トランプ陣営が大統領選で有権者の心をハッキングした手法

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年7月2日公開の「人種間の対立をあえて煽るようなトランプ大統領の言動はすべて選挙対策である、と言える根拠」です(一部改変)。

ここで紹介した“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world”はその後、『マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』(牧野洋訳、新潮社)として翻訳されましたが、本文の引用は原書から訳しているので翻訳とは異なります。

クリストファー・ワイリー

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イギリスの選挙コンサルティング会社ケンブリッジ・アナリティカは、2016年のブレグジット(イギリスのEU離脱)とドナルド・トランプ大統領誕生を裏側で操ったとされる。その内幕を告発したブリタニー・カイザーのことは前回紹介した。

参考:トランプ大統領を生んだ「ケンブリッジ・アナリティカ事件」とはなにか?

じつはこの事件には、もう一人の内部告発者がいた。それがクリストファー・ワイリーで、カイザーと同じ2019年に“Mindf*ck: inside Cambridge Analytica’s plot to break the world.(マインドファック ケンブリッジ・アナリティカの世界破壊計画)”をイギリスの出版社から出している。

前回の記事を公開した直後に、リチャード・ドーキンスが“Please please please read Mindf*ck by Christopher Wylie(どうか、どうか、どうか、クリストファー・ワイリーの『マインドファック』を読んでください)”という一連のTweet(6月4日)をしてこの本を激賞した。それで興味をもって、このかなり長い物語を読んでみた。

発達障害の天才少年

クリストファー・ワイリーは医師の両親のもと1989年にカナダ・ブリティッシュコロンビア州に生まれ、イギリスの名門大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律を学んだ。卒業後、ロンドン芸術大学でファッションについての博士論文を書こうとしていたときに、(のちにケンブリッジ・アナリティカを設立する)SCL (Strategic Communication Laboratories/戦略的コミュニケーション研究所)を実質的に経営していたアレクサンダー・ニックスと出会い、2013年春、24歳のときにデータ・サイエンティストとして働くことになる。在籍したのは2014年末までのおよそ1年半で、その後に起きたブレグジットとトランプ当選に衝撃を受けて、内部告発者(whistleblower)になるまでの経緯を綴ったのが“Mindf*ck”だ。

一方、前回紹介したブリトニー・カイザーは1987年にテキサスの裕福な家庭に生まれ、ロンドンの大学を卒業後、やはり博士論文を書いていたときにSCL/ケンブリッジ・アナリティカに営業職として参加し、2014年11月から2018年1月まで約3年間在籍している。

このように二人の経歴はほとんど重なっておらず、ケンブリッジ・アナリティカ事件の前半(2013~14年)をワイリーが、後半(2015~18年)をカイザーが体験したことで、両者の証言を合わせるとそこでいったい何が起きたのかの全貌が見えてくる(ちなみに両者の証言は一致しているわけではなく、しばしば対立する)。

英語版Wikipediaによると、ワイリーは子どものときに難読症(ディスレクシア)とADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断され、発達障害(精神的不安定)を理由に学校から迫害を受けたとしてブリティッシュコロンビア州を提訴、6年の裁判を経て14歳のとき29万ドル(約3000万円)の賠償金を勝ち取った(この裁判の話は自伝には書かれていない)。

11歳のとき、ワイリーは歩行障害を起こす難病になり、翌年から車椅子生活を余儀なくされる。この障害によって学校ではいじめの標的になり、授業に出ずに校内のコンピュータ室にこもってウェブページをつくり、プログラミングを独学で習得したという。

15歳のとき、両親の勧めで大学主催のサマースクールに参加したワイリーは、そこでルワンダ虐殺の生存者と友人になったり、イスラエルとパレスティナの学生の討論を聞くなどしたことで政治に興味をもつようになった。この頃には、自分がゲイ(男性同性愛者)だと性自認していたようだ。

16歳で高校をドロップしたワイリーは、カナダ自由党の集会に参加し積極的に発言したことで、「車椅子で髪を染め、ゲイをカミングアウトしたハッカーの若者」として目立つ存在になっていた。このとき知り合った政党関係者からテクノロジー関係の手伝いをしないかと誘われ、2007年、18歳のときにモントリオール州オタワの政党本部のアシスタントになる。翌08年にはバラク・オバマの大統領選の視察メンバーに選ばれ、ビッグデータとSNSを活用した選挙キャンペーンに衝撃を受けた。これも奇妙な偶然だが、このとき大学生だったカイザーもオバマのキャンペーンにボランティアとして参加している。

