“クローン牧場”の真の計画はなんだったのか? 週刊プレイボーイ連載(161)

タイのバンコクで、24歳の日本人男性が代理出産により16人の乳幼児の父親になっていた事件が話題を集めています。

その後の報道によれば、男性はカンボジアのプノンペンに子どもたちの養育施設を用意し、毎年10~15人の子どもをもうけ、自分の精子を冷凍保存して最終的には1000人の子どもをつくる計画を立てていたといいます。男性は代理母の斡旋業者に対し、「世界のために私ができる最善のことは、たくさんの子どもを残すことだ」といったそうです。「事実は小説より奇なり」といいますが、こんな荒唐無稽な話はSF作家でも思いつかないでしょう。

ひとびとが衝撃を受けたのは、件の男性が著名なベンチャー起業家の長男で、自分の計画を実現するのにじゅうぶんな財力を持っていたことでした。代理出産が商業化された世界では、その気になれば無限のクローンをつくることもできてしまうのです。

中国やインドの経済成長で明らかなように、グローバル資本主義は世界じゅうの貧しいひとびとの生活を劇的に改善しましたが、その一方で、一代で数兆円もの資産を築く超富裕層をも生み出しました。

衣食住などヒトの基本的な欲望には物理的な限界がありますから、資産が10億円を超えれば、生きているうちにそれを散財するのは至難の業でしょう。こうして、「使い切れないお金をどう処分するのか」という新しい問題が生まれました。

ビル・ゲイツやジョージ・ソロスのような篤志家に誰もがなれるわけではありません。お城のような豪邸やプライベートジェット、大型クルーザーなど“顕示的消費”の定番ではもう誰も驚かなくなりました。今回の事件は、そんな悩める超富裕層に新たな富の使い道を示したのです。

しかし、クローンが流行するかどうかには疑問も残ります。ハーレムや大奥を見ればわかるように、(男性)権力者の欲望はたくさんの若い女性とセックスすることで、子どもはその結果として生まれてくるだけだからです。ところが件の男性はバックパッカーのような暮らしをし、贅沢にはいっさい興味を持たず、目的はセックスではなく代理出産だったのです。

進化論では、自分の遺伝子をより多く残す選択をした個体が繁殖に成功し、生き延びていくと考えます。だとしたらヒトの欲望は自分のクローンをつくることになりそうですが、そのように進化しなかったのは石器時代には生殖医療の技術がなく、他の生き物と同様にセックスを目的にするほかなかったからです。このようにしてヒトは、「愛」を至上のものとする文化を生み出しました。

アニメ『エヴァンゲリオン』の熱烈なファンだったという男性は、人類の進化の階梯を自らの財力で乗り越えようとしたのでしょうか。しかし、これではあまりにSFアニメ的すぎます。

生殖は複雑な過程なので、父母が同じでも多様な容姿・能力・性格の子どもが生まれてきます。これは確率の問題ですから、子どもを1000人つくれば1人くらいは自分が望む完璧な存在(ミュータント)が見つかるかもしれません。

これが男性の真の計画だとすると、話はよりホラーに近づいていくのです。

『週刊プレイボーイ』2014年9月1日発売号
禁・無断転載

第44回 利殖の手段と化すふるさと納税(橘玲の世界は損得勘定)

先日、仕事場に送られてきた投資雑誌をめくっていたら「株主優待VSふるさと納税」という特集が目に入ってびっくりした。株式投資と納税がなぜ比べられるのだろう?

ふるさと納税は2008年に始まった地方自治体への寄附金制度で、所得税・個人住民税の控除が受けられる。小泉政権下の三位一体改革で地方交付税の削減や税源移譲が進み、都市と地方の税収格差が問題になった。そこで当時の自民党政権が、日本に寄付文化を根づかせる効果も期待して創設したのだという。

こうして、生まれ故郷を離れ都会で暮らしているひともふるさとに貢献できるようになった――これだけなら素晴らしい話だが、だったらなぜマネー雑誌が利殖の手段として取り上げるのだろうか。それは、制度設計に理由がある。

ふるさと納税では出身地に限らずどの自治体に寄附してもいいが、全額控除には上限が設けられていて、総務省の試算では、年収600万円(専業主婦と子ども2人)のサラリーマンの場合2万7000円だ。ほとんどのひとはこの上限を超えて寄附しようとは思わないだろうから、パイの大きさは決まっていて、全国の自治体は納税先の指定をめぐって争うことになる。

もうひとつは、寄附金のうち、控除を受けられるのは2000円を超えた部分だということだ。

1万円を寄附したとすると、2000円が適用外となって、税金から控除されるのは8000円だ。ここからすぐにわかるように、ふるさと納税をすると税(控除されない2000円)と寄附金(1万円)の合計が1万2000円になって、結果として税コストが増えてしまう。ふるさと納税はあくまでも「寄附」であって、税と同じには扱えないのだ。

