サブカルチャーでわかるアメリカの陰謀論

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2021年2月/19日公開の「アメリカの陰謀論は映画などのエンタテインメントを生み出してきた。「新世界秩序」「トゥルーサー」「UFO信者」など現実と虚構が混沌とした世界は今後ますます「加速」するだろう」です(一部改変)。

映画『陰謀のセオリー』。メル・ギブソン演じる主人公は陰謀論者のタクシー運転手

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1997年公開の映画『陰謀のセオリーConspiracy Theory』(リチャード・ドナー監督、メル・ギブソン、ジュリア・ロバーツ主演)は、ニューヨークのタクシー運転手で陰謀論者の男の話が徐々に現実のものになっていく、というサスペンス映画だ。

主人公の男は、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件をはじめとして、ありとあらゆる陰謀論を収集し、客にしゃべりまくるばかりか、政府の陰謀についてのニュースレターを書き、5人しかいない「支持者」に郵送している。

ひとはみな、説明できないものごとに強い脅威を感じる。大統領(JFK)がテレビ中継中に狙撃されて死亡し、その犯人とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドが事件から2日後に、警察本部の地下通路でマフィア関係者に射殺されるという前代未聞の出来事は、政府・司法の公式説明ではとうてい納得できるものではなく、ひとびとはより整合性のあるストーリーを求めた。

JFK暗殺の翌年(1964年)、アメリカの現代史家リチャード・ホフスタッターは「アメリカ政治におけるパラノイド・スタイルThe Paranoid Style in American Politics」という有名な論文を発表した。作家のジェシー・ウォーカーは、『パラノイア合衆国 陰謀論で読み解く《アメリカ史》』( 鍛原多惠子訳、河出書房新社)でホフスタッターの論文を、「激しい誇張、不信感、陰謀の幻想を特徴とする「(アメリカ政治の)心のスタイル」を描きだそうと試み、それを19世紀の反フリーメイソン運動や反カトリック運動から、執筆当時の「大衆的な左派メディア」や「現代の右派」にいたる幅広い活動に見出している」と要約している。

ウォーカーは、「アメリカは、いつの時代もパラノイアに取り憑かれている」「陰謀論は歴史に彩りを添えるだけではない。この国の核心にあるのだ」と述べ、ビル・クリントンが大統領に就任したときの次のようなエピソードを紹介している。

クリントンは大統領に当選して間もなく、古くからの友人で、その後、自身の補佐役に任じたウェブスター・ハッベルにこう述べたという。「ハブ、君を司法省の職に就けたら、二つの疑問に答えを見つけてほしい。一つめは、JFKを殺したのは誰なのか。二つめは、UFOは存在するのか、だ」

FBIとCIAの謀略が陰謀論の源泉

2004年(JFK狙撃事件の40年後)、ABCニュースの調査ではアメリカ国民の7割が大統領の死の背後に陰謀があると信じていた(1983年の調査ではさらに高く、8割に上っていた)。2006年の全国規模の調査では、36%が「アメリカの指導者が9.11のテロ攻撃を許した、あるいはその計画にかかわっていた可能性が「非常に」または「やや」高いと回答した」。より困惑するのは1996年のギャラップ調査で、71%もの国民が政府はUFOの情報を隠していると考えていた。

しかしウォーカーによると、これはアメリカ国民がたんに“陰謀”に洗脳されているということではない。こうした疑心暗鬼の背後には現実の陰謀があった。

1956年にFBIが始めた「コインテンプロ」は、「破壊活動分子と見なす政治運動家を阻止し制圧するための対情報プログラム」で、共産党などの「反社会的集団」にFBIの捜査官を潜入させ、偽情報を流したり暴力的な蜂起を扇動したりして内部から攪乱させる謀略だった。

このコインテンプロはその後、「社会主義労働者党、白人至上主義団体、黒人国家主義者/黒人至上主義者 新左翼」へと拡大され、その後の議会による調査では、潜入捜査官がミリシア(極右の民兵組織)にテロをそそのかしていたことも明らかになった(ミリシアのメンバーがテロ計画を通報したことで未然に防がれた)。

1950年代には、CIAは「MKウルトラ計画」を実施している。朝鮮戦争で捕虜になった米兵が共産主義に洗脳されたことに衝撃を受け、より効果的な洗脳手法の開発を目指したもので、一般人の被験者にLSD(幻覚剤)を投与する実験も行なわれたが、その詳細は明らかにされていない。――映画『陰謀のセオリー』では、主人公はこのMKウルトラ計画の犠牲者だった。

それ以外にも、CIAが市民の郵便物を開封していたり、外国要人の暗殺に関与していたことも明らかになって、70年代には多くのアメリカ人がFBIやCIAを謀略機関と見なすようになっていた。

決定的なのは1972年のウォーターゲート事件で、民主党本部の盗聴を指示したニクソン大統領が辞任に追い込まれる政治スキャンダルにアメリカ社会は大きく動揺した。前年(71年)にベトナム戦争に関する国防総省の秘密文書(ペンタゴン・ペーパーズ)がニューヨーク・タイムズにスクープされるなど、政府内部からの情報漏洩に疑心暗鬼になっていたニクソン政権では盗聴が常態化していた。当時のアメリカでは、ホワイトハウスも陰謀論に取り憑かれていたのだ。

アメリカ映画に登場する陰謀論

アメリカの政治や司法で現実に行なわれた陰謀は、大衆文化にどのように取り込まれていったのだろうか。政治学者マイケル・バーカンは、『現代アメリカの陰謀論 黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人』(林和彦訳) 三交社)で、「陰謀の存在を信じることが、20世紀末から21世紀初頭にかけての千年王国主義の中心をなすテーマである」として、「陰謀信仰」の3つの原則を挙げている。

