ではないか」との反論があるかもしれない。だがウシなどと同じ偶蹄目であるカバは、そもそも直立できるような骨格になっていない。それに対して人類と共通祖先をもつチンパンジーなどは直立や短距離の二足歩行がもともと可能だったから、水中に入ることが多くなって直立二足歩行に移行するのはごく自然なのだ。

もうひとつは、人類では鼻の穴が下を向いていることだ。それに対して四足歩行の哺乳類はもちろん、ゴリラやチンパンジーも鼻の穴は正面を向いている。その方が呼吸するにも、臭いをかぐにもずっと有利だからだ。

この謎について、これまでサバンナ説は有力な仮説を提示できていない。だがアクア説なら、ものすごく単純な説明が可能だ。鼻の穴が正面を向いていると、水中に潜ったときに水を肺に取り込んでしまう。鼻の穴が下向きに進化すれば、水が入りにくくなって長い時間潜っていられるのだ。

他の哺乳類と比べて人類の特徴は嗅覚が衰えたことだが、水中では臭いはあまり役に立たないのだから、脳の嗅覚の部位が退化して、その代わり視覚など他の部位が発達したと考えることができる。

どうだろう? すこしは納得してもらえたのではないだろうか。

アクア説を無視するのはアカデミズムの女性差別?

「アクア説」はもともと1942年にドイツの人類学者マックス・ヴェシュテンヘーファーによって唱えられ、その後、海洋生物学者のアリスター・ハーディーが1960年に別の観点から主張した(ヴェシュテンヘーファーの説は忘れさられていた)。それを在野の女性人類学者、故エレイン・モーガンが再発見し、精力的な執筆活動で「啓蒙」に努めた。その総集編ともいえるのが『人類の起源論争 アクア説はなぜ異端なのか?』(望月弘子訳、どうぶつ社)だ。

海洋生物学者のハーディーは、「陸生の大型哺乳類のなかで、皮膚の下に脂肪を蓄えているのは人類だけだ」との記述を読んで、アシカやクジラ、カバなど水生哺乳類はみな皮下脂肪をもっていることに気づいた。

皮下脂肪を蓄えれば冷たい水のなかでも生活できるし、水に浮きやすくなって動きもスムーズになる。それに対してサバンナの動物は、皮下脂肪を蓄えたりせずに毛皮で体温を調節している。だとしたら人類も、過去に水棲生活をしていたのではないか。

このアイデア(コロンブスの卵)を知ったモーガンは、アクア説ならさまざまな謎が一気に解けることに驚いた。

動物学者たちを悩ませていたのは、「人類はなぜ体毛を消失したのか」だった。従来のサバンナ説ではこれは、「酷暑のなかで長時間移動するには、体毛をなくし発汗によって温度調節するほうが有利だから」と説明された。だがサバンナの動物のなかで、そんな進化をしたのは人類しかいない。昼は太陽が照りつけ、夜はきびしい寒さにさらされる乾燥したサバンナでは、定説とは逆に厚い毛皮が必須なのだ。

毛皮は体温の喪失を防ぐだけでなく、太陽熱を半分遮り、残りの熱を皮膚から離れた場所に閉じ込めて対流や放射によって放散させる。さらには、閉じ込めた熱が皮膚まで伝わらないようにする断熱材の役目も果たしている。だからこそ、サバンナよりきびしい環境の砂漠で暮らすラクダも立派な毛皮を身にまとっているのだ。

それにもかかわらず人類の祖先はどこかで体毛を失い、大量の水を飲んで大量の汗をかかなければ体温調整できなくなった。繰り返す必要はないだろうが、この謎もアクア説ならかんたんに解ける。水棲の哺乳類の多くが体毛を失ったように、そのほうが水中で動きやすいのだ(水中で直立していたのなら、頭髪のみが残ったことも説明できる)。

このようにアクア説はきわめて高い説得力をもっているが、それなのになぜこれまで主流派の学者たちから馬鹿にされ、相手にされてこなかったのか? これについてはそれなりにもっともらしい理由があるだろうが、私は、アクア説を主唱したエレイン・モーガンが在野の女性研究者だったからではないかと考えている。

象牙の塔のプライドの高い男の学者にとって、「どこの馬の骨とも知れない無学の女」が自分たちより正しいなどということは、あってはならないのだ。モーガンがアカデミズムの「男性中心主義」をはげしく攻撃したこともあるだろう。こうしてアクア説は徹底的に無視され、学者たちは無理のあるサバンナ説に固執することになった。

最近になって、化石研究などから「人類の最古の祖先はサバンナではなく森林に住んでいた」との説が唱えられるようになった。ようやく通説に異を唱えることができるようになったのは、サバンナ説の否定に生涯をかけたエレイン・モーガンが2013年に亡くなったからではないだろうか。

グレート・リフト・バレーのタンガニー湖。人類はここで生まれた?(@Alt Invest Com)

赤ちゃんはなぜ「泳げる」のか?

