「おわハラ」ではなく、年齢差別を終わらせよう  週刊プレイボーイ連載(208)

内定を出した学生に就職活動を終わらせるよう強要する「おわハラ」が問題になっています。なぜこんなことが起こるかというと、高齢化による人手不足もあるでしょうが、いちばんの原因は、安倍政権の要請を受けた経団連が、「学業優先のため新卒の選考は8月から」という指針を出したことでしょう。

これはたんなる指針なので、経団連に加盟する大手企業は無視できないとしても、外資系や中小企業には関係ありません。そのためこれらの企業は、従来どおり4月から選考をはじめ、次々と内定を出して採用活動を終えています。ところが今年は、そのあとに金融など大手企業の選考があるのですから、これは人事担当者にとって大問題です。

内定を出した学生が大手企業に採用されたとすれば、入社を断ってくるのは8月後半や9月になってからです。それによって予定人数が足りなくなれば、そこからもういちど採用活動をやり直さなければなりません。その手間やコストを考えれば、内定者の拘束をいちがいに非難することはできません。

一般に、中小企業よりも大手企業の方が学生に人気がありますから、まず大手の選考があって、そこで採用されなかったり、もともと大手に興味のなかった学生が中小企業に応募する、というのが自然な流れです。ところが新しい制度では、この順番がまったく逆になっているのですから、これで混乱が起こらない方が不思議です。

そのため、大学や企業から、「誰にためにもならないこんな馬鹿馬鹿しいことはさっさと止めるべきだ」との声が出ています。しかしこれは、単純に「元に戻せばいい」という話ではありません。これまでの新卒採用制度がうまく機能しないことが、「改革」が求められた理由なのですから。

以前にも書きましたが、新卒一括採用などという摩訶不思議なことをやっている国は世界のなかで日本だけです。そのうえ、雇用対策法に定める「募集・採用における年齢制限禁止」の規定に明らかに違反しています。新卒に限定した採用が許されているのは、「日本的雇用」の特殊性に配慮した過渡的かつ例外的な措置なのです。

そう考えると、法律の完全な遵守を求められている官公庁(とりわけ厚生労働省)がいまでも新卒一括採用を行なっていることはきわめて異常です。これでは、どんな高尚な法の理念も特例措置で好きなように蹂躙できることになってしまいます。行政が率先して“不法行為”を行なっているのなら、誰も法を真面目に守ろうなどとは思わないでしょう。

経団連に加盟する大手企業も、海外の子会社では新卒一括採用などやっていないのですから、従業員を国籍で差別しているといわれてもしかたありません。だとしたら、選考時期をずらすなどという姑息な手段ではなく、「年齢にかかわらず最適な人材を通年で採用する」という真っ当な指針を出せばいいのです。

そもそも現在の新卒採用制度は、期間を限定することで採用市場を大混雑させるという、経済学のマッチング理論では最悪の制度です。やり方を変えるだけで現状をかんたんに改善できるのですから、「おわハラ」で大騒ぎするのではなく、行政やグローバル企業は先頭に立って採用における年齢差別を終わらせるべきでしょう。

『週刊プレイボーイ』2015年8月24日発売号
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第52回 世にはびこる「どうせ」理論(橘玲の世界は損得勘定)

福岡県警の50歳代の男性巡査部長が、アダルトサイトの解約手数料名目で約1800万円をだまし取られた。スマートフォンでアダルトサイトを閲覧中、画面に会員登録されたことを示す表示が出たことに驚き、解約しようとして32万円の手数料を支払ったところ、「他のアダルトサイトの登録がまだ残っている」などと請求され、計19回にわたって大金を指定された口座に振り込んだのだという。

この話にいまひとつ同情できないのは、詐欺を取り締まるべき警察官が、あまりに単純な架空請求詐欺の手口に引っかかったからだろう。でも世の中には、同じようにだまされやすいひとが一定数いることも事実だ。

そこで詐欺師は、自分勝手な「自己責任論」で犯罪を正当化する。

「こういうひとは、いずれ誰かにだまされて身ぐるみはがされるんだよ。だったら俺が先にだましたって同じでしょ」

話は変わって2020年の東京オリンピック。

当初1300億円と見込んでいた新国立競技場の費用が約3000億円まで膨らんだとき、スポーツ議員連盟の政治家たちはサッカーくじの売上を工事費に充てようとした。それでも足りないと、プロ野球や大相撲にまでくじの対象を広げようと画策している。

ところでサッカーくじは、ジャンボやロトなどの宝くじと同じく、購入代金の半分以上が手数料として控除される。100円を払うと最初に55円が没収され、残りの45円を当せん者で分配するのだ。

