ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2013年6月公開の記事です。(一部改変)

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前回はアジアの道の渡り方について書いたが、今回は行列について考えてみたい。
参考:アジアの道の渡り方
アメリカの経済学者タイラー・コーエンは、「現代世界における、多くの“自由でない”社会の欠陥は、抽象的な行動規則を遵守しないことや、そうした規則を有益な抽象的メカニズムとして理解しないことである」と述べる(『フレーミング「自分の経済学」で幸福を切りとる』 久保恵美子 訳/日経BP)。
コーエンは、「人々が整然と行列を作って待つことをしなかったり、車の運転手が車線を守らなかったりする国では、たいてい経済や政治に深刻な問題がある」という。
ルールを守る社会、守らない社会
ルールに従って行動することが当然と見なされる国は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどアングロサクソンの移民国家、イギリスと北ヨーロッパ(ドイツ、スイスを含む)および日本で、これは世界でもっとも成功している国々でもある。
だが、行列するのは先進国ばかりではない。
太平洋に面した南北4300キロの細長い国土に1700万人が暮らすチリは、近隣諸国と比べて人々が法律や暗黙のルールを守る傾向がはるかに強く、汚職が非常に少なく、警察官を買収するのは不可能だ。輸出額の約6割を銅が占める資源国だが、自由貿易協定(FTA)を積極的に進めてきたことで、現在は南米の金融センターに育ちつつある。インフレで大規模なデモがつづくブラジルや、保護主義で経済成長が止まったアルゼンチンなど南米の大国と比べてもその成功は明らかで、国民1人あたりのGDPは1万4000ドルを超え、中南米でもっともゆたかな国のひとつになった。
コーエンは、先進諸国やチリとは逆に、抽象的な秩序をつくることに失敗した国家としてロシアを挙げる。現在のロシアは、国民の教育水準が高いにもかかわらず(そして多くの天才的な学者を輩出してきたにもかかわらず)、言論や報道の自由はなく、資源の大半は国やマフィアの手で管理され、汚職が横行している。
ロシア人の妻を持つコーエンは、この国のひとびとの気質を次のように描写する。
ロシア人のなかには、自由な社会の裏にある規範や原則を守るという強い意思に欠ける者があまりに多い。そのかわり、自由を愛する人々の大半を含む大多数のロシア人は、友人や、理想としての友情を何よりも大事にする。この愛着心はきわめて情緒的で、ごく限られた人間関係に向けられるものであり、抽象的なものや秩序の原則に対するものではない。友人とのつながりも、国家に対する義務や、抽象的な秩序の原則を守ろうとする考えよりも優先される(略)。
多くのロシア人は大規模な政治主体には冷笑的で、その意味では政治の大きな原則に対しても同様である。また、第一次世界大戦や共産主義の経験から、彼らは友人に頼って生き延びることに慣れている。このため、どんな政治状況でも排他主義やえこひいきが自然に生じやすく、したがって汚職にも流れやすい。一般的な公民意識も薄く、成分憲法はほとんど、あるいはまったく意味を持たない(略)。とはいえ、そのいっぽうで、大多数のロシア人は非常に温かで愛情深い人々である(略)。その温かさには、友達や家族といった仲間たちとの、きわめて個人的な深い絆が反映されている。
中国では「割り込まれるのは自己責任」
アジアの国々のなかで、行列のルールを守らないことでもっとも悪評高いのが中国であることは間違いない。中国のひとびともまた、日中戦争や国共内戦、文化大革命などの苛酷な現代史のなかで、国家を信用せず、同郷の親族や友人を頼って生き延びることを余儀なくされてきた。
中国で行列に並んでいると、必ずといっていいほど、横入りをしようとする場面を目にする。彼らは知人を探すような素振りで列の横を歩き、友だち同士で話をしていたり、携帯を操作しているひとを見つけると、顔を伏せたままなに食わぬ顔でその前に入っていく。横入りをされた中国人は、気がついているのかもしれないが、そのことで文句をいったりはしない。
こうした光景は日本人にとってかなり違和感があるが、「中国だからしょうがない」と思いがちだ。しかし欧米人には許し難いらしく、上海万博を見学してきたというアメリカ人は、「ツアー客全員で肩を組んで行列への横入りを阻止した」といっていた。
中国では、買い物でレジに並んでいると、商品と紙幣をカウンターに突き出して割り込まれることもある。これをブランドものを身につけた裕福そうな女性がやったりするから、頭に来るというより唖然とする。
日本人はレジで支払をするひとの真後ろに立つのは失礼だと思っているから、無意識のうちにわずかに距離をとる。中国人にとってはこれが、「つけ入る隙のあるトロい奴」と見えるらしい。そういうときは「つけ入る」のが、14億人の社会でサバイバルする必須の技術なのだ。
こんなときいつも不思議に思うのは、店員は割り込みを知っているにもかかわらず、いっさい注意したりしないことだ。列の管理は自分の仕事ではなく、客と口論になったら面倒なだけだと思っているからだろう。中国では、「割り込まれるのは自己責任」だ。
これが日本だとどうなるのだろう。