オバマの選挙では、VAN(Voter Activation Network Inc.)というコンサルティング会社が有権者の個人情報を収集・活用する先進的なキャンペーンを構築していた。それを間近で観察してオタワに戻ったワイリーは、カナダ版のVANを設立しようとするが、その急進的な手法が強い反発にあったことで、20歳でカナダを離れロンドンで法律を学ぶことにする。

ところがそんなワイリーに、カナダ自由党からの紹介でイギリス自由民主党の関係者が接触してくる。アメリカ大統領選でデータの威力を見せつけられた欧米各国の政党関係者にとって、「新時代の選挙」の内実を知るハッカーの若者はきわめて利用価値が高かったのだ。

こうしてワイリーは、保守党・労働党に次ぐイギリスの第三政党でふたたびデータ主導の選挙キャンペーンを構築しようとするが、やはり急進的な提案が拒まれてしまう。政治に絶望し、ファッションを研究しようとロンドン芸術大学の博士課程に進んだときに、その経歴を知ったアレクサンダー・ニックスから誘いを受けたのだ。――ちなみにこの頃には、足を引きずりながらではあっても、車椅子なしで歩けるようになっていた。

ワイリーは自由民主党のリサーチでロンドン郊外の有権者に話を聞いたとき、政治は彼らにとってイデオロギーではなくアイデンティティ(私は何者で、どこに所属しているか)を示すものだということに気づく。それと同時に、性的マイノリティ(ゲイ)であるワイリーは、ファッションが自分のアイデンティティを示すツールだということを理解していた。

こうして、一流大学の法学部を優秀な成績で卒業しながら、アイデンティティと政治を結びつけるために芸術大学でファッションを学ぶ選択をするのだが、この若者の非凡さがよく現われているエピソードだろう。

オルタナ右翼の思想リーダー、スティーブ・バノン

SCLはもともとイギリス国防省やNATOなどに対テロ対策を指南したり、中南米諸国に対ドラッグ戦争での心理戦(PSYOP)を提案していたが、ニックスが主導権を握るようになってから、有権者を心理的に操って選挙結果を動かすサービスに注力するようになった。ワイリーはまさに、その渦中に身を置くことになる。

ワイリーの証言で興味深いのは、ケンブリッジ・アナリティカ誕生のいきさつだろう。それはちょっとした偶然から始まったという。

2013年夏、アメリカ共和党の選挙コンサルタントをしていたマーク・ブロックとリンダ・ハンセンの2人が、たまたま飛行機で元軍関係者の男と隣合わせた。ブロックはすぐに寝てしまったが、この元軍人はサイバー選挙のコンサルティングに関わっており、ハンセンとの雑談のなかでSCLについて話した。

飛行機が着陸すると、ハンセンは男から聞いた話をブロックに伝えた。マーク・ブロックは2012年の共和党大統領予備選で黒人保守派のハーマン・ケインの選挙対策本部長を務めた重鎮で、ミット・ロムニーがオバマに敗れたことで、共和党の新たな選挙戦略の構築に苦慮していた。この話に興味をもったブロックは、旧知のスティーブ・バノンに「イギリスの面白い会社」のことを教えた。

スティーブ・バノンはオルタナ右翼の思想リーダーの一人で、トランプの選挙対策本部長として辣腕をふるい、大統領上級顧問兼主席戦略官として政権中枢に抜擢されたものの1年で辞任、ジャーナリスト、マイケル・ウォルフの暴露本『炎と怒り トランプ政権の内幕』( 関根光宏、藤田美菜子訳、早川書房)でトランプの長男や娘婿のクシューナーを批判したためトランプとも疎遠になったとされる。

バノンはきわめて興味深い人物で、1953年にヴァージニア州のアイルランド系労働者階級の家に生まれ、ヴァージニア工科大学を優秀な成績で卒業したのち海軍に入り、従軍中にジョージタウン大学で修士号(安全保障論)を、退役後にハーバード大学ビジネススクールでMBAを取得、投資銀行ゴールドマン・サックスのM&A部門で働くようになる。1990年に退職した後はメディア関連の投資会社を起ち上げ、この時期に保守派の市民運動・政治活動にかかわるようになった。

