リベラルが“保守反動”になった理由 週刊プレイボーイ連載(112)

 

社民党の福島瑞穂氏は、反原発の旗を掲げて参議院議員となった元俳優の山本太郎氏と会談し、「リベラル勢力結集の要となりたい」と述べました。このとき社民党の所属議員は衆院で2名、参院で3名で、山本氏が「結集」してもそれが4名になるだけです。それに対して議員定数は、衆院が480名、参院が242名です。

この会談のあとに福島氏は選挙の責任をとって党首を辞任しましたが、目標と現実のすさまじいギャップを考えれば10年間よく重責に耐えたともいえます。

ところで、リベラル勢力はなぜ日本の政治からいなくなってしまったのでしょうか。

リベラルはリベラリズム(自由主義)の略で、その根底にあるのは自由や平等、人権などの近代的な価値に基づいてよりよい社会をつくっていこうとする理想主義です。

リベラルが退潮したいちばんの理由は、その思想が陳腐化したからではなく、理想の多くが実現してしまったからです。「いまの日本には真の自由や平等はない」というひともいるでしょうが、リベラリズムが成立したのは、権力者に不都合なことを書けば投獄や処刑され、黒人が奴隷として使役され、女性には選挙権も結婚相手を選ぶ自由もなかった時代なのです。

リベラルが夢見た社会が実現するにつれて、理想の弊害が目立つようになってきます。こうして、過度な自由や平等、人権の行使が共同体の歴史や文化、紐帯を破壊しているという保守派の批判がちからを増してきます。最近では共同体主義者(コミュニタリアン)と呼ばれる彼らは、近代以前の封建社会に戻せという暴論を唱えているのではなく、リベラリズムの理想を受け入れたうえでその過剰を憂えているのです。

社会がリベラル化するにつれて、「いまのままでじゅうぶんだ」という穏健な保守派がマジョリティになるのは先進国に共通しています。その一方で、少数派に追いやられたリベラルはより過激な理想を唱えるしかなくなります。

とはいえ、「革命」が熱く語られた時代もいまでは遠い過去になってしまいました。“革命の理想”を実現したはずの旧ソ連や文化大革命下の中国の実態が明らかになるにつれて、夢は幻滅に変わってしまったからです。

こうした有為転変を経て、日本のリベラルはいま憲法護持、TPP反対、社会保障制度の「改悪」反対、原発反対を唱えています。こうしてみると、原発を除けば、リベラルの主張はほとんどが現状維持だということがわかります。

理想が実現してしまえば、その成果である現在を理想化するしかありません。こうして夢を語れなくなったリベラルが保守反動となり、穏健な保守派が“ネオリベ的改革”を求める奇妙な逆転現象が生じたのです。

今回の参院選で、「リベラル勢力が結集」したのは日本共産党だということがはっきりしました。この政党もいまでは共産主義革命の夢を語ろうとせず、「アメリカいいなりもうやめよう」という不思議な日本語のポスターをあちこちに張っています。これは右翼・保守派の主張と同じですが、リベラルが反動になったのならなんの不思議もありません。

共産党と右翼団体が瓜二つになっていくことにこそ、「リベラルの現在」が象徴されているのでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年8月26日発売号
禁・無断転載 

いつまでもつづく“居心地の悪い夏” 週刊プレイボーイ連載(111)

 

8月の風物詩といえばお盆と夏祭りと決まっていたのですが、いまや靖国問題と歴史認識がそれにとって変わろうとしています。これはもちろん、中国や韓国からの強い批判があるからですが、「戦争責任」が問われる理由はそれだけではありません。戦後70年ちかくたち世代がほぼ交代しても、敗戦と占領は戦後日本のアイデンティティの核心にあるのです。

1945年9月11日、東京・世田谷の住宅地に一発の銃声が響きました。そこは太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣、東条英機の自宅で、東条は占領軍が逮捕に来たこと知って、左胸にピストルを当てて引金を引いたのです。

米兵が踏み込んだとき、応接間の椅子で倒れていた東条にまだ息はありました。銃弾は胸を撃ち抜いていましたが、急所は外れていたのです。

東条は、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」という「戦陣訓」を示達した当人で、その“軍人の鑑”が自決に失敗して敵の囚人となったことに日本じゅうが愕然としました。戦後日本は、この“究極のモラルハザード”から出発したのです。

勝てるはずのないアメリカと戦争したあげく、広島と長崎に原爆を落とされ、東京などの都市はすべて焼け野原になり、兵士・一般市民を含め300万人が犠牲となる無残な敗戦を喫したばかりか、てのひらを返したように「民主主義」を賛美する政治家や官僚、権力者への国民の反応は、怒りというより冷笑にちかいものでした。このとき日本は、国家の信任を完全に失ったのです。