競馬、競輪などの公営ギャンブルの還元率は75%と宝くじよりマシで、パチンコ・パチスロが85%程度、カジノのルーレットは95%だ。他のギャンブルに比べてあまりにも還元率が低い宝くじは、経済学者から「愚か者に課せられた税金」と呼ばれている。

ジャンボ宝くじは1ユニット1000万枚で、1等が当たる確率は1000万分の1。一方、日本で1年間に交通事故で死亡するのはおよそ3万人に1人だ。宝くじを10万円分買って、ようやく1年以内に交通事故で死ぬ確率と同じになる。これだけ分が悪いとふつうは誰からも相手にされないから、賞金金額を引き上げて射幸心を煽るしかないのだ。

オリンピック開催が国民の悲願だというなら、競技場の整備・建設にもみんな賛成するはずだから、五輪特別税を徴収して必要な予算を確保すればいい。でもそうすると選挙に不利になるし、お金も自由に使えなくなるから、「愚か者」に税金を払わせようとするのだろう。

これでなにがいいたいのかわかってもらえただろうか。

特殊詐欺の犯人は「いずれ誰かにだまされるんだから同じ」という。政治家は、「どうせどこかの宝くじを買うんだから、競技場建設のために先にサッカーくじを買わせてしまえ」という。両者のちがいは法律に違反するかどうかだけで、その論理はまったく同じだ。

国の道徳レベルがこの程度では、いつまでたっても振り込め詐欺や架空請求詐欺がなくならないはずだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.52:『日経ヴェリタス』2015年8月16日号掲載
禁・無断転載

東芝不正会計事件という見事なブラックジョーク 週刊プレイボーイ連載(207)

1500億円を上回るとされる東芝の不正会計事件は、日本の名門企業でどのような「経営」が行なわれていたのかを白日の下にさらしました。

第三者委員会の報告書によれば、中間決算直前の社内会議で、「残り3日で120億円の利益を出せ」と社長がパソコン事業部に迫ったといいます。テレビなど映像事業部に対しては、「チャレンジ」と称する収益改善目標の必達を要求し、社長月例会議で「できないなら辞めてしまえ」と部門長を罵倒しています。さらに米子会社ウエスチングハウスが手がけた発電所建設では、追加コストの発生を約500億円から85億円に理由もなく減額するよう社長自ら指示していました。

報告書では東芝の上場を維持するために「不適切会計」とされていますが、これは粉飾以外のなにものでもありません。なぜこんなぶざまなことになってしまったのでしょう。

80年代末のバブル最盛期には、「日本はもう坂の上に雲はなくなった」といわれました。明治維新以来、近代日本はずっと欧米という「坂の上の雲」を追いかけてきたのですが、世界第2位の経済大国になったことで目標を失った、というのです。

ところが90年代に入ってシリコンバレーでICT(情報通信技術)革命が起こると、重厚長大の日本の電機メーカーは新しい時代にまったく適応できなくなりました。いまやマイクロソフト、アップル、グーグルなどグローバル企業の背中ははるかに遠く、かといって韓国・台湾・中国のメーカーのように下請けに徹することもできず、業績は凋落の一途を辿っています。

この20年、日本企業から世界に通用するイノベーションはなにひとつ生まれていません。シリコンバレーには世界じゅうから多様な文化的背景を持った野心と知性にあふれた若者が集まってきますが、日本企業の上層部は日本人・男性・中高年・国内大学出身というきわめて同質な集団で占められています。そんな彼らがどれほど知恵を絞ったところで、画期的なアイデアなど出てくるはずはないのです。

旧日本軍は米軍との圧倒的な戦力差を見せつけられたとき、現実を受け入れるのではなく「神風」を頼り、特攻や玉砕などの非人間的な戦法を兵士に強要しました。東芝の経営陣は、これまでの事業戦略が通用しなくなったとわかったときに、合理的なマネジメントで大胆な改革を行なうのではなく、部下への恫喝と粉飾によって収益を糊塗しようと画策しました。報告書には「上司に逆らえぬ企業風土」「トップが現場を追い込んだ」などと記されていますが、これは鉄拳制裁の暴力で兵士を死地へと追いやった旧日本軍とどこがちがうのでしょうか。

安倍首相が出す予定の「戦後70年談話」について、歴史学者など専門家が検討する会議が開かれましたが、その座長となったのは長らく東芝の社長・会長を務め、現在は日本郵政の社長に就任している人物です。

日本の組織は、敗戦を経ても旧日本軍となにひとつ変わっていませんでした。非合理的な精神主義の日本型組織で成功し、異様な企業風土をつくった人物が「歴史の反省」を語るということが、見事なブラックジョークになっているのです。

『週刊プレイボーイ』2015年8月10日発売号
禁・無断転載