シリア人質事件でわかる日本人の「自己責任」 週刊プレイボーイ連載(162)

内戦下のシリアで日本人男性が原理主義の武装勢力「イスラム国」に拘束されました。男性はシリアの反体制組織と行動を共にし、ホームページに戦禍の様子を掲載するため撮影などを行なっていたようです。

邦人が武装勢力に拘束されたケースとしては、2004年4月のイラク人質事件があります。3人の人質のうち2人は若いボランティア活動家で、NGOなどの団体に属さず個人でイラク入りしていました。当時は自衛隊が復興支援のためイラクに派遣されており、武装勢力が自衛隊の撤退を求め、被害者の一部家族が要求を受け入れない政府を批判したことから世論が沸騰し、「自己責任」を問う激しいバッシングにさらされました。

同じ2004年10月にはバグダッドで日本人バックパッカーが拘束され、ナイフで首を切断される場面がインターネットで配信されるという衝撃的な事件が起きました。このときはその悲劇的な結末もあって、軽率さを指摘する声はあっても世論は同情的でした。

日本社会に大きなショックを与えたのは、2013年1月にアルジェリアで起きた人質事件でした。アルカイダ系の武装組織が砂漠にある天然ガス精製プラントを襲撃し、日本人10名を含む外国人41名と多数のアルジェリア人従業員が人質になりました。事件の5日後、アルジェリア軍の特殊部隊が現場に突入し武装組織を制圧しますが、その戦闘で10名の日本人は全員が死亡しました。

このとき、米英仏など人質の出身国は現地に特殊部隊を派遣して人質救済に備えましたが、もっとも多くの人質を出した日本はなにひとつできませんでした。この事件を機に、「邦人救済の目的で自衛隊が出動できるよう法改正すべきだ」という議論が本格化します。

アルジェリアの人質事件は大手企業が派遣した技術者が犠牲になったことで、国民を保護する「国家の責任」が問われることになりました。その一方で、中東の紛争地帯では日本人も標的とされることがわかって、ジャーナリストなどを除けば個人が無謀な行動をとるケースは久しくありませんでした。

ところが今回の人質事件では、被害者は民間軍事会社を設立した直後で、事業の宣伝活動のために紛争地に入り、銃を所持して行動していたといいます。まさに想定外のケースで、これまでの人質事件のなかではもっとも「自己責任」の度合いが高いことは間違いないでしょう。そのわりには事件の特異性からか、本人の「責任」を問う声はさほど高まりません。

このことは、日本における「自己責任」とはなにかを示しています。それは、「国家(政府)を批判しながら、国家に救済を求めることは許さない」ということなのです。

日本人は、国家が国民を庇護するのは当然だと思っており、国家に甘えることには比較的寛容です。だからこそ逆に、母親のような国家を裏切る行為は徹底的にバッシングされるのでしょう。頭を低く垂れていればそれ以上の責任は追及されませんが、反論や抗弁はいっさい許されないのです。

自己責任は、本来は自由の原理です。国家が国民を完全に保護しようとすれば、“危険”と見なされる国への旅行の自由を厳しく制限するほかありません。だからこそリベラリスト(自由主義者)は自己責任を問わなければならないのですが、こういう議論は日本ではまだまだ難しそうです。

『週刊プレイボーイ』2014年9月8日発売号
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“クローン牧場”の真の計画はなんだったのか? 週刊プレイボーイ連載(161)

タイのバンコクで、24歳の日本人男性が代理出産により16人の乳幼児の父親になっていた事件が話題を集めています。

その後の報道によれば、男性はカンボジアのプノンペンに子どもたちの養育施設を用意し、毎年10~15人の子どもをもうけ、自分の精子を冷凍保存して最終的には1000人の子どもをつくる計画を立てていたといいます。男性は代理母の斡旋業者に対し、「世界のために私ができる最善のことは、たくさんの子どもを残すことだ」といったそうです。「事実は小説より奇なり」といいますが、こんな荒唐無稽な話はSF作家でも思いつかないでしょう。

ひとびとが衝撃を受けたのは、件の男性が著名なベンチャー起業家の長男で、自分の計画を実現するのにじゅうぶんな財力を持っていたことでした。代理出産が商業化された世界では、その気になれば無限のクローンをつくることもできてしまうのです。

中国やインドの経済成長で明らかなように、グローバル資本主義は世界じゅうの貧しいひとびとの生活を劇的に改善しましたが、その一方で、一代で数兆円もの資産を築く超富裕層をも生み出しました。

衣食住などヒトの基本的な欲望には物理的な限界がありますから、資産が10億円を超えれば、生きているうちにそれを散財するのは至難の業でしょう。こうして、「使い切れないお金をどう処分するのか」という新しい問題が生まれました。

