福祉国家は「差別国家」の別の名前 週刊プレイボーイ連載(218)

「現代の民族大移動」ともいうべき難民の大量流入でヨーロッパが動揺しています。ハンガリーの右派政権は移民の流入を防ぐために国境を封鎖して批判を浴びましたが、批判の急先鋒に立ったクロアチアやオーストリアといった国々も、難民が国内に滞留しはじめると態度を翻しました。難民を満載した列車を市民が歓迎したドイツでもメルケル首相の支持率が急落しています。

「反移民」は東欧だけの現象ではありません。世界でもっともリベラルな社会を実現したスウェーデンでは、2010年と14年の総選挙で「税金を納めない移民のただ乗りを認めるな」と主張する“極右”の民主党が第三党に躍進して衝撃を与えました。大麻も安楽死も合法で、「自由と自己決定権」を重視する世界でもっとも進歩的な国オランダでも、「イスラーム諸国からの移民受け入れ停止」を掲げる自由党が第三党となり、閣外協力ですが政権の一翼を担っていました。国連の調査で「世界で一番幸せな国」(2014年)に輝いたデンマークでは、「ムスリムはヨーロッパ人の民族浄化を企んでいる」として非白人移民の国外追放を求める過激な国民党が政権の中枢に入り、いまでは「難民にとって魅力のない国」をアピールしています。

なぜこのような奇妙なことが起きるのでしょうか。

その理由のひとつは、ゆたかになればなるほど、また年をとればとるほど、ひとはリスクを嫌い安全を重視するからです。高齢化が進むゆたかな北のヨーロッパはまさにこの典型で、社会全体が保守化するのは人間の本性からして当然なのでしょう。

もうひとつの理由は、ひとびとが高福祉を達成した社会に暮らしているからです。

北欧の国々は、高い税金と引き換えに充実した年金や失業保険、医療・介護制度を国民に提供しています。国民の多くは「高負担・高福祉」に満足しており、だからこそ幸福度指数も高いのですが、その結果、ひとびとは制度の破綻を恐れるようになります。移民の失業率や生活保護受給率が平均より高いのは欧州のどの国も同じですから、右派政党は、「ただ乗りによって社会保障制度が崩壊する」との不安を煽って得票を伸ばすのです。

グローバル資本主義による格差拡大を批判するひとたちは、富裕層が「悪」で貧しいひとたちが救済すべき「善」だといいます。しかし移民問題では、ゆたかな都市部のひとたち(グローバル資本主義の「勝ち組」)が難民の受け入れに寛容で、年金に依存する貧しいひとたちが「移民排斥」の極右政党を熱烈に支持しています。社会を単純に善悪で二分する議論がいかに無意味かよくわかります。

無制限に移民が流入すれば、いかなる社会保障制度も破綻します。福祉国家は「差別国家」の別の名前で、負担の義務を果たせない貧しいよそ者を排除することでしか成立しません。しかしこれまで、「福祉」と「リベラル」が両立できないという不都合な現実が意識されることはほとんどありませんでした。

移民が人口の1割を超える北のヨーロッパの国々が、もっとも成功したリベラルな社会であることは間違いありません。だからこそ故郷で生きていけなくなった難民は欧州を目指すのですが、そのユートピアですら、というよりも、ユートピアだからこそ極右が台頭するところに、この問題の難しさが象徴されているのです。

『週刊プレイボーイ』2015年11月9日発売号
禁・無断転載

軽減税率は「信者」のためのもの? 週刊プレイボーイ連載(217)

2017年4月に消費税率を10%に引き上げるにあたって、軽減税率の議論が紛糾しています。財務省が提示したのはマイナンバーで購入履歴を記録し、ネット上で還付金を申請するというそれなりに斬新なアイデアでしたが、これをいちどは受け入れた公明党が支持母体である創価学会の反発で態度を翻し、酒類を除く飲食料品の税率を8%に据え置くよう求めたからです。

これを受けてメディアでは、軽減税率の対象やインボイス(税額票)の功罪など、さまざまな解説がなされていますが、どことなく脱力感が漂うのは肝心なことを避けているからでしょう。

EU諸国など高率の消費税を課している国の多くで軽減税率が導入されていますが、政策を評価した経済学者らの結論は、「こんなバカなこと、やらなきゃよかった」です。消費税の欠陥として貧しいひとの実質税率が高くなる逆進性が指摘されますが、単純な軽減税率では高級食材を買う富裕層の利益の方が大きくなります。こうしたムダを避けるなら、すべての商取引に一律課税し、生活保護世帯や母子家庭など、家計が苦しいひとたちに一定額を給付した方がずっと効果的です。