  1. 何事にも偶然はない あらゆる出来事は意図的に発生する。これがもっとも極端にまで走ると、「実世界よりはるかに首尾一貫した幻想世界」という結末に至る。
  2. 何事も表面とは異なる 陰謀を画策する者たちは正体や活動を隠蔽している(外見が清廉潔白に見えるからといって、その個人や集団が無害という保証にはならない)。
  3. 何事も結託している 陰謀論者たちの世界に偶然のはいり込む余地はない。表面的な見方ではわからなくても、あらゆるものにある決まったパターンが存在する。隠された結合を描き出すために、つねに連鎖や相関を打ち立てなければならない。

こうしてつくられた陰謀論は、「世界が任意的なものではなく、意味に満ちている」との約束=安心感を与えてくれるものの、その一方で、あらゆる出来事にこの3原則を当てはめると次々と矛盾が露わになる。陰謀論者はそれに対処するために、新たな陰謀を「発見」しつづけなければならない。その結果、彼らの陰謀世界は徐々に歪んだものになっていく。

アメリカの大衆文化(サブカルチャー)でどれほど奇怪な陰謀論が広まったかを、バーカンの本から抜粋してみよう。

・ブラック・ヘリコプター
アメリカ政府を乗っ取り、国民を支配しようとする国際的な陰謀組織(新世界秩序軍)の前衛部隊が黒いヘリコプターに乗って現われる。ジム・キースという陰謀論者の『アメリカ上空のブラック・ヘリコプター 新世界秩序の突撃舞台』(1994)、『ブラック・ヘリコプター2 大詰め戦略』(1997)によって広く知られるようになった。映画『陰謀のセオリー』でも、CIAやFBIの上位にある謎の組織の戦闘員が黒いヘリコプターで登場する。アメリカ人はこの場面を、ブラック・ヘリコプターの都市伝説と重ね合わせたのだろう。

・強制収容所(FEMA)
アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency/FEMA)は災害などの緊急事態に対処する実在の政府組織だが、陰謀論者によれば、FEMAは反体制主義者などを収容するための強制収容所網を秘密裏に整備している。この都市伝説は、1970年代から80年代にかけて、核戦争など将来の非常事態に備えた対応計画、演習、行政命令などの一連の政府活動から生まれたらしい。もともとは左翼が唱えた陰謀論だが、その後、右翼が、監禁されるのは自分たちではないかという強烈な危機感をもつようになった。

・マインド・コントロール
CIAの(実在した)「MKウルトラ計画」から派生したとする「モナーク・プロジェクト」の陰謀。キャシー・オブライエンなる女性が「抑圧された記憶」を回復したとして、「CIAの性的奴隷と麻薬密輸用として訓練され、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領やクリントン大統領夫人ヒラリーなどから性的な虐待を受けた」と告発して話題になった。

・マイクロチップ埋め込み
1980年代に「バーコードは個人の手に刻印される獣の刻印(悪魔の印)の前駆体」との説が登場し、その後、「バーコードではなくマイクロチップを埋め込もうとしている」へと進化した。新たに登場したテクノロジーが陰謀論に取り込まれていく例で、新型コロナのワクチン接種でも、「ワクチンと見せかけてマイクロチップを埋め込まれるのではないか」との陰謀論が欧米で広まっている。

宇宙人と新世界秩序が合体してイリミナティへ

現実から離れて奇怪な方向へと進んでいくアメリカの陰謀世界の象徴が、UFO(未確認飛行物体)とキリスト教原理主義(福音派)の融合だ。

UFO伝説のなかでもっとも有名なのは、ニューメキシコ州のロズウェル近郊に謎の飛行物体が墜落し、その残骸が軍によって「エリア51」に回収され秘匿されているというもので、1947年6月14日の出来事とされる。1961年には、ベティ・ヒルとバーニー・ヒルの夫婦が異性人に誘拐されたと訴える「アブダクション」がメディアの注目を集めた。

それ以外にも、1960年代後期から70年代にかけて、西部諸州で畜牛の切断死体が次々と発見される「キャトル・ミューテーション(家畜惨殺)」が起き、悪魔教の儀式、ヒッピーの仕業、UFOの目撃証言などと結びつけられた。異星人の「収穫」や生物学的な物質の採取、「異星人と人間の混血種を繁殖させている」などの説が唱えられた。

こうして1970年代には世界的なUFOブームが到来する。スティーブン・スピルバーグの『未知との遭遇』(1977年)もこの時期で、日本でもUFOを扱うテレビ番組が人気を集めた。

1991年、イラク(サダム・フセイン)のクウェート侵攻に対する、アメリカを中心とする多国籍軍の「第一次湾岸戦争」が起きる。このときジョージ・H・W・ブッシュ大統領(父ブッシュ)は、演説で「新世界秩序(New World Order/NWO)」という言葉を使った。これは「国際的な集団安全保障体制を構築する」という意味だったが、陰謀論者は特別なメッセージとして受け取った。

「新世界秩序」は、アメリカ建国直後から陰謀論とともにあった。独立を果たしたばかりのアメリカに対して、イギリスを中心とする「国際的な陰謀組織」が秘密裏の工作によって「新世界秩序」を押しつけようとしているとの不安が社会を覆っていた。

その後、60年代のニューエイジやオカルト主義(スピリチュアリズム)の影響を受けて、福音派(キリスト教原理主義者)が「新世界秩序」を千年王国運動と結びつけるようになった。彼らの信じる前千年王国説では、ハルマゲドンとともに悪魔が世界を支配し、キリストが降臨して善と悪の「最終決戦」が始まる。悪魔が押しつける「新世界秩序」はハルマゲドンとキリスト降臨の前兆なのだ。

