すべてのメディアは”捏造装置” 週刊プレイボーイ連載(145)

STAP細胞はどんな組織にも変化できる機能を持った多能性細胞の一種で、iPS細胞などと比べてつくり方が圧倒的に簡単で、再生医療を劇的に発展させると期待されていました。この“ノーベル賞級の発見”を割烹着姿の31歳の小保方晴子さんが主導したことでマスコミの大騒ぎが始まりましたが、その後、論文自体の信憑性を疑わせるさまざまな疑惑が噴出して事態は混迷していきます。

この問題の本質が、「そもそもSTAP細胞は存在するのか?」なのは誰でもわかります。

小保方さんは200回以上STAP細胞を作成したと述べていますが、それには「言葉では伝えにくいコツ」があり、本来、つくりやすいはずなのに他の研究者は誰ひとり追試に成功していません。しかしだからといって論文自体を捏造と決めつけることはできず、写真の転用についてもそれがたんなるミスなのか、意図的なのかを素人が判断するのは不可能です。

“日本のベートーヴェン”は、野心を抱きながらも挫折を繰り返してきた男が、才能はあるもののずっと音楽界の傍流にいた作曲家と出会い、彼をゴーストライターに聴覚障害を装って成功をつかむという、テレビの2時間ドラマに使えそうなベタな話でした。ワイドショーで連日大きく取り上げられたのは、こうした“わかりやすい物語”なら視聴者が安心して楽しめるからです。

大衆が好むのは昔も今も勧善懲悪で、そのためにはまず悪者を特定しなければなりません。それによって悪を糾す自分(視聴者とその代弁者としてのメディア)が正義の側に立てますし、悪者に人間味(幼児虐待や貧困、自殺未遂など)を持たせれば物語の魅力はさらに増してひとびとを魅きつけます。

しかしSTAP細胞論文疑惑では、この悪者をうまく特定することができません。いまだに論争の決着がついていないということもありますが、そもそもマスメディアには「読者/視聴者が理解できることしか報道できない」という制約があり、科学の世界での議論を追うことが困難だからです。

勧善懲悪のドラマは悪役がいないと成り立ちませんから理化学研究所を批判したりもしてみますが、ここは日本の誇るノーベル賞受賞者が理事長をやっており、そもそも誰に責任があるのかもよくわかりません。

こうして科学論争は研究者間の愛憎劇(失楽園)や、「人格障害」「モンスター・サイエンティスト」へと歪んでいってしまいます。大衆は科学の最先端を知りたいのではなく、“割烹着姿のかわいい女の子”の将来に興味津々なのです。

娯楽としてのマスメディアの限界は、真実が複雑でわかりにくいものだとしても(たいていはそうです)、それをわかりやすく加工しなければ商品にならないことにあります。だとすれば、メディアそのものが“捏造装置”なのです。

もっとも「そもそも真実なんてあるのか」というさらにやっかいな問題もあり、それを言い出すと本稿も含め、すべてのメディアは捏造の度合いを競っているだけだ、というオチになってしまうのですが。

 『週刊プレイボーイ』2014年4月28日発売号
禁・無断転載

第41回 租税回避 国家の逆襲(橘玲の世界は損得勘定)

世界金融危機以降、タックスヘイヴンが大きく揺れている。

金融業界に衝撃を与えたのはプライベートバンク最大手UBSのスキャンダルで、2008年11月、米司法当局はプライベートバンク部門を統括していた最高幹部を脱税の共謀犯として起訴し、UBSは総額7億8000万ドル(約780億円)の罰金と、約4500件の口座情報の提供を余儀なくされた。

この事件はまだ尾を引いており、2013年10月には米連邦大陪審に起訴されていたUBS幹部がイタリアで突然逮捕された。この幹部はインターポール(国際刑事警察機構)の指名手配リストに載せられていたのだ。

オバマ政権に代わってからアメリカはタックスヘイヴンに対する締め付けを強めており、FATCA(外国口座税務コンプライアンス法)によって米国人が海外に保有する口座情報の提供を世界のすべての金融機関に義務づけた。このようなことが可能になるのは米国の税制が属人主義で、米国人は国外に居住していても納税義務を負うからだ(日本をはじめほとんどの国は属地主義で、国外居住者は原則として納税義務はない)。

プライベートバンクが窮地に陥ったのは、顧客情報の流出に歯止めがかからないからでもある。脱税容疑で拘束されたプライベートバンカーが、司法取引で罪の減免と引き換えに顧客情報を提供しているのだ(そればかりか莫大な報奨金を得たケースもある)。

