税をめぐる道徳と正義について 『熱風』2013年5月号

 

スタジオジブリの『熱風』2013年5月号の特集「グローバル企業とタックスヘイヴン」に掲載された「税をめぐる道徳と正義について」を、編集部の許可を得てアップします。

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フランスでは昨年5月、新自由主義的な改革を目指していたサルコジを破って、格差是正を掲げたオランドが大統領に就任した。オランド政権は富裕層への所得税増税を選挙の公約に掲げており、年収100万ユーロ(約1億3000万円)を超える個人の所得税率を40%から75%へと大幅に引き上げようとした。反発の大きさに新政権は、増税を2年間の時限措置にすることで理解を得ようとしたが、高級ブランドを展開するモエヘネシー・ルイヴィトンの最高経営責任者(CEO)がベルギー国籍を申請するなど、富裕層の国外脱出が止まらなくなった。

イギリスでは昨年10月、コーヒーチェーン大手のスターバックスの英国法人が、過去3年間に4億ポンド(約600億円)の売上げがありながら法人税をほとんど納めていなかったと報じられ、消費者団体などから不買運動を起こされた。これを受けてスターバックスは、2013年と14年度の2年間は、利益の有無にかかわらず法人税として毎年1000万ポンド(約15億円)を納めると発表した。

ここでは2つの象徴的な事件を題材に、税をめぐる道徳と正義について考えてみたい。

 公平な税制とは 

オランド政権の富裕層増税に対してもっとも過激なパフォーマンスをしたのが、カンヌやヴェネチアの映画祭で男優賞に輝いたフランスを代表する映画俳優ジェラール・ドパルデューだ。「フランス政府は成功を収めたひとや、才能があるひとを罰しようとしている」と批判するドパルデューは、報道陣の前で、ロシアのプーチン大統領から直接パスポートを受け取ってみせた。

ヨーロッパの知識層のあいだでは、19世紀まで続いた農奴制のためにロシアはもっとも遅れた国として蔑まれてきた。冷戦の終焉でロシアは民主化したが、プーチン大統領は実質的な独裁者と見なされている。だからこそドパルデューは、オランド大統領に対して「プーチンの方がずっとマシだ」といってみせたのだ。

フランスは1789年のバスティーユ襲撃から始まる革命によって誕生した近代国家で、その国是は自由・平等・友愛の三色旗に象徴される。ドパルデューの外国籍取得は税金逃れのように見えるが、その批判はより根源的で、「税における公正とはなにか?」を問いかけている。

そもそも近代の理念は、人種や国籍、宗教、性別にかかわらずすべてのひとは平等に人権を有しているというもので、近代国家には国民を無差別かつ平等に扱うことが求められている。だからこそ、極端な累進課税で一部の富裕層を「差別」することは建国の理念に反する、という批判が出てくるのだ。

それでは、もっとも公平な税制とはどのようなものだろう。

国家は外敵からの防衛や治安維持、電気・ガス・水道などのライフラインの整備や道路・鉄道・港湾などのインフラ建設によって国民にさまざまな公共サービスを提供している。共同体(コミュニティ)に属するメンバーが平等に利益を得ているという意味では、公共サービスへの対価としての税金はマンションの共益費と同じようなものだ。

自治会や商店会の会費もそうだが、共益費は定額が原則だ。マンションの管理組合が入居者の所得を調査して共益費を決めたら大問題になるだろう(専有面積に応じて差をつけることはある)。同じ利益を得ている以上、同じ負担をするのは当然なのだ。

この「応益負担」の原則からは、国民一人あたりいくらの人頭税がもっとも公平だということになる(日本では住民税の均等割が人頭税だ)。

日本の国家予算を100兆円とし(特別会計は除外)、20歳以上65歳以下の人口7600万人で割ると、一人当たりの人頭税は年間約130万円になる。これが、日本という共同体をみんなで運営していくための負担額だ。

もちろんここで、国家はマンションの管理組合と同じではない、という批判が出てくるだろう。共益費を払えなくなった入居者は、マンションを退去して安いアパートに移り住むことができる。だが国民は、税金を払えなくなったからといって、国家(日本)から出て行くことができない。近代国家は奴隷制を否定しているから、共益費(人頭税)を払えないひとにも国民としてのすべての権利を保障しなければならないのだ。

