第6回 後味悪い“タダ乗り”批判(橘玲の世界は損得勘定)

被災地の復興支援を目的に東北地方の高速道路を無料化したところ、“タダ乗りトラック”が激増して問題になっている。

東京から九州まで荷物を運ぶ場合、無料化区間の常磐道水戸インターチェンジ(IC)まで北上し、そこでいったん降りて乗り直す。たったこれだけで、東京-福岡間の大型車の高速料金が3万5000円も節約できるのだという。

これは、経済学でいう典型的なフリーライダー(タダ乗り)だ。

警察や消防のような公共財は、利用者から個別に料金を徴収することが難しい。だから国や自治体が、住民から税金を集めてサービスを提供する。このとき大事なのは、一部のひとだけが損することのない公平で効率的なシステムをつくることだ。この制度設計に失敗すると、利用者のあいだに大きな不公平感を生むことになる。

国土交通相は繰り返し、制度の悪用をやめるよう“タダ乗りトラック”に説教している。調査によれば、水戸ICでタダ乗りをしたトラックは14%にものぼるというから、「このままでは被災者以外の無料化措置を打ち切らざるを得ない」という批判には説得力がある。

制度が打ち切りになれば、被災地のために物資を運搬している「正直な」業者も損をすることになる。一部の不正直な者のために正直者がバカを見るのでは社会のモラルは崩壊してしまうから、ひとびとが“タダ乗り絶滅”を求めるのも当然だ。

でも、ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。

まず、国交省も認めているように、“タダ乗り”は完全に合法だ。運送業者は、経費節減のための合理的な行動をしているだけだ。

もちろん、なかには正規の高速料金を支払う「正直者」の運送業者もいるだろう。しかし“タダ乗り”をする業者はその分だけ運送料金をディスカウントできるから、いずれ「正直者」は合理的な運送業者に駆逐されてしまうだろう。

このようにして、けっきょくは誰もが“タダ乗り”するようになり、正直者はどこにもいなくなってしまう。こんなことになるのは、もともとの制度が間違っているからだ。

世の中に「正直」と「不正直」の2種類の人間がいるわけではない。被災地のためという“善意”の無料化が、ごくふつうのひとを「不正直」にしてしまうのだ。

被災地の高速道路無料化を決めた時点で、今回のようなトラブルはじゅうぶん予想できたはずだ。“タダ乗り”できない制度がつくれなかったのは、高速道路の料金システムが硬直的で、修正に費用や時間がかかるからだという。でもこれはただの言い訳で、国交省には面倒な制度改革をする気などはなからないのだろう。

政治家や官僚は、自分たちの不作為を棚にあげて、一方的に運送業者の道徳性を批判する。この話の後味の悪さは、たぶんここにある。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.6:『日経ヴェリタス』2011年8月21日号掲載
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差別のない明るい社会へ 野田新内閣に望むこと

日本国の第95代首相に民主党の野田佳彦代表が指名された。これから新内閣には多くの要望が寄せられるだろうが、私もささやかな希望を述べておきたい。

私が望むのは、日本社会の桎梏となっている差別的な制度を取り除き、「差別のない明るい社会」をつくることだ。

2007年の世界金融危機で大卒内定率は大幅に下がったが、今回の東日本大震災で新卒採用はさらにきびしさを増している。日本企業は経営破綻でもしないかぎり正社員を解雇できないから、不況になると新卒の採用を抑制して人件費を減らそうとする。その結果、景気が悪化すると若年層の失業率が高くなり、非正規でしか働けなくなる。

日本では新卒で就職に失敗すると大企業の正社員になることはほぼ不可能で、非正規の若者たちは社会の底辺に埋もれていくほかない。同じ仕事をしながらまったく違う待遇を受ける正社員と非正規社員の格差は、人種差別や性差別、部落差別と同様に、「差別」以外のなにものでもない。

東北の被災地域には、家ばかりか会社ごとなくなってしまったひともたくさんいる。その彼らが仕事の機会を求めて東京や名古屋、大阪に転居したとしても、40歳以上では正社員の募集はほとんどなく、震災前の生活を取り戻すことは絶望的だ。

震災の年に就活をすることになったのも、被災して仕事を失ったのも、彼らにはなんの責任もない。だが再チャレンジを許さない日本の社会は、彼らの“自己責任”を問うのだ。

被災しなかった人間の既得権を守るために、被災者がより不幸になるのは、はたして正義にかなっているだろうか。

この理不尽な現実を正すために、政府にできることはいくらでもある。

①定年制を法律で禁止する。

そもそも一定の年齢に達したからという理由で強制的に職を奪うのは、「年齢による差別」にほかならない。

平均寿命が80歳を大きく超える長寿社会では、60歳でもまだまだ現役で、素晴らしい仕事をしているひとはたくさんいる。「定年」の名のもとに彼らから仕事を奪うのは、本人にも会社にもなんのメリットもなく、日本社会の損失でしかない。

アメリカでは、定年制は法で禁止されている。日本でも同様に年齢による差別を禁じれば、“終身”雇用という名の超長期有期雇用制度は崩壊し、だれでも働きたいだけ仕事をつづけることができるようになるだろう。

