俺たちのカワシマを守れ! 週刊プレイボーイ連載(19)

すこし前のことですが、ベルギーリーグのリールスに所属する日本代表ゴールキーパー川島永嗣選手が、アントワープのクラブ・ゲルミナル戦で、ゴール裏の相手サポーターの「カワシマ、フクシマ」という野次に抗議し、試合が一時中断されるという出来事がありました。

この試合のダイジェストはYoutubeにアップされていて、それを見ると試合はリールスのホームゲームで、開始前には東日本大震災の犠牲者のために黙祷が捧げられています。それだからこそ、福島原発事故の被災者に対する心ない野次は許されず、毅然として審判に申し出た川島は立派です。

試合は後半16分にリールスが先取点をあげたあたりから荒れはじめ、中断再開後の後半35分、ディフェンダーのクリアミスから同点に追いつかれると、こんどはリールスサポーターがゲルミナルのゴールキーパーに激しい野次を飛ばす騒然とした雰囲気になったようです。

この出来事はヨーロッパでも大きく報じられ、試合の翌日にはゲルミナルのホームページにサポーター代表の謝罪が掲載されました。現在は、クラブの選手・関係者による日本語の謝罪文と、サポーターへの義捐金の呼びかけがトップページに掲げられています。

ヨーロッパサッカーでは、黒人選手に対するモンキーチャントなど、人種差別が大きな問題になってきました。フーリガンと呼ばれる暴力的なサポーターにはネオナチなどの白人至上主義者も多く、サッカーが人種間の憎悪を増幅させているとの批判もあります。

残念なことに、私たちは人種や国籍で無意識のうちにひとを差別してしまいます。進化心理学でいうならば、これは“差別のプログラム”がヒトの遺伝子に埋め込まれているからです。

しかしサッカーには、「差別」とは別の進化論的プログラムによって、このやっかいな性向を修正する素晴らしい機能があります。それが“チーム愛”です。

川島に対する「フクシマコール」に本気で怒ったのは、リールスのサポーターたちでした。彼らは福島原発事故のことを知ってはいても、遠い日本のニュースにさほどの興味は持っていないでしょう。

それではなぜ彼らは激昂したのか。それは、「俺たちのカワシマ」が“奴ら”に侮辱されたからにほかなりません。

どんなサポーターも、人種や国籍に関係なく、自分が愛するチームの選手への誹謗中傷はぜったいに許しません。それは、自分への侮辱と同じことだからです。

この本能的な怒りには、なんの理屈もありません。遠い国からやってきた選手がチームの一員に加わったとたん、なにかの魔法にかかったかのように、あらゆる“ちがい”は消滅して自分と一体化してしまうのです。こうして、ネオナチの若者が黒人選手の熱狂的なファンになるという「奇跡」が起こります。

ヨーロッパサッカーは、世界じゅうから一流選手が集まることで、あちこちでこうした小さな奇跡を起こしています。「俺たちのチームが世界一だ」という偏狭なローカリズム(地域主義)が、人種の壁や国境を超えてグローバリズムへとまっすぐにつながっていくところに、サッカーのいちばんの魅力があるのです。

『週刊プレイボーイ』2011年9月19日発売号
禁・無断転載

レストランとPECTOPAH

ロシアから帰ってきました。旅の印象はあらためて書くとして、とりあえずちょっとしたTipsを。

ロシア旅行でいちばん戸惑うのはキリル文字(ロシア文字)です。ギリシア文字をもとに考案されたアルファベットですが、英語と同じ文字を使いながらまったく異なる発音のものがいくつもあって、それが混乱のもとになります。

たとえば、ロシア語の「H」はN、「P」はR、「C」はS、「y」がUといった感じです。そのため、「ロシアに文字が伝わるときに文法書を載せた船が難破し、記憶だけでアルファベットをつくったからだ」といわれたりしました。

旅行者がどれほど困惑するかの格好の例が、街中のあちこちで見かける「PECTOPAH」の看板です。英語と同じ文字が使われていますがこれはロシア語で、上記の規則を適用すると、「RESTORAN」であることがわかります。これは、レストランの看板なのです。

