アメリカの反人種差別デモに白人はなぜいないのか 週刊プレイボーイ連載(163)

アメリカ中西部ミズーリ州セントルイス近郊で18歳の黒人青年が白人警察官に射殺された事件で、現場では激しい抗議デモが続きました。黒人青年が撃たれた際に両手を上げていた、という目撃証言があったからです。

この事件は、アメリカがまだ人種差別を乗り越えられないことを世界に示しましたが、その一方でデモ隊の行動に違和感を覚えたひともいるでしょう。一部の参加者がスーパーなどへの略奪を繰り返したからです。

この事件を白人はどう見ているのでしょうか。ここでは歴史認識の問題と比較して考えてみましょう。

アメリカの人種差別は奴隷制に始まります。奴隷は近代社会では人権に対する絶対悪とされており、経済的な利益を求めてアフリカから奴隷を輸入した白人が加害者で、自らの意思に反してアメリカに“強制連行”された黒人が被害者であることは明白です。この歴史認識(加害/被害関係)を否定すると、アメリカ社会では生きていけません。

ここで重要なのは、人権に対する悪は超歴史的に裁かれる、ということです。

奴隷貿易は16世紀から盛んになりましたが、当時は黒人に白人と対等の権利があるなどとは誰も思っておらず、奴隷売買は(ヨーロッパの法律では)完全に合法でした。しかしそれを理由に、「現在の基準で過去の出来事を裁くな」といって奴隷制を正当化することは許されません。

多くの黒人がデモに参加したのは日ごろの「差別」への不満からでしょうが、その言動には「自分たちの抗議には歴史的な正当性がある」という意識が見られます。彼らのあいだでスーパーへの略奪がとりたてて問題にされないのは、「造反有理」「愛国無罪」と同じでしょう。「踏まれた者の痛みは踏んだ者にはわからない」のだから、踏み返してもかまわないのです。

しかし南北戦争は1世紀半も前のことで、公民権法が成立して白人と黒人が法的に平等になってから50年経ちます。現在の白人の多くは奴隷制廃止以後にアメリカに渡ってきた移民の子孫なのですから、「いつまで謝りつづければいいのか」という不満が出てくるのは当然です。

第二次世界大戦では、米軍に多くの黒人兵が参加し、白人とともにファシズムの悪と戦いました。“英雄”として帰国した彼らは、「自由なアメリカ」にあからさまな黒人への差別が残っていることに気づきます。それに対する抗議に多くの白人が賛同したのは、アメリカが世界に向けて語る理想と、人種差別を当然とする現実との落差が耐えがたかったからでしょう。

しかし今回のデモのなかに白人の姿をほとんど見ることはありません。マーティン・ルサー・キングの時代から半世紀が過ぎ、黒人が大統領になるという“夢”を実現したアメリカでは、白人たちは黒人と連帯して理想を目指す気持ちをすっかり失ってしまったようです。

アメリカ社会における最大のタブーは、黒人の失業率が高かったり、貧困層が多いのははたして人種差別が原因なのか、というものです。なぜなら同じエスニックグループでも、アジア系は社会的・経済的に大きな成功を収めているからです。

しかしこの問題を公に取り上げると収拾のつかない大混乱に陥るので、白人たちはただ眉をしかめ、肩をすくめているしかないのです。

参考文献:Richard J. Herrnstein,Charles Murray
『Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life』

『週刊プレイボーイ』2014年9月16日発売号
禁・無断転載

 

シリア人質事件でわかる日本人の「自己責任」 週刊プレイボーイ連載(162)

内戦下のシリアで日本人男性が原理主義の武装勢力「イスラム国」に拘束されました。男性はシリアの反体制組織と行動を共にし、ホームページに戦禍の様子を掲載するため撮影などを行なっていたようです。

邦人が武装勢力に拘束されたケースとしては、2004年4月のイラク人質事件があります。3人の人質のうち2人は若いボランティア活動家で、NGOなどの団体に属さず個人でイラク入りしていました。当時は自衛隊が復興支援のためイラクに派遣されており、武装勢力が自衛隊の撤退を求め、被害者の一部家族が要求を受け入れない政府を批判したことから世論が沸騰し、「自己責任」を問う激しいバッシングにさらされました。

同じ2004年10月にはバグダッドで日本人バックパッカーが拘束され、ナイフで首を切断される場面がインターネットで配信されるという衝撃的な事件が起きました。このときはその悲劇的な結末もあって、軽率さを指摘する声はあっても世論は同情的でした。

日本社会に大きなショックを与えたのは、2013年1月にアルジェリアで起きた人質事件でした。アルカイダ系の武装組織が砂漠にある天然ガス精製プラントを襲撃し、日本人10名を含む外国人41名と多数のアルジェリア人従業員が人質になりました。事件の5日後、アルジェリア軍の特殊部隊が現場に突入し武装組織を制圧しますが、その戦闘で10名の日本人は全員が死亡しました。

