市場の倫理と統治の倫理

お金はなぜ汚いのか?

ぼくたちはみんな、お金に対して本能的な忌避感を抱いている(お金は汚い)。これは、お金が愛情や友情と対立すると思っているからだ。

友人の家に招かれて、プレゼントの代わりに現金を渡せばびっくりされるだろう。恋人とのデートで、セックスの後に3万円払えば売春になってしまう(というか、もっと大変なことになる)。3万円の指輪をあげれば、すごく喜ぶのに。

これは、プレゼントを選ぶ過程に愛情が込められている、とされているからだ。だからぼくはたちは、お中元やお歳暮を贈るときも、現金をわざわざ商品券に換えたりする。儀礼的な贈答に愛情なんか関係ないし、現金ならどの店でも使えるのに、わざわざ不便にしているのだ。

もちろん、ひとびとが現金を受け取ることを拒否しているわけではない。そればかりか、給料が減ったとか年金が破綻するとかで大騒ぎしている。お金は欲しいけど、お金を贈られたら怒り出す――いったいどういうことだろう。

それはぼくたちの社会に、「愛情や友情に金銭が関与してはならない」という暗黙のルールがあるからだ。だからお金は必ずモノ(プレゼント)に換えなくてはならないし、日本のサラリーマンは(愛情の証として)預金通帳と印鑑を丸ごと妻に渡している。このことをもうちょっと難しくいうと、ぼくたちは無意識のうちに政治空間と貨幣空間を区別し、政治空間(愛情や友情)に貨幣が混入することを嫌っているのだ。

このことを指摘したのがアメリカの市井の思想家ジェイン・ジェイコブズで、彼女はこれを「市場の倫理」と「統治の倫理」という異質の世界観の対立だと述べた(『市場の倫理 統治の倫理』〈日経ビジネス人文庫〉)。

ジェイコブズは古今東西の道徳律を調べ、人類のつくり出した二種類の相異なるモラル体系を抽出した。これが市場の倫理と統治の倫理なのだけれど、簡単にいえばお金儲けゲーム(商人道)と権力ゲーム(武士道)のルールのことだ。

権力ゲームは戦国時代や三国志の世界で、その目的は、集団のなかで一番になること(国盗り)と、異なる集団のなかで自分の集団を一番にすること(天下平定)だ。もちろんみんなが勝者になれるわけはないから、集団のなかでどのように振舞うかもこのゲームでは重要になる。この権力ゲームの行なわれるフィールドが政治空間だ。

それに対してお金儲けゲームの目的は、与えられた条件のなかでもっとも効率的に貨幣を増やすことだ。権力ゲームは勝者総取りが原則だけれど、お金儲けゲームはなにがなんでも一番を目指す必要はない。べつに世界一のお金持ちになれなくても、そこそこ裕福な暮らしができればみんなハッピーなのだ。このゲームのフィールドが貨幣空間になる。

政治空間には愛情や友情だけではなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのどろどろとした感情が渦巻いている。恋愛から戦争まで、人間ドラマのすべては政治空間で繰り広げられる。

それに対して貨幣空間は、お金を介したコミュニケーションだから、ものすごくフラットだ。いつも買い物をする八百屋の親父に愛情や憎悪を感じるひとはいない。通販でモノを買う場合は、相手が何者かなんて考えもしない。この冷淡さがあるからこそ、貨幣空間は無限に広がっていけるのだ。

統治の倫理

戦国時代劇で繰り返し演じられるように、権力ゲームは手段を問わず、頂点に立ったものが正しいというのがルールだ。そこでは人質や政略結婚や合従連衡など、ありとあらゆる権謀術数がめぐらされるけれど、その一方で友との約束に生命を賭けたり、敵を敬い、その死に涙を流したりもする。戦国武将は一族郎党を死地へと向かわせるのだから、ただのイヤな奴では相手にされない。ひとを率いるには、名誉とか品格とかの「人間力」が不可欠なのだ。

政治空間のもうひとつの特徴は、階層構造を持つことだ。ひとたび権力ゲームが決着すると、勝者を頂点とするヒエラルキーが出来上がる。すると、この階級社会のなかで「分をわきまえる」というルールが生まれる。家柄やしきたりでがんじがらめになった、江戸時代の武士の世界がその典型だ。

権力ゲームは、敵と味方を分けるところから始まる。味方を増やし敵を殺すことで、より大きな権力が獲得できる。ドイツの法学者カール・シュミットは、政治の本質を「あいつは敵だ。敵を殺せ」と要約したが、政治空間はひとびとを熱狂させ、戦争に駆り立てる血なまぐさい世界なのだ。

権力ゲームでは誠実は美徳とされず、権謀術数が尊ばれる。敗北は死を意味するのだから、相手の弱みをつき、計略をめぐらせ、卑劣な手段を使ってでも勝ち残ることこそが正義なのだ。イタリア・ルネッサンス期の思想家マキャベリは、この政治的リアリズムを『君主論』で体系化した。

ジェイコブズは、統治の倫理(マキャベリズム)には次のようなルールがあると述べる。

  • 目的のためには欺け
  • 復讐せよ
  • 排他的であれ

さらに、政治空間の厳しい階層構造は、必然的に次のようなルールを要求するだろう。

  • 規律を守れ
  • 伝統を堅持せよ
  • 位階を尊重せよ
  • 忠実たれ

こうした政治空間で権力ゲームに勝ち残るものには、独特の個性が要求される。

  • 勇敢であれ
  • 名誉を尊べ
  • 運命を甘受せよ

どれも時代劇ファンにはお馴染みのものばかりだろう。これこそまさに、人間の美徳(品格)だと誰もが思う。

だがこれに対し、霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールが異を唱えた。これは人間だけの美徳ではなく、チンパンジーもまったく同じ権力ゲームをたたかっているのだ。