大統領が「新世界秩序」というキーワードを(陰謀論者にとっては)意図的に使ったことは、湾岸戦争が悪魔による「陰謀」であり、アメリカ政府はすでに「悪」に乗っ取られている証拠だとされた。こうして保守派のパット・ロバートソンは、同(91)年『新世界秩序(The New World Order)』を発表する。「イルミナティが世界政府を創設し、アメリカの自由を攻撃し、歴史の終焉をもたらす善と悪の最終戦争が始まる」と主張するこの本はアメリカでベストセラーになった。

参考:Qアノンのディープステイトと秘密結社イルミナティ

「新世界秩序」の終末論がなぜUFOと結びつくことになったのか。これについてバーカンは、「冷戦の終焉」の影響を指摘している。それまでアメリカは「共産主義=悪魔」「悪の帝国=ソ連」の脅威にさらされ、それが陰謀論の源泉になってきた。だがそのソ連が自滅してしまったことで、陰謀論者ははしごを外されてしまった。

このとき必要とされたのは、「ソ連=共産主義」を上回る巨大な悪だ。こうして「宇宙人」が召喚され、「陰の政府(ディープステイト)」が異性人と結託し、世界を支配しようとしているという「UFO+新世界秩序」型の陰謀論が生まれたというのだ。

「MJ-12(マジェスティック/マジック12)」は、1987年に発見された(とされる)ドワイト・アイゼンハワー大統領宛の秘密文書で、そこには十数名の軍高官と著名な科学者からなる超極秘集団が、UFOの墜落と搭乗者の遺体の回収について記していた。その内容は「政府と異星人の密約」で、合衆国政府は1964年4月30日から異性人たちと接触をはじめ、1971年には「密約」を交わし、異星人の技術を政府へ移管することを求めた。その代償として政府は、キャトル・ミューテーションや米国市民の一時的な誘拐を黙認したとされる。

これに秘密結社が結びついたのが「イルミナティの基本計画」で、「人類を一つの世界政府にまとめるために、宇宙からの脅威を使うこと」が決定された。この陰謀に参加したのは「イエズス会、フリーメイソン、ナチ党、共産党、外交問題評議会、日米欧三極委員会、ビルダーバーグ会議、バチカン、スカル・アンド・ボーンズ(イェール大学の秘密結社的なエリート学生組織)、ロックフェラー家、ランド研究所(保守派のシンクタンク)、連邦準備銀行、CIA、国連」だとされる。

パロディ宗教から生まれた陰謀論

アメリカの陰謀論の特徴は、それがハリウッド映画などの大衆文化に取り込まれ、さまざまなエンタテインメントを生み出したことだ。

ロズウェル事件が話題になった1950年代半ばから、「UFOに関する体験や調査があまりに真実に肉薄しすぎると、ダークスーツに身を包んだ正体不明の小集団(通常2、3名)が忍び寄ってきて邪魔するか殺される」との都市伝説が広まりはじめた。これが「メン・イン・ブラック伝説」で、トミー・リー・ジョーンズ、ウィル・スミス主演で大ヒットした映画『メン・イン・ブラック』(1997年)はこれに基づいている。その前年(96年)には、エリア51に収容されていたエイリアンが地球侵略の引き金を引く『インデペンデンス・デイ』が制作されている。

福音派の陰謀論の定番である「新世界秩序」は、『スターウォーズ』シリーズで、銀河帝国を創設するダース・シディアスが「ニューオーダー(新秩序)」を宣言する場面に転用された。超常現象をテーマに1990年代に大ヒットしたテレビシリーズ「X-ファイル」など、陰謀論とエンタテインメントの融合は探せばいくらでも見つかるだろう。

しかしこれは、陰謀論が「ひとびとを夢中にさせるもの」だと考えれば当たり前のことだ。エンタテインメントの制作者が「大衆を夢中にさせる物語」をつくろうとすれば、それは往々にして陰謀論と区別がつかなくなる。

陰謀論を批判する者が陰謀論に取り込まれていくという現象もしばしば起きた。それをよく表わしているのが、パロディ宗教「ディスコーディアン」だ。ケリー・ソーンリーという元海兵隊員が高校時代のギャグ仲間と始めたもので、パロディ聖典『プリンキピア・ディスコーディア』では、ボーリング場に巻物を手にしたチンパンジー(大天使)が現われ、続いてギリシアの混沌の女神エリスが顕現し、「なぜ原始の秘密によって人びとのあいだに混沌が生まれたのか」と問う。

このパロティ宗教の教祖になったソーンリーの動機は、いたって真剣なものだった。きっかけは海兵隊員時代にオズワルドという若者と友人になったことで、その後、オズワルドはソ連に亡命するが、考えを変えて1962年に娘を連れてアメリカに帰国、翌63年にケネディ大統領狙撃犯として逮捕される。

ソーンリーはJFK暗殺をオズワルドの単独犯行と考えていたようだが、パロディ宗教の背景には、かつての友人の「混沌」を理解したいという強い思いがあった。

ディスコーディアン協会は徐々に帰依者を増やしていったが、そのなかに「トロツキストで無政府主義者のリバタリアン」であるロバート・ウィルソンという若者がいた。彼はソーンリーと組んで、「マインドファック作戦」と称して、さまざまな陰謀集団に手紙を送りつけた。

キリスト教反共十字軍には、バイエルン・イルミナティの便箋を使って、「われわれはロック音楽業界を乗っ取った。だが貴様たちはまだ気づいてはいまい。われわれは19世紀はじめにはすでに音楽業界を牛耳っていたのだ。ベートーヴェンがわれわれの最初の信奉者だった」という手紙を送った。右派のジョン・バーチ協会や左派の地下新聞、リバタリアンやヒッピー組織などの出版物にもイルミナティの噂をばらまき、この秘密結社の存在をカウンターカルチャーに浸透させた。

