労働組合は身分差別社会が大好き 週刊プレイボーイ連載(137)

安倍政権による労働者派遣法改正案が国会で議論されています。

これを改悪と主張するひとたちは、「正社員が派遣労働者に置き換えられて格差が拡大する」といいます。それに対して政府側は、これまで専門26業種だけに認められていた条件をすべての労働者に開放することで、労働者のニーズにあった多様な働き方が可能になると反論しています。

労働市場改革が揉めるのは、それが日本社会の根幹である「会社=イエ制度」を揺るがすからです。

経済学的にいえば、働くというのは自らの人的資本を労働市場に投資し、そこから報酬というリターンを得ることです。人的資本は学歴や資格、専門知識や経験を総合したもので、それを基準に昇進・昇給が決まります。キャリアアップとはたんなる出世ではなく、さまざまな手段で人的資本を増やしていくことなのです。

しかし日本では、こうした近代的な職業観はまったく受け入れられませんでした。いまでも学生たちは、どんな仕事をするかもわからないまま会社に入り、その会社で定年まで過ごすことを人生設計の基本に置いています。

そのときにもっとも大事なのは、「会社=イエ」の正規メンバー、すなわち正社員になることです。日本の会社は新卒時に正社員を一括採用するため、大学生活の後半が就活に振り回され、それに失敗すると「非正規」という“二級市民”になってしまうのです。

「正社員」と「非正規」は身分制ですから、近代社会では許されません。そこで差別に反対する理想主義者は、「派遣を禁止して労働者はすべて正社員にすべきだ」と要求します。

企業経営者や自民党はこれを「非現実的なユートピア主義」と批判しますが、働く者の味方であるはずの労働組合も諸手を挙げて賛成しているわけではありません。民主党政権は「製造業への派遣の原則禁止」を含む労働者派遣法改正を目指しましたが、けっきょく腰砕けになってしまいました。経済界の反対よりも、民主党の最大の支持基盤である連合が、正社員の既得権が侵されるのを恐れたからでしょう。

日本的な「会社=イエ制度」では、正社員は“選民”であるからこそさまざまな特権を享受しています。法によって派遣が禁止され正社員の数が増えれば、その価値が下がることは誰だってわかります。

ILO(国際労働機関)が日本に勧告しているように、「同一労働同一賃金」が世界標準のもっとも公正な働き方です。そこでは「正社員」と「非正規」の身分差別はなく、すべての労働者が仕事の内容と能力によって平等に扱われます。すなわち、「誰もが派遣労働者で、かつ正社員」になるのです。

これは素晴らしいことですが、その理想が実現したときは年功序列・終身雇用という日本的な労働慣行は崩壊し、会社がイエであることもなくなるでしょう。

労働者派遣法改正を右往左往を繰り返すのは、この国の既得権層が理想を拒絶し、居心地のいい身分差別社会を守ろうとあがいているからなのです。

 『週刊プレイボーイ』2014年3月3日発売号
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歴史を弄ぶ者は歴史によって復讐され、正直者はいつもバカを見る 週刊プレイボーイ連載(136)

NHKが新会長の就任会見での「個人的見解」や保守派の経営委員の一連の発言、さらには「現代のベートーベン」騒動で窮地に立たされています。とりわけ、経営委員の長谷川三千子氏が天皇を現御神(あきつみかみ)として人間宣言を否定したことと、作家の百田尚樹氏が都知事選の応援演説で、原爆投下や東京大空襲は大虐殺であり、東京裁判はそれをごまかすためのものだったと述べたことが、「不偏不党」の原則に反すると批判されています。

NHKや民放など放送事業者の業務を規定した放送法では、「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」が定められています。しかしNHKには、それ以前に不偏不党でなければならない事情があります。

放送法では、テレビ受像機を持つ全世帯に受信料の支払義務がありますが、かねてから不払いによる不公平が指摘されてきました。NHKによる都道府県別調査(2012年度末)でも、9割以上の世帯が受信料を払っている地域もあれば、沖縄県(44.3%)、大阪府(58.0%)、東京都(61.6%)のように支払率が極端に低い地域もあります。全国平均は73.4%で3割が不払いなのですから、「正直者がバカを見る」といわれても仕方のない数字です。

NHKの経営を支える受信料制度は、「特定の勢力や団体に左右されない独立性を担保するため」に必要だと説明されますが、この理屈は危うい均衡の上に成立しています。不払いは経済的な理由がほとんどだとしても、この制度では思想信条においてNHKの立場を認めないひとにも受信料の支払義務を課すことになるからです。

これはNHKにとってパンドラの箱で、受信料制度を維持するにはぜったいに手を触れてはならないものでした。特定のイデオロギーを持つ党派に加担すれば、別の党派から偏向報道との攻撃を受け、制度の根幹が揺らいでしまうからです。

