所得税は憲法違反である

近所の八百屋に大根を買いに行ったら、隣の客には100円で売っていたのに、「あんたは気に入らないから1000円じゃなきゃ売らないよ」と言われた。この八百屋の商売は道理に適っているだろうか?

私たちは、日本国からさまざまなサービスを購入している。日本国憲法は、年齢や性別、宗教や思想信条、職業や貧富の差に関係なく国民を平等に扱うよう規定している。それにもかかわらず、同じサービスや商品をただで貰える人もいれば、何億円もの代金を請求されている人もいる。サービスの対価として納める税金は、所得の多寡によって金額が異なるからだ。これでは、あこぎな八百屋と同じではないだろうか。

国家は商売をしているわけではない、と反論する人もいるだろう。だが、本当だろうか。

国家が提供する主要サービスのうち、国防や治安維持は巨大な総合警備会社の仕事だ。年金や医療・介護保険、失業保険は国営保険会社の事業であり、道路や鉄道などの公共投資は国家の建設業だ。このように考えれば、実は国家の機能のほとんどは民間会社で代替できる。その規模が巨大なので、市場に任せるよりも国家に委託した方が合理的だと考えられているだけだ。

国家が町の八百屋と違うのは、その集金の仕方である。商品に値札はなく、客の所得を調べ上げ、銀行通帳を覗き込んでから請求書を発行する。客が支払いを拒めば、資産を差し押さえてしまう。このような暴挙が許されるのは、そのサービスが独占的に供給され、消費者に選択の余地がないからだ。経済学でいうところの「独占の弊害」である。

日本に限らず、ほぼすべての国家が所得税の累進課税を採用している。だがこの制度は、財源確保に効率的であったとしても、正義に適うかどうかはきわめて疑わしい。

所得税は、国家によるプライバシー侵害を前提とする仕組みでもある。

ごく普通の税務調査でも、自営業者は業務用の銀行口座だけでなく、個人口座や自宅の金庫まで調べられる。高額納税者ともなれば、税務当局は本人の許諾を得ることなく勝手に名前を公表してしまう(1)

奇妙なことに、日本の税制ではサラリーマンは「納税者」ではない。納税義務を負うのは会社であり、税務署や社会保険事務所の代理人として、社員の給与から税金や社会保険料を天引きしている。社員が税額控除を受けるためには、年末調整の際に、配偶者の有無や所得、子供や親など扶養家族の詳細を会社に提出しなければならない。外国人と結婚していたり、未婚なのに子供がいるなど、会社に知られたくない事情のある社員は、税法上の権利であるさまざまな控除を放棄しなければならない。

では、正義に適う税制とはどのようなものだろう。

国民が税金を支払って国家のサービスを購入していると考えるならば、公平な税制は一人当たりいくらの人頭税以外あり得ない(2)。日本国の行政経費は国家予算80兆円に地方自治体の歳出や公的年金・医療保険など社会保障関連支出80兆円を加えた約160兆円。それを20歳以上65歳未満の労働可能人口8000万人で割れば、1人当たりの人頭税は年間200万円になる。これで、所得税や法人税、消費税はもちろん、年金や健康保険料も必要なく、国債の発行で将来世代に負担を先送りすることもない完全に平等な国家が出来上がる(3)

国民を不平等に扱い、プライバシーと財産権を侵害する所得税は、日本国憲法に違反している。私たちが心の底から納得して税金を払えない理由はここにある。

所得税を廃止して人頭税を導入すれば、明るい日本がやってくるだろう(4)

(1)個人情報保護法の施行を受け、高額納税者公示制度は2006年に廃止された。
(2)日本においては、住民税の均等割が人頭税である。
(3)1人当たり年間200万円の人頭税は、私たちが日本国から購入しているサービスの価格でもある。サービス内容がこの金額に相応しいかどうか、いちど考えてみよう。
(4)国家の規模を現在の4分の1に縮小すれば、必要な人頭税は1人当たり50万円になる。これなら実現可能ではないだろうか。

橘玲『雨の降る日曜は幸福について考えよう』(幻冬舎)2004年9月刊
文庫版『知的幸福の技術』(幻冬舎)2009年10月刊