ウィルソンは、自分たちはゲリラ的存在で、「ありとあらゆるオルタナティブ・パラノイアを提供する大規模なギャグ問屋(コスミック・ギャグ・ファクター)」だと考えていた。その目的は「誰でもその気になれば好みのパラノイアを選ぶことができるようにすること」で、その結果として「このパラノイアゲーム全体を眺めて、より広範で、笑えて、希望のもてる現実地図に目覚めてほしい」と考えていたという。――ウィルソンとロバート・シェイの共著『イルミナティ』三部作(集英社文庫)はこうして生まれた。

だが後年、パロディ宗教の教祖になったソーンリー自身が陰謀の罠にはまりこんでいく。「ぼくは文字通り情報機関に取り込まれている。ところが私を殺そうという試みが三度失敗してからは、周辺は落ち着いてきており、現在スパイの大半はぼくの味方になったようだ」と書き、自分は「ブリル教会の繁殖/環境操作実験の産物」だと信じるようになった。

陰謀論とエンタテインメントは紙一重で、陰謀論をパロディにしようとした者も陰謀論にからめとられてしまうのだ。

トゥルーサーとバーサー

ジェシー・ウォーカーは『パラノイア合衆国』で、現代の陰謀論を「フュージョン・パラノイア(融合パラノイア)」で「カフェテリア悪魔教」だとする。かつての陰謀論や終末論はそれぞれの文化に特有なものだったが、60年代の洗礼を受けた以降は、「東西の宗教、ニューエイジのアイデアや秘伝、急進的な政治要素をごた混ぜにし、得られた成果物に矛盾があっても気にしない」ようになった。これが「パラノイアの融合」で、その好例としてオウム真理教が挙げられている。

カフェテリアというのはビュッフェスタイルのことで、「自分に合わない教義は捨て去り、他の宗教的要素を取り入れ、自分自身の信仰をカスタマイズする傾向」だ。『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(山田美明、山田文 訳、東洋経済新報社)のカート・アンダーセンも、1980年代からアメリカ社会の「ファンタジー化」が進み、「真実は相対的なものになり、批判は不当なものになり、個人の自由が絶対視され、誰もが何を信じ、何を疑ってもよくなった。その結果、さまざまな分野で意見と事実の差がなくなった」と述べている。

現代アメリカの代表的な陰謀論がトゥルーサー(truther)とバーサー(birther)だ。

トゥルーサーは「9.11トゥルース運動」に参加するひとたちで、さまざまなヴァージョンがあるが、「アメリカ政府内の何者かが9.11を計画したか、それを防止する手立てをわざわざ取らなかった」とする。アル・カイダのテロリストに乗っ取られた航空機が世界貿易センタービルに激突する瞬間、UFOが現われた(あるいは悪魔の顔が写真に写った)との風説も広まっている。

バーサーは、「オバマはハワイではなくケニア生まれなので、アメリカ大統領になれない」と主張するひとたちだ。ウォーカーによれば、この陰謀論が白人のあいだに急速に広がったのは、それが「魔法のような解決法」だったからだ。

白人が「黒人」のオバマを批判すると、レイシスト(人種主義者)のレッテルを貼られてしまう。だがオバマに大統領の資格がないとするならば、「自分はオバマを支持しているが(オバマの政策に賛成だが)、残念なことに、合衆国の憲法の規定によって彼は大統領になることができない」と自分の偏見を正当化できる。

そもそもバーサー説は2008年の民主党予備選挙でヒラリー・クリントンの支持者がいいはじめたもので、それをドナルド・トランプが引きついでSNSでオバマの出生疑惑を追及し、熱狂的なフォロワーを獲得して16年の大統領選の地歩を築いた。――これが現在に至るトランプとオバマの遺恨につながっている。

Qアノンの陰謀論にUFOが登場するわけではないが、これがさらに複雑な事態を引き起こしている。UFO+新世界秩序の荒唐無稽な陰謀論があまりにも広がったため、「陰謀論者とはUFO信者のことだ」とされるようになった。そうなると、UFOを信じていないQアノンは「陰謀論者」でないことになる。連邦議会議事堂を占拠したトランプ支持者が、「陰謀論者はUFOがもうすぐ降りてくるとか、そういう類のものだ。立証されている事実は、陰謀論にはなり得ない」と力説するのは、こうした背景があるのだろう(2月7日朝日新聞「「トランプ寄り」報道が情報源」)。

「誰もが自分の信じたいものを信じる権利がある」のなら、この対立には解決はない。これからますます、現実と虚構が混沌とした世界が「加速」するのではないだろうか。

禁・無断転載

「子どもを性犯罪から守るために、どこまですべきなのか」という問題 週刊プレイボーイ連載(577)

学校や保育園、児童養護施設などが、従業員の性犯罪歴をデータベースで確認する「日本版DBS(Disclosure and Barring Service)」の実現に向けて、こども家庭庁が早ければ今秋の臨時国会に法案を提出すると報じられました。

イギリスでは2002年、南東部のソーハムで、お菓子を買いに出かけた10歳の少女2人が行方不明となり、近くに住んでいた中等学校の用務員の男が、少女たちを家に誘い込んで絞殺したとして終身刑に処せられました。

この事件がイギリス社会を大きく揺るがせたのは、犯人の男がこれまで何度も性暴力の疑いをかけられていたことです。そのなかには、10代の少女らと性的関係をもち、そのうちに1人が15歳で女児を出産したとして、3度にわたって警察に通報されたというものもありました。ところがこれは、女児たちが男との性交渉を否定したため起訴できず、その後、18歳の女性をレイプしたとして逮捕された事件では、合意のうえだという弁明を覆す証拠がなく、起訴が取り下げられました。

