女性はなぜあの時に声を出すのか? 週刊プレイボーイ連載(240)

近年では、さまざまな人間の行動を進化の産物として説明することが当たり前になりました。

私たちの祖先が生きてきた旧石器時代は糖がきわめて貴重で、幸運にも甘いもの(ハチミツなど)を見つけたら限界まで食べるよう進化してきました。ところがこれは、糖質の多いファストフードが容易に手に入る飽食の時代には破滅的な結果をもたらします。こうしてアメリカでは、貧困層の肥満が社会問題になる皮肉な事態が起きたのです。

このように進化論は強い説得力を持ちますが、ときにきわめて不都合な結論を導き出します。

哺乳類では、オスとメスの生殖のコストが大きく異なります。ヒトの場合、女性は妊娠から出産まで10カ月ちかくかかり、出産後も長期にわたって授乳させないと子どもは生きていけません。このような制約から、一生のあいだに産める子どもの数はおのずから決まってきます。

それに対して男性は、生殖にほとんどコストがかかりません。これがチンギス・ハーンから大奥まで、洋の東西を問わず権力者がハーレムをつくってきた理由で、子どもの数には物理的な限界がありません。

こうした生殖の非対称性から、進化論者は「オスはメスとの稀少な生殖機会をめぐってはげしい競争をしている」と考えます。この競争にはさまざまな方法がありますが(ゾウアザラシのオスは骨格の限界まで身体を巨大化させる)、ヒトの場合、権力闘争に勝ったオスが好みの(複数の)メスを手に入れる、との説が一般的でした。たしかにこれは、人間社会における男性の行動をとてもよく説明しています。

しかしこれでは、競争から敗れたオスは子どもをつくることができません。進化の狡猾なプログラムは「手段を問わず子孫(遺伝子のコピー)を残せ」と命じるのですから、すごすごとあきらめてしまうようでは40億年の生命の歴史を生き延びられなかったでしょう。

だとしたら、弱いオスはどうやって子孫を残してきたのでしょうか。その合理的な戦略のひとつがレイプです――ここであわてていっておきますが、これは私の意見ではなく進化心理学の標準的な学説です。そしてこれが、進化論が「陰鬱な学問」として評判が悪い理由になっています。

しかしここで、「ヒトのオスがレイプするように進化したというのはほんとうなのか」と疑問を持った研究者がいました。もしそうなら、女性にとって重要なのはレイプから身を守ることで、性行為に快感を覚える理由がないからです。

しかし実際には、男性の快感は射精とともに短時間で終わるのに、女性の快感は長くつづきます。これは「レイプ説」ではうまく説明できません。

さらなる不可解は、性行為のときに女性が声をあげることです。これは人類が長い期間を過ごした旧石器時代の環境を考えると、きわめて不合理です。当時は肉食獣がうようよしていたのですから、これではわざわざ「獲物はここにいる」と教えるようなものです。

それではなぜ、女性は生命の危険を犯してまでオルガスムで声を出すように進化したのか。ここから研究者は驚くべき仮説を提示しました……というような話を集めて、『言ってはいけない 残酷すぎる真実 』を出しました。興味を持ったら、つづきは本編でどうぞ。

『週刊プレイボーイ』2016年4月25日発売号
禁・無断転載

第58回 「漏れない秘密」もはや幻想(橘玲の世界は損得勘定)

中米のタックスヘイヴン、パナマの法律事務所から流出した大量の秘密ファイル(パナマ文書)が波紋を広げている。ロシアのプーチン大統領に近い関係者、中国の習近平国家主席の親族、イギリスのキャメロン首相の亡父、アルゼンチン大統領やパキスタン首相からサッカー選手リオネル・メッシまで多数の政治家・有名人がタックスヘイヴンに会社を設立して資産隠しをしていた疑いが生じたからだ。

この事件で明らかになったのは、現代社会ではもはや「守秘性」は幻想だということだ。

秘密を守るもっとも確実な方法は、秘密を知る人間の数を減らすことだ。かつてスイスの名門プライベートバンクは、顧客情報は担当者と経営者しか知らず、重要な顧客は銀行の創業者一族である経営者が担当するため、秘密が漏れる恐れはほとんどなかった。ところがその後、情報のデータベース化が進むと、顧客名簿にアクセスできる人数は飛躍的に増えた。

2008年にリヒテンシュタインの大手プライベートバンクから顧客情報が流出した事件では、電子データの移管作業をしていたエンジニアがドイツの税務当局に顧客情報を420万ユーロ(約5億3000万円)で売りつけた。グローバル銀行HSBCのジュネーブにあるプライベートバンクから13万件近い顧客情報が流出した09年の「スイスリークス事件」では、首謀者は“正義の人”になって著書まで出したことで話題になった。今回の流出元も金銭は求めていないようだが、貴重な情報へのアクセスが容易になれば、個人的な利益や思想信条などで秘密を暴露しようと思う人間が出てくるのは当然なのだ。