このとき、米英仏など人質の出身国は現地に特殊部隊を派遣して人質救済に備えましたが、もっとも多くの人質を出した日本はなにひとつできませんでした。この事件を機に、「邦人救済の目的で自衛隊が出動できるよう法改正すべきだ」という議論が本格化します。

アルジェリアの人質事件は大手企業が派遣した技術者が犠牲になったことで、国民を保護する「国家の責任」が問われることになりました。その一方で、中東の紛争地帯では日本人も標的とされることがわかって、ジャーナリストなどを除けば個人が無謀な行動をとるケースは久しくありませんでした。

ところが今回の人質事件では、被害者は民間軍事会社を設立した直後で、事業の宣伝活動のために紛争地に入り、銃を所持して行動していたといいます。まさに想定外のケースで、これまでの人質事件のなかではもっとも「自己責任」の度合いが高いことは間違いないでしょう。そのわりには事件の特異性からか、本人の「責任」を問う声はさほど高まりません。

このことは、日本における「自己責任」とはなにかを示しています。それは、「国家(政府)を批判しながら、国家に救済を求めることは許さない」ということなのです。

日本人は、国家が国民を庇護するのは当然だと思っており、国家に甘えることには比較的寛容です。だからこそ逆に、母親のような国家を裏切る行為は徹底的にバッシングされるのでしょう。頭を低く垂れていればそれ以上の責任は追及されませんが、反論や抗弁はいっさい許されないのです。

自己責任は、本来は自由の原理です。国家が国民を完全に保護しようとすれば、“危険”と見なされる国への旅行の自由を厳しく制限するほかありません。だからこそリベラリスト(自由主義者)は自己責任を問わなければならないのですが、こういう議論は日本ではまだまだ難しそうです。

『週刊プレイボーイ』2014年9月8日発売号
禁・無断転載

“クローン牧場”の真の計画はなんだったのか? 週刊プレイボーイ連載(161)

タイのバンコクで、24歳の日本人男性が代理出産により16人の乳幼児の父親になっていた事件が話題を集めています。

その後の報道によれば、男性はカンボジアのプノンペンに子どもたちの養育施設を用意し、毎年10~15人の子どもをもうけ、自分の精子を冷凍保存して最終的には1000人の子どもをつくる計画を立てていたといいます。男性は代理母の斡旋業者に対し、「世界のために私ができる最善のことは、たくさんの子どもを残すことだ」といったそうです。「事実は小説より奇なり」といいますが、こんな荒唐無稽な話はSF作家でも思いつかないでしょう。

ひとびとが衝撃を受けたのは、件の男性が著名なベンチャー起業家の長男で、自分の計画を実現するのにじゅうぶんな財力を持っていたことでした。代理出産が商業化された世界では、その気になれば無限のクローンをつくることもできてしまうのです。

中国やインドの経済成長で明らかなように、グローバル資本主義は世界じゅうの貧しいひとびとの生活を劇的に改善しましたが、その一方で、一代で数兆円もの資産を築く超富裕層をも生み出しました。

衣食住などヒトの基本的な欲望には物理的な限界がありますから、資産が10億円を超えれば、生きているうちにそれを散財するのは至難の業でしょう。こうして、「使い切れないお金をどう処分するのか」という新しい問題が生まれました。

ビル・ゲイツやジョージ・ソロスのような篤志家に誰もがなれるわけではありません。お城のような豪邸やプライベートジェット、大型クルーザーなど“顕示的消費”の定番ではもう誰も驚かなくなりました。今回の事件は、そんな悩める超富裕層に新たな富の使い道を示したのです。

しかし、クローンが流行するかどうかには疑問も残ります。ハーレムや大奥を見ればわかるように、(男性)権力者の欲望はたくさんの若い女性とセックスすることで、子どもはその結果として生まれてくるだけだからです。ところが件の男性はバックパッカーのような暮らしをし、贅沢にはいっさい興味を持たず、目的はセックスではなく代理出産だったのです。

進化論では、自分の遺伝子をより多く残す選択をした個体が繁殖に成功し、生き延びていくと考えます。だとしたらヒトの欲望は自分のクローンをつくることになりそうですが、そのように進化しなかったのは石器時代には生殖医療の技術がなく、他の生き物と同様にセックスを目的にするほかなかったからです。このようにしてヒトは、「愛」を至上のものとする文化を生み出しました。

アニメ『エヴァンゲリオン』の熱烈なファンだったという男性は、人類の進化の階梯を自らの財力で乗り越えようとしたのでしょうか。しかし、これではあまりにSFアニメ的すぎます。

生殖は複雑な過程なので、父母が同じでも多様な容姿・能力・性格の子どもが生まれてきます。これは確率の問題ですから、子どもを1000人つくれば1人くらいは自分が望む完璧な存在(ミュータント)が見つかるかもしれません。

これが男性の真の計画だとすると、話はよりホラーに近づいていくのです。

『週刊プレイボーイ』2014年9月1日発売号
禁・無断転載