当然のことながら、こうした行状は噂になり、男は解雇されて転居し、学校の用務員の仕事に就きました。ところがソーハムの住人たちは、男の性犯罪歴についてなにも知らされていなかったのです。

男の危険性がわかっていれば、少女たちは殺されずにすんだとの強い批判を受けて、教育省は子どもと接する仕事に就けない人物のリストを作成し、その後、2012年にこの業務が政府から一定の距離を置く組織に移されDBSが発足します。

イギリスのDBSの特徴は、対象範囲が広く、チェックが厳しいことです。

日本版DBSでは、確認対象は「裁判所による事実認定を経た前科」とされますが、これはイギリスでは「基本チェック」にあたり、個人の自宅に商品を運ぶ仕事も対象になります。配送業者の従業員は配達先の個人情報を手にし、「子どもが玄関のドアを開ける可能性もある」からだそうです。

「標準チェック」では犯罪歴に加え、警察からの戒告処分や警告処分なども確認されます。学校の教員や手術医など、「職業柄、子どもや脆弱な大人に直接関わり、権限を行使する」職業に就く者は「拡張チェック」によって、有罪になっていないような警察の懸念事項なども調べられます。この拡張チェックは現在、400万人が受けるように義務付けられます。

驚くのは、DBSに調査部門があり、雇用主から性加害の懸念が伝えられると、警察や関係者から情報を集め、その人物の就業を禁止できることです。半官半民の組織が、裁判のような司法手続きを通さずに、職業選択の自由を制限する大きな権力を与えられているのです。その結果イギリスでは、DBSは年間700万件以上の証明書を発行し、約8万人が子どもにかかわる仕事に就くことができなくなっています。

社会がよりリベラルになり、子どもの数が少なくなるにつれて、小児性犯罪は「魂の殺人」とされ、いっさい許容されなくなりました。本家に比べれば日本版DBSの権限は微々たるものですが、日本も同じリベラル化の潮流にある以上、やがて社会の圧力によって巨大な組織になっていくかもしれません。

参考:「性犯罪歴などで就業制限 英国の「DBS制度」の今」朝日新聞2023年9月11日

『週刊プレイボーイ』2023年9月25日発売号 禁・無断転載

アメリカ人はカルト空間に閉じ込められているのか

ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。

今回は2020年11月13日公開の「「アメリカ人はカルト空間に閉じ込められている」
大統領選の「異常」な事態こそが”アメリカらしさ”」です(一部改変)。

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1995年の地下鉄サリン事件のとき、雑誌編集者として何人かのオウム真理教の信者から話を聞いたことがある。事件に関与した教団幹部ではないが、いずれも20代後半から30代前半で、国立大学か有名私立大学を卒業し、その多くは大手企業に就職した経験があった(もっとも高学歴だったのは東京大学大学院修士課程在学中の在家信者だった)。

教団は当時、世界はフリーメーソンによって支配されており、自分たちは米軍とCIAから毒ガス攻撃を受けているとの奇怪な主張をしていたが、彼らは(私が会ったのは全員が男性信者だった)露骨な「陰謀論」を口にすることを慎重に避けていた。とはいえ言葉の端々から、自分たちが「世界の秘密(神秘体験)」を知った“選ばれた人間”だという意識がはっきり感じられた。

そんな彼らの話を繰り返し聞いているうちに、この賢い若者たちは「カルト空間」に閉じ込められているのではないかと思うようになった。本人は理路整然と話しているつもりでも、思考の根拠が歪んでいるので、会話はどこか妄想めいたものになってしまうのだ。もっともそのことは自分でもわかっているらしく、「この世界こそが妄想だ」というポストモダン的な相対主義へと議論は向かっていくのだが。

アメリカ大統領選の混乱を見ながらそんな昔のことを思い出したのは、トランプ大統領が「ディープステイト(闇の政府)」と戦っているというQアノンの陰謀論や、「レイシスト」の警察を解体し自主管理でコミュニティを運営しようとする左派(レフト)の理想主義に、同様の「思考の歪み」を感じたからだ。

アメリカはファンタジー(魔術思考)に支配されてきた

「アメリカ人がカルト空間に閉じ込められている」というのは、私の思い込みというわけではない。2016年のトランプ大統領誕生後に刊行され、大きな話題となった『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』( 山田美明、山田文訳、東洋経済新報社)で、作家のカート・アンダーセンは、アメリカという国は「自分たちだけのユートピア」を求めて故郷を捨てたピルグリム・ファーザーズという「常軌を逸したカルト教団によって建設された」と述べている。

それ以来500年のあいだ、アメリカは「ファンタジー(魔術思考)」に支配され、ひとびとはしばしば「狂乱」に陥った。そうした歴史を顧みるならば、真実(トゥルース)を否定する大統領の登場はなんら驚くようなことではなく、むしろ必然だったとアンダーセンはいう。

17世紀、アメリカ=新世界はヨーロッパ人にとって「空想の場所」であり、「熱病が生み出す夢、神話、楽しい妄想、幻想の場所」だった。新世界を目指す者たちは「スリルと希望に満ちたフィクションを信じるあまり、この夢が叶えられなければ死ぬ覚悟で、友人、家族、仕事、分別、イングランド、既知の世界など、あらゆるものを捨てて旅に出た。そして大半が本当に死んだ」。

新世界に最初にやってきたイングランド人たちは、「魅力的な信念や、大胆な希望や夢、真実かどうかわからない幻想のために、慣れ親しんだあらゆるものを捨て、フィクションの世界に飛び込むほど向こう見ずな人たちだったに違いない」とアンダーセンは書く。