NHKは2001年、ETV「問われる戦時性暴力」で、左派の市民団体が主催した「女性国際戦犯法廷」を取り上げます。従軍慰安婦など旧日本軍の戦争犯罪の責任が昭和天皇にあるとして、活動家を中心とした検事団が弁護士抜きで天皇の犯罪を裁くという民衆法廷劇で、内容の当否は置くとしても、主催者が極端に偏った立場なのは明らかです。

案の定、放映前から右派の市民団体の強硬な抗議で社会問題化し、事態の深刻さに驚愕した経営幹部によって番組は大幅に編集されて放映されました。その後、朝日新聞が安倍晋三氏と故・中川昭一氏がNHK上層部に圧力をかけて番組が改変されたと報じ、NHKがそれを否定したことで泥沼の争いになっていきます。

今回の問題の根源は、NHKがこの事件の検証を怠り、「不偏不党」の原則をないがしろにしてきたことにあります。その結果、安倍政権に報復人事的な経営委員の任命をされ、こんどは「右に偏向している」との攻撃を浴びることになったのです。

NHKに社会的批判が集まると、受信料を払いたくないひとはそれを利用して不払いを続けることができます。歴史を弄ぶ者は歴史によって復讐され、正直者はいつもバカを見るのです。

 『週刊プレイボーイ』2014年2月24日発売号
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「現代のベートーベン」は自分マーケティングの天才 週刊プレイボーイ連載(135)

「現代のベートーベン」と呼ばれた全聾の人気作曲家が、すべての曲をゴーストライターにつくらせていたという驚愕の事実が日本じゅうに衝撃を与えました。

ネット上に掲載されていたプロフィールによれば、4歳から母親の厳格な英才教育でピアノを学び、5歳でソナチネを作曲し、小学校4年生でベートーベンを弾きこなす神童だったといいます。その後の人生も凄絶で、17歳で原因不明の聴覚障害を発症し、上京して作曲家を目指したが失職して路上生活者となり、ロック歌手としてデビューしたもののバンドは解散、道路清掃のアルバイトで生計を立てていたところ、33歳の時に映画音楽の仕事が舞い込んできます。この映画は「HIVに感染した少女が周囲の差別と偏見と戦いながら強く生きていく姿を綴った青春ドラマ」ということなので、聴覚障害の“自称”作曲家を起用することになったのでしょう。

ゴーストライターの証言によれば、この最初の作品から“偽装”が始まり、絶対音感を持つとされる本人がつくった曲は1曲もなく、ピアノは初歩的なものが弾けるだけで譜面すら書けないとのことです。打ち合わせではごくふつうに会話し、録音されたモチーフを聞いて曲づくりを指示したというのですから、全聾というのもウソなのでしょう。

もっとも有名な『交響曲1番』は「全盲の少女から霊感を得てつくられた」もので、自身が被爆二世だとして、平和への祈りをこめて「HIROSHIMA」と名づけられました。この“美談”をNHKが大きく取り上げて一躍有名になり、マスコミが祭り上げた結果、広島で行なわれた「G8サミット記念コンサート」で演奏され、広島市民賞を受賞します(事件によって取消し)。すべてが明らかになってから振り返れば、荒唐無稽な人生も、都合のよすぎる偶然も、典型的な虚言癖ということなのでしょう。

人並み以上の野心だけはある若者が社会の最底辺から抜け出し、スポットライトを浴びるために思いついたのは差別を利用することでした。彼にとって幸運(もしくは不運)だったのは、都合のいいゴーストライターと出会ったことでしょう。無名の現代音楽の作曲家がアルバイト感覚でつくった大衆受けするクラシックは、“障害”と“被爆者”という魔法の言葉によって「奇跡の大シンフォニー」へと変貌したのです。

5万円の懐石料理、50万円のブランドバッグ、500万円の高級時計というのは、原価からはあり得ない値段です。たんなる革製品にロゴがつくだけで値段が10倍になるのは、その背後にある物語(というか幻想)に付加価値があるからです。その物語は広く知られているので、ブランドを持つと周囲の評価が高まります。ひとびとがブランドを好むのは、お金で社会的な評判を買えるからです。

凡庸な楽曲を美談で飾り立てると名曲に変わるのもこれと同じです。消費社会では、モノではなく物語が消費されます。ほとんどのひとはクラシック音楽に興味があるわけではなく、手っ取り早く感動を手に入れたいのです。

「現代のベートーベン」は、“障害”や“被爆者”でマスコミを躍らせれば、音楽的な才能がなくても大きな成功を手に入れられることを実証しました。その意味で彼は、“自分マーケティング”の天才だったのです。

『週刊プレイボーイ』2014年2月10日発売号
禁・無断転載