『臆病者のための億万長者入門』発売のお知らせ

文春新書より『臆病者のための億万長者入門』が刊行されます。Amazonではすでに予約が始まっています。書店店頭には20日に並びますが、都内の大手書店では週末のところもあるようです。

タイトルは「億万長者入門」ですが、億万長者になる方法が書いてあるわけではありません。

アメリカやヨーロッパ、日本のようなゆたかな国は、人類史上はじめて「誰でも億万長者になれる社会」を実現しました。それは同時に、貧乏が自己責任を問われる“残酷な世界”でもあります。

億万長者になるなんて簡単だ!

そんな「ゆたかで残酷な日本」でどのように経済的な土台(インフラストラクチャー)を築いていけばいいのか、というのが本書のテーマです。

本書は、2013年4月から14年1月まで『週刊文春』に連載した「臆病者のための資産運用入門」をベースに、加筆・再構成のうえ1冊にまとめたものです。株式投資、保険、不動産、外国為替(FX)などについてこれまで述べてきたことと趣旨は同じですが、これは、市場は日々刻々変化するとしても原理は不変で、長期的には(市場原理による)正しい場所へと収斂していくはずだからです。

連載をまとめることのメリットは、過去の記述を検証できることです。

『週刊文春』に「1万5000円突破 日本株はもう高すぎる」という記事が掲載されたのが2013年5月23日(木)で、この日に日経平均は1143円暴落しました。同年6月13日発売号の「激動する為替レート 今の円高は当たり前」では、「今後、大幅な円安は見込めない」と述べました。

当時はアベノミクスの絶頂期で、ほとんどの論者がさらなる円安と株価の上昇を予想していました。それから1年たって、株価は1万4000円、為替は1ドル=101円とほとんど変わっていません。べつに自慢したいわけではありませんが、いずれの予測が正しかったかは明らかでしょう(経済予測の世界では過去の発言を検証しないことになっているので、自分でいうしかありません)。私が「日本株はもう上がらない」「これ以上の円安はない」と考えた理由も、この本で詳しく説明しています。

市場では、とんでもないこと(ブラックスワン)はめったに起こりません。リーマンショックは「100年にいちど」の大惨事といわれましたが、わずか5年で米国株は史上最高値を更新しました。これを見ても、戦争や内乱・政治的混乱に比べて、経済的な事象は未来をある程度限定できることがわかります。“米ドル暴落”“ユーロ崩壊”“中国の不動産バブル崩壊”“日本の財政破綻”などさまざまな危機がいわれますが、金融市場の仕組みと資産運用の原則を理解していれば、誰でもこうした経済的リスクにヘッジ(保険)をかけることができます。

日本はこれから、超高齢化という人類がこれまで体験したことのない社会を迎えます。そのなかで自分の(経済的な)人生をどのように「設計」するのか、それを考える一助になれば幸いです。

すべてのメディアは”捏造装置” 週刊プレイボーイ連載(145)

STAP細胞はどんな組織にも変化できる機能を持った多能性細胞の一種で、iPS細胞などと比べてつくり方が圧倒的に簡単で、再生医療を劇的に発展させると期待されていました。この“ノーベル賞級の発見”を割烹着姿の31歳の小保方晴子さんが主導したことでマスコミの大騒ぎが始まりましたが、その後、論文自体の信憑性を疑わせるさまざまな疑惑が噴出して事態は混迷していきます。

この問題の本質が、「そもそもSTAP細胞は存在するのか?」なのは誰でもわかります。

小保方さんは200回以上STAP細胞を作成したと述べていますが、それには「言葉では伝えにくいコツ」があり、本来、つくりやすいはずなのに他の研究者は誰ひとり追試に成功していません。しかしだからといって論文自体を捏造と決めつけることはできず、写真の転用についてもそれがたんなるミスなのか、意図的なのかを素人が判断するのは不可能です。

“日本のベートーヴェン”は、野心を抱きながらも挫折を繰り返してきた男が、才能はあるもののずっと音楽界の傍流にいた作曲家と出会い、彼をゴーストライターに聴覚障害を装って成功をつかむという、テレビの2時間ドラマに使えそうなベタな話でした。ワイドショーで連日大きく取り上げられたのは、こうした“わかりやすい物語”なら視聴者が安心して楽しめるからです。

大衆が好むのは昔も今も勧善懲悪で、そのためにはまず悪者を特定しなければなりません。それによって悪を糾す自分(視聴者とその代弁者としてのメディア)が正義の側に立てますし、悪者に人間味(幼児虐待や貧困、自殺未遂など)を持たせれば物語の魅力はさらに増してひとびとを魅きつけます。