国家が退出不可能な「助け合い」の共同体ならば、「貧しい人のために富める者がより多く負担すべきだ」という主張にも説得力はある。

この「応能負担」の原則では、すべての国民に定率の所得税を課すことがもっとも公正になる。所得税率20%なら、所得100万円のひとは20万円を、所得1億円のひとは2000万円を「共益費」として支払うのだ。

税を「公正」の観点から考えると、もっともすぐれているのは人頭税で、かろうじて容認できるのが定率の所得税(フラットタックス)だ。しかし日本を含め多くの国で、富める者が貧しい者よりもより高い税率を課される累進課税が当然とされている。

だが近代の原理(すくなくとも「税の公正」の観点)からは、累進課税を正当化する論理は出てこない。この根源的な矛盾を、オランド政権のポピュリズムがあぶりだしたのだ。

雇用の創出が企業の社会的貢献 

次にスターバックスの納税問題を考えてみよう。ここでの原理的な問題は、「法人税はなぜあるのか」だ。

法人というのは会社など個人の集まりを便宜的に「ひと」と見なし、ヴァーチャルな(法的な)人格を付与したものだ。なぜこんなことをするかというと、社会的な動物である人間は個人としてよりも集団(群れ)として行動するので、会社のような“群れ”を単位に管理したほうが便利だからだ。

スターバックス英国法人は、「英国人」としての納税義務を果たしていないとして不買運動を起こされた。ここでは法人が「ひと」であることが当然とされているが、はたしてそれは自明なことなのか?

近代社会は自立した市民によって担われるのが大原則だ。法人には選挙権もなければ兵役の義務もなく、罪を犯しても監獄に入ることもない。法人が個人(市民)とは異なり、近代社会(市民社会)の正規のメンバーでないことは明らかだ。

近代主義の原理からすれば、納税義務はあくまでも社会の正構成員である市民が負うべきだ。このように考えれば、そもそも法人に課税すること自体が間違っている。

株式会社の所有者は株主で、日本の会社法でもそう定められている。株主のなかには法人もいるが、その法人も株主によって所有されているのだから、突き詰めれば会社の利益はすべて個人に帰属する。だとしたら法人などという架空の存在に課税せず、法人の利益はすべて株主に分配したうえで個人=市民に課税すればいい。

こうした「近代原理主義」は、法人に納税義務を負わせることを、市民と対等の「人権」を与えるものだと強く警戒する。自由で自立した市民によって構成される近代社会には、市民よりも上位の主体は存在してはならない。しかし現実には、法人が市民よりもはるかに多額の税金を納めることで、市民を支配してしまうのだ。

節税は株主に対する経営者の義務 

イギリス政府・議会は、スターバックスだけでなく、オンライン小売大手のアマゾン・ドットコムやインターネット検索大手グーグルなどの多国籍企業も「不道徳」な手段で納税を免れていると述べている。しかし、(仮に法人税を認めたとしても)こうした批判にただちに賛同はできない。

株主が会社に投資するのは、事業のリスクを負う代償として利益の分配を受けるためだ。会社の経営者は(所有者である)株主から事業の運営を委託されており、可能なかぎり多くの利益を株主に還元する義務を負っている。

株主に分配されるのは会社の純利益で、これは粗利益から税金などを払った残余のことだ。税金をたくさん払えば、当然、その分だけ株主の取り分は減ってしまう。利益の最大化は株主と経営者との契約なのだから、経営者にとってはもっとも税率の低い国で納税することが「道徳的に正しい」行動なのだ。

資本主義の原則に照らせば、法律に則った節税は経営者の株主に対する「義務」である。スターバックスの納税に問題があるというのなら、英国の税法に則って課税の根拠を争うか、税法を改正して節税の道をふさぐしかない。不買運動によって納税を強要するのは、市民社会の根幹である法治を自ら否定することになる。

スターバックスが税金の高いイギリスで納税していないとしても、同社はイギリス社会に害をなしているわけではなく、それとは逆に大きな貢献をしている。

スターバックスは不買運動に対して、「私たちは英国で8500人以上を雇用しており、今後、300店を新規オープン、従業員も5000人増やす。数億ポンドの投資を考えている」と釈明したが、ひとびとの怒り抑えることはまったくできなかった。だがこれは、たんなる言い訳なのだろうか?

