トランプ大統領を生んだ「ケンブリッジ・アナリティカ事件」とはなにか?

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年6月4日公開の「ブレグジットとアメリカのトランプ大統領誕生に多大な影響を与えたケンブリッジ・アナリティカ事件の内幕と「行動マイクロターゲティング」の手法」です(一部改変)。

ブリタニー・カイザー(Netflix『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』予告より

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ブリタニー・カイザーの『告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル』(染田屋茂、道本美穂、小谷力、小金輝彦訳、ハーパーコリンズ・ジャパン)は、ケンブリッジ・アナリティカ事件の内幕を描いたとても興味深い本だ。それに加えて、いまアメリカ全土で起きている混乱の背景を知ることもできる。といっても、まずは「ケンブリッジ・アナリティカ(CA/Cambridge Analytica)」とはなんなのか、から説明しなくてはならないだろう。

2016年は現代史に長く記憶される2つの大きな政治的事件が起きた。いうまでもなく、イギリスの国民投票でのEU離脱(ブレグジット)とアメリカのトランプ大統領誕生だ。選挙コンサルティング会社であるケンブリッジ・アナリティカは違法に収集した有権者の個人データを使って両者の選挙結果を操り、「(リベラルにとっての)災厄」をもたらした悪の元凶としてはげしく非難され、この「データゲート事件」によって2018年に会社は消滅した。

『告発』の著者ブリタニー・カイザーは1987年にテキサス州ヒューストンに生まれ、シカゴで育ち、イギリスで大学教育を受けたあと、博士論文を書きながら給料のいい仕事を探していた。カイザーは共働きの裕福な家庭に育ったが、エンロンに勤めていた母親が2000年の倒産(エンロンショック)で仕事を失い、ついで父親が経営していた不動産会社が2008年のサブプライム危機(リーマンショック)で破綻し、父もうつ病を患ってしまったのだ(その後、じつは脳腫瘍だったことがわかる)。

カイザーは熱烈な民主党支持者で、大学生のときに、オバマ前大統領の2008年の選挙運動にソーシャルメディア担当として参加した。そこでコンサルタントの仕事に興味をもったが、2016年の大統領選に向けてのヒラリー・クリントンのキャンペーンや人道支援運動にはよい仕事がなかった。

2014年、カイザーはオバマの選挙活動で知り合った友人から、中央アジアのある国が選挙活動でソーシャルメディアに詳しいコンサルタントを探していると、ロンドンのレストランでの会食に誘われた。そこには同じように売り込みにきていた男がいて、アレクサンダー・ニックスと名乗った。

ニックスはケンブリッジ・アナリティカのCEOで、1975年生まれだからそのときは40歳前だった。カイザーは26歳で、この出会いをきっかけにニックスから入社を誘われ、波乱に満ちた3年間を過ごすことになる。

本書の原題は“Targeted: The Cambridge Analytica Whistleblower’s Inside Story of How Big Data, Trump, and Facebook Broke Democracy and How It Can Happen Again”(『ターゲットにされて ケンブリッジ・アナリティカ内部告発者のインサイドストーリー。ビッグデータ、トランプ、フェイスブックはどのように民主政を破壊し、それはどのようにもういちど起きるか』)。Targetedとは、自分がターゲットにされたことと、ケンブリッジ・アナリティカが有権者をターゲットに選挙結果を操作していることをかけているのだろう。

ケンブリッジ・アナリティカ誕生まで

まず、本書と英語版Wikipediaを参考に、ケンブリッジ・アナリティカの数奇な短い歴史をまとめてみよう。

1989年、ナイジェル・オークスというイギリス上流階級出身のビジネスマンが非営利のシンクタンク「行動ダイナミクス研究所(BDI/Behavioral Dynamics Institute)」を設立した。オークスは貴族の生まれで、イートン校で教育を受け、グローバル広告代理店サーチ&サーチやテレビ制作の仕事をしたのちBDIを設立した。

その趣旨は「コミュニケーションを通じて人間の行動を理解し、その行動に影響を与える方法を研究する」ことで、ケンブリッジ大学の心理学研究者などといっしょに、行動心理学、社会心理学、脳科学などの最新の知見をマーケティングに活用して商業利用する可能性を探ろうとした。――オークスは、イギリス王室の親戚でもあるレディ・ヘレン・テイラーの「2人目の真剣なボーイフレンド」としても知られている。

