男と女はなぜわかり合えないのか? 週刊プレイボーイ連載(51)

男と女はなぜすれ違うのでしょうか? 文学から映画まで、あらゆる芸術はずっと愛の不毛をテーマにしてきましたが、あなたが恋人とわかりあえない理由を現代科学はすでに解明しています。しかも、たった一行で。

「異なる生殖戦略を持つ男女は“利害関係”が一致しない」

男と女の生殖機能はまったくちがっていて、子どもをつくるコスト(負担)も大きく異なります。

男の場合は精子の放出にほとんどコストがかかりませんから、より多くの子孫を残そうとすれば、できるだけ多くの女性とセックスする乱交(ハーレム)が進化の最適戦略になります。

それに対して女性は、受精から出産までに10カ月以上もかかり、無事に子どもが生まれてもさらに1年程度の授乳が必要になります。これはきわめて大きなコストなので、セックスの相手を慎重に選び、子育て期間も含めて長期的な関係をつくるのが進化の最適戦略です(セックスだけして捨てられたのでは、子どもといっしょに野垂れ死にしてしまいます)。

男性は、セックスすればするほど子孫を残す可能性が大きくなるのですから、その欲望に限界はありません。一方、女性は生涯に限られた数の子どもしか産めないのだから、セックスを「貴重品」としてできるだけ有効に使おうとします。ロマンチックラブ(純愛)とは、女性の「長期指向」が男性の乱交の欲望を抑制することなのです。

あなたはきっと、これをたんなる理屈だと馬鹿にするでしょう。しかし進化論による「愛の不毛」は、大規模な社会実験によって繰り返し証明されています。それは、世の中に同性愛者がいるからです。

同性愛者は愛情(欲望)の対象が異性ではなく、男性同士あるいは女性同士でパートナーをつくります。そこでは恋人同士の間に生殖戦略のちがいが存在しませんから、お互いの利害が一致した“純愛”が可能になるはずです。

よく知られているように、男性同性愛者(ゲイ)と女性同性愛者(レズビアン)の愛情やセックスのあり方は大きく異なっています。

ゲイはバーなどのハッテン場でパートナーを探し、サウナでの乱交を好みます。エイズが流行する前にサンフランシスコで行なわれた調査では、100人以上のセックスパートナーを経験したとこたえたゲイは全体の75パーセントで、そのうち1000人以上との回答が4割ちかくありました。彼らは特定の相手と長期の関係を維持せず、子どもを育てることにもほとんど関心を持ちません。

それに対してレズビアンのカップルはパートナーとの関係を大切にし、養子や人工授精で子どもを得て家庭を営むことも珍しくありません。レズビアンの家庭は、両親がともに女性だということを除けば(異性愛者の)一般家庭と変わらず、子どもたちはごくふつうに育っていきます。

ゲイとレズビアンのカップルは、なぜこれほどまでに生き方がちがうのでしょうか。進化論だけが、この問いに明快なこたえを与えることができます。

ゲイの乱交とレズビアンの“一婦一婦”制は、男性と女性の進化論的な戦略のちがいが純化した結果なのです。

後記:ハリウッド映画『キッズ・オールライト』は、レズビアンの“家族”を描いた秀作です。また本稿は、『(日本人)』の内容の一部をコラム用にピックアップしたものです。

参考文献:スティーブン・ピンカー『心の仕組み』

 『週刊プレイボーイ』2012年5月21日発売号
禁・無断転載

「独立国家」はどうやってつくるのか?

書名を見たとたん、「うわっ、やられた!」と思った。坂口恭平『独立国家のつくりかた』のことだ。

10年くらい前に、これと同じタイトルの本を考えて、資料を集めたことがあった。しかしけっきょくうまくいかず、企画を放棄してしまった。

国家というのは、一般に以下の3つの要素が必要とされている。

①領土
②国民
③主権

このうち領土と国民はなんとかなったとしても、主権の獲得はきわめて困難だ。主権は近代国家のインナーサークルの既得権で、アメリカなどの大国が承認し、国連の議決を経て、インナーサークルの正規メンバーにならなければ手に入らないのだ。