スターバックスがイギリスで巨額の利益をあげたのは事業に成功したからだ。彼らは中南米やアフリカなどの新興国から大量のコーヒー豆を買い、イギリス全土に店舗網を張り巡らせ、イギリスの労働者を雇用して消費者にコーヒーを提供している。スターバックスの従業員は会社から得た給与で家族を養い、所得税を納めている。

ここで、「正しく納税しない」スターバックスを不道徳だとして、不買運動によってイギリスから撤退させたらどうなるだろう。8500人の従業員は職を失い、イギリス政府は彼らから税を徴収するのではなく、失業保険や生活保護を彼らに払わなければならなくなる。従業員やその家族の生活が破壊されるだけでなく、スターバックスに関連する事業者の仕事もなくなるだろう。英国のスターバックスに豆を売っていた新興国のコーヒー農家が大打撃を受けることも間違いない。

スターバックスにかぎらず成功した企業はすべて、多数の従業員を雇って事業を行なっているというだけで社会に多大な貢献をしている。企業の最大の社会的責任は雇用を創出することで、それに比べれば年間15億円程度の法人税など微々たるものなのだ。

タックスヘイヴンは悪なのか 

税を近代の原理から考えると、フランスのオランド政権の富裕層増税も、イギリスの怒れる消費者によるスターバックス叩きも、マスメディアの報道とはまったく異なる見方ができる。同様の誤解は、タックスヘイヴンについてより顕著だ。

タックスヘイヴンは所得に対して税を課さないか、税率がきわめて低い国や地域のことで、マネーロンダリングなどの犯罪の温床だとされている。金融危機によって預金封鎖を余儀なくされた地中海の島キプロスもタックスヘイヴンで、ロシアからグレイな資金が大量に流れ込んでいることが報じられた。

2007年の世界金融危機以降、タックスヘイヴンは国家の秩序をかく乱する元凶として批判されるようになった。スターバックスをはじめとする多国籍企業も、節税にタックスヘイヴンを「悪用」しているとされている。

こうした論調の背後にあるのは、先進国を善、タックスヘイヴンを悪とする勧善懲悪の構図だ。しかしこの見方は、どこまで正しいのだろうか。

ここでまず確認しておきたいのは、タックスヘイヴンの多くは民主国家だということだ。カリブ海や地中海、南太平洋などに浮かぶ小さな島も、国際社会から主権(もしくは自治権)を認められている。

植民地を否定した第二次世界大戦後の国際社会では、すべての国の主権は対等だとされている。淡路島くらいの大きさしかない島国も、国連総会ではアメリカや中国と同じ一票を行使できる。世界政府が樹立されるまでは主権国家を超える権威は国際社会には存在せず、民主的な政府が議会政治の手続きに則って決めたことに他国が介入することは許されない。

もちろん、主権国家ならどのような暴挙も許されるというわけではない。核兵器の開発やテロリストへの支援はもちろん、麻薬や売春、銃器売買など国際的な犯罪組織に金融サービスを提供することもいまではきびしく禁じられている。スイスの銀行秘密法のようなマネーロンダリングを助長させる法律は、いくら主権国家が民主的に決めたものであっても国際社会の批難を免れない。

マネーロンダリングと並んでタックスヘイヴンが批判されるのが有害税制だ。ヨーロッパのように多くの国が国境を接する地域で、一部の国家が非課税や低税率を導入すると、税率の高い国から低い国へとマネーが流出してしまう。これが課税の公平性や中立性を害するとして「有害」とされるのだが、これは高税率国からの一方的なレッテル張りにすぎない。

税制は主権国家の根幹で、普遍的に正しい税率などというものがない以上、民主的な国家はどのような税制を採用することもできるし、国際社会は他国の国民の判断を最大限尊重しなければならない。

タックスヘイヴン国からこのような反論がなされた結果、現在では「有害税制」批判はマネーロンダリングなどに限定されるようになり、金融法制と監督機関を整備したタックスヘイヴンは国際社会に正規のメンバーとして迎え入れられることになった。皮肉なことに、タックスヘイヴンを批判・矯正させようとしたことで、基準をクリアした国や地域の正当性を認めてしまったのだ。

現実に即した税制の改革が必要 

私たちはどのような税制を目指すべきなのだろうか。ここでこの大きな問題にこたえることはできないが、参考までに、現在もっとも効率的な税の仕組みを構築している北欧諸国を見てみよう。

オランド政権の失敗に見るように、ヨーロッパのような移動の自由な地域で極端な累進課税を強行すると富裕層は国から出て行ってしまう。そのため福祉国家として知られるスウェーデンは、2007年に贈与税や相続税などの「富裕税」を廃止してしまった。そのきっかけは、世界最大の家具販売店イケアと、食品用紙容器の大手テトラパックの創業者一族がスウェーデンを捨てたことだという。