また2013年6月には、国際調査ジャーナリスト連合(ICIJ)がシンガポールとBVI(ブリティッシュ・ヴァージン・アイランズ)から入手した10万件以上の登記情報をインターネットに公開した。

ICIJはその後、半年以上にわたって資料の分析を進め、汚職撲滅の先頭に立つ習近平国家主席のほか、温家宝前首相、李鵬元首相ら中国共産党や人民解放軍幹部の親族などがタックスヘイヴンを使って蓄財している実態を明らかにした。報道によれば、中国と香港の富裕層2万1000人以上が海外法人を所有し、2000年以降、最大4兆ドル(約400兆円)の隠し資産が中国から流出したという。

さらに2014年2月、日米欧など主要20カ国・地域が、課税対象者が海外に保有する銀行口座の自動交換に合意し、2015年までの導入を目指すとした。この合意にはタックスヘイヴン国は含まれないが、スイスや香港、シンガポールにまで拡張されればオフショアビジネスは大打撃を受けるだろう。

金融市場の急速なグローバル化に国家が追いつけないことが明らかになって、国際的な取組みがようやく始まった。今後はタックスヘイヴンを使ったグローバル企業の租税回避に議論が移っていくはずだ。

シンガポールを舞台とする国際金融ミステリー『タックスヘイヴン』では、こうした潮流を背景に、プライベートバンクが国際謀略に巻き込まれていく姿を描いた。これはもちろんフィクションだが、もしかしたら同じことがどこかの国で現実に起きているかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.41:『日経ヴェリタス』2014年4月20日号掲載
禁・無断転載 

「ゴーストライターのことはみんな知ってる」って本当? 週刊プレイボーイ連載(144)

“日本のベートーベン”の曲を別人が作曲していた問題で、ゴーストライターの存在が議論を呼びました。出版界では代作者を使って本を出すことが慣行になっていますが、「作曲家のゴーストライターがあれだけ批判されるのなら、出版物も同じではないのか」というのです。

もちろん、芥川賞や直木賞の受賞作を他人が書いていたら社会的な事件です。ゴーストライターを使うのは芸能人やスポーツ選手のような文筆を生業にしているわけではないひとや、多忙な企業経営者など執筆時間のないひとですから、今回の事件と同列に語ることはできません。その意味でゴーストライターが社会的に容認されてきたのは確かでしょうが、「そんなこと(芸能人やスポーツ選手がゴーストライターを使っていること)は誰でも知っている」という擁護論には違和感があります。

こうした主張は、「プロレスが真剣勝負でないことは誰でも知っている」というのに似ています。力道山の時代はもちろん、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の全盛期も、プロレスラーは真剣勝負をしているとみんな信じていました。しかし徐々にプロレスが「筋書きのある格闘技」だということが広まり、1990年代になるとプロレスを芸能の一種として、レスラーが“筋書き”をいかに上手く演じたかが批評されるようになりました。

しかしこうした“おたく的”プロレス論の隆盛とは裏腹にプロレスは衰退し、K1のようなシュート(真剣勝負)が主流になっていきます。誰もがやらせだと知っていたわけではなく、プロレス人気は「真剣勝負であってほしい」と願うファンに支えられていたのです。だとしたら、「本人が書いたと思っている読者なんて一人もいない」といって済ませていいのでしょうか。

問題はそれだけではありません。

芸能人やスポーツ選手の本のほとんどがゴーストライターの手によるものだとしても、なかには自分で文章をつづるひともいるでしょう。しかしいまのままでは、そうした努力も有象無象の“ゴーストライター本”と一緒にされてしまいます。擁護論には、「芸能人やスポーツ選手に本なんか書けるわけがない」という傲慢さが見え隠れしています。

この問題の解決するのはかんたんで、すでに一部の本で行なわれているように、“ゴースト”をやめてちゃんとライターの名前をクレジットすればいいだけです。出版社が代作者を用意してまで本を出したいひとは、本人の実績や経験、生き方に読者が魅力を感じているのですから、本来であれば自分で書いたかどうかは商品価値に影響しないはずです。それでも“ゴースト”のままにしておくのは、「執筆」という幻想を残しておいたほうが商売に有利だと関係者が思っているからでしょう。こうした下心があるのなら“偽装”と批判されても文句はいえません。

ゴーストライターを表に出せば彼らの仕事が認知され、優秀なライターに仕事が集まって正当な報酬が支払われるようになるでしょう。それ以上に大事なのは、“自分で書いた”ことがちゃんと評価されることです。私にはこれでなんの不都合もないと思えますが、なぜこの悪弊を改めることができないのでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2014年4月21発売号
禁・無断転載