1993年、オークスは「心理学者や人類学者によってもたらされた学術的な洞察を使って従来の広告手法をより実り多いものにする」ために「戦略的コミュニケーション研究所(SCL/Strategic Communication Laboratories)」を設立した。BDIはSCLの非営利の外郭団体(約60の学術機関と数百人の心理学者からなる共同事業体)となり、エリザベス女王のいとこが理事に名を連ねた。こうした経緯を見るかぎり、「イギリスの上流階級が大衆を操作する手法を研究し、実践するためにつくった会社」というのがその実態のようだ。

アレクサンダー・ニックスはロンドンの高級住宅地ノッティングヒルで育ち、イートン校で学んだあとマンチェスター大学で美術史の学位を取得し、メキシコで英系投資銀行の融資の仕事をしていた。ニックス家はイギリスのジェントリー(地主階級)出身で、祖先は東インド会社で財をなし、父親は投資銀行家で、SCL創設者ナイジェル・オークスの友人かつ同社の株主でもあった。

2003年、28歳のときにニックスは投資銀行を辞めてSCLに参加する。当時は9.11同時多発テロ(2001年)の余波で、各国がテロ対策に力を入れたこともあって、SCLはいくつかの政府のパートナーになっていた。だが世界金融危機で防衛予算が削減されると、これまでのやり方では利益をあげられなくなり、2010年にオークスはSCLをニックスに任せ、選挙コンサルティングビジネスへと転身を図ることになる。――同じ年に、ニックスはノルウェーの億万長者一族の女性と結婚している。彼女はロンドンで育ち、ニックスと同じく馬術とポロの熱心な競技者でもあった。

SCLを引き継いだニックスは、営業のターゲットをアメリカに定めた。2008年につづき12年の大統領選でもオバマに完敗した共和党=保守派は、従来の選挙活動ではITとSNSを駆使する民主党に対抗できないとの強い危機感を抱いていた。

そんなところに「イギリス上流階級」の洗練された若者が、最先端の心理学とビッグデータを駆使した選挙戦術を売り込みにきた。ニックスはたちまちアメリカの保守派に人脈をつくり、オルタナ右翼のニュースサイト「ブライトバート・ニュース」設立者であるスティーブ・バノンと知り合い、バノンから大富豪のロバート・マーサーと娘のレベッカを紹介された。

マーサーはコンピュータサイエンスの天才で、1970年代にIBMで初期の人工知能を研究したあと、40代後半(1993年)で天才数学者ジェームズ・サイモンズが率いるヘッジファンド、ルネッサンス・テクノロジーズに参加し、そこでの成功によって莫大な資産を築くことになる(主要ファンドのメダリオンは1989年から2006年のあいだに年平均39%の収益をあげた)。

60歳でヘッジファンド業界から身を引くと、マーサーは次女のレベッカとともにアメリカ政治に深くかかわるようになり、「超保守主義のリバタリアン」として、共和党・保守派の主要な資金提供者の一人になっていく。そんなマーサーが、選挙に「科学」を持ち込んだSCLとニックスに関心をもつのは当然だった。

2012年、ニックスはマーサーから1500万ドルの出資を受けてアメリカで新会社を設立する。「ケンブリッジ・アナリティカ」という社名はスティーブ・バノンが命名したという。

ここまでが、カイザーがニックスと出会う「前史」だ。ニックスがなんの経験もなく野心しかない20代のアメリカ女性を営業で雇ったのは、アメリカの保守政界に食い込むのに役に立つと考えたからだろう。

謎の男アレクサンダー・ニックス

『告発』の魅力のひとつは、著者のカイザーがイギリスの“上流階級のなかの上流階級”で、世界じゅうの選挙結果を操ろうとするアレクサンダー・ニックスという謎の男と3年にわたって身近に接してきたことだ。とはいえ、ニックスがそもそもなにを目的にしていたのかは最後までよくわからないままだ。

イギリスの大富豪の一族に生まれ、ノルウェーの大富豪を妻に迎えたニックスには、カネのために働く理由はまったくない。だがニックスは報酬の支払いにはきびしく、「この仕事でいくら儲かるか」に執着していた。

カイザーがSCLをはじめて訪れたとき、バッキンガム宮殿のグリーンパーク近くにある事務所は「1960年代から一度も改装していないような古いビル」で、「名も知れない小さな新興企業のオフィスが集まっていて、SCLもビタミン飲料の会社と廊下を共有していた」「1階の会議室に通じる廊下には、小さな瓶が詰まった木箱が所狭しと置かれ、足の踏み場もない。会議室は全入居者の共有スペースになっていて、使うときには時間単位で料金を支払う必要があるらしい。アレクサンダーのような上流階級(ボッシュ)の政治コンサルタントのオフィスとして想像していたのとはまるで違っていた」と描写されている。

