リベラルこそが憲法9条改正を主張すべきだ 週刊プレイボーイ連載(196)

オウム真理教の信者はなぜ脱会しないのか。ほとんどのひとは、洗脳が解けていないからだとこたえるでしょう。しかし地下鉄サリン事件から20年もたって、いまだに獄中の(それも明らかに精神を病んだ)教祖の言葉を信じつづけられるものでしょうか。

ひとは無意識のうちに、自分の選択を正当化しようとします。些細な間違いならすぐに修正できるでしょう。しかしそれがきわめて大きな過ちで、もう取り返しがつかないのなら、事実を直視するのは自分で自分を否定するのと同じことになってしまいます。

こういうときひとは、全身全霊で過去の選択を擁護しようとします。しかも始末に悪いことに、それがたんなる自己正当化であることすら否認するのです。

オウム真理教の信者は超能力や精神世界を信じる真面目な若者たちで、家庭や職業を捨て、資産のすべてを教団に譲渡し、周囲の強い反対を押し切って入信しています。それが、教祖はいかさま師で教団はテログループだったのですから、その衝撃は想像を絶するものでしょう。これほどまでに失ったものが大きいと、過ちを認めてやり直すより、教団にとどまって狂信に身を委ねることが合理的な選択になってしまうのです。

安全保障関連法案をめぐる議論を見ていると、オウム真理教の信者たちをつい思い出してしまいます。

この問題の本質は、日本国が自衛隊という巨大な“暴力装置”を保有しながらも、その存在を憲法に規定していなことにあります。その結果、憲法とは無関係に自衛隊関連法案をつくり、軍を管理する不安定な状態がつづいています。これはリベラルデモクラシーの常識ではあり得ない事態で、法律さえ変えれば、権力者は軍をどのように使うこともできてしまいます。

戦前までの憲法では、軍は議会や政府から独立した天皇の私兵でした。日本軍は満州や沖縄で日本人を見捨て戦力を温存しましたが、これは軍の目的が「国体(皇室)」を守ることで国民の保護ではなかったからです。

その反省を踏まえるならば、リベラルこそが真っ先に不完全な憲法の改正を主張し、自衛隊を「市民の軍隊」として完全な法の支配の下に置くことを求めなければなりませんでした。しかし残念なことに、“リベラルな知識人”と呼ばれたひとたちは戦後ずっと、欠陥のある憲法の条文を「不磨の大典」として崇め奉って触れることすら許さなかったのです。

自衛隊は海外では「軍」として扱われますから、紛争地域などで他国の軍と行動を共にする機会が増えれば矛盾が顕在化してくるのは当然です。その結果、安倍政権の下でご都合主義的な憲法解釈の変更が行なわれているのですが、これではますます自衛隊の存在が曖昧になってしまいます。

いまにして思えば、“リベラル”の最初の過ちは「戦争放棄」といっしょに国家の自衛権まで放棄してしまったことです。これは荒唐無稽な空理空論ですが、それを認めると「保守派」や「右翼」の批判が正しかったということになってしまいます。

そんな屈辱を味わうくらいなら、どれほど支離滅裂でも「平和真理教」にしがみつくほうがマシだと、自分で自分を洗脳するようになってしまったのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年5月25日発売号
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どれだけ修行しても金銭欲から逃れられない「はだかの高僧」 週刊プレイボーイ連載(195)

弘法大師空海が修行の場として開いた日本仏教の聖地・高野山は今年開創1200年を迎え、5月21日まで記念の大法会が行なわれています。火災で焼失していた中門が172年ぶりに復活したほか、金堂の本尊がはじめて公開されるなどイベントが盛りだくさんで、多くの善男善女が参拝に訪れました。日本の仏教文化の精華に注目が集まるのは、まことにもって喜ばしいことです。

高野山真言宗の総本山である金剛峯寺の説明によると、空海の説いた密教とは、仏の真実の言葉=真言の秘密を知るための瞑想など特別な修法のことです。このきびしい修行によって仏の知恵を悟れば、心の悩みや苦しみをなくし、「完全な人格」をつくることができるのだそうです。これも、まことにもってありがたい教えです。

真言宗の高僧ともなれば、私ども下々の民とは異なり、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんい/恨み)、愚痴などの煩悩とは無縁の気高い精神性を会得しているにちがいありません。

ところがこの高野山真言宗で、2013年2月、内局トップの宗務総長の不信任案が可決され、宗会が解散されるという“お家騒動”が起きました。報道によれば、宗務総長らはお布施や賽銭など非課税の浄財を含む30億円を日本株のほか、トルコリラや南アフリカランド、ブラジルレアルなどの新興国通貨に投資し、東日本大震災直後の2011年3月末に15億3000万円の含み損を抱えたといいます。取材に対し、宗務総長は「めちゃくちゃ利益があったいい時代に組んだ予算を縮小できなかった」、財務部長は「坊主には無理と思ったが、証券会社に言われるままに購入した」とこたえています。

