日本の自殺率は、長期的には高くなっていない 週刊プレイボーイ連載(115)

 

日本の年間自殺者数はようやく3万人を下回ったものの、自殺率(人口10万にあたりの自殺者数)でみれば、あいかわらずロシア・東ヨーロッパなど旧共産圏の国々と並んで世界でもっとも自殺の多い国になっています。「小泉政権のネオリベ的改革で経済格差が広がったからだ」といわれますが、こうしたわかりやすい説明はほんとうに正しいのでしょうか?

精神科医の冨高辰一郎氏は『うつ病の常識はほんとうか』で、「長期的には日本の自殺率は高くなっていない」と論じています。

たしかに日本の自殺者数は1900年の約1万人から現在の約3万人まで、時代ごとの増減はあるものの右肩上がりで増えています。しかしこれだけで、「日本は自殺大国になった」と決めつけることはできません。元になる人口そのものが増えているからです。

1900年の日本の人口は約4000万人で、現在は1億2000万人です。それを考えれば自殺者の実数が増えるのは当たり前で、そのため県別や国別の比較では自殺率を使うことになっています。

日本の自殺率の変化を見ると、1950年代のなべ底不況といわれた時代と、1997年以降の平成不況の時期が極端に高いことがわかります。このデータに基づいても、現在が戦後でもっとも自殺率の高い時代なのは間違いなさそうです。

ところが実は、これも正しい統計とはいえません。1950年代と現在では人口構成が大きく異なっているからです。

当たり前の話ですが、幼い子どもは自殺しません(10歳未満の自殺者は毎年ゼロが1人)。それに対して中高年になるほど自殺は増えていきます。

2012年の統計では、19歳以下の自殺者が人口比で2.1%なのに対し、もっとも自殺率の高い60代では17.9%です。自殺率は20代から右肩上がりに上昇し、60代でピークになり、70代以降は逆に下がります。他の要因がなにひとつ変わらなくても、少子高齢化だけで自殺率は自然に上昇していくのです。

人口構成による自殺率の変化を調整したのが標準化自殺率で、長期的な自殺率の変化を論ずる際は必須とされていますが、なぜか日本ではほとんど知られていません。

標準化した自殺率では、1960年代は10万人あたり25人が自殺していましたが、東京オリンピックと大阪万博の好景気で減少します。1985年のプラザ合意後の円高不況で20人まで跳ね上がるものの、その後のバブル景気でやはり大きく減っています。それが97年の金融危機をきっかけに20人まで増えたことで、自殺が大きな社会問題となったのです。

“統計学的に正しい”データを見ると、年間3万人の自殺者数はバブル期よりずっと多いものの、戦後の平均的な自殺率とほぼ同じです。日本の自殺率は長期的には漸減傾向で、バブル期にとくに低くなり、不況と失業率の上昇で元に戻ったのです。

もちろんこれは、自殺問題がどうでもいいということではありません。

日本はもともと自殺率のきわめて高い社会で、経済的な困難で死を選ぶ(あるいは余儀なくされる)潜在層が膨大にいます。この本質的な問題を無視して自分の主張に都合のいい“犯人探し”をしても、正しい処方箋を導くことはできないのです。

『週刊プレイボーイ』2013年9月17日発売号
禁・無断転載

後記:本文だけではわかりにくいと思うので、グラフをアップしておく(いずれも冨高辰一郎『うつ病の常識はほんとうか』より)。

まず、1899~2003年までの日本の自殺者数の変化。1万人から3万にへと右肩上がりに増えているが、これは人口が増加したから。自殺率(10万人あたりの自殺者数)でみると、現在は1950年代のなべ底不況と並んで戦後もっとも自殺率が高い。

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次は、1960~2006年の自殺率の変化。上図(図表1-3A)は粗自殺率で、上の「図表1-2」と同じ。

下図(図表1-3B)は人口構成の変化を調整した標準化自殺率で、戦後日本の自殺率が長期的には下がっていることと、1980年代のバブル景気で大きく減った自殺率が平成不況で元の水準に戻ったことがわかる。

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第35回 意外に身近なミリオネア(橘玲の世界は損得勘定)

 

グローバル資本主義を批判するひとたちがウォール街を占拠してから、「1%の金持ちと99%の貧乏人」というのはすっかり決まり文句になった。たしかに、とてつもない大金持ち(ビリオネア)がいる一方で中産階級が貧困層に没落していく構図は先進国に共通している。

しかしその一方で、まったく異なる景色を見せてくれるデータもある。

スイスの大手金融機関クレディ・スイスが2012年10月に発表した世界の富裕層ランキングによれば、純資産100万ドル以上を持つ富裕層は1位がアメリカの約1100万人(人口比3.5%)、2位が日本の約360万人(同2.8%)、3位がフランスの約230万人(同3.6%)となっている。

「ワールド・ウェルス・レポート」(2012)ではイギリスの資産運用会社が、居住用不動産を除いて100万ドル以上の投資可能資産を持つ富裕層の数を推計している。それによれば1位はやはりアメリカの約300万人(人口比1%)で、2位は日本の約180万人(同1.4%)、3位はドイツの95万人(同1.1%)だ。これを富裕層の定義とするならば、日本はアメリカを抜いて、人口比では世界でもっともゆたかな国になる。

