北朝鮮問題のもっと怖い話 週刊プレイボーイ連載(287) 

事態が急速に動いているのでこの原稿が掲載される頃にはどうなっているかわかりませんが、風雲急を告げている北朝鮮情勢についてすこし別の角度から推理してみます。

2月13日、金正日の長男で金正恩の異母兄である金正男が北朝鮮の秘密工作員の手によってマレーシアの空港で暗殺されました。その前日、北朝鮮は新型中距離弾道ミサイルの発射実験を行なっています。

4月6日夜、トランプ米大統領と習近平国家主席の米中首脳会談の最中に、化学兵器の使用を理由に米軍がシリア・アサド政権の空軍基地を巡航ミサイルで攻撃します。その前日には、北朝鮮が日本海に弾道ミサイルを発射しています。

そしてトランプ大統領は、「あらゆる選択肢を排除しない」として、朝鮮半島周辺に向けて原子力空母カール・ビンソンの派遣を命じました。北朝鮮が核実験を強行するなら先制攻撃も辞さないと、後ろ盾である中国に強い圧力をかけているとされています。

この間明らかになったのは、ロシアはもちろん日本と韓国も蚊帳の外に置かれていることです。「ゲーム」の参加者は米中と北朝鮮の三者ですから、それぞれの利害を考えてみましょう。

もっともわかりやすいのは北朝鮮で、金正恩体制の維持がすべてに優先します。米国は北朝鮮の大陸間弾道弾保有を認めないでしょうが、できるのは核施設の空爆までで、北朝鮮に米軍を進駐させてイラクのような泥沼にはまり込むことはトランプの「選択肢」にはありません。ただし、ローコストで(米兵の血を流すことなく)北朝鮮問題を解決できれば自らの威信を世界に示すことができますから、これほどウマい話はないでしょう。

難しいのは中国で、もっとも避けなければならないは北朝鮮が崩壊し韓国に併合されることです。中国と北朝鮮は「血の同盟」とされており、人民解放軍の大きな犠牲によって米韓の帝国主義から北朝鮮の同胞を守ったことになっています。それを失うことは中国共産党の正統性を根底から揺るがし、習近平政権は軍や民衆のナショナリズムの奔流に押しつぶされてしまうからもしれません。その一方で、金正恩をコントロールできないまま擁護しつづければ国際社会の非難を免れないばかりか、核ミサイル開発が米軍の軍事行動を誘発しかねません。

そのように考えると、じつは米中双方にとってもっとも合理的な解決策は、中国が北朝鮮を「植民地化」することになります。具体的には、クーデターで金正恩政権を倒し、中国の傀儡政権にしたうえで核施設を廃棄するのです。

このオプションは「現代の帝国主義」としてオバマ民主党はぜったいに認めなかったでしょうが、トランプはそんな理想に興味はありません。だとしたら首脳会談で、中国が北朝鮮問題をどのように「解決」しようが勝手だと示唆しているかもしれません。

金正恩もそのリスクに気づいていて、だからこそ傀儡にもっとも適した義兄が生きていてはならなかったのです。ミサイル実験を繰り返すのは米国への牽制というよりも、習近平へのメッセージでしょう。もしこのシナリオが正しいとしたら、中国を思いとどまらせる唯一の方法は、クーデターを画策すれば核攻撃で周辺地域に大混乱を引き起こすと脅すことだけだからです。

核ミサイルの標的はソウル、沖縄、東京でしょうが、そこに北京が加えられても不思議はありません。

追記:この記事を入稿したのは4月14日ですが、その後、同様の分析が出てきました。たとえば4月16日付日本経済新聞の「風見鶏 北朝鮮は中国の手で」(編集委員 大石格)は、「トランプ政権は発足直後、中国に「朝鮮半島の北半分は好きにしてよい」と伝えた」という“噂”を書いています。

『週刊プレイボーイ』2017年4月24日発売号 禁・無断転載

みんなが忖度する社会で忖度を批判しても…… 週刊プレイボーイ連載(286) 

日本じゅうを大騒ぎさせた森友学園問題ですが、世論調査では「政府がじゅうぶんに説明しているとは思わない」との回答が8割を超えるものの、安倍政権の支持率はさほど下がらない、という結果になっています。

幼稚園児に教育勅語を暗唱させ、軍歌を歌わせる特異な教育理念を掲げる理事長が、小学校の設置認可と用地取得に便宜をはかってもらおうと政治家を通じて行政に強い政治的圧力をかけたことは間違いないでしょう。そのなかでもっとも効果的だったのは首相夫人が名誉校長に就任したことで、日本国籍を取得した韓国人の親に「韓国人と中国人は嫌いです。日本精神を継承すべきです」との手紙を送りつけた理事長夫人に、神道に傾倒する首相夫人が同志的なつながりを感じていたこともメールのやりとりから明らかです。

しかしこれだけでは、首相の責任を追及し内閣退陣を求めるのはちから不足です。大半のひとはこれを、“神道カルト”ともいうべき理事長夫婦とスピリチュアルにはまった首相夫人に、行政担当者(そして夫である首相)が振り回された事件だとみなしているのでしょう。

森友学園への国有地売却で注目を浴びたのは「忖度」です。私人であるはずの首相夫人に経産省から出向した秘書がおり、理事長からの要請を財務省に問い合わせ、FAXで回答していたことが証人喚問で暴露されましたが、回答そのものは便宜を約束したものではありませんでした。そこで、「形式的には断っているものの、役人はこの学園への首相夫妻の強い意向を感じ、破格の安値で国有地を取得できるよう取り計らったにちがいない」というのです。