「そもそもSCLのオフィスは、大物の実業家や国家元首を連れてくるような場所ではない。狭く、窓もなく、正午頃でも薄暗かった。カーペットはすり切れたグレーの工業用のもので、吊り天井は小さなくぼみででこぼこしており、奇妙な染みがついていた。ふたつのガラスボックス(幹部とデータサイエンティストの部屋)を除けば、およそ90平方メートルのひと部屋にスタッフ全員が押し込まれ、机を寄せてつくったふたつの島の周りを取り囲んでいた。ほかには、内密のミーティングができる唯一のスペースとして2.5メートルか3メートルほどの小さな部屋があり、テーブルがひとつと椅子がいくつか置いてあった。エアコンがないので「スウェットボックス」と呼ばれていた。社員たちが缶詰のイワシのように「スウェットボックス」に詰め込まれているあいだ、アレクサンダーは見込み客を近くの洒落たバーやレストランで接待するのだ」

この雑居ビルの狭いオフィスで働いていたのはルーマニア人やリトアニア人のデータサイエンティストで、それを仕切っていたのはケンブリッジ大学の同級生である2人の博士だった。卒業後は金融機関や石油サービス会社で働いていたが、「最先端のデータプログラムを設計する機会と自分の裁量で仕事のできる機会を求めてSCLに移ってきた」のだ。――SCLには一時期、グーグルの元CEOエリック・シュミットの娘ソフィアもインターンで働いていた。

ニックスは、政治的イデオロギーにまったく興味がなかったようだ。アメリカの保守派に近づいたのは、民主党=オバマ陣営がすでに選挙でSNSを活用しており、食い込む余地がなかったからだ。ブレグジットにかかわるようになったのも、マーサーやバノンから英国独立党(UKIP)など離脱派を紹介されたからだった。

2016年の共和党大統領候補を決める予備選では、SCL=ケンブリッジ・アナリティカはテッド・クルーズとトランプ陣営に助力していた。そのときニックスは、カイザーにこういっている。

「トランプが大統領になるなどと考えているのはもちろん馬鹿げている(中略)。米国人はそんなことを考えないし、多くの人が笑い物にしている。(テッド・)クルーズや(マーク・)ルビオ、あるいはほかの誰かが共和党の指名を獲得し、結局はヒラリーに負ける」

ニックスは天性の営業マンで、彼が夢中になるのは「大衆を操って選挙に勝つ」というゲームと、世界じゅうの有名人とレストランやバー、パーティーなどで飲み騒ぐことだったようだ。ニックスはカイザーに、「(個人情報を使って選挙結果を操ることは)西部開拓時代と同じだよ」と述べた。

「行動マイクロマーケティング」の驚くべき効果

カイザーは、ケンブリッジ・アナリティカが行なっていたのは「PSYOP(サイオプ)」だという。Psychic Operation(心理作戦)のことで、Psychic War(心理戦争)を言い換えたものだ。

PSYOPの基本は「行動させるコミュニケーション」だ。クライアントへのプレゼンテーションでは、ニックスはこれを、プライベートビーチに一般人が入ってこないようにするにはどうすればいいかで説明する。

対処法のひとつは、四角い白い看板に「パブリックビーチはここまで」と書いた看板を立てることだが、これはまったく効果がない。もうひとつの対処法は、鉄道の踏切のような鮮やかな黄色の三角形の標識に、「注意! サメの目撃情報あり」と書くこと。こちらはものすごく効果がある。コミュニケーションの仕方によって、ひとびとの行動は自由に操作(operate)できるのだ。

ニックスはクライアントに、「弊社は広告会社ではありません」と説明する。「人の心理を見抜く力を備え、科学的に厳密なコミュニケーションを行う会社なのです。政治運動やコミュニケーション活動が陥りがちな最大の誤りは、めざす目標地点ではなく、現在いる場所から始めようとすることです」

「現在いる場所」とは、たとえば目の前にある(売りたい)商品だ。映画館でコーラの販売量を増やしたいと相談すれば、広告代理店の営業マンは「販売場所にもっとコーラをたくさん置きましょう。コーラのブランド化が必要です。映画の前にコーラの宣伝をする必要もあります」というだろう。