日本では、自宅不動産を含めて1億円以上の純資産を持つひとが360万人、投資など自由に使える1億円以上の資産を持つひとが180万人いる。これはどういう数字なのだろうか。

国勢調査によると、2010年度の日本の世帯数は約5200万、1世帯あたりの平均は2.46人になる。そこで「ミリオネア世帯」の比率を計算してみると、居住用不動産込みで人口の約7%、14世帯に1世帯が「億万長者」ということになる(自宅を別にすれば全世帯の約3.5%)。

これはアメリカも同じで、1100万人の富裕層を総世帯数の1億1700万で割ると、その比率は9.4%になる。じつに10世帯に1世帯が「ミリオネア」なのだ(ちなみにこれはフランスも同じ)。

「大金持ちはわずか1%」という数字は氾濫しているが、「先進国では10人に1人がミリオネア世帯で暮らしている」というデータはほとんど無視されている。「格差社会」を批判する社会運動家にとって、富はけっこう均等に分布しているというのは不都合な事実だからだろう(日本の場合、「富は高齢者に偏在している」とはいえる)。

ビリオネアは10億ドル(約1000億円)以上の資産を保有する超富裕層で、私たちのほとんどは縁がない。だが日本やアメリカのようなゆたかな社会ではミリオネアになることはけっして不可能ではないし、実際に10人に1人は“ミリオネアの暮らし”をしているのだ。

努力すれば誰でも億万長者になれる社会では、貧乏は自己責任になるほかはない。現にアメリカではそのように考えられている。

私は個人の責任を過剰に問う社会が素晴らしいとは思わないが、ゆたかな社会の現実を否定することにも意味はない。良くも悪しくも、私たちはこういう世界に住んでいるのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.35:『日経ヴェリタス』2013年9月8日号掲載
禁・無断転載

シリア内戦―誰にも止められない殺し合い 週刊プレイボーイ連載(114)

 

「あらゆる問題は解決されるべきだし、解決できる」と考えているひとがいますが、世の中には原理的に解決不可能な問題が存在します(というか、実はそれがほとんどです)。そしてここに暴力(とりわけ国家の暴力)がからむと、目を覆わんばかりの悲惨な事態を招きます。中東・シリアでいま起きていることはまさにその典型です。

第一次世界大戦でオスマントルコが崩壊した後、中東はヨーロッパ列強の支配下に置かれ、歴史や文化、民族構成とは無関係に分割されました。この時期、フランスの委任統治領だった地域が現在のシリアで、アラブ人が人口の9割を占めるもののクルド人やアルメニア人もおり、国民の7割がイスラム教スンニ派ですが、2割はシーア派、1割はキリスト教徒です。

シリアの政治権力を独占しているのはシーア派のなかでも少数派のアラウィー派に属するアサド一族で、空軍司令官だったハーフィズ・アル=アサドが1970年にクーデターで権力を掌握して以来、親子2代にわたって独裁政権を維持してきました。

宗教的少数派であるアサド一族は、宗派を超えてアラブ民族の栄光を取り戻すことを目指す(汎アラブ主義の)バアス党を権力の基盤とし、イスラム主義による政教一致を求める多数派(スンニ派)のムスリム同胞団を徹底して弾圧してきました。シリアはエジプトに次ぐ中東の軍事大国ですが、アラウィー派のバアス党員で構成された最精鋭の共和国防衛隊や秘密警察は、“イスラム原理主義者”からアサド一族を守るための組織なのです。

独裁政権による弾圧のなかで最大のものは1982年のハマー虐殺で、ムスリム同胞団の拠点であったハマーの町をシリア軍が攻撃し、多数の(犠牲者数の推計には1万人から4万人まで大きなばらつきがある)市民が殺されました。

シリアの内戦は“宗教戦争”で、シーア派のアサド一族の背後にはイランとヒズボラ(レバノンのシーア派武装組織)がおり、それに対抗する反政府勢力はサウジアラビアなどスンニ派の大国と英米仏など“反イラン”の西欧諸国の支援を受けています。双方が容易に武器を入手できる以上いつまでたっても決着はつかず、このままでは戦闘がえんえんとつづくだけです。

長年の圧制に苦しんできたスンニ派のひとびとのアサド一族とアラウィー派への憎悪は深く、いったん立場が逆転すれば旧体制への徹底した報復が行なわれるのは明らかです。現政権もそのことを熟知しており、“反乱軍”を皆殺しにする以外に生き延びる道はないと考えます。この状況を打開するには10万人規模の平和維持軍を送り込み、内戦終結後の治安維持を保障しなければなりませんが、イラクでの失敗の後、アメリカも含めどこもそんな火中の栗を拾おうとは思いません。

首都ダマスカス近郊で化学兵器が使用され、サリンと見られる神経ガスで市民など1300人以上が死亡する悲劇が起こりました。現在はアメリカの主導で政府軍への空爆が検討されています。

しかし中途半端な介入では、事態はなにひとつ変わらないでしょう。シリアの内戦による死者は10万人を超え、さらに悪化の一途を辿っていますが、終わりなき殺し合いを止めるための知恵は誰も持っていないのです。

 『週刊プレイボーイ』2013年9月9日発売号
禁・無断転載