第31回 割引クーポンへの違和感(橘玲の世界は損得勘定)

 

近所のレストランで食事をしていたら、若いカップルが入店時にスマホを店員に見せて、「これ使えますか?」と確認していた。たまたま隣に座ったので訊いてみると、お店のクーポンを表示させているのだと親切に教えてくれた。

私はネットのサービスには疎いのだが、この連載のこともあり、クーポンのアプリをダウンロードしてみた。たしかに私が住んでいる町だけでも、相当な数の飲食店がクーポンを発行している。

クーポンというと、最初の1杯無料とか、デザートがついてくるとか、そんなものだと思っていた。しかしこの認識は時代遅れで、いまは飲み放題のセットを割り引くのが流行りのようだ。

飲み放題というのは、おそらくは日本オリジナルのサービスだ(調べたわけではない)。日本に来たばかりのアメリカ人やオーストラリア人を居酒屋に連れて行くと、ほんとうにびっくりする。“暴飲暴食の国”から来た彼らにしてみれば、わずか数千円の飲み放題など狂気の沙汰以外のなにものでもない。

こうしたサービスが成立するのは、飲酒量が国によって異なるからだ。日本の居酒屋で飲み放題が普及したのは、どんなグループにも飲めないひとが一定数いて、彼らが大酒飲みの分を負担することで帳尻が合うようになっているからだろう。

それ以外には、料金から一定率を割り引くクーポンがある。夜限定で、「支払金額3000円以上の場合20%割引」というのが多いようだ。

このタイプのクーポンを発行する飲食店のなかに、私がよく行く店の名前があって、思わず考え込んでしまった。

飲食代が5000円として、クーポンを見せれば1000円引いてくれる。友人たちと3万円飲み食いすれば、割引額は6000円だ。そう考えると、2割引というのはかなりの金額になる。

もちろん私は、こうした営業努力を否定するものではない。しかしそれでも釈然としないものが残るのは、割引のような特典は常連客に提供されるものだと思い込んでいたからだろう。

だがクーポンでは、その仕組みを知らない常連客はいつまでも定価で支払い、一見の客が2割も安くしてもらえる。これが“知識社会”だといわれればそれまでだが、常連客はあまりいい気分にはならないだろう。

一見も常連も関係ないチェーン店がこうしたクーポンで集客するならわかるが、なかには家族でやっているような店も含まれている。当然、店は8掛でも利益が出る価格設定にしているわけで、裏切られたような気もする。

その一方で、多くの店はぎりぎりの利益率でなんとかやっている。店主と話をするようになればそうした事情はなんとなくわかるから、クーポンがあっても、面と向かって「2割引いてくれ」とは言い出しづらい。

そんなことをあれこれ考えた挙句、けっきょく割引クーポンのある店には行かなくなってしまった。みなさんは、そんなことってないですか?

橘玲の世界は損得勘定 Vol.31:『日経ヴェリタス』2013年6月9日号掲載
禁・無断転載

“俺”ではなく“俺たち”を自慢する日本人 週刊プレイボーイ連載(102)

 

アメリカの高校生にリーダーシップがあるかどうか質問すると、7割が「自分は平均以上」と答えます。大学教授を対象とした調査では、94%が「自分は同僚より優秀だ」と回答します。平均より優れたひとは半分しかいないはずですから、これは明らかにおかしな現象です。

心理学では、無意識のうちに自分を過大評価することを「平均以上効果」といいます。私たちの住む世界では、ほとんどのひとが平均以上に知能が高く、平均以上に公平で、平均以上に車の運転がうまいのです。

自分に根拠のない自信を持つ傾向は、「ポジティブ・イリュージョン」として知られています。といっても、“幻想(勘違い)”なんだから矯正すべきだ、といいたいわけではありません。

子どもに対して「もっと現実を直視しなさい」と説教する親や教師がいますが、自己評価と他者の評価が一致している、すなわち“勘違いしていない”ひとの典型はうつ病患者です。あらゆる出来事をネガティブにとらえてしまうのがうつ病だとされていましたが、最新の研究では、彼らの自己認識は正確すぎてポジティブな勘違いができないのだと考えられるようになりました。

「日本人はうつ病にかかりやすい」という話を前にしましたが、このことは国際比較調査において、日本人の自己評価の低さとして表われています。

日米中3カ国の高校生約3400人を対象に行なわれた調査では、「私は他人に劣らず価値のある人間である」という質問に肯定的に答えた高校生はアメリカで89%、中国で96%だったのに対し、日本ではわずか38%でした。その一方で、「自分にはあまり誇りに思えるようなことはない」と答えたのは、アメリカ24%、中国23%に対して日本の高校生は53%と半数を超えます。

これを見ると“自己卑下(正確な自己認識)”が日本人の特徴といえそうですが、大学生を対象とした調査では、明らかに自分を「平均以上」だと答える項目が見つかっています。男女を問わず日本の大学生が「自分は他人より優れている」と思っているのは、“優しさ”“真面目さ”“誠実さ”です。知能や容姿のような比較が容易なものではなく、評価基準があいまいなものには過剰な自信を持てるのです。

