ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年4月公開の記事です。(一部改変)

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マニラにある日本大使館には、3日に1人の割合で、異国の地でホームレスになった日本人がやってくる。そのほとんどが高齢の男性で、「困窮邦人」と呼ばれている。
フィリピンだけで年間100人という数に驚くかもしれないが、これは2011年の数字で、前年(2010年)の海外援護統計では332人と、毎日1人の割合でマニラの大使館やセブの出張駐在官事務所に一文無しになった日本人が駆け込んできた。
ちなみに、国別の困窮邦人は2位がタイ、3位がアメリカ、4位が中国、5位が韓国となっているが、フィリピンだけで全体の半分近くを占めておりその数は圧倒的だ。
困窮邦人の激増は現地の日本人のあいだではよく知られていたが、その存在を広く日本社会に知らしめたのは、マニラ在住のノンフィクションライター水谷竹秀氏の『日本を捨てた男たち』(集英社文庫/第9回開高健ノンフィクション賞)だ。
この本の冒頭で紹介される困窮邦人・吉田正孝(仮名)の生活は衝撃的だ。
愛知県内にある自動車部品の工場で溶接の派遣社員をしていた吉田は、名古屋市内のフィリピンクラブで知り合った女性を追いかけて、40代半ばでフィリピンにやってくる。所持金はわずか20万円。ルソン島東部ケソン州にある女性の実家で暮らしはじめたものの、手持ちの金が尽きたとたん、いきなりバス停に連れていかれ、マニラまでのバス運賃250ペソ(約500円)を渡された。
マニラに着いた吉田は、とりあえず日本大使館に向かうが、「飛行機代も食費も出せない」といわれて路頭に迷うことになる。
困窮邦人の扱いには日本大使館も苦慮している。自らの意志でフィリピンに渡航し所持金を使い果たした困窮者に、国民の税金である公金を安易に貸し付けることはできないからだ。そこで、両親や兄弟姉妹、親類などに国際電話をかけて援助を求めることになるのだが、不義理を重ねて日本にいられなくなったケースも多くほとんど断われるという。
吉田はしばらくのあいだ知り合いのフィリピン人の家で面倒を見てもらっていたが、そこも居づらくなると、日本大使館に近いパサイ市の教会で寝泊りするようになる。この教会は24時間開放されていて夜になっても追い出されないが、長椅子に横になることは禁じられていて、椅子に座ったまま眠るしかない。
夜が明けると、吉田は教会近くの貧困地区にあるフィリピン人女性の家に行く。吉田が「お母さん」と呼ぶこの女性は、ゆで卵や野菜の揚げ物、ソフトドリンクなどを販売する露店を教会の前に出している。
吉田は、商売に使う台車をデッキブラシと洗濯石鹸で洗い、揚げ物用の野菜を包丁で刻み、売れ残ったゆで卵の揚げ物を再利用するため衣をはがす。そうして正午ちかくまで働き、台車を教会前の所定の場所まで運ぶのが彼の仕事だ。
吉田は「お母さん」の家で朝食と昼食を食べ、さらに20ペソ(約40円)の日当までもらっている。ゆたかな国からやってきた日本人が、フィリピンのスラムに住む露天商の女性に雇われ、面倒を見てもらっているのだ。
フィリピンには養育放棄された10万人の「日本人」の子どもがいる
フィリピンに暮らす日本人で、この国のイメージの悪さを嘆くひとは多い。多くの日本人がフィリピンと聞いて真っ先に思い浮かべるのは、真っ青な海や輝くような笑顔ではなく、貧困と犯罪、フィリピンパブだからだ。
80年代から90年代にかけて、フィリピンやタイなど東南アジアから若い女性を興行ビザで入国させ、風俗店で働かせて売春を強要する違法ビジネスが大々的に行なわれた。戦前、貧しい日本からアジア各国に売られていった女性がからゆきさんだが、アジアからゆたかな日本に出稼ぎに来る彼女たちはじゃぱゆきさんと呼ばれた。
日本人の男性とフィリピン人女性との交際は、その後、さまざまな社会問題を引き起こすことになる。
2人のあいだに生まれた子どもの養育を日本人男性が放棄すると、母子だけがフィリピンに取り残される。日本の国籍法はずっと父系優先血統主義で、日本籍の男性と外国籍の女性のあいだに生まれた子どもは自動的に日本国籍を取得できた(国連の女子差別撤廃条約に違反すると批判され、1984年に父母両系血統主義に改正)。婚姻の事実が証明されるか、父親の認知があれば日本国籍を取得できる子どもたちが、フィリピンには10万人ちかくいると推定されている。彼らは「新日系人」と呼ばれている。
じゃぱゆきさんがアメリカなど国際社会から人身売買との批判を受けたため、2005年に入管法が改正され興行ビザの発給が厳格化された。その影響でフィリピン人女性の入国が難しくなり、独身の日本人男性に報酬を支払って偽装結婚させ、日本に呼び寄せる手口が広がった。
フィリピンパブで女性と出会い、彼女を追って海を渡った男たちや、退職後に年金を頼りに単身でフィリピンに移住して、マニラやセブのカラオケパブで女性と知り合い結婚や同棲を始めた日本人の困窮化は、2000年になる頃から目立つようになった。その一部は70代や80代を迎えており、困窮邦人は高齢化問題でもある。
困窮邦人は自業自得
在比邦人のなかにも、フィリピン人女性と円満な家庭を築いている男性は多い。だが彼らはふつうのひとたちなので、事件を起こすわけでもなく、その存在は目立たない。
