都知事選“泡沫候補”の声に耳を傾けてみたら  週刊プレイボーイ連載(134)

この原稿が掲載される時には新しい東京都知事が決まっているでしょうが、今回も“泡沫候補”と呼ばれるひとたちがたくさん出馬していました。世の中に訴えたい主張と強い信念を持ちながらもマスメディアから相手にされず、選挙活動以外に自らの真実を伝える方途はないと思いつめたひとたちで、都知事選はとりわけこうした候補者が多く集まることで知られています。“泡沫”とはいえ知事選の供託金は300万円で、それをドブに捨てる覚悟なのですから、その思いが真剣なのは間違いありません。

選挙公報をちゃんと読んでみると、“泡沫候補”が売名目的でデタラメばかりいっているわけではないことがわかります。

たとえば“スマイル”を旗印にする候補のマニュフェストには、「うつ病革命」として、副作用のある抗うつ剤の全面禁止と、抗うつ剤を多剤大量投与している悪徳精神科医の医師免許剥奪が掲げられています。

欧米や日本で、大手製薬会社が開発した新型抗うつ剤SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の導入とともに、うつ病患者が激増するという奇妙な現象が確認されています。「製薬会社が利益率の高いSSRIを販売するために“うつ病を投薬で治す”というキャンペーンを展開し、それに精神科医が協力したからだ」と批判する専門家もいますから、これはけっして奇異な主張ではありません。

ただしこの候補者は、抗うつ剤に代わる「スマイルセラピー」への保険適用強化を訴えていて、これがどんなものなのかもうひとつわかりません。またホテル、レストラン、受付などの接客スタッフに「スマイルトレーニング」をし、それでもスマイルができないと接客ロボットに代えるという公約もあり、このあたりが“泡沫”と扱われる理由と思われます。

それ以外にも、「原発をいますぐ廃止して、LNGを燃料とするガスコンバイントサイクル発電所を増設せよ」とか、「日本とマレーシアの虹の架け橋になる」という公約を掲げて立候補したひとがいました。いずれも立派な主張ですが、都政とどうかかわるかが見えないと得票にはつながらないでしょう。

「直参旗本の家系で東京四百年在住」という発明家(この方は有名です)の「科学で渋滞を解消する」という提言や、「東京を『天国の首都』に」「トップガン政治」などのキャッチフレーズも気になりますが、今回いちばん目を引いたのは「新憲法で未来へのチャレンジ」という立候補の趣旨でした。

この候補者は現憲法を、敗戦という極限状況のなかで日本がGHQを通して連合国世界に最大限の譲歩をさせた「奇跡的な憲法」と高く評価し、「押しつけ」との批判を一蹴します。そのうえで、自衛隊の位置づけが曖昧なままでは米軍に依存せざるを得ないことと、政教分離の規定がある以上靖国問題が解決できないことを理由に、憲法の建設的な改正を説くのです。

同じく「憲法改正」掲げる“泡沫”でない候補者より、こちらの方がずっと説得力があるような気がします。あっ、このような比較をするのは〝泡沫〟に失礼かもしれませんが。

  『週刊プレイボーイ』2014年2月10日発売号
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若者言葉はなぜ体育会化するのか?  週刊プレイボーイ連載(133)

「近頃の若い者は……」と説教するオヤジにはなりたくないのですが、それでも気になるのは「ありがとうございます」の多用です。近頃の若者は職場やバイト先で、上司からなにかいわれるたびに「ありがとうございます」とこたえているようです。

「そこはEXCELの集計機能を使えばいいよ」

「ありがとうございます」

「明日は早いから今日はこれで終わりにしましょう」

「ありがとうございます」

いずれも間違いとはいえませんが、もっとシンプルな返答があります。私たちの世代は(という言い方をしてしまいますが)、最初の例では「わかりました」、2番目の例では「そうですね」とこたえて、「ありがとうございます」とはいわなかったでしょう。

言葉は時代とともに変化しますが、「ありがとうございます」が若者のあいだでインフレ化するのは何を意味しているのでしょうか。

私がこの用法に違和感を持つのは、それが明らかに体育会言葉だからです。私が学生の頃も、運動部では顧問や先輩の叱責に、バカのひとつ覚えのように「ありがとうございます」と叫んでいました。「わかりました」や「そうですね」などといおうものなら、「タメ口きいてんじゃねえ」と鉄拳が飛んできたでしょう。もともとこれは、指導者と部員、先輩と後輩という上下関係(権力関係)を徹底させるための言葉遣いだったのです。