2005年から08年まで、香港と上海でオンラインゲームの経営に携わったバノンは、保守系のニュースサイト、ブライバートニュースの創業者の死によって2012年に経営権を引き継ぐと、反オバマ、反ヒラリー・クリントンの大量のニュースを流すようになる。バノンがSCLにコンタクトをとったのはこの時期だった。

SCLのアレクサンダー・ニックス(1975年生)は上流階級出身の億万長者で、2010年にはノルウェーの億万長者の女性と結婚したが、ビジネスの世界で成功するという強烈な欲望に動かされていた。とはいえ、大学で美術史を学んだニックスはテクノロジーには不案内で、アフリカや中南米などの政治家・富豪相手の営業は、ロンドンの由緒正しいクラブで大英帝国の歴史に畏怖させた後、ウクライナやルーマニア出身の金髪美女を斡旋する類のものだった。

だがバノンは、美食や美女の接待になんの関心も示さず、ビッグデータや心理学を使った選挙戦略の詳細を知りたがった。そこでニックスは、ケンブリッジのホテルに宿泊するバノンのところにワイリーを派遣した。

インターンの身分に近い20代半ばのワイリーがこのような重要な役目を命ぜられるのは奇異に感じられるが、当時のバノンはマイナーな右翼ニュースサイトのオーナーでしかなく、世界各国の権力者たちと毎日のように会っているニックスにとっては、たんなる潜在顧客の一人でしかなかった。同時に、ワイリーがそれだけ優秀だったということでもあるのだろう。

バノンはこのときのワイリーのプレゼンテーションでSCLの心理操作に強い関心をもち、それを来るべき大統領選挙に使おうと考える。じつはバノンには、ヘッジファンド、ルネッサンス・テクノロジーズで巨万の富を手にした大富豪のロバート・マーサーというスポンサーがいた。こうしてバノンが、マーサーとSCLを仲介する。

ワイリーはバノンと何度か話をする機会があったようだが、ケンブリッジでの最初の出会い以外の詳細は書かれていない。ワイリーの観察で興味深いのは、当時60歳のバノンが「サブカル右翼」に近いとの指摘だ。

バノンはオンラインゲームの会社を経営しているとき、ネットの「炎上」騒動に巻き込まれた。自社のサービスがゲームユーザーの逆鱗に触れたのだが、そのやりとりのなかでネットに生息する若者たちの鬱屈に気づいたようだ。多くは「インセル“involuntary celibate/非自発的禁欲主義者”」を自称する非モテの男性で、性愛から排除され、社会や女性(フェミニズム)に強い怒りを抱いていた。バノンはその怒りが、社会を変革するエネルギーになると直観したのだ。

ワイリーによれば、バノンは思想家というよりも、レーニンやトロツキーのような「革命家」だ。理想とする社会の確固としたイメージ(すべての個人が完全な自由を手にし、自助自立で生きていく夜警国家)があり、それを実現するために、社会の奥底でくすぶる大衆のマグマを噴火させようとしていた。

バノンはその経歴からもわかるようにきわめて賢い人物だが、古典から学ぶようなことはせず、知識の多くをネットから得ていたようだ。宗教を信じているわけではないが、その言動はかなりオカルティックで、仏教やヒンドゥー教のダルマ(宇宙の秩序)について語り、「アメリカ人の運命」を実現する「救世主」を求めていた。その一方で、ギリシア・ローマにつらなる西洋の伝統が危機に瀕しているとの認識を保守派知識人と共有しており、だからこそロンドンではなくケンブリッジという「帝国主義の知識都市」に魅かれたのだろう。

トランプを支援する大富豪のロバート・マーサー

2013年秋、同僚と2人でJFK空港に降り立ったワイリーは、そのままニューヨークのアッパーウエストサイドにある再開発地域リバーサイド・サウスに建つトランプ・プレイスに向かった。そこにロバート・マーサーの次女レベッカの自宅があり、ハドソン川とマンハッタンの夜景を一望する23階から25階の3フロアをぶち抜いて、6つのアパートメントを統合した17ベッドルームの豪邸にしていた。