その後の日本の政治は、米国の核の傘の下、国民に経済成長の果実をばらまきながら、戦争責任の問題を棚上げするという低姿勢で現実的なものでした。戦争体験者が有権者の過半を占めるなかで戦前のような権威を振りかざせば、国民から総すかんを食うことは明らかだったからです。

その後時代は移り変わり、“奇跡”と呼ばれた経済成長も終わりました。いまでは政府の役割は、年金や医療保険制度などの負の遺産を国民に分配することです。戦後賠償によってつながっていた近隣諸国との関係も、アジアの成長と賠償の終了によって大きく変わり、中国や韓国は日本に対し対等の立場で謝罪と反省を求めるようになりました。それに呼応するように、グロテスクなヘイトスピーチを叫ぶ集団が日本各地に現われるようになったのです。

国家としてのアイデンティティを取り戻すもっとも安直な方法は、大東亜戦争を“民族自決の聖戦”として再定義することですが、これでは国際社会で生きていけません。かといって戦前を全否定するだけでは、中韓からの批判にただ頭を垂れて押し黙ることしかできません。

このようにして私たちは、ふたたび1945年の暑い夏の日に引き戻されることになりました。どれほど目を背けても、「戦争責任」は戦後日本の歴史に亡霊のようにまとわりついてくるのです。

仮に憲法を改正したとしても、国家の威信を取り戻すことはできません。“居心地の悪い夏”は、来年も、その次の年も、これからずっと続くことになるでしょう。

 『週刊プレイボーイ』2013年8月19日発売号
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第34回 世界の税制は権謀術数(橘玲の世界は損得勘定)

 

2012年10月、コーヒーチェーン大手のスターバックスの英国法人が、過去3年間に4億ポンド(約600億円)の売上げがありながら法人税をほとんど納めていなかったと報じられ、消費者団体などから不買運動を起こされた。これをきっかけに税の公平性に世界の注目が集まり、アメリカでもアップルやグーグルといったグローバル企業が批判にさらされた。

最近の税をめぐる議論の特徴は、お定まりのタックスヘイヴンへのバッシングではすまなくなっていることだ。

アップル、グーグル、スターバックスなどの租税回避に登場するアイルランドやオランダは、ヤシの木と海しかない南の島ではなくEUの主要国だ。そして両国とも、国際社会の批判にもかかわらず“タックスヘイヴン政策”を見直す気はさらさらないようだ。

その一方で、スターバックス問題で“被害者”となったイギリスは、チャンネル諸島、マン島、ジブラルタルなどの自治領がタックスヘイヴンで、それ以外にもカリブ海や南太平洋、アジア(香港、シンガポール)、ヨーロッパ(マルタ、キプロス)など世界各地の旧植民地が、英系金融機関と密接な関係のある租税回避地として知られている。ロンドンの金融街シティがウォール街に対抗する最大の武器が、世界じゅうに張りめぐらされたオフショア金融ネットワークであることは周知の事実だ。

G20などの国際会議でタックスヘイヴン規制が議論されているが、こうした場で規制強化に強硬に反対するのはきまってイギリス代表だという(志賀櫻『タックスヘイヴン』〈岩波新書〉)。そのイギリス政府がグローバル企業の租税回避を批判するところに、この問題の複雑さが象徴されている。

それ以外でも、同様の混乱は至るところで見られる。

フランスではオランド政権の富裕層課税に反発して、高級ブランドを展開するモエヘネシー・ルイヴィトンの最高経営責任者(CEO)などが続々と国外に脱出したが、彼らが向かった先はタックスヘイヴン国ではなく隣国のベルギーだった。ベルギー南部はフランス語圏で、なおかつ所得税がフランスより低い。億万長者の移住によって、国境に近い街は“特需”に沸いているという。

ヨーロッパでは国境の壁が低く、富裕層はいとも簡単に国籍を変えてしまう。そのため“重税国家”として知られるスウェーデンは、2007年に相続税や贈与税を廃止してしまった。税を課して出て行かれるより、無税でも国内に留まってもらうほうが有利だと割り切ったのだ。

参院選が終わって、これから日本でも本格的に税制問題が議論されることになる。だが「法人税減税はけしからん」とか「相続税を引き上げろ」というこの国の政治家やメディアの論調を聞いていると、いま世界で起きていることを理解しているのか不安になる。

国際的な税制は国益の最大化をめぐる権謀術数の場で、道徳と説教で決まっているわるけではないのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.34:『日経ヴェリタス』2013年8月11日号掲載
禁・無断転載