だがニックスは、「それは全部コーラのことだ」という。「ここで立ち止まって、ターゲットとなる観客に視点を移し、『いったいどんなときにコーラをもっと飲みたくなるのだろう』と考えてみてください」

そして次のスライドで、映画館の空調の温度がどんどん上がっていく様子を見せる。「やるべきなのは、ただ劇場の室温を上げることなのです」

大衆を動員する手法は、全体主義(ナチズム)の研究などで繰り返し取り上げられてきた。SCLの新しさは、大衆をセグメントに分類して、それぞれのグループに最適な「行動させるコミュニケーション」を開発し、さらに効果を高めていることだ。これが「サイコグラフィクス」で、性格タイプに合わせて特定のメッセージを送ることは「行動マイクロマーケティング」と呼ばれる。

サイクゴラフィックスのベースになるのが「ビッグファイブ理論(OCEANモデル)」で、パーソナリティ(そのひとらしさ)は、「開放的(Open)」「堅実(Conscientious)」「外向的(Extroverted)」「協調的(Agreeable)」「神経質(Neurotic)」の5つの特性の組み合わせで理解できるとする。

銃規制に反対するキャンペーンを行なうとき、サイコグラフィックスで「閉鎖的で協調性がある」とされたグループには、伝統と家族の価値を強調する言葉とイメージを使った広告が効果がある。

それに対して「外向的で協調性に欠ける」グループは、「何に関しても自分の意見を聞いてもらいたがる」「自分にとって何が最善か知っていて、何事も自分で判断したいと思っており、人の指図を受けることを、特に政府から指図されるのを嫌う」とされる。「自助自立」を重視するこうしたターゲットは、女性が拳銃を振りかざし、きびしい表情を浮かべ「私が拳銃をもつ権利を問題にしないでほしい。あなたが拳銃をもたない愚かさを問題にしないから」という広告に強く反応したという。

ケンブリッジ・アナリティカはビッグファイブ理論をもとにターゲットを32の主要な性格グループに分け、それぞれのグループごとに最適化された広告をつくるだけでなく、それを20~30ものバリエーションにして異なる時間に送信し、ソーシャルメディアの異なるフィードに掲載して、なにがいちばん効果的かを検証した。ランダム化比較試験によって、もっとも費用対効果の高い広告を効率的に見つけようとしたのだ。

世界を揺るがした「若き天才」たち

ケンブリッジ・アナリティカのPSYOPが成功するためには、ターゲットとなる有権者の膨大なビッグデータが必要だ。疑惑の焦点は、それをフェイスブックから不正に入手したのではないかというものだった。

2015年12月、英紙ガーディアンが、アレクサンドル・コーガンなる「ロシアと関係の深い」ケンブリッジ大学の講師が、フェイスブックのデータをケンブリッジ・アナリティカに提供したとの疑惑を報じた。記事によれば、コーガンは2014年にアマゾンの「メカニカルターク」で「これがあなたのデジタルライフです」という性格診断クイズを実施し、応じたユーザーに1ドルずつ払った。ユーザーがフェイスブックでこのクイズに回答すると、「友だちAPI」によって、ユーザーと友だちリストにある全員のデータが取り込まれた。コーガンは回答者の性格をモデル化するプログラムとフェイスブックのデータセットをケンブリッジ・アナリティカに売ったというのだ。

だがこれについては、関係者の主張が錯綜している。カイザーは、「友だちAPI」の機能を使えば膨大なデータを入手することは可能だが、これはフェイスブックがビジネスとして行なっていたことで、「2012年のオバマキャンペーンでも友だちAPIは使われていた」と指摘する。オバマ陣営の中心的なデータサイエンティストは、「自分はオバマ・フォー・アメリカのデータ統合プロジェクトすべてにかかわっていたが、データに関してはルールに従って行動していたので恥じることは何もなかった。ただひとつ、『友だちAPI』だけは不気味に感じていた」と書いている。

ケンブリッジ・アナリティカは、独自の方法でフェイスブックからデータを収集してもいた。「セックス・コンパス」では、ベッドでの好きな体位といった性的嗜好を探る質問によって「性的性格」を診断し、「ミュージカル・セイウチ」では、マンガっぽく描かれた小さなセイウチが「本当の音楽的アイデンティティ」を判定する。こうした人気アプリを使ってユーザーと彼らの「友だち」のすべてのデータを集めるのだが、これはクレジットカード会社から信用情報を合法的に購入するのとまったく同じで、会社案内のパンフレットにも「フェイスブックの3000万人を超えるデータをはじめ、約2億4000万の米国人のデータを保有している」と公式にうたっていた。

