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「老人ファシズム」の日本で現役世代は惜しみなく奪われる 週刊プレイボーイ連載(645)
野党から「あんこの入っていないあんパン」などと批判された年金改革法案は、与野党の修正協議を経て、基礎年金の底上げが復活することになりました。
そもそもこの問題は、年金の財政検証によって、32年後の2057年度には(24年度に比べて)基礎年金が約3割減るとされたことで浮上しました。
基礎年金は厚生年金の1階部分で、自営業者などが受け取る国民年金と同じです。現在の国民年金の受給額は、40年間の満額を収めて65歳から受給する場合、月額約6万9000円です。「3割減る」というのは、将来のインフレを調整した実質受給額ですから、月額4万8000円相当、年額約58万円になってしまい、これではとうてい生きていけません。そうなれば生活保護の申請が殺到し、制度は破綻してしまうでしょう。
年金の目減りが直撃するのは、1990年代のバブル崩壊後の就職氷河期に翻弄されたロシジェネ世代です。団塊の世代の雇用を守るために正社員の道を閉ざされた彼ら/彼女たちもいまや50代をむかえましたが、ようやく年金を受け取る年齢になると、こんどは80代になるまで毎年、受給額が減らされてしまいます。本人たちにはなんの非もないのに、「失われた30年」の負の歴史を一生背負わされるのは、きわめて不公正で理不尽です。
そこで厚労省は、厚生年金の積立金を使ったり、国民年金の保険料を払う期間をいまの40年から45年に延ばすなどして、将来の基礎年金を上積みしようとしました。
この案が不評なのは、サラリーマンが自分たちにために積み立ててきた年金保険料を「流用」したり、年金保険料の納付期間を延ばすことでなんとかしようとしているからです。これでは、子育てや住宅ローンの返済などで家計が苦しい現役世代のなかでの再分配になってしまいます。
少子高齢化でも年金制度を「100年安心」にするために2004年につくられたのが「マクロ経済スライド」で、年金支給額を毎年に減らしていくことで、制度は持続可能になるとされました。ところが、年金の名目受給額が減ると高齢者が反発すると恐れた政治家が、デフレ下での発動を延期してしまいます。
その結果、厚生年金のモデル世帯(夫婦2人)で、本来は給付水準(所得代替率)を2004年の59.3%から23年までに50.2%まで下げなければならなかったのに、逆に24年には61.2%まで上がっています。この差が年金受給者の「もらい得」になっているのですから、本来であればそれを財源にして基礎年金を底上げすべきでしょう。
ところが超高齢社会の日本は、「老人が不安になることはいっさい許さない」という“老人ファシズム”なので、「現役世代の負担が限界なら、あとは高齢世代内で再分配するしかない」という当たり前のことを、政治家はもちろん、ふだんは「社会正義」を気分よく振りかざしている大手メディアもいっさい口に出すことができません。
その結果、厚生年金の積立金を「活用」するという当初案に落ち着き、現役世代はさらに搾取されつづけることになったのです。
参考:「政府、低年金対策を削除」2025年5月14日『日本経済新聞』
『週刊プレイボーイ』2025年6月2日発売号 禁・無断転載
愛情あふれる子育てをすれば、子どもは幸福に育つのか
ダイヤモンド社と共同で行なっていた「海外投資の歩き方」のサイトが終了し、過去記事が読めなくなったので、閲覧数の多いものや、時世に適ったものを随時、このブログで再掲載していくことにします。
今回は2020年4月17日公開の「「愛情あふれる子育てによって子どもは幸福に育つ」 という愛着理論は間違い。子育てに関してラットの研究を 擬人化するのは問題があった」です。(一部改変)

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近年の遺伝学では、「獲得形質は遺伝する」という驚くべき知見が明らかになりつつある。これがエピジェネティクスで、胎内ばかりでなく出産後も環境に適応して細胞レベルの変化が起きる。こうした変化は遺伝子に刻印され、子どもや孫の世代にまで伝えられていくというのだ。
エピジェネティクスは私たちの人間観をどのように変えていくのか。今回はきわめて有名なラットの実験を紹介しつつ、この疑問を考えてみたい。
ラットでは母親の子育てで子どもの性格が決まる
1990年代末、カナダ・モントリオールにあるマギル大学の神経科学者マイケル・ミーニーのラボで、研究者がちょっとしたことに気づいた。
ラボではたくさんのラットを飼育していて、研究者はケージから子ラットを取り出し、検査したり体重を測ったりしたあと母親のもとに戻すのだが、そのとき、子どもに駆け寄って時間をかけてなめたり(リッキング)毛づくろいしたり(グルーミング)する母ラットもいれば、子どもになんの関心も示さない母ラットもいる。そのことに興味をもった研究者がストレスホルモンを測ってみると、ケージから出されたことで高まった子ラットのストレスレベルが、母ラットがなめたり毛づくろいしたときだけ大きく下がっていたのだ。