しかしSTAP細胞論文疑惑では、この悪者をうまく特定することができません。いまだに論争の決着がついていないということもありますが、そもそもマスメディアには「読者/視聴者が理解できることしか報道できない」という制約があり、科学の世界での議論を追うことが困難だからです。

勧善懲悪のドラマは悪役がいないと成り立ちませんから理化学研究所を批判したりもしてみますが、ここは日本の誇るノーベル賞受賞者が理事長をやっており、そもそも誰に責任があるのかもよくわかりません。

こうして科学論争は研究者間の愛憎劇(失楽園)や、「人格障害」「モンスター・サイエンティスト」へと歪んでいってしまいます。大衆は科学の最先端を知りたいのではなく、“割烹着姿のかわいい女の子”の将来に興味津々なのです。

娯楽としてのマスメディアの限界は、真実が複雑でわかりにくいものだとしても(たいていはそうです)、それをわかりやすく加工しなければ商品にならないことにあります。だとすれば、メディアそのものが“捏造装置”なのです。

もっとも「そもそも真実なんてあるのか」というさらにやっかいな問題もあり、それを言い出すと本稿も含め、すべてのメディアは捏造の度合いを競っているだけだ、というオチになってしまうのですが。

 『週刊プレイボーイ』2014年4月28日発売号
禁・無断転載

第41回 租税回避 国家の逆襲(橘玲の世界は損得勘定)

世界金融危機以降、タックスヘイヴンが大きく揺れている。

金融業界に衝撃を与えたのはプライベートバンク最大手UBSのスキャンダルで、2008年11月、米司法当局はプライベートバンク部門を統括していた最高幹部を脱税の共謀犯として起訴し、UBSは総額7億8000万ドル(約780億円)の罰金と、約4500件の口座情報の提供を余儀なくされた。

この事件はまだ尾を引いており、2013年10月には米連邦大陪審に起訴されていたUBS幹部がイタリアで突然逮捕された。この幹部はインターポール(国際刑事警察機構)の指名手配リストに載せられていたのだ。

オバマ政権に代わってからアメリカはタックスヘイヴンに対する締め付けを強めており、FATCA(外国口座税務コンプライアンス法)によって米国人が海外に保有する口座情報の提供を世界のすべての金融機関に義務づけた。このようなことが可能になるのは米国の税制が属人主義で、米国人は国外に居住していても納税義務を負うからだ(日本をはじめほとんどの国は属地主義で、国外居住者は原則として納税義務はない)。

プライベートバンクが窮地に陥ったのは、顧客情報の流出に歯止めがかからないからでもある。脱税容疑で拘束されたプライベートバンカーが、司法取引で罪の減免と引き換えに顧客情報を提供しているのだ(そればかりか莫大な報奨金を得たケースもある)。

また2013年6月には、国際調査ジャーナリスト連合(ICIJ)がシンガポールとBVI(ブリティッシュ・ヴァージン・アイランズ)から入手した10万件以上の登記情報をインターネットに公開した。

ICIJはその後、半年以上にわたって資料の分析を進め、汚職撲滅の先頭に立つ習近平国家主席のほか、温家宝前首相、李鵬元首相ら中国共産党や人民解放軍幹部の親族などがタックスヘイヴンを使って蓄財している実態を明らかにした。報道によれば、中国と香港の富裕層2万1000人以上が海外法人を所有し、2000年以降、最大4兆ドル(約400兆円)の隠し資産が中国から流出したという。

さらに2014年2月、日米欧など主要20カ国・地域が、課税対象者が海外に保有する銀行口座の自動交換に合意し、2015年までの導入を目指すとした。この合意にはタックスヘイヴン国は含まれないが、スイスや香港、シンガポールにまで拡張されればオフショアビジネスは大打撃を受けるだろう。

金融市場の急速なグローバル化に国家が追いつけないことが明らかになって、国際的な取組みがようやく始まった。今後はタックスヘイヴンを使ったグローバル企業の租税回避に議論が移っていくはずだ。

シンガポールを舞台とする国際金融ミステリー『タックスヘイヴン』では、こうした潮流を背景に、プライベートバンクが国際謀略に巻き込まれていく姿を描いた。これはもちろんフィクションだが、もしかしたら同じことがどこかの国で現実に起きているかもしれない。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.41:『日経ヴェリタス』2014年4月20日号掲載
禁・無断転載