ブリゴジンの反乱に見るロシア人の屈折した心理 週刊プレイボーイ連載(568)

ヒトラーが愛した作曲家ワーグナーの名を冠したロシアの民間軍事会社「ワグネル」を創設したプリゴジンが、軍幹部の更迭を求めて武装蜂起するという驚くべき事態が起きました。反乱軍は、ドン川下流の都市ロストフ・ナ・ドヌーから北上し、モスクワまで200キロのところまで迫りましたが、ベラルーシ大統領ルカシェンコの説得を受けてプリゴジンは兵を撤収、自身もベラルーシに亡命しました(その後、プーチンと会談したのち、ロシアにとどまっていると報道された)。

近代国家の大前提は国家による暴力の独占で、軍に匹敵するような武装組織が存在すること自体、先進国ではあり得ないことです。レーニンはロシア革命で赤軍を創設し、徹底した官僚主義で近代化を進めましたが、ソ連崩壊によってロシアは前近代に戻ってしまったかのようです。――ドン川からモスクワを目指すというのは、帝政ロシア時代のコサックの反乱そのままです。

プリゴジンはなぜこのようなギャンブルに打って出たのか、おおよその経緯がわかってきました。

ワグネルはもともと中東やアフリカなどで正規軍ができない「汚れ仕事」を請け負い、2014年のウクライナ紛争では東部ドンバス地方の併合を主導しました。22年、ロシア軍がウクライナに侵攻すると、ワグネルは受刑者らを兵士にして最前線で戦い、大量の死者を出したとされます。

プーチンのウクライナ侵攻が軍事上の大失敗であることが隠せなくなると、その責任をめぐって軍幹部とプリゴジンのあいだに亀裂が走り、今年5月、東部の主要都市バムフトをワグネルが大きな犠牲を払って制圧すると両者の対立は決定的になります。反乱の直前には、ブリゴジンはSNSに投稿した動画で、ウクライナ侵攻は国防省が国民と大統領を欺こうした陰謀で、ウクライナにもNATOにもロシアに侵攻する意図はなかったとして、戦争の大義を全否定しました。

当然のことながら、国防省はワグネルを解体し、その影響力をなくそうとします。それを察知したプリゴジンは、武装蜂起によって逆に国防省を乗っ取ろうとしますが、あてにしていた軍内部の反乱は起きず、最後は抵抗を断念せざるを得なかったのでしょう。

この事件で明らかになったのは、「独裁者」であるプーチンが、いわれているほど絶対的な権力をもっていたわけではないことです。軍とワグネルの対立を解決できず、反乱の収拾を隣国の大統領に頼らなければならなかったことは、これまで演出してきたカリスマ性を大きく傷つけるでしょう。独裁者の権力は、さまざまな組織や権力者たちの微妙なバランスの上に、かろうじて成り立っているのです。

もうひとつ明らかになったのは、「ウクライナ侵攻に大義はない」と断言したプリゴジンの人気がロシア国内で高いことです。ロシア人は、この戦争になんの意味もないことを知りつつも、始めてしまった以上は、自分たちが「負け犬」や「加害者(戦争犯罪人)」になることはぜったい受け入れられないから、戦いつづけるしかないと思っているのかしれません。

『週刊プレイボーイ』2023年7月10日発売号 禁・無断転載