あるとき、近所のデパートの食品売り場のレジに並んでいたら、一人の中年女性が列の先頭に割り込んで、先に会計してくれといいはじめた。女性の言動は明らかに異常で、同じ話をえんえんと繰り返し、店員の話をいっさい聞こうとはしない。それでもレジの女性店員は、列に並ぶよう説得して頑として譲らなかった。その押し問答は、列に並んでいた男性が「もういいよ。アタマがおかしいんだから先にやってやれよ」と仲裁するまで終わらなかった。
この出来事は、日本が「割り込ませた責任」を問う社会だということを示している。だから店員は、列に並ぶ客の同意が得られるまで、ルールに違反した要求に応じることができない。
日本人と中国人では、秩序に対する感覚がまったく異なっているのだ。
誤解のないようにいっておくと、中国でもほとんどのひとは行列に並んでいて、横入りや割り込みをするのはごく一部だ。だがそれでも、中国社会が欧米や日本とは異なるルールで動いているとはいえるだろう。
私は中国語が話せないので何度も悔しい思いをしてきたが、あるとき航空会社のチェックインで並んでいたら、外国人観光客を連れた若い女性ガイドに割り込まれた。あまりに露骨なので、「私が先に並んでいるんだから順番を守ってください」と注意した。
彼女はきょとんとした顔で振り向き、私が外国人であることがわかると、「どうぞ、どうぞ」と態度を豹変させた。
中国では、外国人相手の観光ガイドはまだエリートの職業のひとつだ。英語を話す彼女は高い教育を受けているのだろうが、それでも自分が割り込むことにまったく罪悪感を持っていなかった。
彼女の態度が変わったのは、中国人だと思っていた私が外国人だったからだ。横入りや割り込みがルール違反だということは、もちろん彼女も理屈ではわかっている。だが同じ中国人相手ならルールを破ってでも得をした者が勝ちで、自分だけがルールを守るのはバカを見るだけなのだ(顧客である外国人旅行者に対しても、強引に割り込むことでガイドとしての能力を誇示できるのだろう)。
ルールを守らない社会は独裁制を正当化する
列に並ぶかどうかが社会的・文化的に決まるのは、同じ華人の国でもシンガポールが世界でもっとも規律の厳しい社会をつくったことからも明らかだ。中国人が「公共」よりも私的ルールを優先するのは、国が大きすぎ、人口が多すぎるからだろう。
それに対して日本人は、明治時代の初期には早くも公共空間のマナーが確立し、ひとびとは整然と行列していた。それと同時に、中国や東南アジアなど他のアジアの国々とはちがって、汚職や縁故びいき(ネポティズム)の少ない“近代的”な統治システムをつくった。
「日本はムラ社会」だとよくいわれるが、実はアジアのなかでは日本はもっとも「ムラ社会」性が少ないことに特徴があるという話は、拙著『(日本人)』(幻冬舎文庫)で書いた。日本人は同郷や親族に対してきわめて淡白で、近代化とともに故郷を捨てて都市に移住し、軍や行政機関は試験と能力によって幹部を選別し、縁故採用はあっても一段低く見られた。こうした“世俗性”が、アジアのなかで日本がいち早く西洋型の近代に適応できた理由だろう。
私たちは、横入りや割り込みがルール違反で、列に並ぶのが公平で効率的なシステムだとごく自然に思っているが、こうした抽象的なルールを受け入れる社会は少数派で、稀少な資源をちからずくで奪うのを当然とする社会の方が多いのが現実だ。
産業革命当時のイギリスや、西部開拓時代のアメリカも混沌とした野蛮な社会だったが、そこから急速に“公共空間”が立ち上がっていった。その一方で、いつまでたっても公共のルールが根づかない社会もある。
公共のルールを守るからゆたかになったのか、ゆたかになったからルールを守る余裕ができたのかは難しい問題で、おそらくは両者が相互に影響し合っているのだろう。それでも、「行列する社会だけが自由と平等を手に入れる」というタイラー・コーエンの指摘は興味深い。「日本人はなぜ行列できるのか」が、日本の近代化の謎を解く鍵なのかもしれない。
このことは同時に、行列への横入りや割り込みが当たり前のように行なわれているうちは、一党独裁による強権的な社会統治が正当化される、ということを示唆している。公共の秩序を自然に生み出すようなエートス(精神性)がなければ、自由はただ社会を解体させるだけだ。
こんどの旅で、上海から杭州に行くのに虹橋駅から高速鉄道を利用した。駅の構内に入るのに荷物の赤外線チェックがあり、10人ほどの列ができていたが、そこにいきなりスーツケースを持った男性がやってきて最前列に割り込んだ。
だがこのときは、後ろにいた若い女性が割り込んだ男性に激しく抗議した。男性は一瞬、躊躇したが、女性を先に通してその後に続いた。するとその後ろの女性も、やはり割り込まれたことに文句をいったのだ。
けっきょく男性はその後ろに割り込んだのだが、2人の女性が抗議の声をあげたことに正直驚いた。中国でも、公共のルールを守るべきだと考えるひとは明らかに増えている。
中国経済の減速が徐々に明らかになって、世界の金融市場が動揺している。たしかにこれまでのような、地方政府が国の信用で莫大な借金をし、不動産開発の利益を共産党幹部と業者が山分けするような成長モデルが長く続かないのは間違いない。
しかしそれでも、中国にはまだ大きな成長の余地がある。ひとびとが交通ルールを守り、整然と行列をつくる社会になれば、その小さな変化がやがて大きな波を起こすかもしれない。
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