これもありそうな話ですが、やっかいなのは、忖度そのものは違法でもなんでもないことです。そればかりか、忖度は「相手の気持ちをおもんばかること」で、これまで日本社会では美徳とされてきました。

「いちいち言葉に出さなければひとの気持ちを理解できない」のは、学校でも会社でも、日本のあらゆる組織でもっとも嫌われるタイプです。これが世代と関係ないことは、子どもたちのあいだで「KY(空気を読めない)」がいじめの対象になることからもわかります。

日本の組織の特徴は流動性がきわめて低いことです。いったん就職すると定年まで40年以上もひとつの組織に「監禁」されるのですから、若いときの悪い評判はずっとついてまわって出世を妨げます。閉鎖空間のムラ社会では、ひたすら失敗を避け、リスクをとらず、上司や同僚の気持ちを「忖度」するのが生き延びるための唯一の戦略になるのです。

日本の組織では忖度できない人間は真っ先に排除されるのですから、森友学園問題に対応した財務省や大阪府の行政担当者が「忖度の達人」なのは当たり前です。彼らを批判するマスメディアも、会社内の人間関係は忖度によって成り立っているはずです。安倍首相の責任を追及する野党の政治家にしても、支持者の要望を忖度できないようでは当選はおぼつかないでしょう。

そう考えれば、森友学園問題が失速気味な理由もわかります。みんなが忖度する社会で忖度を批判することは、自分の首を自分で締めるようなものなのです。

『週刊プレイボーイ』2017年4月17日発売号 禁・無断転載

左と右を逆にするとよく似た話 週刊プレイボーイ連載(285) 

太平洋戦争末期、独立工兵第36連隊の二等兵・奥崎謙三は敗残兵として、飢餓と疫病の蔓延するニューギニアのジャングルに置き去りにされました。銃撃によって右手小指を吹き飛ばされ、右大腿部を銃弾が貫通し、左手一本で濁流の川を泳ぎ渡って逃げ延びようとしたものの頭部に銃弾を受け、とうとう死を覚悟せざるを得なくなります。

奥崎は、山中で腐り果て、蛆虫にたかられ山豚の餌になるよりは、ひとおもいに米兵に射殺された方がマシだと思い、酋長らしき男の前に飛び出して自分の胸を指差します。ところが酋長は、「アメリカ、イギリス、オランダ、インドネシア、ニッポンみんな同じ」といって、奥崎に食事をふるまったあと米兵に引き渡したのです。

奥崎はこうして終戦の1年前に捕えられ、俘虜収容所で玉音放送を聴くことになります。ニューギニアに送られた独立工兵第36連隊千数百人のうち、生き残ったのは奥崎を含めわずか8名でした。

帰国した奥崎は結婚して神戸でバッテリー商を営みますが、不動産業者とのトラブルから相手を刺し殺し、傷害致死で懲役10年の刑に処せられます。大阪刑務所の独居房で奥崎は、自分はなぜあの戦場から生きて日本に戻ってきたのかを考えます。そして、この世のすべての権力を打ち倒し、万人が幸福になれる「神の国」をつくることこそが、ニューギニアで神が自分を生かした理由であり、戦争責任を果たそうとしない天皇を攻撃することで自らの信念を広く世に知らしめるべきだと決意したのです。

出所後の1969年1月2日、新春の一般参賀で、奥崎はバルコニーの天皇に向かってゴムパチンコで数個のパチンコ玉を撃ち込みました(暴行罪で懲役1年6カ月の実刑)。

この事件のあと、奥崎の人生は大きく変わります。彼は突如、左翼のヒーローとして祀り上げられたのです。

それまでも左翼の知識人たちは天皇の戦争責任を追及してきましたが、それはたんなる理屈にすぎませんでした。それに対して、レイテ島、インパールと並ぶ太平洋戦争の最大の激戦地から奇跡的に生還した元日本兵は、自らの凄惨な体験に怨念を込め、全身全霊で天皇の責任を問うたのです。

その後、奥崎は連隊の残留守備隊長(中尉)が日本軍の敗戦を知ったあとに、2人の上等兵を敵前逃亡の罪で銃殺刑に処した事件にとりつかれていきます。「捨身即救身」「神軍 怨霊」などと車体に大書した白のマークⅡを駆って、銃殺事件に関与したとされる下士官や軍医、衛生兵のもとを訪ね、ときには暴力をふるって真実を問いただす奥崎の鬼気迫る姿は、ベルリン国際映画祭などで多くの賞を受賞した原一男監督のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』に描かれています。

奥崎の言動が過激になればなるほど左翼の知識人は彼を神格化し、「東大を出た奴らが跪いてくる」と奥崎も悦に入ります。しかし83年12月、奥崎が上等兵2名を銃殺した責任を認めない元残留守備隊長を殺害すべく、改造銃を持って自宅を訪ね、応対に出た長男に発砲して重傷を負わせたことでこの関係は終わります。それまで奥崎を称賛していた左翼知識人たちは、潮を引くように離れていったのです。――この話は、左と右を逆にすればいま起きていることととてもよく似ているのではないでしょうか。

奥崎謙三は懲役12年の判決を受けて97年に満期出所。05年に死去。享年85でした。

参考:「38年目の亡霊 奥崎謙三と戦争責任」

『週刊プレイボーイ』2017年4月10日発売号 禁・無断転載