第60回 英シティが望んだ?EU離脱(橘玲の世界は損得勘定)

イギリスのEU離脱でロンドンの金融街シティの地盤沈下が懸念されている。大手金融機関のなかには、EU圏でのビジネスを優先しフランクフルトやパリに本社移転を検討するところもあるようだ。シティが金融機関が集まるたんなる一区画なら、もっと有利な場所に移るのはビジネストして当然だろう。だが、シティは「ふつう」ではない。

シティの正式名称は「シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション」で、1000年前からつづく同業組合(ギルド)の共同体だ。この共同体はロンドン市の行政の一部であると同時に、中世からの長い歴史のなかで数々の特権を認められた“自治都市”でもある。

中世イギリスの都市は国王から下されるチャーター(許可状)によって設立されたが、シティにはこのチャーターが存在しない。これが、シティが国家(国王)と対等の政治的権利を有しているとされる根拠だ。

古来、シティに入るには国王ですら武器を置かねばならなかった。エリザベス女王が在位50周年記念式典でシティを訪れたときは、町の境界でロード・メイヤー(シティの市長)が出迎えたが、これは国王との取り決めで許可なくシティに立ち入ることが許されていないからだ。

こうした数々の特権は、ロスチャイルド家やベアリング家などシティの豪商たちが王室の戦費調達などを支援した代償として手に入れ、コモンロー(慣習法)として認められてきた。たとえば王室債権徴収官はシティが英国王室に保有する債権の管理人で、現在でも議員以外でただ一人下院の議場に入ることができ、議長の後ろに座っている。その役割は「シティが享受している権利や特権を妨げるあらゆる法案に反対すること」だ。イギリスの中央銀行であるバンク・オブ・イングランドも、もとはシティの豪商たちが1694年に設立した民間銀行だった。

「国家のなかのもうひとつの国家」としてのシティは、共同体(コーポレーション)のメンバーである域内の金融機関にもっとも有利なルールを提供できる。さらにイギリスには、王室属領や海外領土、イギリス連邦の旧植民地など世界じゅうに広がる「帝国の遺産」がある。シティはこうしたタックスヘイヴンのハブ(中心)となることで、グローバルな金融ビジネスを支配してきた。アジアの金融センターである香港やシンガポールも、シティのグローバルネットワークの一部なのだ。

だがブリュセッルのEU官僚たちは、中世からの特権を手放さないこの奇妙な都市の存在を認めない。イギリスがEUにとどまるならば、シティは「ただの町」になっていく運命だった。だが今回の国民投票で、首尾よくEUのくびきから逃れることができたのだ。

シティがウォール街と互角にたたかえるのは、タックスヘイヴンのネットワークによって、グレイゾーンを含めた膨大な金融取引の需要にこたえることができるからだ。そう考えれば、シティが裏で離脱派を操っていたとしても、なんの不思議もないだろう。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.60:『日経ヴェリタス』2016年7月17日号掲載
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野党はなぜいつも間違えてばかりいるのか? 週刊プレイボーイ連載(250)

参政権が18歳に引き下げられたことで注目された参院選ですが、結果は事前の予想どおり自民・公明の与党で過半数、非改選を含めれば改憲勢力が憲法改正を発議できる3分の2を確保しました。1人区などで民進党が予想以上に健闘したことで安倍政権に対する一定の批判があることも明らかになりましたが、今回の選挙は「アベノミクス」と「改憲」をテーマに争われたとのことですから、“民意”は安倍政権の経済運営を評価し、憲法改正の手続きに入ることを承認した、ということになるのでしょう。国会前で「民主主義を守れ」と叫んでいたひとたちは、民主的な選挙による審判を尊重しなければなりません。――まあ、無理でしょうけど。

日本の戦後政治を大きく変えたのが民主党の「政権交代」であることは間違いありませんが、安倍政権以降は自民党が与党第一党、社会党が野党第一党で低位安定していた55年体制と似てきているようです。このままでは野党は、共産党を含めてかろうじて3分の1を確保する「ガス抜き」になってしまいそうです。いったいどこで間違えたのでしょうか。

今回の選挙での民進党の決定的な失敗は、与党に先んじて消費税引上げの延期を決めたことでしょう。これによって安倍政権の社会保障政策を批判しようにも、財源がないのは同じですから、ほとんど差別化できなくなってしまいました。どちらでも同じなら、このまま与党に任せればいいという話になるのは当然です。原発再稼働、TPP参加、消費税引き上げを決めたのは旧民主党政権で、安倍政権はそれをそのまま引き継いでいますから、民進党にとって、3党合意を反故にした無責任な安倍政権の財政運営を批判する千載一遇のチャンスだったはずです。