ビル・ゲイツやジョージ・ソロスのような篤志家に誰もがなれるわけではありません。お城のような豪邸やプライベートジェット、大型クルーザーなど“顕示的消費”の定番ではもう誰も驚かなくなりました。今回の事件は、そんな悩める超富裕層に新たな富の使い道を示したのです。

しかし、クローンが流行するかどうかには疑問も残ります。ハーレムや大奥を見ればわかるように、(男性)権力者の欲望はたくさんの若い女性とセックスすることで、子どもはその結果として生まれてくるだけだからです。ところが件の男性はバックパッカーのような暮らしをし、贅沢にはいっさい興味を持たず、目的はセックスではなく代理出産だったのです。

進化論では、自分の遺伝子をより多く残す選択をした個体が繁殖に成功し、生き延びていくと考えます。だとしたらヒトの欲望は自分のクローンをつくることになりそうですが、そのように進化しなかったのは石器時代には生殖医療の技術がなく、他の生き物と同様にセックスを目的にするほかなかったからです。このようにしてヒトは、「愛」を至上のものとする文化を生み出しました。

アニメ『エヴァンゲリオン』の熱烈なファンだったという男性は、人類の進化の階梯を自らの財力で乗り越えようとしたのでしょうか。しかし、これではあまりにSFアニメ的すぎます。

生殖は複雑な過程なので、父母が同じでも多様な容姿・能力・性格の子どもが生まれてきます。これは確率の問題ですから、子どもを1000人つくれば1人くらいは自分が望む完璧な存在(ミュータント)が見つかるかもしれません。

これが男性の真の計画だとすると、話はよりホラーに近づいていくのです。

『週刊プレイボーイ』2014年9月1日発売号
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第44回 利殖の手段と化すふるさと納税(橘玲の世界は損得勘定)

先日、仕事場に送られてきた投資雑誌をめくっていたら「株主優待VSふるさと納税」という特集が目に入ってびっくりした。株式投資と納税がなぜ比べられるのだろう?

ふるさと納税は2008年に始まった地方自治体への寄附金制度で、所得税・個人住民税の控除が受けられる。小泉政権下の三位一体改革で地方交付税の削減や税源移譲が進み、都市と地方の税収格差が問題になった。そこで当時の自民党政権が、日本に寄付文化を根づかせる効果も期待して創設したのだという。

こうして、生まれ故郷を離れ都会で暮らしているひともふるさとに貢献できるようになった――これだけなら素晴らしい話だが、だったらなぜマネー雑誌が利殖の手段として取り上げるのだろうか。それは、制度設計に理由がある。

ふるさと納税では出身地に限らずどの自治体に寄附してもいいが、全額控除には上限が設けられていて、総務省の試算では、年収600万円(専業主婦と子ども2人)のサラリーマンの場合2万7000円だ。ほとんどのひとはこの上限を超えて寄附しようとは思わないだろうから、パイの大きさは決まっていて、全国の自治体は納税先の指定をめぐって争うことになる。

もうひとつは、寄附金のうち、控除を受けられるのは2000円を超えた部分だということだ。

1万円を寄附したとすると、2000円が適用外となって、税金から控除されるのは8000円だ。ここからすぐにわかるように、ふるさと納税をすると税(控除されない2000円)と寄附金(1万円)の合計が1万2000円になって、結果として税コストが増えてしまう。ふるさと納税はあくまでも「寄附」であって、税と同じには扱えないのだ。

ところがそうなると、ふるさと納税をする経済的なインセンティブがなくなってしまう。そこで一部の自治体が、“払い過ぎた”税金を特産品などで“還付”することを始めた。これが話題になると、多額の税収を得る市区町村が出てきて、限られたパイをめぐる争いが激化した。

いまや全国の自治体が「納税のお礼」に趣向をこらしている。それをまとめたサイトを見ると、肉や魚介類、果物、米、温泉利用権やスキーチケットなどなんでもある。納税者は当然、「どうせ税金を払うならすこしでも得したい」と考えるだろう。こうして「株主優待と同じように納税でも得できる」という摩訶不思議な話になるのだ。

地方がふるさと納税に頼るのは、税収が減っているためだ。その理由は人口減や企業の撤退などいろいろあるだろうが、要するに地方に魅力がなくなってしまったからだ。だったら正攻法は、多くのひとが住みたい(企業が進出したい)と思う街づくりをすることだろう。

だがバブル崩壊以降の20年で、地方はその努力をあきらめてしまったようだ。それでも税収は必要だから、あとは特産品で納税者を勧誘するしかない――「ふるさと納税」という美名の陰には、少子高齢化を迎えた日本の、そんな寒々とした光景が広がっているのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.44:『日経ヴェリタス』2014年8月24日号掲載
禁・無断転載