だとすればこれは、「日本人は現実を直視できる」という話ではなく、ポジティブ・イリュージョンの表われ方が文化や社会によってちがっているのかもしれません。

社会心理学の研究によれば、日本人のもうひとつの特徴は、「人間関係を仲介として自分自身を高く評価する傾向」が顕著なことです。自分は平均以下かもしれないけれど、自分の夫婦関係や友人との関係は平均以上だと思っているのです。

個人ではなく関係性に依存するというのは、よい面も悪い面もあります。

日本人は“俺”ではなく“俺たち”を自慢しがちです。これが「自分はたいしたことないけど会社は一流だ」とか、「俺はリア充じゃないけどニホンは世界から尊敬されている」という意識につながっているとしたら、心当たりのあるひとも多いのではないでしょうか?

参考文献:菊池聡『「自分だまし」の心理学』

 『週刊プレイボーイ』2013年6月10日発売号
禁・無断転載

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参考までに、菊池聡『「自分だまし」の心理学』より関連するデータを示しておきます。

自己奉仕(セルフ・サービシング)バイアスは「よいことは自分のおかげ」と考える傾向で、ポジティブイリュージョンンの一種です。

これを見ると、もっともポジテイブイリュージョンの大きいにはアフリカ系、次いで東欧・ロシア、アメリカの順になっており、日本人はマイナス数値で“ネガティブイリュージョン”とでもいうべき特異な自己認識を持っているのがわかります。

同じヨーロッパ系白人でも、アメリカや東欧に比べ、イギリスや西欧の自己奉仕バイアスが低いのも興味深い結果です。

 

アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている【追記】

 

ZAi Onlineにチャールズ・マレーの『階級「断絶」社会アメリカ』について書いた。

アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている

詳しくは上記の記事を読んでいただくとして、ここでは本の中で使われている図版をいくつか紹介してみたい。本書のいちばんの魅力は、膨大な社会調査の統計をグラフにすることでアメリカ社会の現実を“見える化”したことだからだ。

マレーは、アメリカの白人を認知能力(知能)で分類し、上位20%が住むベルモントと、下位30%が住むフィッシュタウンという架空の町を設定する。そしてこの2つの町で、「結婚、勤勉、正直、信仰」という“幸福の条件”がどのような異なるのかを比較した。

ここでは、「結婚」の項目を紹介する。まずは、1960年から2010年の半世紀の、ベルモント(知識層)とフィッシュタウン(労働者層)の既婚率(結婚して離婚していないひとたちの割合)の変化。

次は、同じく半世紀のベルモントとフィッシュタウンでの未婚率の変化。

最後は、ベルモントとフィッシュタウンの離婚率の変化だ。

この半世紀のあいだ、アメリカ白人の既婚率が下がり、未婚率と離婚率が上がってきた。このこと自体はよく知られているが、白人を知識層と労働者層に分けてみると、こうした傾向は労働者層(フィッシュタウン)できわめて顕著で、その一方で知識層(ベルモント)では家庭を築くひとの割合は1980年前後で下げ止まり、それ以降は大きな変化がないことがわかる。

このようにアメリカ社会を“知能”によって分類すると、2つの異なる「階級」の間でライフスタイルやコミュニティのあり方に大きな違いがあることが一目瞭然となる。こうした事情は「勤勉」「正直」「信仰」など他の要因でも同じで、それをわかりやすいグラフにして提示したことで本書はアメリカ社会(とくに知識層)に大きなインパクトを与えた。

だがこれは、「知能が高くないと幸福になれない」ということではない。

下図は、“幸福の4条件”が揃った場合の「幸福度」をベルモントとフィッシュタウンで比較したものだ。それぞれの要因ごとに差はあるものの、4つの条件を満たした場合の幸福度は知識層も労働者層も変わらない。エリートも高校中退も幸福の条件同じなのだ。

ところが実際に、ベルモントとフィッシュタウンで「(自分の人生は)とても幸せ」と思うかどうか尋ねてみると、下図のようなショッキングな結果になる。

いずれに町でも幸福度は下がっているが、ベルモントは1990年前後で下げ止まったのに対し、フィッシュタウンはほぼ一直線に下がり続け、2010年には「幸福」を感じるひとは住民の15%しかいない。

このことは、幸福の条件は同じでも、フィッシュタウンでは年ごとにその条件を満たすことが難しくなっていることを如実に示している。これが、マレーのいう「アメリカの分裂」だ。

なお『階級「断絶」社会アメリカ』には、アメリカ社会の現実を知るうえで重要なデータが他にもたくさん出てきます。興味のある方はぜひ読んでみてください。

参考URL:「アメリカ社会は人種ではなく“知能”によって 分断されている