パナマ文書の詳細は不明だが、法律事務所はタックスヘイヴンでの会社設立を代行するだけなので、会社名、取締役、資本金などの登記情報を保有しているだけだ。ただし出資金の内訳などから、なんのための会社かわかる場合もある。

報道を見るかぎり、夫婦でパナマに投資会社を保有していたアイスランドの首相がやったのは「ハゲタカファンド」の手法で、世界金融危機で破綻寸前の銀行の社債を紙くず同然で買い集め、債権者集会で主導権を握ろうとしたのだろう。手口を隠すためにタックスヘイヴンを利用することは違法ではないが、一国の首相がこんなことをやれば国民が怒るのは当たり前だ。

先進国の政治家の名前があまり出てこないのは、度重なるリークで、タックスヘイヴンを使うことが割が合わなくなったからだろう。キャメロン首相の苦境を見ればわかるように、公人には説明責任が問われるのだ。それに対して新興国ではいつ政変で地位を失うかわからないから、権力者は家族などの名義で資産を海外に移して保険をかけようとする。

タックスヘイヴンの法人設立は、ほとんどはプライベートバンクが仲介する。すでに大手金融機関の名前が出ているが、今後、疑惑の追及が銀行口座にまで及ぶようなことになれば、資産隠しの詳細が明らかになってさらなる激震が走るだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.58:『日経ヴェリタス』2016年4月24日号掲載
禁・無断転載

恋愛やビジネスに成功するカンタンな方法 週刊プレイボーイ連載(239)

今回はちょっと趣向を変えて、すぐに役立つ知識をお教えしましょう。

「あたたかな気持ち」「高い地位」などの言葉を私たちは当たり前のように使っています。「蜜のような甘い言葉」は、愛の囁きの比喩として、誰でもすぐに理解できます。

でも考えてみれば、これは不思議な話です。世界にはさまざまな言葉や文化、習慣があるのに、なぜこの比喩が注釈もなく翻訳できるのでしょうか。

この疑問に、現代の脳科学はこう答えます。「それは比喩ではなく、実際に脳の味覚に関する部位が活動しているからだ」――愛の言葉と蜜は、脳にとっては同じ刺激なのです。

これだけなら驚くようなことではないかもしれませんが、テルアビブ大学のタルマ・ローベル教授は、この因果関係が逆にしても成り立つことを発見しました。「甘いものを食べながら聞いた言葉は甘く感じる」のです。

ほんとうにこんな不思議なことがあるのでしょうか。それを次のような実験で確かめましょう。

学生がエレベーターに乗ると、そこには本とクリップボード、コーヒーカップで手がふさがった助手がいます。助手は学生に、「ちょっとコーヒーカップを持ってくれませんか」と頼みます。

次に学生が研究室に入ると、実験担当者からある(架空の)人物についての資料を読むようにいわれます。その後、学生にこの人物の印象を尋ねます。

ランダムに選ばれた学生が同じ資料を読むのだから、質問への回答に統計的な差は生まれないはずです。しかし興味深いことに、特定の質問項目にだけはっきりとしたちがいが現われました。それは、「親切/利己的」など、性格があたたかいか冷たいかを連想させる質問でした。

なにが学生たちの回答を左右させたのでしょう。

じつはエレベーターのなかの助手は2種類のコーヒーを持っていました。ホットコーヒーとアイスコーヒーです。

驚いたことに、エレベーターのなかで一瞬、ホットコーヒーを持った学生は資料の人物を穏やかで親切だと感じ、アイスコーヒーを持った学生は怒りっぽく利己的だという印象を抱いたのです。温度の感覚は、無意識のうちに、その後の人物評価に影響を与えるのです。

こうした知見から、ローベル教授は次のようにアドバイスします。

  • 初対面のひとにはあたたかい飲み物を出した方がいい。
  • 交渉の際は、やわらかな感触のソファに座らせると相手の態度が柔軟になる。
  • 相手より物理的に高い位置に座ると、交渉が有利になる。
  • 相手と冷静に話し合いたいときは距離を取り、感情に訴えたいときは身体を寄せる。
  • プレゼンの資料は重いものを用意する。ひとは重い本を持つと、それを重要だと感じる。
  • 赤は不安や恐怖を高める。試験問題を赤で書いたり、受験番号を赤で印刷しただけで成績が下がる。
  • その一方で、赤は注目を引く。スポーツではユニフォームが赤のチームが有利だし、赤い服の女性や赤いネクタイの男性はもてる。

どうでしょう、すぐに実行できることばなりではないでしょうか。最新の脳科学を使って恋愛やビジネスに成功してください、結果は保証しませんが。

参考:タルマ・ローベル『赤を身につけるとなぜもてるのか?』

『週刊プレイボーイ』2016年4月18日発売号
禁・無断転載