東京電力は日本政府を訴えるべき

福島第一原発事故にともなう東京電力の損害賠償について、理解しがたい主張が横行しているので、それについて私見を述べておきたい。

議論の前提として、東京電力は福島第一原発の安全管理に責任を負っているのだから、今回の事故が引き起こした風評被害を含むすべての損害に対して賠償義務があることは明らかだ。このような場合、資本主義社会では、会社法などの法律や金融市場のルールによって、誰が損失を負担すべきかを明確に定めている。今回のケースでは、賠償の原資は次のような順番で調達することになる。

  1. 東京電力は、第一に、保有する株式や不動産など、売却可能な資産をすべて現金化すべきだ。本社ビルや社宅など、キャッシュフローを産まない資産はすべて売却して賠償原資にすればいい(本社ビルなどはリースバックすればいい)。
  2. 役員報酬や社員の年収カットにとどまらず、整理解雇を含めたリストラによって経費を削減する。東京電力は今年度の新卒採用を中止したが、それよりも年収の高い中高年を整理解雇したほうが経費削減効果ははるかに大きい。
  3. それでも賠償資金が足りない場合は、株式会社のルールに則って、株主が損失を負担する。すなわち会社更生法か民事再生法を申請して、株主責任を明確にする。
  4. そのうえで、債権者に損失の負担を求める。東京電力の負債は約5兆円の社債と約2兆円の銀行融資だが、後者は原発事故発生後の緊急融資で、当時の状況を考えればなんらかの保証は必要だろう。だが5兆円の社債についてはこうした事情を斟酌する余地はなく、損害賠償額によっては全額デフォルトすべきだ。
  5. 当然のことながら、退職者への年金を含む他の債権も、事業の継続に支障を来たさない範囲で徹底的にカットすべきだ。
  6. これだけのことをしてもなお資金が足りない場合、はじめて電気料金の値上げによって賠償負担を利用者に転嫁したり、増税によって納税者に転嫁することが正当化される。

風評被害を含む賠償総額はいまだ見当もつかないが、2~3兆円という試算もある。もしこれで収まるのならば、社債をデフォルトすれば賠償原資は確保できる。

一般企業が債務不履行に陥れば事業の継続は難しくなるが、東京電力は地域独占で安定した利益を約束されているのだから、社債をデフォルトしても本業にはなんの影響もない。社債の利払いや償還に必要な資金を損害賠償にあてればいいのだから、原発事故による資金問題は本来であれば存在しない。

そんなことをすれば新規の資金調達ができなくなるという意見もあるが、福島第一原発(あるいはすべての原発事業)を保有するバッドカンパニーと、それ以外の発電所・送電網を保有するグッドカンパニーに分割することでこの問題は解決できる。グッドカンパニーは原発リスクから切り離された超優良企業なのだから、バッドカンパニーへの負債や毎年の支払額を確定しておけば、社債を購入する投資家はいくらでもいるだろう。国内金融市場で資金調達できなければ、海外市場でファイナンスすればいいだけだ。

そもそも資本主義のルールでは、リスクは第一に、会社の所有者である株主が有限責任で負担することになっている。株主責任を問わないまま、債権者など他の利害関係者に負担を求めることは許されない。ところがこの国では、株主責任を不問に付したまま、利害関係者ですらない国民に増税や国債発行によって原発事故の賠償資金を負担させるという議論が当たり前のように行なわれている。

債券投資にリスクがあることは、投資家なら誰でも知っているはずのことだ。東京電力が多数の原子力発電所を運転していることは周知の事実で、原子力発電施設が危険なことはスリーマイルやチェルノブイリの事故で明らかなのだから、東京電力の社債を購入した投資家はこうしたリスクを承知していただはずだ。今回、そのリスクが顕在化したのだから、社債のデフォルトによって損失を負担させるのが金融市場の大原則(プリンシプル)だ。

このプリンシプルを否定して社債の保護を求めるのなら、そもそも金融市場に参加する資格はない。そのような主張をする金融機関や機関投資家は、さっさと廃業すべきだ。

「東京電力の社債を保護するのは金融市場を守るためだ」という政治家がいるようだが、これはとんでもない勘違いだ。投資家が自己責任を問われず、税金で損を穴埋めしてもらえるのなら、そんな国にまともな金融市場が生まれるはずはない。

もちろんこれは、東京電力の株主や債権者にとって厳しい選択だ。だが彼らには、合法的にこうした負担を逃れる道が用意されている。

原子力損害賠償法では、異常に巨大な天災地変や社会的動乱による損害については電力会社の責任を免責する、との規定がある。官房長官は「安易な免責はあり得ない」と記者会見で政府見解を述べたが、日本は法治国家なのだから、法の解釈は政府ではなく司法が行なうべきだ。

東京電力の所有者である株主は、原子力損害賠償法にもとづく免責を求めて裁判に訴えるよう、取締役会に指示すべきだ。取締役会がその指示に従わない場合は、自らの利益を守るために、現経営陣を解任すればいい。東京電力は私企業であり、政府の所有物ではない。

東京電力が日本政府を訴えれば、裁判の過程において、今回の原発事故の責任がどこにあるのかが明らかになるだろう。そもそも日本の原発事業は政治家、官僚、重電メーカー、大学(原子力専門家)、地方自治体などの利害によって進められてきた。彼らの責任を不問にしたまま、すべてのツケを支払わされるのは不当だと、東京電力は裁判で堂々と主張すればいい。

