「強い大統領制」じゃなくてよかった、かも 週刊プレイボーイ連載(211)

来年の米大統領選に向けた共和党候補指名争いで、“不動産王”ドナルド・トランプの勢いが止まりません。世論調査でも30%前後の支持率を維持し、本命とされるジェフ・ブッシュ前フロリダ州知事らを大きく引き離しています。このままでは民主党のヒラリーとの一騎打ちになりそうですが、政治評論家のなかには懐疑的な論者も少なくありません。

トランプが支持されるのは、人気テレビ番組で「お前はクビだ!(You’re fired!)」の決め台詞を連発した圧倒的な知名度や、女優やモデルとの派手な交際もありますが、そのカゲキな発言が、共和党の中核的な支持層である保守的な白人中産階級にアピールしたからなのは間違いありません。

トランプは移民の流入を防ぐためにメキシコとの国境に「万里の長城」を築くと公約し、中国を為替操作による貿易赤字の元凶、日米安保条約を「米国が攻撃されても日本は助ける必要がない不平等条約」と批判します。こうした歯に衣着せぬ発言が、「(かつてあったはずの)偉大なアメリカが失われてしまった」と感じるひとたちを熱狂させているのでしょう。

しかし、極端なマーケティング戦略は政治においては両刃の剣です。トランプがメキシコ系移民を批判すればするほど、ヒスパニックの有権者の拒否感も強くなるでしょう。リベラル層はもちろん、中道右派のなかにもトランプの“政治ショー”に辟易とするひとたちは多く、彼らが大統領選に棄権することで、「相手がトランプならヒラリーの歴史的圧勝は確実」というのが専門家の共通理解になっています。--そのヒラリーもメール問題で炎上していますが。

政治学ではこれを、「中位投票者定理」で説明します。

ネットにはカゲキな意見が溢れていて、このままでは日本の将来は大丈夫かと不安になったりもしますが、「日本は神国だ」とか「資本主義をいますぐやめろ」という党派が主流になることはありません。どちらの主張にも(いまのところ)それに反対する多数派がいるからです。

民主政では相手より1票でも多くの票を獲得した候補者が当選します。政治家はできるだけ多くの有権者から支持を集めなければならないのですから、自らの政治的信念に関係なく、「合理的選択」によってすべての政党は有権者の平均的な政治的立場に近づいていくはずです。

イギリスではかつて、社会階層を背景に保守党と労働党が真っ向から対立していましたが、両者の政策はいまでは区別がつかないまでに酷似してしまいました。これが「中位投票者定理」の好例ですが、アメリカの大統領選では、候補者はまず民主・共和の二大政党のなかで勝ち抜かなければならないため、この原理がうまく働きません。社会が右と左に分断されると、党の支持層に対しては極端な右(もしくは左)の主張をした方が有利になってしまうのです。

日本ではずっと「決められない政治」が批判され、アメリカのような「強い大統領」が理想化されてきました。しかし4年にいちどの壮大な「政治的茶番劇」を見せられると、かつての輝きはずいぶん色あせてしまいます。

いまやアメリカの政治学者のなかには、イギリスや日本のような議院内閣制の方が優れているとの議論もあります。日本国憲法をつくったのは米進駐軍ですが、彼らがアメリカ流の大統領制を持ち込まなかったことを感謝する日がくるかもしれません。

『週刊プレイボーイ』2015年9月14日発売号
禁・無断転載

国民のエゴイズムによって平和な時代はつづく 週刊プレイボーイ連載(210)

戦後70周年の夏も大過なく終わり、その一方で安保法制をめぐる議論が熱を帯びてきました。私の住んでいる街でも、週末には「平和を守れ!」「戦争反対!」のデモが行なわれています。

特定秘密保護法の審議でも反対派が国会を取り囲みましたが、国民はほとんど関心を示さず、いまではそんな法律があることすら忘れています。それに対して安保法制が政権を揺さぶるのは、もともと憲法違反のものを諸事情によって合憲と強弁する筋の悪さとともに、「戦争法案」への危機感が主婦を中心とする女性層を動かしたからでしょう。ふだんは政治に興味を示さない女性誌も、「読者の強い関心」から安保法制を特集するようになりました。

政治ゲームでは、敵に負のレッテルを貼るのは強力な武器になります。民主党政権は「売国」のレッテルに苦しみましたが、こんどは自民党政権が「戦争」のレッテルで同じことをされているだけで、権力闘争とはそういうものです。無益なレッテル貼りは社会のあつれきを増し政治の質を下げますが、有権者の大半が面倒な議論を嫌い、わかりやすいレッテルを求める大衆民主政ではこれはしかたのないことなのでしょう。――米大統領選・共和党候補者指名争いでの富豪ドナルド・トランプの躍進を見れば、同じことが世界じゅうで起きていることがわかります。

