いつまでたっても「親分子分」の政治の国 週刊プレイボーイ連載(593)

自民党の裏金事件を受けて岸田首相が名門派閥・宏池会の解散を決め、残る5派閥のうち3派閥が追随する事態になりました。所属議員が逮捕されたり、会計責任者が略式起訴されたとしても、これほどあっさり派閥を解散したことに驚いたひとも多いでしょう。

この背景を理解するには、そもそも近代的な政党政治では、派閥の存在を正当化できないことを押さえておかなくてはなりません。

議員内閣制では、首相を目指す政治家は同じ志の仲間を集め政党を結成し、選挙で多数派を獲得することを目指します。政党が大きくなれば、党内で複数の有力政治家が覇を競うということも起きるでしょう。ヒトは徹底的に社会的な動物で、ごく自然にグループをつくって協力し合うのですから、こうした意味での「派閥」は世界中のどの政党でも見られます。

日本の政治でなにが特殊かというと、派閥が独自の組織をもち、資金を管理し、大臣登用などの人事に大きな影響力をもつことです。こんなことは、すくなくとも欧米の政党ではありえません。

戦後日本では長く自民・社会の二大政党制(ただし政権交代がない)が続きましたが、どちらも党内に有力派閥を抱えていました。しかし政党政治の原理では、独立した組織をつくるのなら、党を割って新たな政党を結成しなくてはなりません。そうでなければ、有権者の投票とは無関係に、党内の権力争いで政権が決まることになってしまいます。

派閥には入会と脱会の「儀式」があり、複数の派閥に所属することは許されず、誰がどの派閥のメンバーであるかが明示されています。「党のなかに党がある」というこの矛盾は、じつは早くから意識されていました。自民党の歴史は、1963年に党組織調査会が「派閥解消」を答申して以来、88~89年のリクルート事件や、2009年に政権の座から陥落したときなど、何度も派閥解消が叫ばれては復活する繰り返しでした。

政党政治では、政党が資金を集め、それを所属政治家に分配するのは当たり前です。ところが派閥が同じことをすると、法的な根拠があいまいになってしまいます。こうして、集めた資金を裏金で処理しなくてはならなくなったのでしょう。もともと派閥が「オワコン」で、持続不可能なことはみんなわかっていたのです。

派閥は「親分子分」の関係で、子分は忠誠をつくし、親分は子分の面倒を見ることが当然とされました。日本社会でこれにもっとも近い組織は、山口組などの広域暴力団でしょう。どちらも組=派閥の連合体で、互いに競い合いながら、もっとも大きな影響力をもつ組織が権力を握ったり、傀儡をトップに立てたりするのです。

1994年に与野党の合意のもとに中選挙区制から小選挙区制への政治改革が行なわれたのは、派閥政治からの脱却が不可避という認識が共有されていたからでした。それでも派閥を解消できなかったのは、これが日本の土着社会に根づいた支配原理だからでしょう。しかし終戦後80年ちかくたって、いまだにヤクザ映画のような政治をやっているのはあまりに異常です。

私はこれまで繰り返し、「日本は近代のふりをした身分制社会」だと述べてきました。この事件を奇貨として、日本社会は親分子分の政治から決別できるでしょうか。

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