第34回 世界の税制は権謀術数(橘玲の世界は損得勘定)

 

2012年10月、コーヒーチェーン大手のスターバックスの英国法人が、過去3年間に4億ポンド(約600億円)の売上げがありながら法人税をほとんど納めていなかったと報じられ、消費者団体などから不買運動を起こされた。これをきっかけに税の公平性に世界の注目が集まり、アメリカでもアップルやグーグルといったグローバル企業が批判にさらされた。

最近の税をめぐる議論の特徴は、お定まりのタックスヘイヴンへのバッシングではすまなくなっていることだ。

アップル、グーグル、スターバックスなどの租税回避に登場するアイルランドやオランダは、ヤシの木と海しかない南の島ではなくEUの主要国だ。そして両国とも、国際社会の批判にもかかわらず“タックスヘイヴン政策”を見直す気はさらさらないようだ。

その一方で、スターバックス問題で“被害者”となったイギリスは、チャンネル諸島、マン島、ジブラルタルなどの自治領がタックスヘイヴンで、それ以外にもカリブ海や南太平洋、アジア(香港、シンガポール)、ヨーロッパ(マルタ、キプロス)など世界各地の旧植民地が、英系金融機関と密接な関係のある租税回避地として知られている。ロンドンの金融街シティがウォール街に対抗する最大の武器が、世界じゅうに張りめぐらされたオフショア金融ネットワークであることは周知の事実だ。

G20などの国際会議でタックスヘイヴン規制が議論されているが、こうした場で規制強化に強硬に反対するのはきまってイギリス代表だという(志賀櫻『タックスヘイヴン』〈岩波新書〉)。そのイギリス政府がグローバル企業の租税回避を批判するところに、この問題の複雑さが象徴されている。

それ以外でも、同様の混乱は至るところで見られる。

フランスではオランド政権の富裕層課税に反発して、高級ブランドを展開するモエヘネシー・ルイヴィトンの最高経営責任者(CEO)などが続々と国外に脱出したが、彼らが向かった先はタックスヘイヴン国ではなく隣国のベルギーだった。ベルギー南部はフランス語圏で、なおかつ所得税がフランスより低い。億万長者の移住によって、国境に近い街は“特需”に沸いているという。

ヨーロッパでは国境の壁が低く、富裕層はいとも簡単に国籍を変えてしまう。そのため“重税国家”として知られるスウェーデンは、2007年に相続税や贈与税を廃止してしまった。税を課して出て行かれるより、無税でも国内に留まってもらうほうが有利だと割り切ったのだ。

参院選が終わって、これから日本でも本格的に税制問題が議論されることになる。だが「法人税減税はけしからん」とか「相続税を引き上げろ」というこの国の政治家やメディアの論調を聞いていると、いま世界で起きていることを理解しているのか不安になる。

国際的な税制は国益の最大化をめぐる権謀術数の場で、道徳と説教で決まっているわるけではないのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.34:『日経ヴェリタス』2013年8月11日号掲載
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カオナシとなった民主党は日本人の自画像? 週刊プレイボーイ連載(110)

 

参院選で惨敗した民主党が、案の定、混乱に陥っています。

海江田代表は、東京選挙区で公認を取り消した候補者を支援したとして菅元首相に離党を求めたものの断わられ、「尖閣を(日本が)盗んだと中国が思ったとしても仕方がない」と発言した鳩山元首相に“強力抗議”したところ、「歴史には忠実に振る舞わないといけない」と逆に説教されるあり様です。

民主党はもともと、鳩山氏が私財を投じ、菅氏の知名度と小沢氏(生活の党代表)の豪腕を得て、「政権交代可能な政党をつくる」という理念のもとに結党されました。ところが小沢氏は消費税増税問題で党を離れ、鳩山氏は先の衆院選で出馬を断念し、さらに菅氏まで除名してしまうと、“創業者”全員を追い出すことになってしまいます。

会社でも政党でも、創設時の理念が組織のアイデンティティをかたちづくります。もちろん、権力闘争によって中枢にいたメンバーが追い落とされることはあるでしょう。しかしレーニンの死後、スターリンもトロツキーもみんな粛清してしまえば革命の正統性は失われ、マイクロソフトからビル・ゲイツを排除すれば別の会社になってしまいます。民主党を生み出したトロイカ(3人組)を全員追放してしまったら、そのあとにはいったい何が残るのでしょうか?