しかしこれは、ずいぶんとおかしな話です。空海が教えた密教の修行を積み、仏陀の「完全な人格」にかぎりなく近づいているはずの高僧たちが、証券会社の営業マンふぜいにころりと騙されるのでしょうか。だとしたら、「なんのための修行なのか」と思うのは私だけではないでしょう。

さらに不思議なのは、宗務総長が利益=金儲けのために投資したと明言していることです。仏陀は人の苦の根本原因として三毒をあげ、その筆頭を貪欲としています。仏教の目指す解脱とはこの煩悩を克服し、悟りの世界へと至ることです。ところが高野山の高僧は、あろうことか信者の浄財でひと儲けしようと企み、大損していたのです。

アンデルセンの童話「裸の王様」では、愚か者には見えない特別な布地で服を仕立てるという詐欺師に騙された王様が、裸のままパレードを行ないます。家臣や観衆たちは、自分が馬鹿だと思われないよう、見えない衣装を誉めそやしますが、そのとき一人の子どもが「王様は裸だよ!」と叫ぶのです。

高野山の不祥事は、この「裸の王様」によく似ています。密教の修法とは、愚か者には見えない布地のことなのではないでしょうか。

高僧たちが煩悩にまみれているのなら、開創1200年の華々しい行事も鼻白んでしまいます。金銭欲にとりつかれた彼らが、今回のイベントで投資の損を取り返そうと考えたとしても不思議はないからです――もちろんこれは、こころ卑しき衆生の邪推でしょうが。

参考:2013年4月22日付「朝日新聞」朝刊「高野山真言宗 30億円投資 浄財でリスク商品も 信者に実態伝えず 『粉飾の疑い』混乱」

『週刊プレイボーイ』2015年5月18日発売号
禁・無断転載

新卒一括採用という「年齢差別」はもうやめよう 週刊プレイボーイ連載(194)

就活中のアルバイト学生から、「スマホを机の上に出しておいていいですか?」と訊かれました。なんのことかと思ったら、人気企業の説明会は参加人数が決まっていて、募集から30分以内に申し込まないと落選してしまうのだそうです。これではまるで、アイドルのコンサートのチケット争奪戦みたいです。

「大学生は学業を優先すべし」との政府の要請により、今年から就活時期が大きく繰り下げられ、採用情報や説明会情報の解禁が学部3年の3月からになりました(採用選考開始は4年生の8月から)。その結果、数少ない説明会に学生が殺到することになり、希望者全員を受け入れることができなくなって「先着順」になったようです。こんなことでは、学生は学業どころではなくなってしまいますから、かえって逆効果でしょう。

厚生労働省のホームページには、「雇用対策法が改正され、平成19年10月から、事業主は労働者の募集及び採用について、年齢に関わりなく均等な機会を与えなければならないこととされ、年齢制限の禁止が義務化されました」と書かれています。ところが新卒採用では、企業は堂々と「学部卒は24歳、修士修了は26歳」などと年齢制限をしています。なぜこんな違法行為が許されるかというと、厚労省が「日本的雇用慣行」を守るためと称して、新卒採用を法律の適用除外にしているからです。

日本以外のすべての国は、新卒採用も含め、労働市場におけるあらゆる年齢差別を人権侵害として厳しく禁じています。それなのに日本の司法や行政が差別を放置しているのは、彼ら自身の組織が新卒一括採用と年齢による序列でできているからです。これでは、民間企業に「年齢差別をやめろ」などといえるわけがありません。

正月やゴールデンウィークの旅行が大変なのは、同じ時期にたくさんのひとが一斉に移動するからです。これは交通機関や旅館・ホテル、観光施設にも大きな負担をかけますから、旅行時期の分散はすべてのひとにとって利益になります。

新卒一括採用もこれと同じで、採用期間を短くすればするほど採用市場は混雑し、学生も企業も重い負担に苦しむことになります。それにもかかわらず、なぜこんな非効率的で差別的な制度をいつまでも続けているのでしょうか。

近代というのは、それまで好き勝手に生きてきたひとたちを資本主義市場経済に合わせて訓育していく過程でした。そのためにつくられたのが、学校、軍隊、工場などの訓育施設です。こうした施設の役割は、雑多なひとたちを性別と年齢で分類し、閉鎖的な環境のなかで特定の思考様式や行動様式を「洗脳」していくことです。

日本人は個人と組織の契約関係をまったく理解できないまま、“近代的訓育”に過剰適応しました。日本型組織とは、同期や先輩・後輩が義兄弟となり、支配者に忠誠を尽くし、集団に滅私奉公することなのです。

その典型が軍隊ですが、第二次大戦の敗戦で国民の訓育機能を失ってしまいます。それに代わるように、学校と工場・会社への偏愛が異常なまでに高まりました。

差別だろうがなんだろうが、官民一体となって労働改革に頑強に抵抗するのは、彼らが大好きな「軍隊生活」を守るためなのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年5月11日発売号
禁・無断転載