その日は父ロバートやスティーブ・バノン、マーク・ブロック、イギリス独立党幹部などが参加するホームパーティが開かれていて、先に到着していたニックスと、遅れて駆けつけたワイリーたちがプレゼンテーションをすることになっていた。ロバート・マーサーは極端に内向的で、メディアのインタビューに応じることもなければ、人前に姿を現わすこともほとんどない。この貴重な場面が“Mindf*ck”のハイライトのひとつだ。

父とはちがって次女のレベッカは社交的で、「保守派のチアリーダー」役を買って出ていた。彼女はスタンフォード大学で生物学と数学を学び、システム工学の修士号を取得した後、父のいるルネッサンス・テクノロジーズで働きはじめたが、子どもができると退職してホームスクーリング(子どもを学校に通わせずに自宅で教育することは、アメリカでは義務教育のひとつとして認められている)を始めた。2006年には姉妹とともにマンハッタンのパン屋を買い取り、チョコレートクッキーを売るようになる。

ロバート・マーサーは、子どもや孫たちが集まるホームパーティですら地味なグレイのスーツを着て、自分からはほとんど話さず聞き役に徹し、口を開くときは平板なトーンで技術的なことを質問した。

ワイリーによれば、マーサーはこのときのプレゼンテーションで、有権者のビッグデータをコンピュータで解析し、心理操作する可能性に気づき、SCLへの出資を決めたという。

「すべてのひとのデータ・プロファイルをコピーし、社会全体をコンピュータのなかに置き換えることができるなら――ゲームの「シムシティ」のようだが、実在のひとびとのデータが使われている――これから社会や市場でなにが起きるのかシミュレーションし、予測することが可能になる。これこそがマーサーが目指すゴールなのだ」とワイリーは書く。マーサーはコンピュータ・エンジニアからソーシャル・エンジニアになり、コンピュータの内部構造を変えるように社会をリファクタリングし、大衆を「最適化」しようとしたのだ。

これは、マーサーやピーター・ティールのようなきわめて知能の高い大富豪が、なぜトランプを支持するのかのきわめて説得力のある説明になっている。一般に内向的で神経質傾向が高いと、混乱や無秩序を不安に感じて回避しようとする。そこに極端に高い論理・数学的知能が加わると、自分が安心して住めるよう社会を「改造」するというSF的なビジョンに魅力を感じるようになるのかもしれない。

ピーター・ティールはペイパルの創業者で、イーロン・マスクの盟友であり、シリコンバレーのベンチャー投資家として初期のフェイスブックに投資し、トランプの当選後は、ティム・クック(アップル)、ジェフ・ベゾス(アマゾン)、ラリー・ペイジ(グーグル)などシルコンバレーの大物たちを一堂に集め新大統領に引き合わせた。

そのティールは、9.11同時多発テロを受けて2004年にパランティアというビッグデータ解析企業を設立し、FBIや国防総省などと契約して安全保障のプラットフォームを開発・提供している。パランティアの存在をアレクサンダー・ニックスに教えたのは、SCLでインターンをしていたソフィア・シュミットで、彼女はグーグルの元CEOエリック・シュミットの娘だ。パランティアは非公開の企業だが、時価総額は4兆円を超えるともいわれる。それを知ったニックスは、SCLをパランティアに匹敵する企業に育てることを目標にするようになったという。

シリコンバレーは「リベラルの牙城」とされるが、その背景にあるのは「テクノロジーの進歩とイノベーションによってすべての社会問題は解決できる」というテック信仰(加速主義)だ。「リベラル」とされるグーグルやアップルなどシリコンバレーのIT企業も、「異端」のティールやマーサーと同じビジョンを共有しているのだ。

このホームパーティでマーサーはSCLのアメリカ法人に1500万ドル(約17億円)から2000万ドル(約22億円)の出資を決め、その新会社にスティーブ・バノンが「ケンブリッジ・アナリティカ」という名前をつけた。

フェイスブックから個人情報を収集

大富豪ロバート・マーサーの出資によって巨額の資金を得たSCL=ケンブリッジ・アナリティカは、それに見合う成果を出すようスティーブ・バノンから強い圧力を受けていた。

