第56回 ルール透明化の皮肉な結果(橘玲の世界は損得勘定)

利益相反はいつの時代でもやっかいな問題だ。典型的なのは政治家で、「国民のため」などといいながら、公共事業の発注と引き換えに建設会社からキックバックをもらったりする。言語道断だが、同様の行為は社長に任命された監査役とか、製薬会社から接待漬けにされた病院長とか、枚挙にいとまがない。残念なことに金融業界も例外ではなく、世界金融危機以降、利益相反の巣窟と見なされている。

もちろん監督官庁も手をこまねいているわけではない。不道徳な慣習をやめさせる武器は「情報開示」だ。「手の内を知られているなら、ダマすことなどできないはずだ」というのはたしかに一理ある。だがこれは、ほんとうに効果があるのか。

行動経済学者のダン・アリエリーは、次のような興味深い実験を紹介している(『ずる』早川書房)。

ある参加者は、小銭の入ったビンを一瞬見せられ、金額をより正しく推測することで報酬が支払われた。これを「推測者」としよう。

それに対して別の参加者は、ゆっくり時間をかけてビンを調べることができ、おまけに「正解は10ドルから30ドルのあいだ」とヒントまで与えられた。こちらは「助言者」だ。

助言者には、ふたつの異なる報酬が支払われた。ひとつは利益相反がないタイプで、助言者の報酬は推測者の正しさによって決められた。もうひとつは利益相反のあるタイプで、助言者の報酬は、推測者が金額を多く間違えるほど高くなった。

もうおわかりのように、利益相反のある助言者は、推測者により大きな金額を助言した。その金額は(利益相反のない)対照群が16.5ドルだったのに対し、3.66ドルのゲタをはかせた20.16ドルだった。

この結果に「けしからん」と怒るひともいれば、「そんなものか」と胸をなでおろすひともいるだろう。助言者のぼったくり率は2割ほどで、倍にふっかけるような非道なことはしていない。これはダマす側にも(まがりなりにも)良心がはたらいていることを示している。

だがこの実験で興味深いのは、第三の条件を試したことだ。それが、「金額が多いほど助言者の利益も大きい」という報酬体系を情報開示した場合だ。この公開主義で、推測者は助言者に利益相反のバイアスがかかっていることを見抜くことができる。

結果はどうなったのだろう。

予想どおり推測者は、助言者の金額から2ドル割り引いて利益相反に対抗した。これは情報開示の効果だが、驚いたことに助言者は、さらに4ドル上乗せした24.16ドルを推測者に助言したのだ。その結果、助言者の報酬は差し引き2ドル増え、ぼったくり率は35%に拡大した。

規制で透明性が向上すると、利益相反の害はより大きくなる。なぜこんな奇妙なことが起こるのだろう。

それは、開示によって助言者の罪の意識が軽くなったからだ。ゲームのルールが周知されると、ダマせる立場にあるひとは、ダマされるのは自己責任だと思うようになるのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.56:『日経ヴェリタス』2016年1月31日号掲載
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あまりに情けない軽減税率論議に、民主党ができること 週刊プレイボーイ連載(228)

2017年4月の消費税率10%引き上げ時に、酒と外食を除く飲食料品全般と新聞の定期購読料に軽減税率が適用されることが閣議決定されました。

税金が上がることを歓迎するひとはいませんから、生きていくのに必要な食品への課税軽減を有権者が歓迎することは間違いありません。もともと自民党は軽減税率に否定的でしたが、支持(宗教)団体に軽減税率導入を約束した公明党が、安保法制に賛成した見返りとして強硬に導入を求め、参院選後の憲法改正を目指す安倍政権が「貸しをつくる」政治判断をした、という経緯も報道のとおりでしょう。

新聞への軽減税率適用が決まったのも、保守系の二紙が安保法制を熱烈に支持したことへの論功行賞なのは明らかです。こちらも憲法改正への布石で、アメを与えることでさらなる協力を確約させる、というのも理に適っています。

安倍政権をきびしく批判していたリベラルな新聞にも軽減税率の恩恵が及びますが、じつはこれも計略のうちで、案の定、ネットなどでの批判は「権力」に向かってキャンキャン吠えるふりをしておいて、じつは懸命に尻尾を振っていた新聞社に集中しています。そう考えれば、見事な深謀遠慮というほかありません。

食品への軽減税率は社会的弱者のためとされますが、富裕層も恩恵を受けるため、消費税の逆進性をほとんど改善しないことは税の専門家から繰り返し指摘されています。いずれ、「アワビや霜降り牛肉の課税をなぜ軽減するのか」という批判が出てくるのは確実で、実際、「消費税先進国」であるヨーロッパではぜいたく品への適用除外が増えすぎて混乱を来たしています。