一方、日本でフィリピーナに夢中になったり、フィリピンに行けば若い女性と恋愛ができると思ってやってきた中高年の日本人男性もたくさんいる。こうした男たちは、平均的な日本人からはすこしはずれたところにいて、トラブルに巻き込まれやすい。かんたんにいうと、女にだらしがないのだ。
現地の日本人に話を聞くと、困窮化のパターンはほとんど同じだ。
フィリピンでは日本人は金持ちだと思われているので、カラオケパブに行けば誰でも若い女性と“恋愛”ができる。とはいえ、彼女たちの多くはいちど離婚していて、1人で子どもを育てていることも多い。日本人の中高年とつき合う理由は、お金以外にはない。
ただし、こうした打算の関係で結婚や同棲を始めても、日本人男性が家庭を大事にすればフィリピン人の側からトラブルを起こすことはほとんどないという。妻の一族郎党が日本人の財布を目当てに集まってくるだろうが、夫が日本から高齢の両親を呼び寄せれば大切に世話をしてくれたりもする(もっとも、日本の高齢者には年金がついてくるという“打算”もある)。彼らにとっては家庭(ファミリー)こそが、なにものにも替えがたい宝物なのだ。
トラブルはたいてい、日本人男性の浮気から始まる。
結婚して子どもができると、フィリピン人の妻は子育てに夢中になる。それが面白くなくてカラオケパブに遊びに行くと、若い女性が言い寄ってくる。もともと女遊びが目的でフィリピンに渡ったのだから誘惑に勝てるわけもなく、たちまち複数の女性とつき合いはじめる。
もっともフィリピン人男性にとっても浮気は日常茶飯事で、これだけで夫婦関係が破綻することはない。
いちばんの原因は、愛人に夢中になって家にお金を入れなくなることだ。それ以上に最悪なのは、妻から文句をいわれると言い訳ができずに(そもそも英語も現地語も話せない)手を出すことだ。
フィリピンでは、経済力があるのに妻子を養わないのは男として最低だ。女性を殴るのは、人間として許されない所業だ。
DV(ドメスティックバイオレンス)を妻が実家に訴えると、事態は深刻化する。一族のなかの警察官やヤクザ(あるいはその両方)が出てきて、暴力的な方法で問題を解決しようとするからだ。
よくあるのが、妻名義で購入した不動産(フィリピンでは外国人が土地を購入することができない)を騙し取られたり、預金の名義を書き換えられたりすることだ。地縁と血縁が網の目のようにはりめぐらされたフィリピン社会では、警官も役人も銀行員もすべて裏でつながっているから、言葉も満足に話せない日本人になす術はない。
こうして身ぐるみはがれて追い出された日本人が、困窮化して大使館に駆け込んでくる。在比邦人が彼らのことを「自業自得」と突き放すのには理由がある。
日本人の地位はどんどん低落している
私がはじめてフィリピンを訪れた頃は、歓楽街エルミタのゴーゴーバーのネオンがまだ華やかで、大富豪アヤラ一族が開発した新都心マカティの大型ショッピングセンターは建設中だった。そのときから比べるとマニラは大きく変わり、エルミタは新市長の指示で風俗店が一掃され、ゴーゴーバーはパサイ市など近郊の街に移っていった。マカティのアヤラセンターは、高級ホテルやデパート、ショッピングモール、オフィスビルが集まる最先端のエリアになり、オルテガス(ケソン市)やアラバン(モンテンルパ市)などの新興都市が次々と開発されている。
以前なら、地元のひとたちはどれほど背伸びをしてもファストフードやファミリーレストランで食事をするのがせいいっぱいで、数少ない高級レストランにいるのは外国人(欧米人か日本人)ばかりだった。だがこの数年の好景気で中産階級が大きく増え、渋滞の列に並ぶのは極彩色のジプニーから日本車やヨーロッパ車の新車に変わった。不動産の価格が高騰し、高層コンドミニアムの建設ラッシュが進んでいるのはアジアの他の都市と同じだ。
グリーンベルトはアヤラセンターにある庭園を配した高級ショッピングモールだが、平日の昼間に行けば、フィリピン人のビジネスマンやビジネスウーマンが日本円で1人2000円のランチを楽しんでいる姿を目にすることができる。この一角だけなら、銀座や六本木となにも変わらない。
もちろん、いまだにフィリピンが貧しいのは確かだ。
外国人だけでなく、中流以上のフィリピン人家庭でも住み込みのメイドや子守(ヤヤ)を雇うのがふつうだが、その費用はマニラでも月額5000ペソ(約1万円)程度(食事は雇用主負担)。ノイノイ・アキノ大統領が給与明細を公開して話題になったが、彼の月収は手取り6万3000ペソ(約12万6000円)だった。大統領職の報酬がこの金額なのだから、政府高官や警察幹部でも月収はせいぜい8万円程度。ここから住居費や家族の生活費を支払えば、ほとんどなにも残らない。すなわち、賄賂がなければ生きていけない。
この富の格差があるかぎり、フィリピンの若い女性が日本人の男に近づき、日本の中高年男性がフィリピンに引き寄せられる構図は続くだろう。しかしその一方で、この国が大きく変貌しつつあるのも事実だ。
そんななかで「日本人」の地位はどんどん低落しているが、そのことに気づいているフィリピン在住の日本人は少ない。そしてこの勘違いが、さまざまなトラブルを引き起こすのだろう。
後記:フィリピンの困窮邦人については、2021年に粂田剛監督によるドキュメンタリー『なれのはて』が公開された。
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