「世界一幸福な国」として知られるデンマークは、国民の大半が定率課税で納税している。2012年現在で、年間所得4万2900クローネ(約74万円)~38万9900クローネ(約670万円)までの国税は税率4.64%、それ以下は税率0%で、それ以上が税率15.0%の3段階だ(それ以外に地方税が加わり、国と地方を合わせた所得税の上限は51.5%)。デンマークの税制は改革のたびに簡素化されており、いずれは全国民が一律のフラットタックスになるかもしれない。

北欧諸国は法人税率も25%前後と低く(日本の法人税実効税率は35.64%)、企業の国際競争力を強化すると同時に、高校や大学までの授業料を無料化することで国家が企業に代わって職業訓練を行なっている(北欧の教育機関は日本のように一般教養を教えるのではなく、高校や大学は職業専門学校にちかい)。国内で雇用を創出するだけでなく、海外で広く事業を展開する企業が次々と生まれてこないとゆたかな社会は支えられないのだ。

それと同時に、北欧の「社会実験」は、富裕層が反発するのが高負担ではなく不平等であることを強く示唆している。消費税率が25%でも、それが国民に平等に課せられているのなら富裕層は国を捨てようとは思わない。だが自分たちだけが懲罰的な税を支払わされるのは、どのような高邁な理屈がついていても、「差別」以外のなにものでもないのだ。

富裕税を廃止してしまえば、富裕層が国を捨てることもない。法人税をやめて個人への課税に一元化するか、法人税率を他国に合わせて引き下げれば、スターバックスのような多国籍企業も複雑なタックススキームを組む必要がなくなり、事業を行なう国で納税するようになるだろう。

だとすれば問題は、先進国の税制が「公平・中立・簡素」の税の原則からかけ離れていることと、各国の法人税率が異なっていることにある。このような条件では、タックスヘイヴンを利用して個人が課税を逃れたり、法人が低税率の国に登記を移すのは当たり前だ。

タックスヘイヴンは諸悪の根源で、先進諸国の「正しい」税制を破壊しているという認識がそもそも間違っている。先進国の税の仕組みが歪んでいるからこそ、それを利用して利益を得ようとするタックスヘイヴンが「発明」された。

正義を振りかざし声高に理想を語るひとたちが、タックスヘイヴンという異形の国家を生み出したのだ。

『熱風』2013年5月号 禁・無断転載 

 

ネオリベは「歴史認識」を語れない 週刊プレイボーイ連載(101)

 

橋下徹大阪市長が戦時中の旧日本軍慰安婦を「必要だった」と述べ、沖縄県の米軍普天間基地の司令官に風俗業の活用を提言したことが国際的な波紋を拡げています。

慰安婦問題は日韓の歴史認識でもっともセンシティブな話題で、それを沖縄の米軍基地問題と絡めて論じたことで、アメリカの大手メディアにまで「性奴隷(セックススレイブ)を容認した」と報じられる有様です。橋下市長の真意がどうであれ、「奴隷は必要だった」と述べたと見なされれば、政治家として国際社会に居場所はありません。

弁護士出身の橋下市長は、Twitterを駆使してあらゆる批判に論駁することで人気を集めてきました。それなのになぜこんな事態になってしまったのでしょう。

橋下市長と日本維新の会は、石原慎太郎前東京都知事の「太陽の党」と合併する以前は、「ネオリベ(新自由主義)」と呼ばれる政治思想で一貫していました。

ネオリベとはいったい何でしょうか?

第二次世界大戦が終わると、世界じゅうのすべてのひとが戦争の凄惨な現実に慄然としました。ヒロシマ、ナガサキの後では、大国同士の戦争はただちに人類の滅亡につながります。植民地によって権益を拡大する帝国主義のビジネスモデルが破綻したのは明らかで、米ソ両陣営が国民の「福祉」を競う新しい時代が訪れました。こうした変化を主導したのが、国民の幸福を最大化するために国家は積極的に関与すべきだと主張するひとびとで、その政治的立場が「リベラル」です。

ところが1960年代になると、福祉社会は早くも壁にぶつかってしまいます。福祉を充実させればさせるほど国民はより多くを求め、国家は借金漬けになって財政が立ち行かなくなってしまうのです。

こうして、国家によるばら撒き的な福祉を否定し、市場の活用を求める新しい政治思想が登場しました。経済学者のミルトン・フリードマンに代表されるこの政治的立場が「ネオリベラル」です。