ロシア語は、英語やフランス語とはちがって、文字通りに発音すればいいだけです(ローマ字表記みたいなものです)。だからいったん馴れてしまうと、「ボルシチ」「ストロガノフ」「カフェ」などのメニューや、人名や駅名も簡単に読めるようになります。

基本的な母音と子音さえ覚えておけば、モスクワやサンクトペテルブルグの地下鉄も自由に乗りこなせます。なお、地下鉄には自動販売機がなく、窓口に並んで回数券(回数分の料金がチャージされたICカード)を購入することになります。英語はほとんど通用しませんが、必要な回数を紙に書いて見せれば大丈夫です。

テロ対策で、地下鉄のエレベーターはすべてモニターで監視されています。モスクワの地下鉄は核戦争時にシェルターに転用できる大深度ですが、記念に写真を撮ったりすると警察官に尋問されるので、エレベータではおとなしくしていたほうがいいようです(パスポートを見せたうえで、撮影した写真をすべてチェックされました)。

あと、モスクワもサンクトペテルブルグも天気が変わりやすいので、傘をつねに持ち歩くことをお勧めします。

これはビストロBistro
カフェハウスCafe House いたるところにあるチェーン店
Subwayはサブベイ
ご存知マクドナルド

日本の若者はほんとうにリスクをとらないのか? 週刊プレイボーイ連載(18)

日本人はリスクをとらない、といわれます。最近の若者は海外に出ようとせず、アメリカの一流大学では、留学生のほとんどは中国か韓国の学生になってしまった、との嘆きもよく聞かれます。

これが、日本の将来に対する重要な警告であることは間違いありません。しかし保守的で臆病で日本を離れたがらない若者というのは、日本人の「国民性」なのでしょうか。

ひとはどんなときでも、自分の利益を最大化すべく合理的な選択をする、と考えてみましょう。すると、ちがった風景が見えてきます。

プロサッカーの世界では、たくさんの若者たちがヨーロッパに渡っています。長谷部や本田、長友、香川といったJリーグで活躍した選手だけでなく、アーセナルの宮市亮のように高校を卒業してすぐにヨーロッパリーグで活躍する選手も登場しました。

なぜサッカー選手たちは、大きなリスクをとって海を渡るのか? 彼らは、特別な日本人なのでしょうか。

もちろん、そんなことはありません。しかし、ごくふつうの日本人とプロサッカー選手ではひとつ決定的なちがいがあります。中田英寿が示したように、世界最高峰のヨーロッパリーグで成功することの利益―これは金銭だけでなく名声(評判)も含まれます―はとてつもなく大きいのです。

合理的な個人は、つねにリスクとリターンを秤にかけて最適な行動をとろうとします。じゅうぶんなリターンがなければ現状を維持し、リスクに対して期待リターンがはるかに大きいと思えばチャレンジするというのは、ごく当たり前の選択です。この原理は日本人であろうが外国人であろうが同じで、だとすると、日本人が保守的な理由は国内にとどまることのリターンが大きいからにちがいありません。

韓国の音楽マーケットの規模は日本の20分の1以下だといいます。これが、Kポップのアイドルたちが続々と日本にやってくる理由です。サッカーも同じで、Kリーグでは成功しても収入に限界があるので、選手たちはJリーグやヨーロッパリーグを目指します。韓国人がアグレッシヴなのは、彼らの能力に国内市場の規模が見合わないからです。

それに対して日本は、長い不況に苦しんでいるとはいえ、いまだにGDPで世界3位の経済大国です。ほとんどの日本人は、海外に出て大きなリスクをとるよりも、国内でそこそこの成功を目指した方がリスクに対するリターンが大きいと考えていて、合理的に行動しているだけなのです。

明治・大正や昭和初期には、多くの日本人が決死の覚悟でアメリカやブラジルに渡りました。これは日本が貧しく、農家の次男や三男は生きていく術がなかったからです。終戦後にアメリカの大学に留学する日本人が増えたのは、欧米と日本の差がまだ大きく、海外の知識を日本に持ち込むだけで大きな利益(や名声)を手にすることができたからにちがいありません。

このことからわかるように、外的な環境が変われば日本人はふたたびリスクをとるようになるでしょう。もっともそのときは、日本国内では生きていくことができないような、そんな世界になっているかもしれませんが。

 『週刊プレイボーイ』2011年9月12日発売号
禁・無断転載