日本政府は、東京電力の賠償に上限を設けるような安易な救済をせず、資本主義の原則に則って株主と債権者の責任を厳しく問うべきだ。そうなれば東京電力の株主および債権者は、法治国家の原則に則って、免責を求める裁判を提起するだろう。

こんな当たり前のことすらできないのなら、日本政府は、「この国には資本主義も法治もない」と国民に対して正直に説明すべきだ。

福島の春

週末にふと思い立って、2泊3日で福島に桜を観に行ってきました。

天然記念物の三春滝桜はいまが見頃です。

福島市の花見山は散りはじめですが、会津若松の鶴ヶ城は今週末に満開を迎えそうです。

国内旅行はこれまであまりしたことがないのですが、新緑や紅葉の季節にまた訪ねてみたいと思います。

三春滝桜

Back to the 80’s いまでもときどき思い出すこと(3)

カネコさんのアドバイスのおかげで、ぼくは社員10人ほどの小さな出版社に就職することができた。

社長は会社をいくつかつくってはつぶしてきた50代半ばの白髪の紳士で、それ以外の社員はみんな若く、2人の編集長はまだ20代後半だった。ぼくが採用されたのは、たんに彼らと大学が同じだったからだ。

けっきょくこの会社には1年半くらいしかいなかったのだけど、その後のみんなの運命は波乱に富んでいた。

温厚で品のいいおじさんだった社長は、銀行を恐喝したとして10年ほど前に逮捕された。編集長の1人は独立して、一時は六本木交差点ちかくの旧東京日産ビルのワンフロアを借りるまで成功したのだが、賭博罪の疑いで会社を強制捜査されて倒産してしまった(けっきょく起訴猶予になった)。残った1人が会社を継いだのだけど、怪しげなファンドにかかわって会社をつぶし、本人も自己破産した。

このように書くとまるで犯罪者集団みたいだけど、実際はそんなことなくて、みんなごくふつうのひとたちだった。社会の周縁でビジネスをしていると、ちょっとしたきっかけで塀の向こう側に足を踏み外してしまうのだ。

その会社に入ってすぐに、ビジネス雑誌の広告取りをさせられた。ぼくは広告が何なのかぜんぜんわかっていなくて、儲かった会社が趣味でお金を出すんだろうと思っていた。会社も無知な新入社員を教育するような余裕はなく、30分ほど話し方教室のような訓練を受けて、似たような雑誌に広告を出している会社のリストを渡されて、あとは自分でなんとかしろと放り出された。

ぼくが訪ねたのは水道橋の雑居ビルにある小さな会社で、健康食品の代理店ビジネスをやっていた。応対してくれたのは専務の肩書きを持つ、妙に腰の低い気の弱そうなおじさんだった。

ぼくが暗記したての営業トーク(雑誌の部数は10倍くらいに水増しされていた)をしゃべると、驚いたことにそのおじさんはものすごく感心してくれて、いちばん大きな広告を出したい、といった。それはかなりの金額で、その話を報告すると会社じゅうが大騒ぎになった。

そのあとぼくは専務と2回ほど打合せをして、広告の内容や掲載時期などの細かな点を詰めた。あとは社長に直接説明して、了承をもらえばいいという話になった。

やたら暑い日だった。ぼくは社長に会うために水道橋の会社を訪ねた。専務からは、たんなる挨拶みたいなものだといわれていた。

はじめて会う社長は、でっぷりと太った、ちょっとくずれた感じのひとだった。ネクタイを緩め、股を大きく開いてぼくの前に座ると、ちらっと名刺を眺め、ぶっきらぼうに「で、なんの話?」といった。

ぼくは雑誌を取り出して、いちから説明を始めた。隣で専務のおじさんが、青ざめた顔で座っていた。社長はほとんど表情を変えず、汗の浮き出た赤ら顔を扇子で扇ぎながら、退屈そうにぼくの話を聞いていた。

ひととおり説明が終わると、社長は豆粒みたいな目をぼくに向けて、「その広告、なんの役に立つんだ?」と訊いた。

ぼくは慌てた。広告が役に立つかどうかなんて、誰からも教えてもらっていなかったからだ。しどろもどろでなにか話して、言葉が途切れたときだった。「歯医者の予約、どうなってるかなあ」隣にいる専務に、社長が声をかけた。「ちょっと電話して、予約入れてくれよ。歯が痛えんだよ」

雑居ビルを出ると、近くの公衆電話から会社に電話をした。広告部長(20代後半のおとなしいひとだった)は話を聞くと、「よくあることだよ。気にするなよ」と慰めてくれた。

受話器を置くと、しばらくその場で立ち尽くしていた。社長の理不尽な態度に傷ついたこともある。みんなの期待を裏切って申し訳ない、とも思った。でもいちばんショックだったのは、なにが起きたのか見当もつかないことだった。

山手線を降りると、昼下がりの新橋駅前はサラリーマンで溢れていた。このひとたちはみんな、自分の仕事をちゃんとわかっているにちがいない、と思った。それにひきかえぼくは、世の中の仕組みをなにひとつ知らず、自分がなにをしているのかすらわからずに、炎天下をひたすら這いずり回っているだけなのだ。

会社に戻る道すがら、はじめて「このままじゃヤバイ」と思った。