政治の役割は進化論的な歪みを正すこと 週刊プレイボーイ連載(176)

日本列島には5万年ほど前から縄文人が狩猟・採集をしながら暮らし、紀元前5世紀に朝鮮半島から弥生人が移住してきました。近年の遺伝学や分子生物学の急速な進歩によって墳墓などに残っていた古代人の人骨のDNA分析が可能になり、日本人の出自について新たな知見が積み重ねられています。

体質的にお酒をまったく受けつけないひとは「下戸」と呼ばれ日本では珍しくありませんが、じつはヨーロッパやアフリカ、アメリカ大陸にはほとんどいません。これは医学的には、遺伝的な変異によってアルコールから生じるアセトルアルデヒドを酢酸に分解できないからですが、この変異型には顕著な地域差があります。

これを「下戸遺伝子」と名づけるとすると、その保有率は中国南部の23.1%に対し、北部では15.1%と大きく下がります。北京では宴会で度数の強い白酒を一気飲みし、南に下るに従って度数の低い紹興酒が好まれるようになりますが、これは文化的なちがいというよりもアルコールに対する遺伝的な耐性によってもたらされたものです。

中国南部と並んで世界的に「下戸遺伝子」が多いのが日本で、保有率は23.9%にのぼります。それも近畿地方を中心とした本州中部に多く、東北と南九州、四国の太平洋側で少なくなっており、これは弥生人が中国南部を起源とし、それが(正常型の遺伝子を持つ)縄文人と混血したためと考えられています。

こうした知見から、最近では「縄文人と弥生人は仲良く共存していた」との説も唱えられていますが、果たしてそういい切れるでしょうか。

野生のチンパンジーを観察した動物行動学者は、彼らが集団で弱い群れを襲うことを発見しました。チンパンジーの攻撃ではオスを皆殺しにしてその肉を食べ、メスの抱いていた赤ん坊を食い殺してから性交を行ないます。授乳中は生理が止まって妊娠できないからで、赤ん坊殺しは自分の遺伝子を後世に伝える“進化論的に合理的な”行動です。

チンパンジーと遺伝的にきわめて近接したヒトのオスにも同様の行動原理が埋め込まれていることは、古代から連綿とつづく戦争の歴史を振り返れば一目瞭然です。鉄器という強力な武器を持った弥生人も、自分たちとは姿形の異なる縄文人を敵と見なして殺戮とレイプを繰り広げ、その混血の結果がいまの日本人ということなのでしょう。

私たちは「自分の感情に正直であるべきだ」と思っています。しかし人種差別や性差別をいまだ克服できないように、進化の過程で生まれたプログラムのなかには現代社会にとってきわめて不適切なものがあります。“あるがままに生きられる世の中”とは、90年代の旧ユーゴスラビアのように、宗教や民族に分かれて際限のない殺し合いがつづく地獄のような世界かもしれません。

「政治」のもっとも重要な役割は、ヒトの進化論的な歪みを矯正し、差別や暴力を抑制することです。それに比べれば景気がいいとか悪いとかはどうだっていい話ですが、残念なことにこの優先順位はしばしば逆転してしまうようです。

参考文献:篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHKブックス

『週刊プレイボーイ』2014年12月17日発売号
禁・無断転載

これが今年最後の投稿になります。

よいお年をお迎えください。

橘 玲

アフリカの夜明け。タンザニア上空
アフリカの夜明け。タンザニア上空

ジコチューには集団的自衛権はわからない 週刊プレイボーイ連載(175)

ひとは誰でも、自分が世界の中心にいると思っています。映画や小説で「世界の終わり」が繰り返し描かれるのは、自分が死ねばこの世界もいっしょに消えてしまうからです。この臨場感は圧倒的なので、世の中にジコチューばかりが溢れるのは仕方のないことです。

自分のことだけでなく、「国家」を語るときにも私たちは無意識のうちにジコチューになっています。集団的自衛権をめぐる議論が不毛なのは、「日本が戦争に巻き込まれる」とか、「沖縄の米軍基地がなければ日本は守れない」とか、常に自分(日本)のことしか考えていないからです。

第二次世界大戦がヒロシマ、ナガサキへの原爆投下という悲劇で幕を閉じたあと、大量の核兵器を保有する大国同士は戦争できなくなりました。植民地主義が全否定されて以降、あらゆる地域紛争は「防衛」の名の下で行なわれています。これは人類史的なパラダイム転換で、それを無視して「戦前の雰囲気に似てきた」との印象論で戦争の恐怖を煽る報道は百害あって一理なしです。

なぜいま集団的自衛権が問題になるかというと、「中国の大国化」という同じく人類史的な出来事がこの20年で現実のものになったからです。それが周辺諸国を動揺させ、地域の安全保障に大きな変化を起こしました。