ミーニーたちはこの現象をより詳しく調べようと、子ラットが生まれてから10日間、1日8回、それぞれ1時間ずつ計8時間、母ラットがなめた回数と毛づくろいした回数を数え、母ラットを高LGと低LGのグループに分けた。LGは「リッキングlicking(なめること)」と「グルーミングgrooming(毛づくろい)」の略だ。
子ラットは生後22日で母親から引き離され、同性のきょうだいと同じケージで育てられた。生後100日ほどで成体になると、研究者は高LGの母ラットから生まれた子どもを低LGの子どもと比較した。
ラットを仕切りのない広い箱に5分間入れ、自由に探索させるのがオープンフィールドテストだ。神経質なラットは壁から離れようとせず、周辺部を回るように動くが、大胆なラットは壁から離れてフィールド全体を探索して歩く。
恐怖心を測定するテストでは、空腹のラットを新しいケージに入れて食べ物を差し出し、10分間置いておく。不安感の強いラットは食べ物に手を出すまでに時間がかかり、大胆なラットは食べる時間も長く量も多い。
結果は明瞭で、オープンフィールドテストでは、低LGグループのラットが5分間のうちにフィールドの真ん中に探検に行った時間は平均して5秒を下回ったのに対し、高LGのグループは平均35秒をフィールドの真ん中で過ごした。恐怖心を測定するテストでは、高LGのラットが平均4分ほどためらったあと、差し出された食料を2分以上食べていた一方で、低LGのラットは食べはじめるまでに平均9分以上かかり、食べたのもほんの数秒だけだった。
それ以外のさまざまなテストでも、高LGグループの子ラットは迷路を抜けるのがうまく、社会性があり、好奇心が強く、攻撃性が低く、自制が効き、より健康で長生きなことがわかった。初期の母親の行動のほんのすこしのちがいが、何カ月もあとの成体の行動に重大なちがいを生んだのだ。 続きを読む →
トランプの外圧で自衛隊を「ふつうの軍隊」に 週刊プレイボーイ連載(643)
トンランプ政権の関税措置では、日本は無茶な言いがかりをつけられているという報道があふれています。たしかに、日本に24%の追加関税を課す根拠となった計算式はいい加減で、経済学者らからの批判を受けて、アメリカ側は説明を放棄してしまったようです。
しかし個別に見ていくと、トランプの指摘にももっともなものがあります。
コメについては、日本が700%の関税をかけているという主張が荒唐無稽だとされました。とはいえこれは、農水省が2005年にWTO(世界貿易機関)と関税率を交渉したときに、自ら778%と説明した数字です。その後、13年に280%に修正されましたが、直近では、国際的なコメ相場から単純計算した実質関税率で400%強になるとされます。700%はたしかに大袈裟ですが、それでも海外のコメに異常に高い関税を課していることは間違いありません。
コメの価格が大きく上昇したことで、石破政権は備蓄米を放出するなどの対応に追われています。しかしこの問題には、もっと簡単で効果的な解決策があります。トランプが求めるようにコメの関税を撤廃すれば、輸入米の価格が大きく下がって日本の消費者も喜び、ウィン―ウィンになるでしょう。
非関税障壁としては、「日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の不平等な競争環境」が指摘されています。
かんぽ生命では2019年に、ノルマに追われる郵便局員が、高齢の契約者に対して詐欺まがいの営業を行なっていたことが明るみに出て、郵便局に対する信用が失墜しました。さらに24年には、かんぽ生命の保険商品の勧誘に使うため、ゆうちょ銀行の顧客155万人の情報を同意を得ずに不正にリスト化していたことも明らかになりました。
金融機関としてはあり得ない不祥事が常態化しているのは、小泉政権の郵政改革が中途半端に終わったからです。ゆうちょ銀行とかんぽ生命は解体するか、郵政グループから切り離し、完全民営化して金融庁の監督下に置くべきでしょう。
さらにトランプは、「われわれは日本を守らなければならないが、日本はわれわれを守る必要がない」と述べて、日米安保条約に対する不満を繰り返しています。
日本側は関税交渉が安全保障問題に「飛び火」することをなんとしても避けようとしているようですが、そもそも石破首相自身が、安保条約は「おそらく世界で唯一の非対称双務条約」であるとして、安保条約と地位協定の見直しをセットで行なうことを主張してきました。「対等な地位協定」は「対等な同盟関係」からしか生まれないのですから、これはきわめて理にかなっています。
石破氏は憲法9条を改正し、自衛隊を軍法や軍事裁判所をもつ「ふつうの軍隊」にすべきだというまっとうな主張をしてきました。残念なのは、トランプの「外圧」によって、長年の理想を実現できる絶好の好機が到来したのに、それをむざむざ捨てようとしているように思えることです。
石破首相はいまこそホワイトハウスに乗り込んで、トランプと堂々と安全保障問題について議論すべきです。そうでなければ、なんのために首相になったのかを問われてもしかないないでしょう。
参考:石破茂、倉重篤郎『保守政治家 わが政策、わが天命』講談社
『週刊プレイボーイ』2025年5月26日発売号 禁・無断転載