このときワイリーたちが頼ったのが、DAAPA(インターネットの生みの親であるアメリカ国防高等研究計画局)から出資を受けていた、ケンブリッジ大学の計量心理学センター(psychometrics centre)だった。「心理研究室」という小さな札がかかった部屋で彼らを出迎えたのがアレクサンドル・コーガン(1985年生)で、ソ連時代のモルドヴァに生まれ、子ども時代をモスクワで過ごし、ソ連崩壊後の1991年に家族でアメリカに移住してUCLAバークレーで学んだあと、香港の大学で心理学の博士号を取得した。

コーガンはケンブリッジ・アナリティカに潤沢な資金があることを知ると、カリブ海のトリニダード・トバゴで行なわれた有権者の個人情報を使った大規模な社会実験に参加し、バノンとともにアメリカでの初期のプロジェクトを起ち上げた。2014年の春頃、ケンブリッジ大学の同僚マイケル・コジンスキー(1982年生)とデイヴィッド・スティルウェルを紹介したのもコーガンで、2人は2007年にフェイスブックの「マイ・パーソナリティ」というアプリを使って大量の個人情報を取得し、それを心理分析に使っていた。

コーガンはコジンスキーにデータの商業利用をもちかけたが、「50万ドル+利益の50%のロイアリティ」という法外な条件を突きつけられて頓挫する(コジンスキーはこれを否定)。その結果、自分たちでフェイスブックから個人情報を取得するよう計画を変更した。

コジンスキーの手法は、ネット経由で少額の仕事を発注できるAmazonのメカニカル・タークを使って、1ドルから2ドルの謝礼を支払うことで、フェイスブックのユーザーに心理テストを受けさせることだった。ユーザーが回答すると、「友だちAPI」というアプリケーションによって、ユーザーだけでなく登録されている「友だち」の個人情報も一括して収集することができた。これはカイザーも強調しているが、この時点では、許可なくユーザーの個人情報にアクセスすることはフェイスブックの規約で認められていた。ケンブリッジ・アナリティカは、コジンスキーがやったことをより大規模に行なったのだ。

2014年6月、ワイリーたちは10万ドル(約1100万円)の予算でこのプログラムを実行した。全員が見守るなか、最初はなにも起こらなかったが、ニックスが「どうなってるんだ、これは」と文句をいいはじめてすぐに最初のヒットがあった。その後は、洪水のようにデータが押し寄せてきた。

データ・サイエンティストの一人が、個人情報が追加されるたびにビープ音がする仕掛けをつくっていた。たちまちビープ音が止まらなくなり、数字の桁数がつぎつぎと大きくなっていく。わずか数時間で、数百万人分の個人情報がコンピュータに収められた。

ワイリーはこのとき、チーフ・テクノロジー・オフィサーがサーベルを使って、器用に祝杯のシャンパンの栓を抜く場面を描写している。リトアニアの極貧の農家に育った彼は、イギリスで自らを「ケンブリッジ・エリート」につくり変えようとしていた。常にイギリス上流階級のダンディーな身なりを崩さない彼のモットーは、「今日を楽しめ。明日は死んでいるかもしれない」だった。

一人の女性の人生がコンピュータの中にコピーされた

“Mindf*ck”のもうひとつのハイライトは、構築したばかりの個人情報検索システムをスティーブ・バノンに披露するところだ。

ケンブリッジ・アナリティカの事務所を訪れたバノンは、スタッフから「思いついた名前と州をいってください」と求められる。戸惑いながらも適当な名前と「ネブラスカ州」とこたえると、スタッフはそれをコンピュータに打ち込んだ。すると、ネブラスカに住む同名の女性がヒットした。この場面は以下のように描写されている。

「スクリーンには、彼女のすべてが表示されていた。彼女の写真、仕事、自宅、子どもたちがどの学校に通っているか。彼女は2012年の選挙でミット・ロムニーに投票し、歌手のケイティ・ペリーが好きで、アウディを運転し……。我々は彼女のすべてを知っているだけでなく、情報はリアルタイムで更新され、彼女がフェイスブックに投稿すればそれを見ることもできた」