このシンプルな方法なら、消費税率の差を利用した益税は発生しません。税の原則は「公平・中立・簡素」なのですから、どちらが優れているかは考えるまでもないでしょう。

軽減税率の問題は、どの商品を対象にするかの線引きがやっかいなことです。与党協議では、「生鮮食料品」でマグロなどの刺身は軽減の対象だが、刺身の盛り合わせは加工品だから対象外、との議論が出たそうです。こういうバカバカしいことをすべての食品に対して行なう社会的コストを考えれば、「やらなきゃよかった」と後悔するのも当然です。

軽減税率の導入を強硬に主張する公明党は「このままでは支持者が納得しない」といいますが、国民にものの道理を懇切丁寧に説明し、納得してもらうのが政治家の務めのはずです。それをあっさり放棄して不合理な制度をごり押しするのでは、なにを目的に日本の政治に関与しているのか疑問です。

そもそも消費税を増税せざるを得なくなったのは、歴代の自民党政権がばらまきを繰り返し、国の借金が1000兆円を超えてにっちもさっちもいかなくなったからです。それなのに消費税率を軽減しては、財政再建は遠のくばかりです。

日本の財政が持続可能になるためには、消費税率は欧州並みの20%超まで上げなければならないということで、専門家の意見はほぼ一致しています。10%で軽減税率を導入すれば、将来の税率引き上げのたびに「対象を拡大しろ」との大騒ぎが繰り返されるのは目に見えています。

もっとも、ここで正しい選択ができるようなら、GDP比の2.5倍に達する世界最悪の政府債務を積み上げるような愚行もなかったはずです。国民は自分と同程度の政治家しか選べないのですから、私たちはこれからも愚かしいポピュリズムとつき合っていくほかないのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年11月1日発売号
禁・無断転載

「民主主義」をやめることから始めよう 週刊プレイボーイ連載(216)

国会前のデモから女子アイドルグループまで、「民主主義を守れ」との声が大きくなっています。若者たちが政治について積極的に発言するのはよいことですが、ところで、彼らはいったい何を守ろうとしているのでしょうか。

デモクラシー(democracy)は神政(theocracy)や貴族政(aristocracy)と同じ政治制度のことですから、「民主政治」「民主政」「民主制」などとすべきで、「民主主義(democratism)」は明らかな誤訳です。リベラルデモクラシーは「自由民主主義」と訳されますが、これは「自由な市民による民主的な選挙によって国家(権力)を統制する政治の仕組み」のことです。

なぜこのことが大事かというと、デモクラシーを主義(イズム)にしてしまうと、リベラルデモクラシーという枠組のなかで異なる「主義」が対立する政治論争の基本的な構図がわからなくなってしまうからです。

アメリカの政治哲学者マイケル・サンデルは『これからの「正義」の話をしよう』で、主要な政治思想を「リベラリズム(平等)」「リバタリアニズム(自由)」「コミュニタリアニズム(共同体)」「功利主義」の4つに分類しました。アメリカの大統領選を見てもわかるように、異なる政治的見解を持つひとたちは自分たちの「主義」を掲げて激しく争いますが、その土俵はリベラルデモクラシーで、勝敗は民主的な選挙によって決まります。

その一方で、デモクラシーそのものを否定する政治勢力も存在します。IS(イスラム国)はイスラームの法による神政国家を目指していますし、サウジアラビアにように女性の参政権を認めていない国もあります(それに比べれば18歳以上の男女に選挙権が与えられるイランははるかに“民主的”です)。マルクス・レーニン主義のプロレタリア独裁は、資本主義から共産主義への移行期に一時的にデモクラシーを停止し、啓蒙の前衛である共産党の独裁を認めるものですから「反民主的」で「自由の敵」とされます。

EU(欧州連合)に対するもっとも本質的な批判は、その政治的決定がデモクラシーの原則に反しているというものです。ギリシア危機や難民問題で明らかになったように、事態の収拾はドイツのメルケル首相を中心とする主要国首脳の協議と妥協によって図られますが、そこにEU議会やEU大統領が関与する余地はなく、「ヨーロッパ市民」の政治的な意思が問われることもありません。EUは“遅れた国”に民主化を説いていますが、その最大の恥部は自分たち自身が民主化できていないことなのです。これでは、ポピュリストによる「デモクラシーを守れ」との攻撃でEUが弱体化するのも当然です。

「民主主義」という誤訳のままでは、「主義(イズム)」の争いと「制度」をめぐる争いの違いを理解できません。日本では共産党ですら熱烈に「民主主義」を擁護するのですから、民主政を否定する政治勢力は存在しないでしょう。いま起きているのは、リベラリズム対保守主義の典型的なイデオロギー対立なのです。

日本における政治論争がいつも不毛なのは、これまでずっと誤訳を放置してきた大人たちの責任でしょう。若手の法学者や政治学者はさすがに誤用を避けるようになりましたが、教科書からメディアまでいまも至るところに「民主主義」は氾濫しています。

当たり前の話ですが、理解していないものを「守る」ことはできません。私たちはまず、「民主主義」をやめるところから始めるべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年10月26日発売号
禁・無断転載