そうはいっても、「国家をつくる」という発想は魅力的だ。私が当時調べたなかでは、次の3つのプロジェクトに想像力を刺激された。

①シーランド公国(Principality of Sealand

シーランド公国の“領土”は第二次世界大戦時にイギリスが北海に建設した対空防衛施設のひとつで、当時の3マイル領海域の外側にあったため、1967年に元英国軍少佐パディ・ロイ・バイツが領有権を取得し、主権を宣言した。翌68年、イギリス治安当局はロイ元少佐を拘束したが、エセックス州裁判所はシーランドが領海外に位置することから英国法は適用できないと判断した。“プリンセス・ロイ”を名乗るロイ元少佐は、この決定によってシーランド公国の主権が承認されたと主張している。

シーランド公国は独自の国旗や紋章を持ち、500人あまりの非居住者の“市民”にパスポートを発行した。このパスポートは後に大量の偽物が出回り、銀行口座の開設などに悪用された。

2000年にはインターネットが導入され、ヘイヴンHaven Co. Ltdなる会社が領内にサーバーを設置し、「いかなる国の法律からも自由な世界初の“データ・ヘイヴン”」をうたった。

2006年6月、シーランド公国は火災により大きな被害を受けたが国家活動は継続しており、ホームページでは貴族の称号(29.99ポンド)を含むさまざまな記念品を販売している。

②ロマール共和国(Republic of Lomar)

“領土のない国家”にもっとも近かったのがロマール共和国(Republic of Lomar)で、1998年にインターネット上で“建国”された。国連加盟を目指すとして市民権(パスポート)を79ドルで販売し、最盛期には40ヶ国に2万人あまりの“国民”を獲得したが、やがて詐欺の格好の道具とされるようになった。

ナイジェリアでは、ロマール共和国の偽パスポートが、「アメリカへの移住許可が得られる」として大量に販売された。それ以外でも、ロマール共和国の名はネット詐欺の常連となった。

その後はRegency of Lomar Foundationと名前を変え、難民救済のNGOとして活動していたが、現在はホームページも存在せず消滅したものと思われる。

③フリーダムシップ(Freedom Ship)

フリーダムシップは外洋に浮かぶ巨大な建造物で、計画によれば、1万8000人の暮らす居住区にはショッピングモールのほか学校や病院を完備し、1000室のホテルには24時間カジノがオープンし、どの国の領土でもない外洋を低速で移動することになっていた。この巨大船の住人は主権国家に対して非居住者の身分を保証され、合法的にすべての納税義務を免除されると考えられた。2005年にいちど資金調達が頓挫したが、ふたたび活動を再開した模様だ。

フリーダムシップ構想は“サイバー・リバタリアン”とでも呼ぶべきひとたちに引き継がれ、アメリカの領海外に巨大な船を浮かべ、そこを「自由」の拠点にしようという計画が進んでいる。驚いたことに、シリコンヴァレーの企業のなかにもこの計画に賛同するところは多く、資金も集まりはじめているという。経済学者ミルトン・フリードマンの孫、パトリ・フリードマンThe Seasteading Instituteもそのひとつだ。

こうした ドン・キホーテ的試みが注目される背景には、2001年の同時多発テロを機に成立した「愛国者法」によって、シリコンヴァレーが海外から優秀なエンジニアを集められなくなってきた、という事情がある。これまでならかんたんに就労許可が出た、一流大学の修士号や博士号を持つ外国人が、いまは帰国を余儀なくされている。こうした状況に危機感を抱いた西海岸のベンチャー経営者たちが、サンフランシスコ湾の領海外に停泊する船をオフィスにして、嵐の時だけ港に停泊する、という計画を真剣に考えるようになったのだ。

ところで、坂口恭平の「独立国家」はどのようなものなのだろうか。さっそく読んでみたのだが、それは上記のいずれにも該当せず、「今日から独立国家だ、と勝手に宣言する」というものだった。これは故・北杜夫のミニ独立国「マンボウ・マブゼ共和国」と同じだなあ、と思っていたら、坂口自身も躁うつ病を患っていることが書かれていた。4カ月の重いうつ状態のあと、躁になって一気に書き上げた(Twitterで発信した)文章がこの本の元になったという。