日本社会の保守化がいわれますが、ネトウヨに影響されたのか、安倍政権はそれを「愛国」と勘違いしたようです。欧米も同じですが、政治的な大潮流は「生活保守」であって、ひとびとが求めているのは「安全」なのです。

少子高齢化は子どもが減り高齢者が増えることですから、高齢層の政治力が大きくなると同時に、需要と供給の法則から希少な子どもの価値が上がります。いまでは1人の子どもを両親と祖父母の6人で育てることも珍しくなくなりました。

そんな彼らは、自分の子どもや孫が「お国」のために生命を捧げるなどとはぜったいに考えません。かつて日本の首相は「人の命は地球より重い」といいましたが、いまや「子どもの生命は国より重い」のは当たり前で、だからこそ「戦争」や「徴兵制」の言葉に過敏に反応するのでしょう。彼らにとって、子どもの安全を脅かす(ように見える)ものはすべて“絶対悪”なのです。

日本人の歴史観が奇妙なのは、「軍部や政治家が国民を戦争に引きずり込んだ」という話にいつのまにかなっていることです。現代史をすこしでも勉強すれば、事実はまったく逆なことがわかります。

日清戦争で台湾と賠償金を手に入れて以来、日本人は戦争で支配地域を増やすことが「得」だと思い込み、利権を手放すことにはげしく抵抗しました。こうした国民のエゴイズムを一部の軍人や政治家が権力闘争に利用し、「愛国」の名の下に国家を破滅へと引きずり込んでいったのです。――国民が戦争を求めたからこそ、国は戦争をしたのです。

こうした歴史に学ぶなら、国民のエゴイズムがこれほど頑強に「戦争」に反対している以上、どんな愛国的な政治家でも戦争などできるわけはありません。安保法制がどうなろうが、平和な時代はこれからもずっとつづくことでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年9月7日発売号
禁・無断転載

“加害者”が責任を追及する不思議な歴史観  週刊プレイボーイ連載(209)

注目されていた安倍談話が8月14日に発表されましたが、穏当かつ常識的なもので、首相に「歴史修正主義者」のレッテルを貼ろうと手ぐすねひいていたひとたちは肩透かしを食ったようです。中国や韓国の反応も、事前に内容を知らされていたのか、抑制的なものでした。歴史問題は加害国の謝罪と被害国の寛容によって解決するほかないのですから、日中韓の為政者が「いつまでも罵り合っていても仕方がない」という当たり前のことに気づいたのは歓迎すべきことでしょう。

歴史問題の発端が、「東京裁判は勝者の判断による断罪」「侵略の定義は定まっていない」などの安倍首相の発言にあることは明らかです。個人の意見なら許容範囲でも、一国の宰相が保守派の偏狭な歴史観に執着すると政治的資源を失うばかりで、安保法制の議論すらままなくなる現実にようやく気づいたのでしょう。最初から談話の立場なら、「戦争法案」とか「徴兵制」とかの無意味な混乱は起きなかった気もしますが。

今回の談話を「主語がない」とか、「本心ではない」と批判するひともいるようですが、これもどうでもいいことです。マキャベリを引くまでもなく、権力者は目的の実現のために最適な“理想”を語ればいいのですから。

日本は明治維新によってアジアで最初に近代化を成功させましたが、実はその頃には植民地主義は末期を迎えており、第一次世界大戦で民族自決が新しい「正義」になりました。安倍談話にもあるように、日本はこの「グローバルスタンダードの転換点」を理解できず、侵略と領土の拡張にのめり込んで自ら破滅したのです。

近代国家は民族の共同体として、よいことも悪いことも含め過去の歴史を引き継ぐのですから、都合のいいところだけを拾い食いして負の歴史から逃れることはできません。だからこそ日本は植民地に対しても謝罪しており、“欧米列強”が過去の植民地政策を謝罪・反省などしていないことを考えれば、これはもっと誇っていいことでしょう。欧米のメディアが安倍談話を批判しているのを見ると、その自分勝手な歴史観に首を傾げざるを得ません。

歴史観が歪んでいるのは日本のメディアも同じです。

戦前・戦中の新聞はこぞって侵略と植民地の拡大を求め、朝鮮半島や台湾の「日本人」を二級市民扱いし、英米を「鬼畜」と罵って日本国を戦争に引きずり込んでいきました。当時の政治家の記録を見れば、新聞の煽り立てるナショナリズムの熱狂を抑えることができず、苦慮する有様がよくわかります。

国家と同じく会社も「法人」として過去の歴史を引き継いでいるはずです。そう考えれば、日本のメディアが「過去の戦争の加害者」であることは間違いありません。

ところがそのメディアは、いつのまにか被害国の代理人になって安倍談話を批判したり、あるいは被害国・被害者に対し「もうじゅうぶん謝った」と不満をぶつけるなど、好き放題なことをしています。

このひとたちの「歴史認識」がどうなっているのかほんとうに不思議ですが、彼らがこの矛盾に気づくことは(おそらく)永遠にないのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年8月31日発売号
禁・無断転載