ギリシアに「ナマポ受給」を避ける選択はあったのか? 週刊プレイボーイ連載(203)

ギリシアの国民投票で、EUの緊縮財政策に「NO」の民意が示されました。ただ、これによってEUとの交渉でギリシア側が有利になるとも思えず、状況はますます混迷の度合いを深めそうです。

歴史にifはなく、過去を振り返っても空しいだけですが、そもそもギリシアがユーロを導入したこと自体が間違いでした。ギリシアはユーロ建ての国債発行が可能になり、2004年のアテネオリンピックでにわか景気に沸きましたが、あとに残されたのは借金の山でした。

2009年10月、政権交代で旧政権時代の国家的な粉飾が暴かれると、世界金融危機の直後ということもあって、金融市場ははげしく動揺しました。ギリシア国債を大量に保有する大手銀行が連鎖的に破綻するのではないかとの不安から、経済危機はたちまちヨーロッパ全体に拡大します。

いまにして思えば、ギリシアにはこのときデフォルトを宣言する選択もあったかもしれません。高利回りのギリシア国債を争って買ったのは民間銀行で、彼らは「金融のプロ」のはずです。金融の世界では、返済のできない融資は貸し手の自己責任です。

ギリシアがデフォルトすれば、EU諸国やECB(ヨーロッパ中央銀行)は金融危機を防ぐために大手銀行に大規模な資本注入を余儀なくされたでしょう。しかし実際はこの荒療治を避け、民間が保有するギリシア国債を公的部門が肩代わりする道を選びました。これによってギリシアの債権者は民間から政府に変わりました。

債権者が民間金融機関なら、規模は大きくてもたんなる経済問題です。ところがEU諸国がギリシア国債を保有したことで、国家対国家の政治問題になってしまいました。ギリシアに投入される資金はEU諸国の税金が原資なのですから、支援国の国民からすれば、これは社会福祉制度と同じです。ギリシアはデフォルトを回避したことで、ヨーロッパにおける「ナマポ受給者」になってしまったのです。

ギリシアへの支援をナマポと考えれば、年金制度が支援国より優遇されていることが許されるはずはありません。失業率の高いギリシアでは、壮年層が50代で退職して年金生活に入ることで若者の職をつくろうとしてきました。ところがその間に、ドイツをはじめとする「北のヨーロッパ」は年金受給年齢を67歳まで引き上げ、「生涯現役社会」になっていたのです。

年金制度改革は支援国にとっては当然でも、ギリシア人からすれば家計を崩壊させる暴挙です。この感情的な反発を背にチプラス首相の急進左派連合は政権を獲得し、「瀬戸際外交」に打って出ました。

ところが、ギリシア政府が瀬戸際で強い交渉力を持っていたのは、世界じゅうがデフォルトを恐れていた2010年のユーロ危機のときでした。いまは債権が公的部門に移っているため、チプラス政権にはEUを脅すための材料がほとんどありません。これが国民投票を強行した理由でしょうが、ここでEU側が譲歩すれば、イタリアやスペイン、ポルトガルなどで同様の国民投票を求める声を抑えられなくなってしまいます。

マルクスがいうように、歴史は一度目は深刻でも、二度目は茶番として繰り返すのかもしれません。もっとも、その茶番によって生活を奪われるひともたくさんいるのですが……。

『週刊プレイボーイ』2015年7月13日発売号
禁・無断転載

第51回 サラリーマン大家の悲哀(橘玲の世界は損得勘定)

日本では借地・借家人の権利が手厚く保護されている。これは戦時中、出征した兵士が帰国して住む家がなくなることを防ぐ目的で、借家契約の更新を「正当な事由」がなければ拒絶できないとしたためだ。

この正当事由は賃料不払いなどに限定されているため、賃料を払いつづけていれば、物件は実質的に借地・借家人の所有物になってしまう。賃貸住宅で暮らしているのは経済的に苦しいひとが多いから、これは弱者を保護するよい制度のように思えるが、現実には、過度の優遇が日本の不動産賃貸市場を大きく歪めてきた。

このことは、家主の立場になってみればすぐにわかる。

お金を貸せば、一定期間後に、契約に従って元本が返済される。ところが家や土地を他人に貸すと、利息のみが支払われ、いつまでたっても元本は戻ってこない。これが、資産運用にとって大きな制約であることはいうまでもない。

そのため大家は、不動産を“所有”されないようわざと賃貸物件を安普請にし、2年にいちどの更新料で退去を促し、入居の際に礼金を設定して物件の回転率を上げようとしてきた。さらには、賃料を踏み倒されないよう、契約にあたって連帯保証人を要求した。

この保証人は親族に限定されているが、高齢化で親の保証が難しくなり、連帯保証のトラブルが頻出したことで、最近では家賃賃貸保証会社の利用を条件にするところが多くなった。

