「戦後民主主義」から訣別できなかった朝日新聞の蹉跌 週刊プレイボーイ連載(167)

しばらく海外にいて久しぶりに日本に戻ってきたら、駅前で「朝日新聞を廃刊にせよ」というのぼりを持ったひとが演説していて驚きました。その後、たまっていた新聞や雑誌を読んでようやく事情がわかりました。海外では、朝日新聞の誤報をめぐる日本社会の大騒動はなんの関心も持たれていなかったのです。

この問題についてはすでに膨大な論評がありますが、ここでは「戦後民主主義」という日本型リベラリズムの蹉跌について考えてみます。

戦後民主主義は、300万人の死者と広島・長崎への原爆投下という悲惨な結末を招いた日中戦争・太平洋戦争への反省から生まれました。その根本理念は「二度と戦争をしてはならない」で、これに反対するひとはいないでしょう。問題は、そのためにどうすればいいかという政治戦略です。

戦後日本のリベラルな知識人は次のような議論を展開しました。

  1. 反権力 日本をふたたび軍国主義にしないためにはあらゆる権力に反対しなければならない
  2. 反米 アメリカは帝国主義国家で、日米安保条約は日本を戦争に巻き込むだけだ
  3. 憲法護持 軍隊がなければ戦争はできないのだから、非武装中立こそが平和への道だ

このようにして日本のリベラルは「天皇制」に反対し、毛沢東の中国やスターリンのソ連、金日成の北朝鮮に親近感を抱き、社会党や共産党を「革新政党」として支持しました。

しかしすぐにわかるように、この戦略は最初から破綻しています。反権力ではいつまでたっても権力を持てないのですから、自らの理想の実現を放棄しているのと同じです。

この矛盾は、すでに1960年代の安保闘争の頃から指摘されていました。当時の政治的な学生たちは、戦後民主主義を空理空論として批判し、革命によって権力を奪取することを求めていたのです――もっともこちらも、さらなる空理空論だったわけですが。

1990年に冷戦が終焉すると、共産主義という社会実験が壮大な失敗だったことが誰の目にも明らかになりました。中国・ソ連・北朝鮮の共産党独裁を批判し、アメリカのリベラルデモクラシー(自由な社会と民主政)を擁護した保守派が正しかったのです。

こうして日本のリベラルな知識人は、思想的な根拠を失って大混乱に陥りました。本来であればここで新しい政治思想を構築すべきだったのでしょうが、プライドの高い彼らは保守派への敗北を嫌って過去の主張に固執しました。

朝日新聞は、従軍慰安婦問題で天皇の戦争責任を追求しようとする左翼活動家のような記者たちを排除できず、誤報を認めることができませんでした。福島第一原発事故の誤報の原因は、「反原発」という結論が先にあり、吉田調書入手というスクープを東京電力や安倍政権への批判に利用しようとしたからでしょう。特定秘密保護法や集団的自衛権でも同じですが、保守派に対抗する政治思想を持てないために、個別の問題を過剰に言い立てるほかなくなっているのです。

「保守対革新」という政治対立はすでに過去のものになりました。いまの日本に必要とされているのは、まっとうな(グローバルスタンダードの)リベラリズムです。そのことに気づかず、骨董品のような「戦後民主主義」にしがみついているかぎり、日本のリベラルに未来はないでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年10月14日発売号
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