②同一労働同一賃金を法制化する。

これはEUがすでに導入済みで、同じ仕事をしているのに年齢や性別、国籍などの理由で賃金に差をつけることはきびしく禁じられている。ところが日本では、「正社員」と「非正規社員」という現代の身分制によって、同じ仕事をしていても給与や待遇が大きく異なる「アパルトヘイト」が当然のように行なわれている。これは文明国として、きわめて恥ずべきことだ。

同一労働同一賃金の法制化は、民主党がマニュフェストに記載している。野田新内閣が「国民との約束」を守れば、年功序列制度は崩壊し、正社員と非正規社員の身分のちがいもなくなるだろう。

③「解雇自由」の民法の原則に立ち返り、一定額の金銭を支払うことを条件に整理解雇を認める。

定年を法で禁止し、同一労働同一賃金を法制化すれば、年功序列と終身雇用の日本的雇用制度は維持できなくなる。

会社はもはや“社内失業者”を囲い込むことはできなくなるから、雇用調整の要件を緩和して、金銭支払いを条件とした整理解雇を認めるほかはない。

これによって日本企業は、社内で活用できない人材を労働市場に戻すことができ、日本でもようやく流動性のある労働市場が生まれるだろう。いまの部署や仕事で実力を発揮できず、「窓際」で腐っていくほかないひとたちも、新しい可能性にチャレンジできるにちがいない。

この三つの「改革」が実現すれば、企業は年齢にかかわらず必要な人材を労働市場から採用でき、新卒で就職に失敗した若者も、中高年の転職希望者も、いまよりずっと容易に自分に合った仕事を見つけることができるだろう。

野田新内閣は、「差別のない明るい日本」をつくるために全力を尽くしてほしい。

彼女が宇宙人になったら 週刊プレイボーイ連載(15)

もうずいぶんむかしの話ですが、学生時代につき合っていた女の子から突然電話があって、数年ぶりに再会することになりました。当時はバブルの余熱がまだ残っていて、六本木のカフェバーに颯爽とやってきた彼女は、ヴィトンのバッグに花柄のシャネルのワンピースというゴージャスさです。

バーボンのオンザロック(当時はそんなのを飲んでいた)を傾けながら、お互いの近況や知り合いの消息を伝えあって、けっこういい雰囲気になったときです。ごく自然な口調で、彼女がいいました。

「これまで誰にも打ち明けなかったんだけど、わたしじつは宇宙人なの」

最初は、いったいなんのことかぜんぜんわかりませんでした。

「子どもの頃から、自分は他人とはなにかちがうってずっと不思議に思っていたの。その理由が、最近、ようやくわかったのよ」

それから彼女は、自分が宇宙人としての特殊能力を持っている理由をつぎつぎと挙げました。でもそれは、エレベーターに乗ろうと思ったら自然にドアが開いたとか、駅のプラットフォームに降りたら電車が入ってきたとか、どれもよくある偶然としか思えませんでした。そのうえ彼女は、宇宙人の祖先を知るために、一人でペルーまで行ってきたというのです。

「セスナに乗って、ナスカの地上絵を見たの。そのとき、メッセージが届いたの。君のためにこれを描いたんだって」

カルト宗教にはまったわけではありません。彼女は独力で、この奇妙な信念を持つに至ったのです。

なぜ、こんなことになるのでしょう。最新の脳科学は、これを次のような実験で説明します。

よく知られているように、右脳は感覚を、左脳は言語を統括します。右脳に送られた情報は、脳梁と呼ばれる橋を通って左脳に伝わり、そこで言語化されます。ところがごくまれに、てんかんの治療のため、手術で脳梁を切断してしまうことがあります。こうした患者は、情報の伝達経路を失って、右脳で受信した情報を左脳で言語化することができません。

実験では、脳梁を切断した患者の左視野(情報が右脳に入力される)に、「笑え」と書いたボードを示します。すると患者は、その指示にしたがって笑います。右脳は、言葉を理解することができるのです。

そこで患者に、「あなたはなぜ笑ったのですか?」と訊くと、患者は、「先生の顔がおかしかったから」などとこたえます。論理的な説明を考えるのは左脳ですが、右脳からの情報がないので、ボードで「笑え」と指示されたことを知りません。しかし、自分が笑ったというのは事実なのですから、そこにはなにか理由があるはずです。

こうして無意識のうちに、左脳はもっともらしい理屈を見つけてきます。

この実験が興味ぶかいのは、私たちがこの合理化の過程をまったく意識できないということです。左脳は、自分の解釈が正しいと信じて疑いません。

共通の知人に聞いたところ、彼女はその頃、ながくつき合っていた男性と別れたといいます。プライドの高い彼女にとって、それは大きなこころの傷になったのでしょう。

彼女は、自分がなぜこんな思いをしなければならないのかわかりませんでした。

そしてある日、彼女のもとに宇宙からのメッセージが送られてきたのです。

参考文献:『社会的脳 -心のネットワークの発見』マイケル・S・ガザニガ (青土社)1987
『サブリミナル・マインド-潜在的人間観のゆくえ』下條信輔 (中公新書)1996

『週刊プレイボーイ』2011年8月22日発売号
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