進化論の主流派のあいだではアクア説はいまでもタブーだが、それ以外の分野にはこの「異端」を支持する専門家がいる。

シャロン・モアレムは神経遺伝学、進化医学、人間生理学の博士号をもち、医学研究者でありながら臨床も行ない、医療ベンチャーを起業して画期的な新薬を開発し、さらには医療ノンフィクションでもベストセラーを連発する現代の才人だ。その著作は日本でも翻訳されているが、『迷惑な進化  病気の遺伝子はどこから来たのか』( 矢野真千子訳、NHK出版)でアクア説を取り上げている。

チンパンジーらとの共通祖先から分かれたあと、人類は急速に知能を発達させ、それにともなって脳の容量も大きくなっていった。大きな頭蓋骨をもつ子どもを生むことは困難なので、じゅうぶんに成長する前に出産するほかなくなり、人類は異常なほど早産になった(哺乳類の基準からすれば、ヒトの赤ん坊は“超未熟児”の状態で生まれてくる)。出産時のトラブルで母親が死亡するなどということは他の哺乳類ではほとんどあり得ないが、人類にとって出産はきわめて危険だった。

それにもかかわらず、初期人類は多くの子どもを産みつづけてきた(だからこそ私たちがいま生きている)。だとしたら、困難な出産を助けるなんらかの方法があったはずだ。モアレムは、それが「水中出産」だという。

1600件の水中出産を行なったイタリアの病院では、温水で水中出産した妊婦は分娩が加速され、会陰切開の必要が減り、ほとんどが鎮痛剤なしですませた(通常の出産では妊婦の66%が硬膜外麻酔を求めるが、水中出産は5%だけだった)。

子宮内にいる胎児は息を止めており(代わりに羊水を吸い込んでいる)、顔に空気があたったときにはじめて息を吸う。このとき分娩時の残余物などがいっしょに肺のなかに入ってしまうと感染症を引き起こすが、水中出産なら赤ん坊は呼吸していないので、母親は落ち着いて残余物を顔から拭うことができる。

しかしより決定的なのは、出産直後の赤ちゃんが「泳げる」ことだ。すでに1930年代に、乳児は水中で反射的に息を止めるだけでなく、水をかくように腕をリズミカルに動かすことが知られていた(こうした動作は生後4カ月ごろまでつづき、その後はぎこちなくなる)。「熱く乾燥したアフリカのサバンナで進化した動物の赤ちゃんが、なぜ生まれてすぐに泳げるのか」とモアレムは問うている。

人類は水辺で進化し、サバンナへ向かった

人類がチンパンジーなどの共通祖先から分岐したのが700万年ほど前で、エチオピアなどで400万年~300万年前の人類の化石が発見されている。だとしたらこの間の300~400万年を私たちの祖先はどのように進化してきたのだろうか。

エレイン・モーガンはこの「ミッシング・リング」のあいだ、人類の祖先は海辺で暮らしていたと考えたが、環境の変化で森林が縮小し、樹上生活から徐々に淡水湖や河川などの水辺に移行したとしても同じような「進化」が説明できるだろう。

ヒトはごくふつうに呼吸をコントロールできるが、近縁種であるチンパンジーは意識的に息を止めたり吐いたりすることがうまくできず、これが「しゃべれない」大きな理由になっている。だが水棲生物は、水中で呼吸をコントロールするよう進化してきた。私たちがごくふつうに会話できるのは、祖先たちが水に潜ったことの恩恵かもしれない。

水辺の進化で高い知能とコミュニケーション能力を手に入れた人類にとって、栄養価の高い肉を手に入れることはきわめて重要だった。巨大な脳を維持するには、大きなエネルギーが必要になるのだ。こうして水辺を離れ、大型動物のいるサバンナに向かったと考えれば、人類だけが特異な特徴をもっていることが説明できるだろう。

アディスアベバ国立博物館には、セラム(ルーシーズ・ベイビー)をフランスの研究者が復元した像が置かれている。それが下の写真だが、すぐにわかるように、これはチンパンジーを直立させ、体毛を薄くしたものにすぎない。なぜ化石人類が「サルとヒト(サピエンス)の中間」になるかというと、初期人類が現生人類に近づくようにサバンナで段階的に進化したと考えているからだ。

セラムの骨格/アディスアベバ国立博物館(@Alt Invest Com)
セラムの復元/アディスアベバ国立博物館(@Alt Invest Com)

だがこの大前提は、「なぜそのように進化しなければならなかったのか?」という単純な疑問にうまく答えることができなくなっている。

約300万年前に生きてきたルーシーやセラムは直立二足歩行をしていたのだから、現生人類と同様に体毛のほとんどを消失していたかもしれない。なぜならどちらも「水棲生活」のあいだに獲得された特徴なのだから。

もちろんこれは、いまはたんなる推測にすぎない。だがこのように考えると、エチオピアの博物館にいるルーシーやセラムをもっと身近に感じられるのではないだろうか。

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