フェイスブックが方針を変更して「友だちAPI」によるデータ収集を禁じたのは2015年のことで、だとすればコーガンの行為も、彼からデータを購入したケンブリッジ・アナリティカもまったく問題ないことになる。実際、フェイスブックはケンブリッジ・アナリティカに対して、「サーバーからフェイスブックのデータを削除してバックアップがないことを確認した」とのメールを受け取っただけで満足し、それ以上のことはなにもしなかった。

話をさらに混乱させるのが、ガーディアンにこの情報を提供したクリストファー・ライリーという若者だ(1989年生まれで当時26歳)。カイザーと並ぶもうひとりの「内部告発者」で、緑色に染めた髪に眼鏡の風貌を覚えているひともいるだろう。

医師と精神科医の両親のもとにカナダのヴィクトリアで育ったワイリーは、子ども時代にディスレクシア(難読症)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されたコンピュータの天才で、まさにハッカーの典型のような人物だ。

ワイリーの経歴はカイザーと驚くほど似ていて、学校をドロップアウトしたあとカナダのリベラル政党の選挙キャンペーンにかかわり、2008年のオバマの選挙活動にボランティアとして参加した。その後、ロンドンの大学に進み、2013年(カイザーの1年前)にSCLでデータサイエンティストとして働きはじめる。

そこでの役割についても関係者で意見が食い違っているが、英語版Wikipediaの記述によると、ワイリーはSCL時代にサイコグラフィックスの手法を習得し、ケンブリッジ・アナリティカのサーバーから8700万人のフェイスブックユーザーのデータセットを不正にもちだして、ケンブリッジ・アナリティカのシニアスタッフとともにユーノア・テクノロジーズ(Eunoia Technologies)という会社を設立し、ブレグジットやトランプ陣営に売り込みにかかった。

当然、ケンブリッジ・アナリティカのニックスと法的紛争になり、2018年にユーノアは解散・閉鎖された。そして同年3月、ワイリーはケンブリッジ・アナリティカのスキャンダルの内部告発者として華々しくデビューすることになる(著書に“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world”(マインドファック ケンブリッジ・アナリティカの世界破壊作戦の内幕)がある。

それに加えてさらに話をややこしくするのは、マイケル・コジンスキーなる元ケンブリッジ大学心理統計学センター講師(現在はスタンフォード大学准教授)が現われて、「ケンブリッジ・アナリティカのサイコグラフィックスは自分がつくった」と主張したことだ。コジンスキーは2008年に博士後期課程の学生としてポーランドからケンブリッジにやってきて、同僚が開発した「マイ・パーソナリティ」というフェイスブックのアプリを使って、何百万というフェイスブックのユーザーに関する正確なモデルを構築した。

2014年にそれを聞きつけたコーガンが商用利用の目的で接触してきたが、コジンスキーは申し出を断った。その後コーガンは、おそらくは不正な手段でコジンスキーのデータセットを入手し、ケンブリッジ・アナリティカに持ち込んだというのだ。

真相がどこにあるかは、疑惑の中心であるアレクサンドル・コーガンがシンガポールに逃れ、映画『007 スペクター』からとった「アレクサンダー・スペクター」という偽名で隠れ住むようになったことで藪の中になった。コーガンは1985年(あるいは86年)に旧ソ連領のモルドヴァに生まれ、ロシアのサンクトペテルブルク大学と関係があるほか、中国政府からも研究資金を得ているとされる。

このように「データゲート事件(ケンブリッジ・アナリティカ スキャンダル)」には多士済々な人物が登場するが、興味深いのは、カイザー、ワイリー、コーガン、コジンスキーなどがみな1980年代生まれで、事件当時は20代か30代前半だったことだ。ブレグジットとトランプ大統領誕生という世界を揺るがした大事件の背後には、「若き天才」たちがいた。

フェイスブック、グーグル、ツイッターはトランプ陣営に協力していた

ケンブリッジ・アナリティカの行動マイクロターゲティング戦略は、2016年の大統領選の結果にどれほどの影響を及ぼしたのか。最後に、カイザーによる評価をまとめておこう。

ニックスたちは、保守派の有権者を「コア・トランプ有権者(選挙活動に動員する)」「投票させるターゲット(投票する気があるが行くのを忘れるかもしれない者たち)「無関心なトランプ支持者(予算が余ったときにだけ働きかけかける)」、リベラルな有権者を「コア・クリントン支持者(なにをしてもムダ)」「あいまいなクリントン支持者(投票を思いとどまらせる)」グループに分けた。