ところがそうなると、ふるさと納税をする経済的なインセンティブがなくなってしまう。そこで一部の自治体が、“払い過ぎた”税金を特産品などで“還付”することを始めた。これが話題になると、多額の税収を得る市区町村が出てきて、限られたパイをめぐる争いが激化した。

いまや全国の自治体が「納税のお礼」に趣向をこらしている。それをまとめたサイトを見ると、肉や魚介類、果物、米、温泉利用権やスキーチケットなどなんでもある。納税者は当然、「どうせ税金を払うならすこしでも得したい」と考えるだろう。こうして「株主優待と同じように納税でも得できる」という摩訶不思議な話になるのだ。

地方がふるさと納税に頼るのは、税収が減っているためだ。その理由は人口減や企業の撤退などいろいろあるだろうが、要するに地方に魅力がなくなってしまったからだ。だったら正攻法は、多くのひとが住みたい(企業が進出したい)と思う街づくりをすることだろう。

だがバブル崩壊以降の20年で、地方はその努力をあきらめてしまったようだ。それでも税収は必要だから、あとは特産品で納税者を勧誘するしかない――「ふるさと納税」という美名の陰には、少子高齢化を迎えた日本の、そんな寒々とした光景が広がっているのだ。

橘玲の世界は損得勘定 Vol.44:『日経ヴェリタス』2014年8月24日号掲載
禁・無断転載

国内の歴史論争で勝って、海外の人権で完敗した慰安婦問題 週刊プレイボーイ連載(160)

朝日新聞は従軍慰安婦問題において、従来の主張を大幅に変更し、一部の記事を虚偽として取り消しました(8月5日朝刊)。この問題についてはすでに多くの(というか多すぎる)主張がありますが、これを機に争点を整理してみることは無駄ではないでしょう。

慰安婦問題の議論は大きく4つに分けられます。

  1. 軍による強制連行があったかどうかの事実問題
  2. 自らの意思に反して売春を強要された女性の人権問題
  3. 日本の戦争責任
  4. 韓国のナショナリズム

朝日新聞をはじめとする「リベラル」は、日本の戦争責任を追及する立場から「強制連行」を歴史的事実と見なしてきました。これに対して保守派は、慰安婦問題は韓国の歪んだナショナリズムが生み出した虚構で、軍による一般女性の連行などなかったと批判しました。

このように日本国内では、リベラル派と保守派はずっと事実問題で争ってきました。そして今回の朝日新聞の“転向”が象徴するように、リベラル派は軍による強制を資料で証明できず、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」などの証言は虚偽であると認めざるを得なくなりました。事実論争では保守派が圧倒的に優勢で、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造」との批判が沸き起こります。

しかしひとたび海外に目を転じると、保守派とリベラル派の立場は完全に逆転します。

アメリカの下院議会では従軍慰安婦問題で謝罪を求める決議が満場一致で可決され、ニュージャージー州やニューヨーク州などの自治体に慰安婦の碑が次々と建てられています。保守派はこれをアメリカにおける韓国人のロビー活動によるものと批判しますが、下院での決議にせよ慰安婦の碑の設置にせよ、一部の政治家が独断でできることではなく、有権者の広範な支持があることは否定できません。

保守派は「歴史的事実の捏造が“性奴隷”という誤解を生んだ」としてワシントン・ポスト紙に「THE FACTS(事実)」という意見広告を出したりしましたが一顧だにされず、日本への批判はますます厳しくなっています。

これは海外において、慰安婦が女性への人権侵害の象徴になったからでしょう。その根拠は軍による強制連行の有無ではなく、慰安婦本人が声をあげたことです。欧米のリベラルにとって、差別を受けたひとの告発は最大限尊重されるべきもので、それを無視・否定することは「人権に対する重大な挑戦」なのです。日本の保守派や一部の政治家はこの論理を理解できず、あいかわらず“歴史論争”を繰り返していますが、なんの効果もないのは当たり前です。

つくづく残念なのは、一人の詐話師によって慰安婦をめぐる議論が大きく歪められ、それを韓国のナショナリズムが反日の道具として利用したことです。保守派のメディアは92年には証言を虚偽と報じていたのですから、朝日新聞がもっと早く記事を取り消していれば状況はずいぶん変わったでしょう。

保守派のなかにも、元慰安婦が不幸な境遇に置かれたことに同情するひとはいます。だとしたら問題を「反日」プロパガンダから切り離し、女性の人権問題として対応する道もあったかもしれません。

その意味でも、出発点となる事実問題において20年以上も議論を混乱させた朝日新聞の責任は重いといわざるを得ません。

『週刊プレイボーイ』2014年8月25日発売号
禁・無断転載