当時の体育会は、〝前近代的で遅れた社会集団〟とされていました。偏見もあるでしょうが、多数派の軟派な学生が「ありがとうございます」のような言い方を嫌ったのは、「あんなのといっしょにされたらカッコ悪い」と思っていたからです。親切にされてお礼をいうのは当然ですが、会社での業務上の連絡にまで「ありがとうございます」を連発するのでは、自分が劣位にあると認めているようなものです。

近代的な人間関係の原則は“ひとはみな平等”です。会社において上司が部下に命令するのは職階が高いからで、人格的に優れているからではありません。だからこそ欧米では、会社を離れれば上司と部下は対等だし、お互いにニックネームでタメ口をきくのです(建前の要素は多分にありますが)。

アメリカの会社で上司が先のようなことをいったら、「なるほど。クールですね」「超ラッキー!」というような会話になるでしょう。良くも悪くも、職場はかぎりなくカジュアル化、フラット化しています。

それに対してなぜか日本では、若者たちの言葉遣いが「体育会化」する一方です。「よろしかったでしょうか」などの現代口語と同様に、丁寧語や謙譲語が過剰になるのは人間関係でリスクを避けるための用法なのでしょう。「ありがとうございます」といわれて、怒り出すひとはいないからです。

それでも私は古い人間なので、「べつに礼をいわれるようなことはしてないよ」と思ってしまうのです。

 『週刊プレイボーイ』2014年2月3日発売号
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第39回 「ガラパゴス」のATMが進化(橘玲の世界は損得勘定)

この連載の前身である「橘玲の『不思議の国』探検」の第1回でガラパゴス化した日本の銀行ATMについて書いたのは2009年10月だから、もう4年以上前のことだ(金融サービスも「ガラパゴス」)。

いまでは世界じゅうどこに行っても、クレジットカードでATMから現地通貨を引き出せる。昨年末に北アフリカを旅行したが、サハラ砂漠に近い名も知らぬ町の小さな銀行でもちゃんと日本のカードに対応していた。もっとも3台のATMのうち2台は使いものにならず、ずいぶん時間がかかったけれど。

日本円の現金を海外で両替するのは手数料が高い。そこで旅行前にわざわざトラベラーズチェック(TC)をつくっていたのだが、ATMカードやクレジットカードでの海外キャッシングが当たり前になるとTCは廃れていった。日本でも3月末でアメリカン・エキスプレスがTCの販売を終了し、それにともなって国内の金融機関ではTCを購入できなくなる。

ATMで現地通貨が引き出せるのはグローバルな金融ネットワークがあるからだ。代表的なのはVISAが運営するPLUSとマスターカードが運営するCirrus(シーラス)、それに中国の銀聨(Union Pay)の3つだ。海外のほとんどのATMはPLUSとCirrusに対応し、アジアでは銀聯も使えるようになってきたから、旅行者は手近なATMで現地通貨を引き出すことができてものすごく便利だ。

ところが、この世界の流れ(グローバルスタンダード)から取り残されている国がある。驚くべきことに日本では、支店数もATMの数も多い都市銀行がこれまで国際ネットワークに対応する気がまったくなかった。その結果、日本を訪れた外国人旅行者はどこで日本円を入手していいかわからずおろおろすることになる。

2020年の東京オリンピック開催を機に「おもてなし」が流行語になった。もてなしの基本は相手の立場になることだが、日本国内のカードしか利用できないATMを平然と置いている金融機関は「外国人旅行者にサービスする気はない」といっているのと同じだ。日本のおもてなしは世界一だと自慢するひとたちはしょせん他人事で、銀行を批判しようとはしなかった。

もっとも日本政府が手をこまねいていたわけではない。旅行者からの苦情を受けて、1975年の沖縄国際海洋博を機に全国すべての郵便局(ゆうちょ銀行)のATMを国際対応にしたのだ。しかしその後40年近く、この動きに追随する金融機関はほとんどなかった。

それがようやく、観光庁と日本政府観光局からの依頼を受けて、大手都市銀行が15年中を目処にATMを海外カード対応に変えるという。日本というタコツボに閉じこもっていた彼らも、外国人も顧客だという当たり前のことに気づいたのだろうか。

日本の金融機関を見ていて「不思議」だと思うことがいくつもあるが、4年たってその一つが解決に向かった。もっともこの亀のような歩みからすると、ガラパゴス島から抜け出すのはまだまだ先になりそうだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.39:『日経ヴェリタス』2014年1月26日号掲載
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