ということで、私はこの「独立国家」をうまく評価できない。一種の地域共同体(新しい公共)の試みかもしれないし、新しいライフスタイルの提案なのかもしれない。その行動力が瞠目すべきものなのは間違いなく、うつ病に苦しんでいるひとは、この本から闘病のヒントが得られるかもしれない。

坂口恭平はホームレスについての画期的なフィールドワークを行なっていて、それをモチーフした映画『My House』監督・堤幸彦)も公開される。私が思うに、坂口の魅力は『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』などのほうがよりはっきりわかる。それについては、あらためて書いてみたい。

日本人はどんなふうに「特別」なのか? 週刊プレイボーイ連載(50)

日本人が「自分たちは特別だ」と思っていることはよく知られています。そしてこれは、理由のないことではありません。

なんといっても、20世紀前半までは、欧米以外で近代化に成功した国は日本しかありませんでした。これは歴史的に見てもきわめて特異な現象ですから、そこにはなにか特別な理由があるはずだ、と誰もが考えます。

福沢諭吉の「脱亜入欧」以来、「日本はアジアでは別格だ」という優越感と、「先進国では唯一の黄色人種」という劣等意識が日本人を深くとらえていました。しかし1970年代に「四匹の龍(韓国・台湾・香港・シンガポール)」の経済成長が始まり、東南アジアがそれにつづき、冷戦の終焉によって中国やインドが市場経済に舵を切ると、アジアは急速に「近代化」していきます。いまでは、「アジアには市場経済や資本主義を受け入れる土壌がもともとあって、そのなかで日本は、地理的・歴史的な偶然からもっとも早く近代に適応できた」と考えられています。日本は、アジアの孤児ではなかったのです。

こうして、「日本人はいかに特殊なのか」という日本人論はきびしい批判にされされるようになりました。“日本の特殊性”とされた「タテ社会」や「甘え」、「空気の支配」は、どんな社会にもごくふつうに見られるものだからです。

ある研究者が、日本論のエッセンスをまとめたレジュメを、国の名前を伏せてオーストラリアの学生に見せたところ、学生たちはそれをオーストラリア社会についての分析だと思いました。このエピソードは、「日本特殊論」が錯覚であることをよく表わしています。

しかしその一方で、「世界のひとはみんな同じ」というのも乱暴な議論です。ヒトはすべて同じ遺伝子(OS)を共有しているとしても、考え方や行動が文化的・社会的な影響を受けることも間違いないからです。

そこで、政治や宗教、仕事、教育、家族観などについて世界のひとたちに同じ質問をし、価値観のちがいを客観的に評価しようという試みが始まりました。この世界価値観調査には80ヵ国以上が参加していますが、そのなかで日本人が他の国々と比べて大きく異なっている項目が3つあります。

①「もし戦争が起きたら進んでわが国のために戦いますか?」という質問に、「はい」と答えたひとが世界でいちばん少ない。

②「あなたは日本人(ここにそれぞれの国名が入る)であることにどのくらい誇りを感じますか」という質問に、「非常に感じる」「かなり感じる」とこたえたひとの比率が、(中国の当別行政区である)香港に次いで2番目に少ない。

③「権威や権力はより尊重されるべきですか?」という質問に対し、「尊重されるべきではない」と答えた比率が飛び抜けて多い。

「日本はムラ社会」といわれますが、世界価値観調査ではまったく目立ちません。世界には日本よりもベタなムラ社会がいくらでもあって、日本社会の開放度は南欧諸国などとともに中の上あたりに位置します。

それに対して、さまざまな国際調査で、日本人の世俗性と個人主義は際立っています。戦争になってもたたかう気がなく、国に誇りを持たず、権威や権力が大嫌いな日本人は、とても変わった国民なのです。

新著『(日本人)かっこにっぽんじん』(幻冬舎)で、こうした日本人の“特殊性”について書いています。興味のある方はどうぞ。

 『週刊プレイボーイ』2012年5月14日発売号
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