だとしたら、夢に駆り立てられて大西洋を渡ったヨーロッパ系アメリカ人の祖先は、母集団である平凡なヨーロッパ人と比べてなんらかの性格的なちがいがあるのだろうか。大多数のひとたちは、同じような困難な境遇にありながらも、故郷にとどまることを選んだのだから。

パーソナリティ心理学は、こうした性格傾向(特性)を「外向性/内向性」と「経験への開放性」で説明する。

「外向性/内向性」は近年では、性格的に明るい(陽気)か暗い(陰気)かではなく、刺激に対する感度(覚醒度)のちがいとされる。外部から五感に一定の刺激を受けた時、外向性パーソナリティでは脳が反応する閾値が高く(感度が鈍く)、内向性パーソナリティでは閾値が低い(感度が高い)。

脳の覚醒度には心地よく感じる一定の範囲があり、そこから外れることを嫌って無意識に(自動的に)刺激を調整しようとする。外向的なひとは最適な閾値に対して脳が低活動なことが多く、刺激が足りないと感じているから、見知らぬひとたちが集まるパーティ、大音響でアップテンポの曲が演奏されるライブハウス、危険なスポーツや不倫のようなあやうい恋愛に魅かれるだろう。

一方、内向的なひとは最適な閾値に対して脳が活動過多なことが多く、強い刺激を苦手にするから、パーティやクラブを避け、一人で読書をしたり、クラシック音楽を聴くのを好み、決まったパートナーと長く暮らすか、あるいは独身を貫くかもしれない(刺激に対して極端に感度が高いパーソナリティは、最近は「繊細さん」と呼ばれる)。

「経験への開放性」は新しもの好き(新奇性)のことだとされていたが、これもいまでは「意識の解像度のちがい」だと考えられている。開放性の高いひとは解像度が低く、さまざまな(余分な)情報が意識に流れ込んでくる。開放性の低いひとは解像度が高く、意識の焦点が合っている。

意識の解像度が低いと、大量の情報を処理できなくなって妄想的になるが、思いがけないものを結びつけて奇抜な比喩や斬新なアイデアを思いつくこともある。もっとも「経験への開放性」が高いのが詩人だが、芸術家だけでなく科学者やベンチャー起業家(スティーヴ・ジョブズ)にもこのタイプは多い。それに対して意識の解像度が高い(「経験への開放性」が低い)と、安定しているものの型にはまった生活や考え方をしがちだ。

アンダーセンの『ファンタジーランド』をパーソナリティ心理学で説明するならば、外向的(強い刺激を求める)で、なおかつ経験への開放性が高い(妄想的な)移民が集まってきたことで、アメリカは「狂気と幻想の国」になったのだ。

「旅人遺伝子」の謎

「陽気で活動的で、つねに新しいことにチャレンジする」というアメリカ人のステレオタイプは、パーソナリティ心理学の「外向性」と「経験への開放性」にぴったり重なる。「経験への開放性」は芸術的な感性やイノベーションと結びついており、それがアメリカを、映画や音楽など魅力的なエンタテインメントを生み出したり、シリコンバレーから続々とベンチャー企業が誕生する「夢の国」にしたのかもしれない。だがその一方で「経験への開放性」は妄想的傾向の指標ともなり、その値が極端に高いと(意識の解像度が低すぎると)統合失調症と診断される。

行動遺伝学によると、性格的傾向のおよそ半分は遺伝で、残りの半分は環境で説明できる。アメリカで起きる常軌を逸した(ように見える)出来事の背後には、なんらかの「生得的」なものがあるらしい。

じつは同じような印象を、オウム真理教の信者にも感じた。彼らはもちろん「異常」などではなく「ふつうの若者たち」だったが、そこには一定の性格的な傾向があった(すくなくともそのように感じた)。それを当時は「夢を見ているような」と表現したが、まさに「経験への開放性が高い」パーソナリティだ。オウム真理教がその特異な教義によって「妄想的」な若者たちを選択的に引き寄せいていたと考えれば、信者たちに抱いた私の困惑をうまく説明できる。

もちろん、ある社会現象を「遺伝的」あるいは「生得的」な要素に還元することは慎重でなければならない。「アメリカ」と「オウム真理教」を同列に語るのならなおさらだ。

それでもこの話を書こうと思ったのは、近年、ヒト集団のあいだでドーパミンの影響にちがいがあることがわかってきたからだ。――外向性や経験への開放性には、脳内神経伝達物質のドーパミンがかかわっている。

アメリカの精神医学者ダニエル・Z・リーバーマンは、ライターのマイケル・E・ロングとの共著『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』( 梅田智世訳、インターシフト)で、「旅人遺伝子」についての興味深い議論をしている。

1996年、イスラエルの研究者リチャード・エプスタインが4番目のドーパミン・レセプターを発見した。DRはドーパミン・レセプター(受容体)の略で、D1DRからD5DRまで5種の亜型が存在する。このうち4番目のD4DRは認知や情動との関連が強い大脳皮質や中脳辺縁系に集まっており、新奇性(新しいものや変わったもの)追求の傾向に関係するとされる。

このD4DRの第3エクソン(遺伝子をコードする部分)は繰り返し回数に個人差があり、2~12回の多型がある。エプスタインの発見が注目されたのは、繰り返し回数が6回以上のグループと、5回以下のグループで新奇性追求に有意な個人差があることが示されたからだ。この繰り返し回数(エクソンの長さ)は4回と7回が多いため、短いグループを4R、長いグループを7Rと呼ぶこともある。