南シナ海の南沙諸島・西沙諸島をめぐる領有権問題で、社会主義国であるベトナムはかつての仇敵であるアメリカに急接近し、1990年代に米軍が撤退したフィリピンでは再駐留を求める声が圧倒的になりました。中国は「歴史問題」で東南アジア諸国との対日共闘を模索しましたが、インドネシアやマレーシア、シンガポールを含め、どこも「いま目の前にある危機」の方が重要でなんの関心も示しません。中国と蜜月だったミャンマーまで、民主化によって中国から距離を置こうとしはじめました。「領土を脅かされている」という不安の前では、歴史的ないきさつや経済的な利害関係などどうでもよくなってしまうのです。

中国との領有権問題を抱えるアジアの国々は、日本が集団的自衛権のくびきを解いて、対中国包囲網に加わることを強く期待しています。フィリピンのアキノ大統領は憲法9条の改正を求めており、このまま中国との軋轢が強まれば日本の核武装を求める声も出かねません。

それと同時にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)では、オーストラリアやチリなどを含め、「民主化された自由市場を持つ」国々で中国を経済的に包囲するという米国の戦略が進められています。日本ではTPPも「損か得か」というジコチューな視点でしか語られませんが、安全保障を最優先する安倍政権に参加を拒否する選択肢がないことは「地経学」的に考えれば明らかです。

東アジアで起きているさまざまな出来事の震源は、世界第2位のGDPを持ち、13億の国民を抱え、共産党独裁という異質な政治体制をとる中国の台頭にあります。それが平和的なものになるか、軍事的な脅威となるかで周辺国の運命は大きく変わります。

このような視点が欠落した安全保障の議論にはなんの価値もないのですが、「平和憲法を守れ」と叫ぶひとたちがこのことに気づくことは、残念ながら永遠にないでしょう。

『週刊プレイボーイ』2014年12月8日発売号
禁・無断転載

「差別のない明るい社会」を目指してほしい 週刊プレイボーイ連載(174)

なんのためかよくわからないまま衆院解散が決まりましたが、政党同士の足の引っ張り合いにつき合っていても仕方がないので、ここでは候補者たちに託したい前向きな提言をしてみましょう。

一般にリベラルとネオリベ(新自由主義)は、結果平等を求めるのか、機会平等でじゅうぶんだ(結果が不平等になっても構わない)とするかで分かれるとされます。しかしどれほどリベラルでも、私的所有権を否定する共産主義の理想社会(グロテスクなディストピア)を目指すひとはいないでしょう。一方、貧しい高齢者が餓死するのを見て、「機会は平等だったんだから自己責任だ」と突き放すネオリベもいないはずです。現代の政治的対立とは、同じ価値観を持つ者同士が、どこでバランスを取るかでいがみ合うことなのです。

しかしそれでも、機会が平等でなければ結果の平等もあり得ないわけですから、社会から差別をなくすことはあらゆる(民主的な)政治思想に共通の理想です。しかし現実には、日本ではいまだに多くの差別が放置されています。

「差別」というと「朝鮮人を殺せ」と連呼する集団を思い浮かべるかもしれませんが、もっとも広範な社会的差別は終身雇用・年功序列の日本的雇用が生み出すものです。このローカルルールは日本人(日本採用)の正社員にしか適用されませんから、日本企業は海外での現地採用を平等に扱うことができません。これが人種や国籍による差別と見なされ、優秀な外国人社員が数年で欧米系企業に転職していく原因になっていることは、海外法人の採用担当者なら誰でも知っていることです。

また終身雇用は、定年に達した社員を強制的に解雇する制度ですから、これは年齢による差別以外のなにものでもありません。採用にあたって年齢で選別することは法で禁じられていますが、新卒採用の年齢制限は「日本的慣行」として適用除外にされています。

派遣法の改正では「派遣社員の正社員化」が目指されましたが、どのような働き方をするかは労働者の選択に任せればいいのですから、これは大きなお世話です。問題なのは「正規」と「非正規」で同じ仕事でも待遇が大きく異なることで、これは「現代の身分制」というほかありません。

そのうえ日本の会社はサービス残業という滅私奉公で社員の忠誠度を判定しており、子育てをしながら働く女性が管理職に昇進することは至難の業です。それに加えて政府は、配偶者控除や(専業主婦の社会保険料を免除する)第三号被保険者制度で女性の労働意欲を制度的に奪っており、その結果日本は、男女平等ランキングで142カ国中104位という“後進国”になってしまいました。

少子高齢化の進展で、日本経済はこれから労働力の枯渇に悩まされることになります。そんなときに、会社に生産性の低い労働者を囲い込んで失業率を下げる政策は時代遅れです。いま必要とされているのは、生産性に見合った賃金でいつまでも働けるようにすることと、金銭による整理解雇を認めて不要な人材を労働市場に戻し、有用な人材として再雇用される仕組みをつくることです。

これはべつに過激な提案ではなく、北欧諸国では当たり前の“世界標準”の労働制度にすぎません。党派を問わず、政治家にはまず「差別のない明るい社会」を目指してほしいものです。

『週刊プレイボーイ』2014年12月1日発売号
禁・無断転載