さらに、説得可能な有権者の性格タイプが州ごとにちがうことも割り出した。たとえばアイオワ州の保守派は「ストイック」「世話好き」「伝統主義者」「衝動的」で、サウスカロライナ州の保守派は「衝動的」の代わりに「個人主義者」が入る。「ストイック」な有権者へは伝統、価値観、過去、行動、結果といった言葉を織り交ぜたメッセージを送り、「個人主義者」は決断や防御といった言葉を含むメッセージが効果的だった。

選挙後の評価では、こうした心理的働きかけの結果、トランプの好感度を平均で3%上昇させ、「投票させる」キャンペーンでは有権者の不在者投票の申請を2%増加させたという。オンライン広告を見た14万7000人の調査では、11.3%がトランプに好感をもつようになり、トランプに投票する意思がある有権者が8.3%増加した。「トランプが僅差で勝ったことを考えると、これは大きな成功」だとカイザーはいう。

PSYOPのもうひとつの目的は、ヒラリーへの投票を思いとどまらせることだった。「フェイスブックのビデオ広告によってトランプに投票する意思をもつ人が3.9%増加し、ヒラリーに投票する意思をもつ人が4.9%減少した」とされるが、そのときに大きな効果を発揮したのが、ニュース記事とまったく同じに見える「ネイティブ広告」だ。

「非常に神経質」に分類されたひとたちには「怖がらせる」メッセージがもっとも効果的で、「ヒラリーは米国を破壊する」というネイティブ広告は、対照群より20%も高い効果を示した。「中道左派の女性は実はやや保守的」という傾向もあり、「家庭を切り回せないようなら、ホワイトハウスは絶対に切り回せない」というミシェル・オバマの、2007年のオバマvsヒラリーの民主党予備選での発言を文脈から切り離し、夫の浮気に対してヒラリーを揶揄しているように見せかけるメッセージも効果的だった。ネイティブ広告は「費用は高くついたが投資効果は驚異的だった」とカイザーはいう。

もうひとつ重要なのは、「ケンブリッジ・アナリティカ経由だけでも1億ドルがデジタル広告に使われており、そのほとんどがフェイスブックに注ぎ込まれた」とのカイザーの指摘だ。莫大な選挙資金がIT大手に投じられた見返りとして、トランプの選対本部にはフェイスブック、グーグル、ツイッターから社員が派遣され、さまざまなサービスを提供した。

これをフェイスブックは「一段上のカスタマーサービス」、グーグルは「アドバイザーの立場」、ツイッターは「無償の労働」と説明した(クリントン陣営はフェイスブックの支援を断った)。――現在、tweetをめぐってトランプとツイッター社は対立しているが、大統領選では「カンバセーショナル広告形式」を使って、トランプのキャンペーンのツイートがヒラリーのツイートの上に表示される仕組みを提供していた。

カイザーは、「社会的弱者」にグルーピングされるのは多くが非常に神経質なひとたちで、恐怖を喚起する広告がきわめて大きな効果を発揮したと述べる。トランプ支持の「プアホワイト」だけでなく、ブレグジット支持者のなかの「落ちこぼれ」層も同じで、「恐怖心に訴えかけるメッセージを送れば、最も説得可能な人たち」だった(それ以外の離脱派の類型は「熱心な活動家」「若い改革者」「不満を抱く保守党支持者」)。

彼ら/彼女たちは「政治家、銀行、企業をはじめとするエスタブリッシュメントに対して猜疑心を抱き、自分の経済状況、公共秩序の悪化、そして将来全般に不安を感じ」ていて、とりわけ移民問題に関心が高い。「「恐れ」は神経質な人たちに限らず、誰に対しても、私たちのもっているどんなツールよりも効果的」なのだ。

白人警官が黒人の容疑者を死亡させた事件をめぐって、現在、アメリカ全土で大きな混乱が起きている。この事態に際してトランプは、州兵だけでなく米軍を派遣する意向を示し、対立をさらに煽っているように見える。

こうしたtweetは衝動的なように思えるが、それはトランプ選対本部のデータサイエンティストたちが、2020年11月の大統領選に向けての「効果な選挙活動」として戦略的に指示しているのかもしれない。「行動マイクロターゲティング」の手法を知れば、これを「陰謀論」として一笑にふすことはできなくなるのではないだろうか。

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