D4DR-7Rの遺伝子タイプは脳内のドーパミン活動量が多く、「退屈への耐性が低く、新しいものやめずらしいものならなんでも追い求める。衝動的、探索的、移り気、興奮しやすい、浪費癖といった傾向を示すこともある」とされる。それに対してD4DR-4Rの遺伝子タイプは「内省的、頑固、誠実、禁欲的、気長、質素である傾向が強い」。このちがいは政治イデオロギーにも影響し、新奇性を追求する7Rは「リベラル」で、新奇性を避ける4R は「保守」になる傾向があるともされる。

この説はいまだ完全に立証されてはいないものの、2つの遺伝子タイプは「経験への開放性」パーソナリティと一致する。保守的な4R が故郷に残り、夢を実現するためにリスクを恐れず海を渡った移民たちには7Rの「冒険家タイプ」が多いのではないだろうか。

この疑問はじつは研究されていて、世界では平均して5人に1人が7Rの遺伝子をもっているが、その割合は地域によってかなり異なる。人類発祥の地(アフリカ)の近くにとどまった集団には7R の遺伝子が少なく(4Rの遺伝子が多く)、より遠くまで移動するほど7R 遺伝子の割合が高くなるのだ。

アメリカ大陸では、ベーリング海峡を渡って北から南へと旅をした道程と平仄を合わせるように、インディアン/インディオの7R 遺伝子保有比率は北米32%、中米42%、南米69%と高くなっていく。「長いアレル(遺伝子タイプ)を持つ人の割合は、移動距離が1000マイル長くなるごとに4.3ポイント上昇する」のだ。

これがD4DR-7R が「旅人遺伝子」とされる理由だが、リーバーマンは、これにはもうひとつの解釈が成り立つという。

それまでとまったく異なる環境で生きていくのはきわめて大きなストレスがかかる。だとすれば、新しい刺激(新奇性)に対する耐性(低反応性)をもつ者の方がうまく環境に適応できるのではないか。この説明では、ある集団のなかで7Rの遺伝子タイプをもつ者たちが選択的に移住への旅に出たのではなく、「ひとたび移動が始まったあとに7R遺伝子の保有者が生存上有利になった」ことになる。

リーバーマンは、「旅人遺伝子であれば、距離にかかわらず、移動をはじめた者は均等に7Rの遺伝子をもっているはずだ」という。だが実際には、アメリカ大陸のインディアン/インディオに見られるように、移動距離に応じて7R 遺伝子の保有割合が高くなっている。これは何世代にもわたってなじみのない環境に適応した結果で、「7Rの遺伝子は移動の引き金ではなく、移動する者たちの生存を助けるものだった」ことを示しているという。

双極性障害の4つのタイプ

約5万年前の「出アフリカ」によってヒトはユーラシア大陸全域からアメリカ大陸、オセアニアなど地球全土に広がっていった。アフリカからの移動距離が遠くなるほど、新奇な環境への適性をもつ7Rの遺伝タイプが多くなっていく。同様にアメリカ人の(ヨーロッパ系の)祖先たちも、旧大陸と大きく異なる環境に適応するために、それに最適なパーソナリティだけが残ったのだろうか。

これは魅力的な仮説だが、じつは現代の移住にはあてはまらない。「移民集団の7R遺伝子の保有率は祖国にとどまっているひとたちとほとんど変わらない」のだ。そうなると、「ファンタジーランド」の別の説明が必要になる。

じつは、脳内のドーパミン濃度は4Rか7Rかの遺伝子タイプだけで決まるわけではない。神経伝達物質は、いったん分泌されほかの脳細胞の受容体と結合したあと、相互作用を終わらせるために放出元の細胞に戻される。この回収作業を行なうのがニューロンのトランスポーターで、いわば「再取り込みポンプ」だ。抗うつ剤として広く使われているSSRIは、セロトニンの再取り込みを阻害する(受容体に蓋をする)ことで脳内のセロトニン濃度を高める作用がある。

ドーパミンの再取り込みを担うのがドーパミン・トランスポーターだが、コカインにはその再取り込みを阻害する効果がある。その結果、コカインを摂取すると脳内のドーパミン濃度が高まり、気分が高揚したり、集中力が高まったりする。この作用は「躁状態」によく似ている。

いまだ諸説あるものの、双極性障害(躁うつ病)にはセロトニンとドーパミンの両方がかかわっている。うつ状態では脳内のセロトニンが枯渇しているが、そこになんらかの要因でドーパミンが増えると躁状態がやってくる。この躁状態は、同じく脳内のドーパミンに強く影響される統合失調症とよく似ている(妄想や幻聴などが現われて区別がつかないこともある)。

この仮説が正しいとすると、双極性障害の発症率は、ヒト集団におけるドーパミン・トランスポーターの効率のちがいを表わしているかもしれない。世界全体では人口のおよそ2.4%が双極性障害を患っているが、アメリカ国民の双極性障害の有病率は世界最高の4.4%で、世界のほかの地域の2倍近くにのぼる。

さらに、アメリカでは双極性障害の患者のおよそ3分の2が20歳までに発症するが、ヨーロッパではその割合は4分の1にすぎない。リーバーマンはこれを、「アメリカの遺伝子プールでは(双極性障害の)高リスク遺伝子の密度がほかよりも高い」からだとする。

双極性障害はスペクトラム(連続体)で、重度から軽度に向けて大きく4つのタイプに分けられる。

  1. 双極Ⅰ型 うつ状態と躁状態がはっきりとした精神疾患で、典型的な躁うつ病。躁状態では極度のハイパーテンションになり、まったく眠らずに過活動しても疲れを感じず、全財産をギャンブルに注ぎ込んだり、上司に辞表を叩きつけて事業を始めたり、ローンを組んで高額の買い物をしたりする。その病状は、脳内のドーパミン濃度を上げるアッパー系のドラッグによく似ている。
  2.  双極Ⅱ型 うつ状態は重度だが、躁は軽躁状態と呼ばれる比較的軽いものになり、場合によっては単極性のうつ病と区別が難しい場合もある(そのため、単極性うつ病から双極性障害へと病態が連続しているとの説もある)。
  3.  気分循環症(サイクロサイミア) 軽躁状態と軽いうつのサイクルで、社会生活には問題ないものの、周囲からは「気分が変わりやすい」と思われる。
  4.  発揚気質(ハイパーサイミック) うつ状態のない軽躁状態が続くことで、「活動過多(ハイパー)な性格」とされる。