政権奪取の悲願を達成した民主党の最大の失敗は、自民党(とりわけ小泉政権)時代を全否定したことです。それなりに機能していた官邸主導の仕組みをことごとく廃止したために行政機構を統治できず、マニフェストの数字にしばられて身動きがとれなくなっていく様は、政権交代に期待していた有権者を絶望させるにじゅうぶんでした。そしていま、2回の選挙に大敗したことで自らの過去と出自を全否定しようとしています。

このように考えると、民主党の行動原理の特徴は「リセット」にありそうです。

小泉政権の新自由主義が日本をダメにしたのだからすべてリセット。自分たちの選んだ総理大臣が有権者から見放されたからすべてリセット。ロールプレイングゲームでは状況が不利になるとプレイヤーはリセットボタンを押しますが、やっていることは同じです。

今後、民主党は野党共闘の核となることを目指すようですが、手を組む相手はみんなの党と維新の会しかありません。いずれもネオリベの政党で、創業者の顔と理念が(まがりなりにも)一致しています。それに対して、国会で悔し涙を流したことしか記憶に残っていない海江田代表は、選挙戦でもアベノミクスを批判するだけで、どういう政治を目指すのかさっぱりわかりませんでした。このままでは政党再編の草刈場になってしまいそうです。

宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』には、カオナシという妖怪が登場します。カオナシはその名のとおり、自分の顔(アイデンティティ)を求めてさまよっています。過去を否定し、“ほんとうの自分”を探しつづける民主党はこのカオナシのようです。

私たちが民主党に生理的な拒否反応を抱くとしたら、リセット願望によって「自分」を見失っていく醜い自画像を見せつけられているからなのかもしれません。

 『週刊プレイボーイ』2013年8月5日発売号
禁・無断転載

日本がもしコミュニストの国になったら

 

ZOLにシベリア抑留の話を書いた。

そのときふと思い出したので、詩人・石原吉郎の言葉をここに記しておきたい。

1915年に静岡・伊豆に生まれた石原は、幼くして母を失い、苦学して東京外語大学に入学、ドイツ語を学ぶ。そこでマルクスと出会い、社会主義や共産主義の文献を読み漁るようになる。

大学卒業後は大阪ガスに入社、このとき徴兵検査を受けるが、第二乙種・第一補充兵役となり、兵役は免れた。この頃からキリスト教に関心を持つようになり、ドイツ人の神父から洗礼を受け、キリスト者になるべく東京神学校への受験準備を始める。

だが受験前の24歳で召集を受け、北方情報要員第一期生として大阪露語教育隊でロシア語を学んだのち、1941年、太平洋戦争開戦の年に満州に移った。配属先は関東軍情報部(特務機関)で、ソ連軍の内情分析にあたった。

1945年、敗戦とともにシベリアに抑留。最初の冬をかろうじて生き延びたものの、49年に刑法58条(反ソ行為)6項(諜報)により、死刑廃止後の最高刑である重労働25年の判決を受け、バム鉄道(バイカル―アムール鉄道)沿いの収容所で流木、土工、鉄道工事、採石などに従事。収容所の環境は劣悪で、生死の境をさまよい、極度の影響失調のため2回入院。

1950年にハバロフスクの収容所に移送され、日本人受刑者と合流する。53年12月、スーターリンの死去にともなう特赦で8年ぶりに日本に帰還。38歳になっていた。

帰国後石原は、自身のシベリア体験を言葉にすべく苦闘し、何冊かの詩集を上梓した。

シベリアで共産主義社会の本質を見せつけられた石原は、1960年8月、次のような一文をノートに書きつけている。

日本がもしコンミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を灼き、だまって死んで行こう。社会主義から漸次に共産主義へ移行していく町で、そのようにして生きている人びとを、ながい時間をかけて見つづけて来たものは、僕よりほかにいないはずだ。(『望郷と海』1960.8.7のノートより)

この当時、革命によって日本をコミュニズムの理想社会にしようとする若者たちが大学や国会前でデモを繰り返していた。

そしていまも、格差や不平等を批判し、性急に“理想社会”を求めるひとたちは後を絶たない。