選挙前の政党支持率は自民党36%、民進党8%と大きな差がついていましたが、世論調査では消費税を予定どおり引き上げるべきだと考えるひとは3割ちかくおり、将来の財政に不安を感じる層は7割に達します。財政再建の正論を掲げて堂々と論戦を挑む姿を見たかったと思うのは私だけではないはずです。

民進党が消費税引き上げを見送ったのは、消費税そのものを否定している共産党との選挙協力を実現するためでしょう。この戦略は一定の効果があったように見えますが、「同一労働同一賃金」などで安倍政権はウイングを左に延ばしていますから、民進党が共産党のいる左の端に押し込まれているともいえ、これでは自滅への道です。

イギリスのEU離脱で円高株安が進んだように、グローバル化した経済では一国の政策で景気を自在に動かすことは不可能です。世論調査で明らかですが、「立憲主義」や「安保法制」に有権者はたいして関心を持っていません。私たちがほんとうに知りたいのは、財源のあてのない空約束ではなく、労働市場改革や社会保障制度改革を含め、将来の日本社会をどのように変えていくのかの現実的な設計図です。

新たに有権者になった若い世代は、少子高齢化によって負担が大きくなっていく暗い未来を正しく予感しています。この「合理的な不安」にこたえる議論がほとんどなかったことが、日本の政治の貧困を象徴しているのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2016年7月19日発売号
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治安とは「とんでもないことをする若い男」を管理すること 週刊プレイボーイ連載(250)

フロリダ州オーランドのゲイクラブで男が自動小銃を乱射し、50人以上が死亡する大惨事になりました。特殊部隊によって射殺された容疑者はアフガニスタン系の両親を持つニューヨーク生まれの29歳男性で、大学卒業後警察官を目指したものの採用されず、フロリダの高級住宅街で警備の仕事をしていたといいます。

家族や同僚によれば容疑者は激しやすい性格で、同性愛者を嫌悪しアルカイダとのつながりをほのめかす発言をしたことからFBIの聴取を受けたようですが、犯行を防ぐことはできませんでした。一部の報道では、容疑者自身がゲイクラブの常連で、同性愛者のパートナーを探していたともいいますから、話はさらに複雑です。

アメリカでは、共和党候補のトランプがムスリムの移民排斥を叫び、共和党候補のクリントンが銃規制の強化を求めて国論を二分する争いになっています。しかしテロのような重大な犯罪には、宗教よりもはるかに顕著な危険因子があります。

2015年11月に起きたパリ同時多発テロ事件の犯人は、アルジェリア系フランス人、モロッコ系ベルギー人、難民として入国したシリア人など出自はさまざまですが、全員が若い男性でした。16年3月のブリュッセル連続テロ事件でも、ISのメンバーとされた犯人はやはり若い男性です。こうして見ると、危険なのは宗教以上に、年齢と性別であることは明らかです。

これは偏見ではなく、統計的にはあらゆる国で、犯罪者の割合は女性に比べて男性が圧倒的に多いことは歴然としています。日本でも刑法犯に占める女性の比率は15~20%程度で8割以上は男性、それも強盗、傷害、暴行、恐喝のような暴力犯罪にかぎれば男性の比率は9割を超え、若いほど犯罪率は高くなります。

哺乳類など両性生殖の種では、オスはメスをめぐってはげしい競争にさらされます。ヒトも例外ではなく、思春期を迎えた男性は、他の男たちを押しのけて1人でも多くの女性と性交するよう、テストステロン(男性ホルモン)のレベルが急上昇して競争に最適化されるのです。

女性を獲得できなければ子孫を残せないわけですから、進化は男性を「どんな手段を使ってでも競争に勝て」とプログラムしたはずです。もっともすべての男が同じ欲望を持っている以上、必勝の戦略はなく、ピラミッド型の社会では大半の男性が不利な状況に置かれることになります。

保守的な女性に比べ、「とんでもないこと」をするのはたいてい男です。これは、「とんでもないこと」が不利な状況でも勝機を開く有効な戦略だからでしょう。それがプラスに働けばヒーローや成功者で、マイナスなら凶悪犯罪者になるのです。

ところが社会が高度化し、管理された組織のなかで秩序が求められるようになると、「とんでもない」男は厄介者とされ、生きていくのが難しくなりました。治安問題というのは、社会からドロップアウトした「若い男」をいかに管理するか、ということなのです。

こんな単純なことが指摘されないのは、男性優位の社会で、誰も自分で自分をバッシングしようとは思わないからなのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2016年7月11日発売号
禁・無断転載