賃料の半月~1カ月分(および更新時に家賃の3~5割)を支払えば保証人が不要になる制度は、一見、便利なようだが、借主からすれば負担増でしかない。信用力に問題のない優良な入居者ほど、保証会社の利用を条件とする物件を避けようとするだろう。これは、経済学でいう「逆選択」の問題だ。

大家にとっても、家賃賃貸保証がいちがいに有利とはいえない。入居費用が割高になることで、保証会社不要の賃貸住宅との競合で不利になるからだ。

従来の保証人方式は、賃料不払いの解決が大家の自己責任になるため、入居審査がきわめて厳しい。最近では、連帯保証人の印鑑証明だけでなく、収入証明まで要求するところもある。有利な物件は、本人が正社員で、保証人である親族も現役という一部のひとしか借りられないのだ。

ネットには、「契約社員や非正規社員にはぜったい貸さない」「家族に連帯保証を頼めないような人間は信用できない」などの大家の書き込みが大量にある。彼らは当然、外国人などはなから相手にしないだろう。

一時期流行った「サラリーマン大家」は、資産の大半を数戸の賃貸住宅に投資しているのだから、賃料不払いの被害は甚大だ。彼らが入居者のリスクを避けようとすることを、道徳論で非難しても仕方がない。

大家になることを夢見たのは、ごくふつうのひとたちだ。だが残念なことに、現在の借地・借家制度の下では、不動産で資産運用しようとすると差別と偏見にとらわれてしまうのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.51:『日経ヴェリタス』2015年7月5日号掲載
禁・無断転載

40代になると、サラリーマンは「置かれた場所で咲く」しかない 週刊プレイボーイ連載(202)

テストステロンは代表的な男性ホルモンで、性行動だけでなく、健康や気分に大きな影響を与えます。

男性ホルモンは競争や闘争にかかわり、ヒトでもチンパンジーでも集団のなかで地位が高いオスは濃度が高く、抑うつ状態だと低くなります。ただしこれは、男性ホルモン値が高いと成功するのではなく、地位の上昇でホルモン値が高くなっていく(地位がひとをつくる)のかもしれません。その証拠に、リーダーの地位から転落すると男性ホルモン値は急激に下がってしまいます。

テストステロンは性ホルモンなので、思春期から20代にかけてもっとも多く、30歳くらいから減少しはじめ、年をとるにしたがって少なくなっていきます。現在では唾液から簡便に測定する方法が開発され、高齢では男性ホルモンが多いほど長生きするなど、研究が進んでいます。

大手企業に勤務している健康な男性を対象に、2時間おきに男性ホルモン量を測った研究があります。それによると、20~30代の男性ホルモン値は朝にもっとも高く、夜になるにつれて徐々に減少していきますが、40~50代、および60代以上では昼食後の午後3時が最低になっています。午後の会議がつらいのは、じつはホルモン値が下がっているからかもしれません。

しかしより衝撃的なのは、40~50代の男性ホルモン値が、60代以上よりも明らかに低いことです。テストステロンの量が年齢で決まるなら、こんなことはあり得ないはずなのに、いったいなにが起きているのでしょう。

研究者は、日本の企業では40~50代のサラリーマンのストレスがもっとも大きく、それが男性ホルモン値を引き下げているのではないかと考えています。

年功序列の人事制度では、年齢が上がるにつれて責任が重くなっていきます。それと同時に、会社組織はピラミッド型なので、出世街道から脱落するリスクも大きくなります。家庭でも、住宅ローンの支払いや子どもの教育費が重くのしかかる年代です。

それに対して60歳を過ぎるとサラリーマン人生も終わりが見えてきて、挫折もあきらめと開き直りに変わってきます。子どもも手が離れ、家計にも余裕ができてくるでしょう。それにともなって、どん底だった男性ホルモン値が回復してくるのです。

日本の労働市場では、転職が可能なのは35歳までといわれています。40歳を過ぎると会社にしがみつくしか生計を立てる方途がなくなり、「サラリーマンという罠」にとらえられてしまいます。男性ホルモン値をみるかぎり、ここから20年がもっともつらい時期で、それを耐え抜いて60代になるとようやく薄日が差してくる、というのが多くの日本人の人生のようです。

40歳の男性ホルモン値が60歳より低いのは、かなり異常な状態です。日本企業では中高年の自殺が深刻な問題になっていますが、うつ病と男性ホルモンの低下に強い相関関係があることもわかっています。

こうした現状を改善するには、年齢にかかわりなく能力を活かして転職できる流動性の高い労働市場が必要ですが、「日本的雇用を守れ」と頑強に抵抗するひとたちがたくさんいるので、いまだにそれは絵に描いた餅です。40代や50代は、これからも「置かれた場所で咲く」しかないようです。

参考文献:堀江重郎『ホルモン力が人生を変える』(小学館101新書)

『週刊プレイボーイ』2015年7月6日発売号
禁・無断転載

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堀江重郎『ホルモン力が人生を変える』P103