リーバーマンは発揚気質のパーソナリティを、「陽気で気力に溢れ、ひょうきんで過度に楽観的で、過剰な自信を持ち、自慢しがちで、エネルギーとアイデアに満ちている。多方面に広く関心を向け、なんにでも手を出し、おせっかいで、あけっぴろげでリスクを冒すのを厭わず、たいてはあまり眠らない。ダイエット、恋愛、ビジネスチャンス、さらには宗教といった人生の新たな要素に過剰に熱中するが、すぐに興味を失う。しばしば偉業を成し遂げるが、一緒に暮らすと苦労する相手でもある」と描写する。――これはアメリカ人の「自画像」そのものだ。

アメリカは「軽躁文化」、日本は「抑うつ文化」

双極性障害がスペクトラムだとすれば、もっとも重度な双極Ⅰ型(躁うつ病)の有病率が高い社会では、より軽度な双極Ⅱ型だけでなく、サイクロサイミア(気分循環症)やハイパーサミック(発揚気質)の比率も高くなるはずだ。そして、これこそがアメリカ社会の特徴だとリーバーマンはいう。とりわけ「西部諸州を切り開いた冒険的な開拓者は、リスクを厭わず興奮を求める性格の持ち主で、遺伝的にドーパミン活性過剰である可能性が高い」とされる。

双極性スペクトラムのなかでもっとも裾野が広い(人数の多い)ハイパーサミックは、「異常な症状をいっさい体験することなく、モチベーションの高さ、創造性、リスクを冒して大胆な行動をとる傾向などの、平均以上のドーパミン活性レベルを反映した利点を享受している」。社会的・経済的な成功者を思い浮かべれば、その多くが「知能の高いハイパーサミック」だとわかるだろう。

脳内のドーパミン濃度が平均より高い「軽躁状態」のひとたちは自己効力感も高い。「人生における成功は、自分ではコントロールできない外部の力に左右されると思いますか?」という質問に「はい」と答えた割合は、ドイツ72%、フランス57%、イギリス41%に対しアメリカは3分の1をわずかに超える程度だという。「自助自立」というアメリカ建国の理念は、たんなるイデオロギーではなく、ハイパーサミックなアメリカ人の気質にぴったり合ったからこそ長く強固に受け継がれてきたのだ。

(アメリカ人である)リーバーマンはハイパーサミックのよいところしか書いていないが、それが躁うつ病への連続体だとするならば、強いストレスが加わると(より重度の)サイクロミアから双極Ⅱ型に移行するかもしれない。このことは近年、経済格差の拡大するアメリカでうつ病が急増していることの有力な説明になる。

参考:アメリカはディストピアで、日本はユートピアなのか

さらに、過度なドーパミンが妄想(統合失調症)につながるという負の側面に目を向ければ、アンダーセンが『ファンタジーランド』で描いた「狂気と幻想」にとらわれたひとたちの姿になる。アンダーセンはアメリカ社会の特徴をこう述べている。

わが国が奉じる超個人主義は最初から、壮大な夢、あるいは壮大な幻想と結びついていた。アメリカ人はみな、自分たちにふさわしいユートピアを建設するべく神に選ばれた人間であり、それぞれが創造力と意志とで自由に自分を作り変えられるという幻想である。

こうしてアメリカ人は、「あらゆるタイプの魔術思考、何でもありの相対主義、非現実的な信念に身をゆだねていった」。Qアノンの陰謀論がその延長上にあるのなら、いま起きている「異常」な事態こそが“アメリカらしさ”なのだ。

ところで、ドーパミンから見た日本人のパーソナリティはどのようなものだろうか。リーバーマンによると、「移民のほとんどいない日本では、(移民の多いアメリカの4.4%に対して)双極性障害の有病率は0.7%ほどで、世界でもきわめて低い」とされる。そうなると、裾野を形成する双極Ⅱ型やサイクロサイミア、ハイパーサミックの割合も低くなるはずだ。それに加えて、DRD4遺伝子の繰り返し回数には人種差があり、東アジア系は繰り返し回数が少なく、これが強い刺激を避ける内向性パーソナリティにつながっているとの研究もある。

そう考えると、日本人の特徴は脳内のドーパミン濃度が低いことで、軽躁状態(ハイパーサミック)の恩恵を被れないかわりに、社会が「魔術思考」で混乱することも(あまり)ないのではないか。日本人が覚せい剤のようなアッパー系のドラッグを好むことも、この「低ドーパミン気質」から説明できるかもしれない。この生物学てな特徴が、アメリカを「軽躁部文化」、日本を「抑うつ文化」にしているのだ。

もっとも、これは日本人が「理性的」だということではない。経験への開放性が低いと型にはまった考え方しかできなくなり、だからこそ画期的なイノベーションよりも既存の技術の改良を得意とするのかもしれない。また、戦前の日本を見ればわかるように、低ドーパミン気質でも強い圧力が加わるとたちまち妄想的になってしまう。

だからこれはあくまでも相対的なものにすぎないが、世界じゅうから夢に駆り立てられて集まったひとたちが「カルト空間に閉じ込められている」というのは、アメリカ社会の魅力と混乱をかなりうまく説明しているのではないだろうか。

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