フェイスブックの個人情報はクレジット会社や行政機関から購入したデータベースと統合され、彼女の収入、住宅ローンの残額、銃を所有しているかどうか、航空会社のマイレージ、婚姻状況や健康状態、さらにはグーグル・アースから彼女の自宅の衛星写真を表示することもできた。まさに彼女の人生がコンピュータの中にコピーされたのだ。

このプレゼンテーションを何度か繰り返したあと、ニックスが「電話番号をくれないか」といった。コンピュータにたまたま表示されていた人物(女性)の番号を受け取ると、ニックスはスピーカーフォンにその番号を打ち込んだ。

「何度か呼び出し音が鳴ったあと、誰かが電話をとった。どこかの女性が「ハロー」というのが聞こえた。ニックスは上流階級のアクセントで、「ハロー、奥様。突然の電話で恐縮ですが、ケンブリッジ大学から電話しています。社会調査を行なっていて、ジェニー・スミスさんとお話がしたいのですが」その女性は、私がジェニーだと答えた。ニックスは彼女に、データに基づいて質問しはじめた。

テレビ番組「ゲーム・オブ・スローンズ」についてのご意見は? ジェニーはこの番組に夢中だとフェイスブックに投稿していた。前回の大統領選でミット・ロムニーに投票しましたか? ジェニーは「その通りです」とこたえた。ニックスは彼女の子どもたちが通っている学校の名前をあげた。ジェニーは「その通りです」とこたえた。バノンを見ると、顔全体に大きな笑みを浮かべていた」

ワイリーはこの場面を「超現実的(surreal)」と述べているが、SFでしかあり得ないようなことが現実に起きたのだ。ワイリーたちがプロジェクトを起ち上げた2か月後、2014年8月には、フェイスブックから8700万人のユーザーの個人情報が収集された。

バノンはこれをトランプの大統領選挙に活用しただけでなく、(ピーター・ティールが創設した)パランティアのスタッフがケンブリッジ・アナリティカに常駐してデータをコピーしたという。パランティアは米国内での個人情報の収集を禁じられていたが、民間企業から入手するのは適用除外とされていた。パランティアと契約するNSA(アメリカ国家安全保障局)がこの個人情報を手にしているのは間違いないとワイリーはいう。

そればかりかワイリーは、米国市民の個人情報がロシアに流れたと主張する。ニックスには個人情報保護の観念はまったくなく、ロシア人との大きなビジネスを獲得するためなら喜んでデータを提供したにちがいないというのだ。

ワイリーはこの出来事の直後にケンブリッジ・アナリティカを離れ、ブレグジットとトランプ大統領誕生のあと、内部告発者として英紙ガーディアンとニューヨーク・タイムズに自らの体験を語った。イギリスのテレビ局チャンネ4と組んでニックスを罠にかけ、スリランカの富豪に偽装した男に、賄賂や性的な陰謀(対立候補の自宅に若い女性を送り込んで一部始終を撮影する)を含むさまざまなサービスを吹聴するところを撮影させてもいる(この場面が放映されたことで、ケンブリッジ・アナリティカは解散に追いやられた)。

ワイリーの証言に対してはどこまで真実なのか疑問視する声もあり、「ケンブリッジ・アナリティカからデータを持ち出してブレグジットやトランプの選挙に関与したのではないか」との批判に対してもはっきり答えてはいないようだ。

しかしそれでも、ワイリーがケンブリッジ・アナリティカでの出来事を驚異的な記憶力で再現していることは間違いなく、(当然のことながら一定の装飾や隠蔽があるとしても)そのリアリティはきわめて高い。20代半ばの若者がわずか1年半のあいだに、アレクサンダー・ニックス、スティーブ・バノン、ロバート・マーサーなど「異形」の人物と次々と出会った体験は控え目にいっても驚くべきものだ。

黒人男性の暴行死をきっかけにアメリカ社会が混乱しているが、ワイリーの警告を知れば、人種間の対立をあえて煽るようなトランプの言動はすべて選挙対策で、その目的は支持層の心理操作だとわかるだろう。2020年11月の選挙で民主党が大統領職を奪い返すようなことになれば、トランプ政権がいったい何をやっていたのか、真実の一端が明らかになるかもしれない。

これこそが(おそらく)、トランプとその側近たちがどんなことをしてでも再選を実現しようとする理由なのだろう。

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