新聞社は「民主主義を守るためにも知識への課税は最小限度にとどめるべき」と主張しますが、「知識」が宅配の新聞だけに限られるというのはいかにも奇妙です。説明に窮して「出版物や電子メディアへの軽減税率適用も求めていく」などといっていますが、これが実現不可能なのは最初からわかっていることで、ただの口先のごまかしです。

「有害図書(コンテンツ)」問題で紛糾必至のメディアに税の優遇をしても、批判されるだけでなんの政治的メリットもありません。そんなことより、医薬品や電気・ガス・水道などの公共料金の課税を軽減した方がはるかに有権者の受けはいいでしょう。そもそも「知識」を求めて新聞や書籍に高いお金を払う有権者などごく一部しかいないのです。

政治家が軽減税率を好むのは、権力を行使する範囲が広がるからです。本気で「国家権力」を批判するのなら、政治家の裁量の範囲を減らし、特定の業界に便宜を与える余地をなくしていかなければなりませんが、自分たちの生活がかかるとこんな当たり前のことすらわからなくなるようです。

あまりに情けないこの現状に風穴を開けられるのは、野党第一党の民主党でしょう。支持率はどん底まで落ち、新聞やテレビなどメディアを敵に回してもこれ以上失うものはないのですから、ここはぜひ正論を貫いて、弱者保護をかたって特定の宗教の信者に便宜をはかる「国民政党」や、自分たちだけが「知識」を独占していると国家権力に認めてもらって喜んでいる「第四の権力(マスメディア)」の欺瞞をぜひ暴いてほしいものです。

『週刊プレイボーイ』2016年2月1日発売号
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北朝鮮が「水爆」実験をする合理的な理由 週刊プレイボーイ連載(227)

北朝鮮が水爆実験に成功したと発表したことで、朝鮮半島がいまだ緊張状態にあり、日本もこの奇怪な国とつき合っていくほかない現実を思い知らされました。しかしなぜ、金正恩第1書記はこんな危険なゲームをつづけるのでしょうか。

もっともわかりやすい説明は、長年の鎖国政策と独裁によって政治指導者がもはや正常な判断を下せなくなっている、というものです。日本の報道をみても、軍事パレードやマスゲームの異様な映像を背景に、「あたまのおかしい権力者」「洗脳されたかわいそうな国民」という図式がほとんどです。

しかしこうした(暗黙の)常識とは逆に、北朝鮮がきわめて合理的に行動しているとしたらどうでしょう。

北朝鮮がもっとも大きな利害関係を持つのは、アメリカでも韓国でもなく、中国です。たびかさなる核実験によってきびしい経済制裁の対象となっている北朝鮮は、中国に完全に依存するようになり、中朝間の金融・貿易の流れを止められればたちまち破綻してしまいます。逆にいえば、ここまで孤立してしまうと、中国との関係さえ維持できればあとはどうでもかまわないのです。

だとしたら、中国の北朝鮮政策はどのようなものでしょうか。

2010年末にウィキリークスでアメリカの外交公電が暴露されましたが、中国高官はアメリカの大使に、北朝鮮は「駄々っ子」で「彼らのことは好きではないが、それでも隣国だ」と述べていました。北朝鮮の暴走のたびに、後見人である中国は国際社会からその責任をとわれるのですから、「いい加減にしてくれ」というのが本音なのは間違いないでしょう。

だったらいっそのこと、金政権を崩壊させてしまえばいいのではないでしょうか。しかしこれは、中国政府にはぜったいにできません。

毛沢東率いる中国共産党は朝鮮戦争に参戦し、北朝鮮とともにマッカーサーの米軍と闘いました。これによって中朝関係は「血で固められた同盟」と名づけられ、中国共産党(毛沢東王朝)の正統性を証する神話の一部になりました。

南北に分断された朝鮮半島はずっと世界の最貧国でしたが、20世紀末からの韓国の飛躍的な経済成長によって、いまでは両国の経済力にとてつもない差がついています。北朝鮮が崩壊すれば、金政権に代わる新たな権力が登場するのではなく、そのまま韓国に併合されることになるでしょう。

しかしこれは、中国から見れば、人民解放軍の血によって獲得した同盟国をむざむざ敵(米国)の手に渡すことにほかなりません。もしそんなことになれば、保守派からのはげしい攻撃によってどんな政権も維持不可能になるでしょう。習近平も当然、このことをわかっているので、北朝鮮がなにをしても政権崩壊につながりかねない制裁をすることはできないのです。

そうであれば、北朝鮮にとってもっとも利益が大きいのは、定期的に核実験やミサイル発射を行なって朝鮮半島の緊張を高め、国際社会からの圧力で政権が危機にあることを示し、“瀬戸際戦術”によって中国からのさらなる援助を強要することです。

そしてこれまで北朝鮮は、この仮説のとおりに「合理的」に行動しているのです。

『週刊プレイボーイ』2016年1月25日発売号
禁・無断転載