それ以来ネオリベは、福祉社会を擁護するリベラル派と激しい論争を繰り広げてきました。80年代には、ネオリベの主張を取り入れたレーガン、サッチャー、中曽根が規制緩和と政治・行政改革に乗り出します。この頃には、誰の目にも明らかなほど福祉社会は行き詰まっていました。

ネオリベは半世紀の歴史を持つグローバル思想です。「法の支配」や「市場原理の導入」はノーベル賞受賞者を含む多くの経済学者が強く支持しており、その主張は膨大な文献によって裏づけられています。だからこそ、非効率な行政を改革する橋下市長は多くの有権者を引きつけ、リベラル派からの旧態依然とした攻撃を140文字の短文で一刀両断にできたのです。

しかしネオリベは、福祉社会批判には素晴らしい切れ味を持つものの、外交問題や歴史認識についてはなんの主張も持っていません。市場原理を徹底すれば、国家はいらなくなってしまうからです。

こうして橋下市長は、はじめて自分自身の言葉で語ることを余儀なくされたのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年6月3日発売号
禁・無断転載

私たちは人類史上もっとも幸福な時代に生きている 週刊プレイボーイ連載(100)

 

格差社会やグローバリズム、テロや環境破壊、犯罪の増加や社会の右傾化で、私たちの暮らしはどんどん悪いほうに向かっていると多くのひとが思っています。しかし、それはほんとうでしょうか?

明治時代の日本人の平均寿命は男性も女性も40歳代で、1950年代にようやく60歳を超えました。乳幼児の死亡率が高く、結核やコレラ、ペストなどの感染症への対策が不十分だったためです。跡継ぎを得るために、戦前の日本女性は5人以上の子どもを産むのが当たり前でした。

人類はその長い歴史において、ずっと食糧不足と栄養失調に悩まされていましたが、いまやアメリカでは肥満、すなわち食糧の過剰摂取が大きな社会問題になっています。富める国と貧しい国の格差だと批判されますが、しかしこれではなぜアフリカで人口爆発が起きているかが説明できません。当たり前の話ですが、人口が増えるのは食糧が豊富だからで、食糧がなければ餓死してしまいますから人口は増えません。

1940年代から60年代にかけての「緑の革命」で、品種改良や化学肥料の投入が進んだ結果、人類は歴史上はじめて食糧不足から解放されました。民間シンクタンク「ローマクラブ」は、1972年の報告書「成長の限界」で、エネルギーの枯渇と食糧危機を警告しましたが、石油や天然ガスの確認埋蔵量は増えつづけ、先進国の農業はつくり過ぎに苦しんでどこも減反政策を導入しています。

アフリカの飢饉が頻繁に報じられますが、これは戦争や内乱などの社会的混乱で農作業ができなかったり、物流が滞ったりするためです。政治が安定すれば安価な食糧を入手できるようになり、ふたたび人口が増えはじめます。

20世紀前半は戦争の時代で、第二次世界大戦で日本は広島と長崎に原子爆弾を投下され、民間人を含む300万人が犠牲になりました。世界全体では、ソ連の2000万人、中国の1000万人をはじめ、餓死者を含む戦争の犠牲者の総数は6000万人にのぼります。

戦争が終わっても、米ソの冷戦の激化で、核戦争による人類滅亡がリアルな恐怖としてひとびとを襲いました。日本では1973年に『日本沈没』と『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになりますが、高度経済成長真っ只中の、未来への悲観的な雰囲気をよく示しています。

グローバリズムが諸悪の根源のようにいわれますが、経済のグローバル化によって、中国では過去15年で3億人が貧困から抜け出し、2030年までには新興国を中心に新たに20億人が中流階級に加わるといわれています。このようなデータを客観的に眺めれば、世界がよりよくなっていることは間違いありません。

しかし私たちは、無意識のうちに、過去は安定していて未来は不確実だと思ってしまいます。過去がどれほど悲惨でも、終わってしまったことは現在の脅威にならないからです。

私たちは、人類の歴史上、もっとも幸福な時代に生きています。問題は、この単純な事実を認めるのが不都合なひとが多すぎることにあるのです。

『週刊プレイボーイ』2013年5月27日発売号
禁・無断転載 

PS 今回で『週刊プレイボーイ』の「そ、そうだったのか!? 真実のニッポン」が100回を迎えました。連載を始めた当初はこんなに続けられるとは思ってもいませんでした。これも、拙文をお読みいただいた皆さまのお陰です。これからもよろしくお願いします。

橘 玲